第36話 砂漠を越えて

 戦いを終えて、丸一日が経った。

 ネリネの魔法の甲斐あって、私と涼華は特に治療を要する必要もなく、ヴァンクールは一日で意識を取り戻したらしい。

 早朝、まだ日が昇って間もない頃。私は涼華、ネリネの二人と共に、王都内部を歩いていた。

 太陽は私たちを照らし、次なる戦いへの活力を与えてくれる。

「終わってみるとあっという間だったね」

「そうね。本当、奇跡の連続だった」

 振り返ってみればその通りだ。もし出会っていたのが、涼華やネリネではなかったら。もしエルフの協力が得られていなかったら。全ての奇跡が一つに結びついて、その結果得られた勝利だった。

「次も負けぬよう、努めねばな」

 ぎゅっと拳を握りしめ、私は青い空を仰ぐ。

 まだ私たちには為すべきことがある。

 この砂漠を完全に解放するためには、土の精霊を退けなければならない。だが、熱砂の騎士を何人も屠った土の精霊がいかに強いのか、それは想像に難くない。

 一方、私の切り札である宝石は残り僅か。数度の戦いならば工夫でどうにかできるが、いつか必ず足りなくなる時が来る。連戦の中で賄うことが、果たして私にできるのか。

 他には、努力しかない。誰よりも修練を積んで呪いを退けるしかない。それだけでしか、私は皆に並べないのだ。

 足りぬものを数えていたとき、涼華が私に抱きついてきた。

「ほら、なんて顔してるのっ! 次の戦いが控えてるのはわかるけどさ、ここにいる間だけでも勝ったことを祝おうよっ」

「こら。落ち着かないか」

 涼華もネリネも笑っていた。こんなところで考え事は野暮というものか。

 そんな何気ないやり取りを繰り広げているうちに、私たちは目的の場所に辿り着いた。

 まだ新しい記憶にある、奥から賑やかな声の聞こえる酒場。涼華は私とネリネに笑いかけて、木製の扉をゆっくり開く。

 途端に漏れ出る賑やかな空気——ドアの向こうには、面識のあるエルフが揃っていた。

「いらっしゃい、英雄様ご一行!」

 酒場に入った私たちを、情報収集の際にいた二人組、集落から王都に流れ着いた長老や女性たちなどが微笑みと共に出迎える。

 ここにいる皆は、全て私たちが我武者羅に救ってきた者たち。そして、私たちに戦う理由をくれた者たち。

「私、ここは賑やかだから好きだな」

「私もだ。本当に元気をもらえる」

 大型の円卓に腰掛けると、私たちの前に大きな肉料理が運ばれてくる。

 それはあの時にも口にした、激しく食欲をそそる一品。トリの肉が丸々一匹使われていて、その上にアーモンドとバジルがまぶされた肉料理。

「あら、素敵ね」

「そうだろう。はじめにこの酒場を訪れた時、私と涼華で頼んだものなんだ」

 あの時は二人で分けて食べて、想像以上の量に度肝を抜かれたんだったか。

 好きなものを覚えてくれて、それを再現してくれた。その優しさが、私にとっての報いになった。

 涼華は一人一人に視線を飛ばし、私たちを代表して謝辞を述べる。

「えと……私たちの我武者羅を認めてくれて、全てを託してくれてありがとう。その上、こんな素敵な形で感謝を伝えてくださってとても嬉しい。私たちがまたここに戻ってこられるかどうか、それはわからない。けれど、私たちがいたってこと、どうか少しでも覚えていてほしい」

 なんとも彼女らしい、優しくって思いやりのある素敵な言葉だった。

 私はネリネとこっそり目を合わせて笑う。

 本当に、私は素敵な人に出会えたのだろう。

「さ、二人とも」

 自然とエルフの間で拍手が上がる中、涼華が私たちに声をかける。

 差し込む日差しに照らされて、彼女はとても眩しい顔で笑っていた。

「……ああ。いただこうか」

 改めて、好物の肉料理と対面する。

 この味をこの先も忘れぬよう、また、この人たちの笑顔を忘れぬように。

 私は早朝の宴会を噛みしめるように楽しんだ。


 

 小一時間程度のもてなしを受け終えて、私たちは王城の方へと戻っていく。

 門の近くに来たところで、こちらの様子に気がついたファルセットとヴァンクールが手を振ってきた。

「やあ、我が友。少しは楽になったのか?」

 私はヴァンクールの方へと向かう。彼は椅子型の魔道具に座っていたが、心にあった重いものはなくなっていたように見えた。

「ええ。まだ歩くには厳しいですが、最低限外に出れるようには」

「そうか。あの時は、本当にありがとう」

「お互い様ですから。こちらこそ、ありがとう。今後も貴方の道が輝くことを、切に祈っています」

「ああ。キミ達と過ごせた時間、私は忘れない。願わくば、キミと再びどこかで巡り会えんことを」

 そんな会話を繰り広げていた時、三人も会話を終えたのかこちらに歩み寄ってくる。

 ヴァンクールの怪我の状況を知っていたからか、ネリネはどこか心配そうな様子で彼のすぐ傍に寄った。

 二人は何かを話し始めたが、内容は聞かないことにした。無数の地獄を共有した戦友の別れ——それを邪魔するつもりなど、私にはなかったから。


 二人から少し離れて、私は真っ赤な髪のファルセットに声をかける。

「いい赤色だな、ファルセット。土の精霊との戦いには、キミも?」

「ありがとうございます。ええ、そのつもりです。……たとえその一時だけであったとしても、私は貴方たちの剣となりましょう」

 一時、すなわち土の精霊を倒すまで。

 そう、ファルセットは私たちと共に旅を続けるわけではない。彼女は自らの暮らす領域に森を取り戻すため、砂漠の創生者を打ち破りに行くだけ。魔王を倒す目的はそこにない。

 よって、次の戦いが終われば、もう会うことはない。この過酷な世界において、「その次」の約束などもっとも不確定なものなのだ。

 ふと、涼華の顔を見る。

 それはどこか寂しそうで、されど宿命に駆られていて、複雑な表情だった。

「……また、次もよろしくね」

 次について、涼華は何も言わない。

 願わくば、最後の景色も共に見たい。私も同じ気持ちだ。だが、それでも、誘うのは野暮なのだ。

 ファルセットは、とても切ない笑みを浮かべた。

「はい——。では、出立の準備を。門を出た先に魔法車輪がありますから、それに乗ってください。メリア、貴方は我が王がお呼びになっておりましたので、まずそちらに向かうように。涼華、行きましょう」

 ファルセットは重い空気を紛らわすように、早口で説明を終えるとすぐに去っていってしまった。

「え、あ、うん。ヴァンクールさん、またね!」

 元気よく手を振って去っていく涼華に、ヴァンクールはどこまでも穏やかな笑みを浮かべた。

 気がつけば二人の言葉も終わっていたようで、共に戦った者たちの間にあった和やかな空気は、いつの間にか霧散していた。

 

 私は門より踵を返し、王の城へと向かっていく。その時、すれ違いざまにネリネが声を掛けてきた。

「……かしら。変なことを言われても、あまり気にしないようにするのよ」

「ああ。わかっている」

 それだけ告げて、ネリネも二人の後を追った。

 私は最後の別れをヴァンクールに告げて、巨大な王の城へ入った。


 そして、玉座の前で王に再会する。

 光と影に満ちた王の間は、あの時とは違う荘重な雰囲気を保っていた。

「此度の戦い、ご苦労であった。長々とした祝辞は不要よな?」

「ええ、有難きお言葉にございます。それで、応用。ご要件というのは一体?」

「いや、何。初めて貴殿を見た時より、面白いものを持っていると思ったのだ。他の者がいる場でというのも失礼だが、かといって俺の興味も止められぬ。よって、この時に貴殿を呼び止めることとした」

 王は私の様子を一瞥して玉座より降り、不敵な笑みを浮かべた。

 そして、出会いより持っておいた問いを告げる。

「その体を蝕む呪い。魔力を極端に抑えるものだと見たが、それ自体は珍しくない。恐ろしいのはお前自身だ、メリア・アルストロよ。

 ……長年生きてきたが、魔力をに抑えられて存在を保てる魔法使いなど相当だ。アルビオンと対等に渡り合う、その者に相応しい。人間とは信じられぬがな」

 ネリネの予想は当たったらしい。苛立つ心臓を落ち着かせ、私はカイザー王に視線を返す。

 眠るたびに体の節々を壊していく呪い。それが敗北より時間の経過した今、私の体よりどれほどの力を奪ったのか。それを考えれば、魔王と戦った頃からここまで弱体化していたとしてもおかしくない。

 カイザー王は、どうやら私の天井値と現在値を較べられる目を持っているようだ。

 周りの誰も、私でさえ正確な数値を測ることなどできなかったのだから、王の眼がいかに優れているかは言うまでもない。

「事実でしょう。ですがどうにもできぬ故」

「余程に清廉なる者の浄化でなければ厳しかろうよ。故に、お前を助けるかもしれぬ道具を授ける」

 カイザー王はそう言って、黄金の剣を呼び寄せた。

 受け取った途端にかかる相当な重量。おそらく敵を斬る本物の剣ではない。

「然るべき時、その鞘は抜かれる。振るうのはお前ではない。ただ持ち続け、その時を待て」

 いつか必ず役に立つ。カイザー王はそう口にして、玉座の向こうに歩いていく。私がついていくと、彼は巨大な窓を視線で指した。

 登ってくる太陽と、熱砂に並ぶ煉瓦の街並み。暖かき風は砂を乗せて、何にも負けずに生きていく人々の間を吹き抜けていく。美しき砂漠の街が一度に眺められる壮大な景色——砂漠の全てを背負って立つ、王の心そのものだった。

「……礼はまだ早いと思っている。砂漠を越えて九つの悪鬼を倒し、この世界を作り変えるのならばな」

 玉座の窓が開け放たれる。朝の日差しを全身に浴びて、カイザー王は本音で笑った。

「翼を背負って飛ぶがいい。全てを終えたその時にこそ、エルフの森にて祝福を行おう」

 それは砂漠との決定的な別れ。

 ——行け。

 そう言わんばかりの目線を最後に受け止めて、私は窓より飛び降りた。

 世界を救う仲間のもとへ、いち早く戻るために。


 

 雷の翼を背に生やし、私は青い空を飛ぶ。遠く続く砂漠。地平線の先にはきっと、美しき世界シェーン・ヴェルトが果てしなく続いている。

 次なる戦いこそ、魔王への完全なる叛逆。本当の脅威が待ち受ける戦いだ。悪鬼に挑む蛮勇を祝福して、壮大な鐘の音が砂漠中に轟いた。

 私は門へ降り立って、見慣れた仲間の顔を見る。

 この四人の間には、既に勝利の栄光などない。既に全て自らの内に飲み込んでいた。

 私が魔法車輪に乗り込めば、巨大な門が音を立てて開く。

 我々一行は、精霊の住まう国へと駆け出した。



 ——第二章『精霊裁定国』に続く。

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