第35話 全ての者の名において

 燃え盛る炎を身にまとって、熱砂の騎士は剣を引き抜く。

「メリアよ、どうかそこを動かずに。回復魔法です。一時的なものですが、マシにはなるかと」

 剣先から魔力が流れ込み、体を蝕む痛みを和らげてくれる。私はその場に座り、真っ赤な戦士の背に視線を飛ばした。

 ファルセットがどんな顔をしているのか、それは敵対するモミジしか知り得ない。

 魔力が風で荒れ狂い、禍々しき光に対峙する。

 最終決戦の始まりはすぐだった。

 

 ファルセットが駆けた。

 地面が重々しく唸り声を上げ、周囲の空気は震え上がる。銀色に輝くエルフの刃は秒にも満たない時間で敵を捉え、防御体制を強要する。

 服の右腕が破れ、奥より紫の鱗が露出した。多くの攻撃を受けてもダメージが通らなかったのは、無数の鱗が彼女の皮膚を覆っていたからなのだろう。

 誰にも止められなかった強大なモミジという存在。このデザート・エルフの覚醒により、彼女の、ひいては我々の運命が変わったのは間違いない。

 ファルセットの振り下ろした刃は鱗を切り裂いた。刃は鱗を割って肌にも到達し、切断とまではいかずともその腕に傷をつける。

 直後に飛び出す鮮血と真っ黒な煙。モミジを操ったものの魔力が溢れてきたように見えた。

『想定外だ。この姿さえ引きずり出すとは、ジャルベールの血筋はわからんな』

 モミジの口は閉ざされたまま、煙が意思を持ったように声のような音を発する。それと同時、彼女の全身より魔力を孕み黒く濁った悍ましい汚泥が溢れ出した。

 青いはずの目は悍ましい空洞に置き換わっており、正気も何もそこにはない。

 これまで以上の不気味さを兼ね備えるその者はモミジに非ず。奇跡的な力に目覚めたファルセット以外、この場にいた誰もがモミジの内に潜む悪性に震えた。

 しかしてデザート・エルフは止まらない。

「漸く正体を現したな。ジャルベール家を知っているようだが、貴様はその席から引きずり降ろしてその四肢を切り裂いてやる」

 圧倒的な悪の存在を前にして、ファルセットが見せたのは怒りだった。

 彼女は魔力を爆発させ、勢いのままに剣を振るう。

 モミジは言葉を返さない。溢れ出る魔力でファルセット剣速を落とし、次は鱗の破壊を防いだ。

 二人の態度の違いにこそ、エルフ全ての支配者に対する決別が現れていた。

 直後、モミジが言霊コードを呟いた。


汚濁されし天蓋の者フィンスターニス・ヴェシーゲルト


 モミジの体を光が包む。その直後に目から流れてくる黒き汚濁が光を呑み、邪悪なる魔法を完成させる。漏れ出た魔力は雲と混ざり合い、真っ黒で粘り気のある雨を降らし始める——徹底的に世界を壊す、そのための呪いか。

 巨大な呪詛を伴う魔法は砂漠を飲み込む闇となり、剣を振り終えたばかりのファルセットに迫った。

「離れるわよ、メリア!」

 大規模な範囲攻撃を前に、ネリネが凄まじい速度で私を助く。

 それでも間に合わぬかと思われた魔法を前にして、ファルセットは私達の前を動こうとしない。意図を察知してか否か、ネリネも彼女の背後で動きを止めた。

「——ハッ!」

 ファルセットが剣を横に薙ぐ。

 言霊コードは詠唱されていない。ただ剣が闇に触れる。それだけで、迫り来る呪いは吹き飛ばされた。

「我が剣は暴風。嵐の中にいるのなら、どんな力も消し飛ばしてみせましょう」

 魔法が消し飛ばされたことにも何一つ驚きを示さずに、モミジは呪いを連射する。暴風剣がそれらを薙ぎ払うも、直後にはまた呪いが飛んでくる。人間の理解を超えた速度で行われた攻防はファルセットの優勢に進み、彼女は再び地を蹴ることに成功した。

 すぐに剣戟の音が響く。

 モミジの鱗とファルセットの剣がぶつかった。


「メリア、聞いて」

 ネリネはその隙に私を涼華のところまで連れていき、慣れた手付きで座らせる。

 ファルセットがモミジと互角の争いを繰り広げる一方、私も涼華も満身創痍だった。そんな中でネリネが私たちを一度に集めたのならば、行うことなどただ一つ。

の現れたモミジは規格外。ファルセットは有利に立ち回れているけれど、呪いの雨を受け続ければエルフの都は簡単に滅ぶわ。ここはあなた達に全てを託す。残る全ての魔力を賭して、メリアの傷と涼華の魔力枯渇、どちらも解決してみせるわ」

 ネリネの奥でファルセットが無数の闇を切り裂いている。……そうだ、私たちだって戦える。

 彼女は全ての者の名を背負って立ち上がった。そこには私も含まれるのだろう。しかし、私自身が戦えるのなら、みすみす多くを背負わせることはない。それに、滅びに抗う力がより強くなる。

 その時、掠れた声で涼華が言った。

「ゔぁんくーるは」

「大丈夫。熱砂の騎士は不滅なのよ。……さ、始めましょう。戦いの最後を飾るのに、表彰台が一人では寂しいわ」

 ネリネは立ち上がり、私たちの足元に魔法陣を展開する。

 相当な長さの詠唱が僅か数十秒で組み上げられれば、三人の間で魔法陣が繋がり、互いの存在が目を瞑ってでも認識できるようになる。

 この世界を遍く満たす水の中。目を閉じた先に広がる夢幻の景色に身を預け、私は夢の景色に身を投じる。

 穏やかな波の音に混じって、ネリネの詠唱が世界を満たした。

「この世界を愛する者よ、立ち上がれ。深い海より煌めきをオーツェアーン・グランツ

 世界の奥底より、かつて死した騎士の愛した水に想いを馳せるように、深い青が昇ってくる。水は私の全てを包み込み、夢の世界より私を解き放った。

 目を開き、体を見る。みるみるうちに傷が癒え、あらゆる痛みが排除されていく。隣にいた涼華からも、力強い魔力が感じられた。

 ネリネは大きく息をつき、なおも輝きを失わない瞳で私たちをじっと見つめる。

「勝ってきなさい。次に起きるのを楽しみにしているわ」

 偉大なる熱砂の騎士は、そう言い残して眠りについた。

 私は一度目を瞑った後立ち上がり、同じく復帰した涼華に視線を飛ばす。

「行こう、涼華。これが最後だ」

「うん。止めるよ、今度こそ」


 降りしきる汚泥。空が溶けて落ちてくる、絶望の砂漠。戦場に復帰した私たちは、絶望を追って駆けていく。

 眼の前のみをじっと見つめる。剣と鱗、太陽と汚泥。互いに変化を遂げながら、二つはなおも互角であった。

 私は宝石より魔力を過剰摂取し、涼華はアルビオンの鎧を攻撃特化型で身に纏う。敵との距離を瞬時に詰めて、私たちはモミジの背後を取った。

嵐の王ドル——」

最初のプルミエ——」

 硬い鱗に添えられた二つの手が、世界を変えるだけの力と共に火花を散らす。

 敵意に気づくや否や暴走を再開しかけるモミジだったが、それよりもファルセットの方が速い。

「サセルモノカ」

「否、させるものか」

 呪詛を孕んだ闇が私たちを包み込んだかと思えば、直後に刃がモミジの鱗ごと呪いを薙ぎ払う。

 視線と魔力で我が友に合図を送る。直後に返還された魔力を合図に、私と涼華は言霊コードの続きを詠唱した。

其の一突きテュエッラ

灯火フラム

  黒き雨の中に二色の煌めきが現れる。それはモミジの鱗を貫き、間違いなく腹部を貫通した。

  通った——私の額を大粒の汗が伝う。この好機は絶対に逃さない。

「メリア、もう一回!」

 涼華の言葉に合わせて次なる魔法を決定する。次の瞬間に呪詛が溢れ出さなければ、それはモミジの左肩を抉っていたことだろう。

 私の顔面に汚泥がまとわりつく。瞬間的に流れてくるのは、燃え盛る炎の中で苦しむ民の姿。かつて死した多くの人の姿。

 否、否。これは私たちの背負うべきでないものだ。足を引っ張られるべきではないものだ。痛みの伴わない苦しみに蝕まれそうになる意識を必死に抑え、私はドロドロまみれの体で踏みとどまって敵を睨む。あらゆる怨嗟をかき消して、私たちはモミジの肩に手を当てた。

「二人、合わせます」

 ファルセットがこちらに来るのを合図として、同じ魔法を詠唱する。

 二種の魔法と一度の斬撃。それは呪いにまみれた敵を確実に壊したが、本体は既にそこより消え失せていた。

 次の瞬間に砂漠を食らって現れる、汚泥を頭より被った巨大なドラゴン。龍種モミジの本体が、呪いを被って現れた。

 恐ろしく巨大な獣、なお降り止まぬ災厄の雨。それでもなお絶望せぬのは、全てに勝る執念がそこにあったからだ。

「……ファルセット、涼華。一度の攻撃で仕留める、付き合ってくれ」

 口に混じった汚濁を吐き捨てて、私は二人の前に出る。

 熱砂の騎士と竜の子は、何も言わずに並び立った。


 もはや光で道を示す必要もない。龍の体より垂れる汚泥を足場にして、ファルセットはモミジの頭部に向かっていた。

 私は右肩を涼華の左肩に合わせる。詠唱するは全てをかけた絶大なる魔法。

 敵に残るのがこの肉体なのならば、砂漠に眠りし怨嗟も後悔も全てまとめて祓うまでだ。

「全魔力放出準備開始。宝石よ、我が魂に未来このときを駆ける力を」

「今度は絶対に外さない。これが我武者羅な戦いの結末ならば、私はまだ終わらないから」

 狙うは完全詠唱。他の龍種よりも巨大な体、その頭部を破壊するのには、タイミングを一致させての三射一撃が欠かせない。私と涼華の準備は万端、残るはファルセットの頭部到達のみ。

 私にとっての盟友が、涼華にとっての親友が、全ての者の名において空を翔ける。

 真っ赤な風が濁った雲の上に着いた。瞬間的に雨は止み、現れし太陽は生きとし生けるすべてを照らす。

 ファルセットが剣を振り上げる。それを合図に、私たちも手の先を龍の頭部に向けた。

「一撃を此処に。嵐の王、祖の銃撃バル・ティフォン

「決めるよ、約束者アルビオン

 全身を魔力が駆け巡り、全く同じタイミング、同速度で魔法が飛び出した。

 それは闇を払う光の一撃。降りてきた太陽と一緒になって、聳え立つ魔龍を地に落とすための一撃。

「これなるは最後にして最高の一閃。暴風剣、抜刀——!」

 高密度、高火力の魔法に飲み込まれながら、魔力の中でファルセットは叫んだ。

 何度も何度も大切なものを失って、見ることもできぬ幻想に人生を費やして。あらゆる怨嗟を鳥籠の中より見続けた少女は、熱砂に一つの動機けんを見つけた。

 失われた未来を取り戻すためのつるぎは、彼女を誇り高き熱砂の騎士たらしめる。


汝、一条の星を見よgot star


 暴風の剣に炎と水の魔法が宿る。更には、雷、土、光、それ以外の大勢までも。

 平和を願う民草、共に戦い続けた熱砂の騎士、自分を誰よりも愛した王——同じ名前を持ちながら誰よりも気高かった母、唯一の理解者であった母の友。

 そして、私たち。

 全ての者のあらゆるものを背負ったその剣は、ただの少女に作り出せるものではない。

 熱砂の英雄。それこそ、ファルセットの呼び名に相応しかった。

 英雄の剣はドラゴンの頭を叩き割り、その体よりあらゆる呪いを排除する。

 割れゆく鱗、壮絶な光。

 私たちの目には映らぬ光景の中、ファルセットの小さななみだだけが、風に乗って私の耳に響いてくる。

「ああ、ずっと。ずっとそこにいたのですね。我が母と共に在り、幾年も私を愛してくださった貴方——親友、大切な人よ」

 言葉の意味を、私はまだ理解できない。

 全てを本当の意味で理解できるのは、あの時より生き続ける者だけなのだろうから。


 魔龍モミジはその支配より解かれ、最後には龍種モミジとなった。

 ファルセットが断ち切ったのはそれだけではない。砂漠に眠りし、幾千もの呪詛さえ開放した。

 かの王ですら、全ての者の名を背負い、苦しむ全てを救うことはできなかった。

 ファルセット・ジャルベール。彼女はかつて救いきれなかったその全てを救い、この地に英雄として君臨した。

 魔龍は沈み、呪いは消える。

 砂漠を滅びより守る戦いは、この一撃をもって決着となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る