第34話 デザート・エルフ
「アルビオンを使う。みんな、時間を稼いでほしい」
魔力の殆どを持っていかれる代わりに、命中すれば想像しうるどんな相手も倒せる魔法。メリアが前に魔法はイメージだと言っていた。モミジを止めるに足る力を想像できれば、それが最大の有効打になる。
「いくら止めればいい」
「三十秒で用意する。だからお願い、時間を稼いで」
私はメリアの目を見て返した。
サラマンダーとの戦いから推察するに、魔力を溜めてから形にして放つまでの時間は三十秒あれば足りるはずだ。
左手をアルビオンに変え、毅然とした足取りのモミジに照準を合わせる。
モミジもこちらを見た。その瞳がぎらりと水色に輝いて、私の心に嫌な重圧をかけてくる。
「キミの邪魔はさせない。だからこちらは気にするな」
メリアは私の前に立ち、アルカイックスマイルを浮かべて魔力を展開する。
彼女に合わせてネリネ、ファルセット、ヴァンクールの三名がモミジを取り囲んだ。
包囲されてもモミジがやることは変わらない。絶大な魔法が詠唱された。
『
至近距離で防御はなく、この魔法がみんなに耐えられるかはわからない。
だけど心配はしない。私がするべきは自分の心配なんだから。
十秒経過、光が四人を呑む。
「無事ですか、メリア。私と共に挟撃を!」
ファルセットの声が聞こえる。煌びやかな光の中で二つの影が動いた。
二十秒。ヴァンクールが雄叫びを上げる。やはり声はそれ以上聞こえず、中でどちらが勝ったのかは想像に難くない。頬を嫌な汗が伝った。
静かな五秒が経つ。光が晴れ、モミジを羽交締めにするネリネの姿が目に入った。
「残り四秒。さっさと決めちゃいなさい」
左の腕に右手を添えて、私は
彼女が作った時間、絶対に無駄にはしない。
『
体の内にある魔力が吸われ、掌よりエネルギーとなって飛び出していく。
手応え十分、これなら決着をつけられる。確信を持って放った一撃は間違いなく命中し、致命傷を与える。
そのはずだった。
「——嘘でしょ」
顔を上げた先には、涼しい顔で立つモミジの姿があった。
耐えられた? 否、受けていれば無傷はありえない。当たれば大きく相手を削ることができる。アルビオンとはそういう魔法なのだ。
つまり、避けられた。
信じられない。羽交締めを受けていてあの速度の魔法を避けられるはずがない。思考して、私は決定的な敗北に気がついた。
「
メリアは言った。魔法はイメージだと。
だから、誰も防げない最強の魔法を想像した。それが甘かった。
相手は光なのだから、より深くまで想像するべきだったのだ。
ここまで一度も使われなかったことから察するに、
「かふっ」
肺から嫌な空気が漏れ、胃液が迫り上がってくる。砂に身を打ちつける痛みを受けて、モミジに吹き飛ばされたのだと理解した。
体は魔力の爆発にショートを起こして動かない。次に迫る光の弾は、もはや私には避けられない代物だった。
◇
腹部に大きな傷を作り、私は目の前で起こったことに戦慄する。
アルビオンが避けられた。圧倒的な力の差を覆す、最大の切り札が通用しなかった。
「馬鹿な。そんなことが」
狼狽の声を上げてすぐ、目の前で爆発が巻き起こる。涼華が反撃を受けたに違いない。
「涼華!」
肩から腰にかけて切り裂かれた体は、立ちあがろうとする私に想像を絶する激痛をもたらす。いくら痛みに慣れているとはいえ、この負傷で走り出すのは難しかった。
すぐに煙が晴れ、向こう側で何が起こったのかが判明する。
防御する術を持たないはずの涼華だが、光魔法によって負わされるはずの傷はただの一つも存在しない。
「ゔぁん、くーる」
痛みが声帯を強く震わせ、友を呼んだその声は情けなく震えてしまう。
彼以外ではきっと間に合わなかっただろう。私と同じくらいの損傷を受けているにもかかわらず、ヴァンクールは剣で光魔法を弾き飛ばした。
「たとえ貴方が敵の傀儡にあろうとも、我らが英雄の命を奪うことだけは許さない。それをすると言うのなら、何度でも立ち上がって止めてやる」
ヴァンクールの啖呵は強烈なものだった。私が彼の姿に見たのは、かつて死した義兄だったのだろうか——誰にも言えぬことだが、真っ先に私の全身を悪寒が駆け巡った。
モミジはどこか鈍い反応で熱砂の騎士に視線を飛ばす。今にも剣を振り下ろそうとする彼に対し、返したのは光魔法の一斉掃射だった。
最も、どちらが優勢かなどは言うまでもない。
銃撃よりも速い斬撃など、この奇跡に満ちる世界でもそうそう実現しうることではない。求める攻撃を実現させるだけの力を持つのは、最悪なことに我々が対峙している方なのだ。
「お兄様ぁッ」
騎士の妹は叫び声を上げてモミジへ突撃する。
ファルセットを回復させたであろうネリネは、考えうる限りの最速で涼華を戦闘の中心地より避難させた。
「来るな! これは俺の戦いだ、一切の邪魔は許さない」
ヴァンクールは声で増援を制し、鋭い視線をモミジに向けた。
この戦況、劣勢に追い込まれた私たちの中で、強力な回復魔法を使えるのはネリネだけ。私たちは力を優先して人を揃えたため、戦線復帰につながる生命線を全てネリネに依存してしまっていた……つまり、ネリネが皆を回復しなければ戦況は悪化する一方ということになる。
それに誰よりも早く気がついたヴァンクールが何を狙っているのか、想像には難くない。
類は友を呼ぶという言葉が、遠い海の向こうにあるらしい。キミも結局、私と同じだったということか。
「ファルセット、お前は多少なりとも回復魔法を使えたな。メリア殿の傷がまずい。あの出血量では死してしまう……戦いは一時俺に預けろ。俺を信じるのだ。よいな」
「ッ、了解しました」
ファルセットは苦い顔で踵を返し、倒れる私のもとにやってくる。
自らの背後で壮絶な音が響き渡るのからも目を背け、ファルセットはうつ伏せの私をひっくり返した。
「微力ですが出血は止められると思います。ですのでメリア殿、どうか気を確かに」
ファルセットは布で私の患部を拭う。自分が思っている以上のダメージがそこにはあったらしく、傍から見れば私は生死の境を彷徨っていることになるらしい。
送られてくる暖かい魔力で傷口の痛みが落ち着くのがわかる。だが、私を回復するよりもやるべきことがある。この程度ならば根性で立ち上がってみせるから、早く兄のもとに向かってくれ——言葉にならない想いを必死に、この
「そんな顔をなさらないでください。大丈夫です、すぐに終えてみせますから」
止まる気配のない血を必死に拭うファルセット。その額を大粒の汗が伝い、手は小刻みに震えている。
モミジの恐ろしさを間近に味わった彼女だからこそ、家族だからこそ、ヴァンクールを案ずるのだろう。騎士として気にするな、と言われても無理があるのは間違いない。肝心のネリネもモミジの攻撃から涼華を守っていて動けない。
今、全てはヴァンクールに託されてしまった。
しかし現実とは残酷なものだ。突然、耐久の時間は終わりを告げることになる。
ようやく傷が塞ぎかかって起き上がった私の横に、巨大な肉体が落ちてきた。
魔力を伴う手刀によって裂かれた鎧。光の熱量で体の至る所が焼けている。
「お兄さま」
戦場で戦士が倒れること自体は珍しいものではない。何よりも私の心を蝕んだのは、狼狽えるファルセットの表情だった。
誰も死ぬなと父に頼まれ、すべてを背負ってやってきた。だのに、目の前で兄が死の危機に瀕している。カイザー王より聞きしファルセットのトラウマ——自らの家族を失うということが、今この瞬間に行われようとしている。
その決定的なトラウマとの対面が、ファルセットを大きく揺るがせた。
「諦めろ。それが最も楽だとわかっただろう」
モミジの体を使う何かは、なおも残酷に降伏を勧める。
「何故です、モミジ。何故、私の兄をこのような目に」
直後モミジが返したのは言葉に非ず。
私の肩に突き刺さる激痛が答えだった。思わず情けない悲鳴が上がって、なんとか起き上がらせた体を再び地面に寝かせてしまう。
「——は」
瞬間。
あまりに異常な魔力の爆発に、私は痛みも忘れて上体を起こした。
膝をついて治療に励む彼女の姿はそこにない。どこか抜けていて愛嬌のある少女の姿もそこにはない。
そこには、騎士がいた。
「私はもう誰も失わないと決めたのです。これ以上誰かを、私の兄を、……我が盟友を傷つけるというのなら、私は恐怖だって超える」
くだらない。そう告げるようにモミジは光を放った。
だがまさか、光が燃えるとは思うまい。モミジの魔法は灰となり、ファルセットの前で消滅した。
「我が名はファルセット・ジャルベール。王を信ずる熱砂の騎士にして、最上種デザート・エルフ。魔龍モミジよ、全ての者の名において、お前を叩き斬る」
ファルセットの傷は完全に消失していた。
体から溢れる魔力は実体化し、宝石のような煌めきと共に燃え上がっている。
王譲りの黄金の瞳は怒りに満ち溢れ、風に靡く髪は真っ赤に染まっていた。
この瞬間、全ての者の意思と責任を背負って、ファルセットはデザート・エルフに覚醒した。
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