第33話 勇戦
閉ざされた目が見開かれる。
膨大な魔力を一つの体に抑え込んだモミジは、その行動一つにも意味があった。
「これほどまでとは……! ヴァッサヴァール卿、予定通り行きましょう」
私は後方に退避して、入れ替わりでヴァンクールとネリネが前に出る。
炎と水、相反する二つをそれぞれに宿す彼らは凄まじい速度で跳び上がり、空に座すモミジへと武器を振るった。
熱砂の騎士と称されるだけの圧倒的な力と無駄のない連携は、この場にいる誰が組むよりも速く敵の元へと辿り着いた。
しかし、それらを凌駕する反応速度を持つのがモミジだった。
「遅い」
剣と槍がそれぞれの腕で受け止められる。龍の鱗と同じだけの頑丈さを持つ装甲、光という最速の力。
それらを持つモミジが次に宣言したのは、恐ろしい力を持った
『
宣言された魔法自体、先ほどのものと何ら変わりはない。しかしその数は次元が違う——雨が降るのと同じ要領で、無数の隕石が砂漠に降り注ぐ。
「ッ、二人とも私の後ろに!」
着地したメリア、ファルセットの両名と合流して彼女らを背にし、私は隕石を前にする。
この体が言うことを聞くか、その確証は微塵もない。それでもこの攻撃を守れる力は私にしかないだろうし、今更躊躇っていては仕方がない。怯えるな、怯えるな、怯えるな——!
「応えて、
恐怖よりも不安よりも、全ての感情に勢いが勝った。
思いのままに宣言したそれは確かな意志を持ち、私が掲げた右腕に巨大な
右腕を顔の前で静止させれば、鱗は隕石を受けても砕けない大楯として機能する。モミジが詠唱した無数の雨を受けたとて、私含む三人が一つでも傷を負うことはなかった。
「涼華、この場は任せる。私は前に出よう」
メリアはファルセットを私に預け、猛る獅子のように飛び出した。
静かに詠唱された
「ファルセット、隕石が止んだ後は任せるよ。あの二人に合わせて出て」
「承知。本当に素晴らしい指示力です、涼華!」
私の言葉に合わせてファルセットは刃に手を当て、美しい響きの
二人は言葉を交わす事もなく、無言で互いの拳を交え始める。
空中でもバランスを崩すことなく静止するモミジは、ハッキリ言って徒手格闘のレベルが違う。背に雷の羽を生やしてバランスを取りながら戦うメリアだったが、動きの隙を突かれては拳を叩き込まれ、徐々にモミジのペースへと飲み込まれていた。
「涼華。我々の半数が地に生きるものである以上、空中戦は圧倒的に不利でしょう。よって、奴を地面へと叩き落とし、地上戦に持ち込むことにこそ勝利のルートが存在する……しかし、あれは物言わぬ魔力の暴走。挑発での説得は不可能です。ですが涼華とお兄様であればその限りではない」
「アルビオンと
「涼華のアルビオンは頼りたい。ですがお兄様よりお借りしたいのは剣技でなく、この場にいる誰よりも強固な筋力です」
一撃必殺級の爆発力を持つアルビオンと、ただ単純かつシンプルな腕力。
その二つがあれば、モミジを地に叩き落とすことだって必ずできる。隕石が降り終えたのを確認した私はアルビオンを詠唱し直し、右の巨大な腕を取り払った状態へ姿を変える。
「ヴァンクール、上に来て!」
私は声を張り上げて彼の名を呼び、一心不乱に助走をつけて跳び上がった。
ヴァンクールは防御姿勢を解除して剣を仕舞い、ネリネに視線で合図を送る。すると同胞の意思を聞き取ったネリネは槍を仕舞い、彼が名一杯跳び上がるよりも速く彼の足元に辿り着いた——その姿を蒼く美しき
私たち三人は既に何度か目にしているが、ヴァンクールにとってはその限りではない。恐らく投げ飛ばしてもらおうと考えていたのだろうが、
「昔を思い出します、我が同胞よ。今の貴方はまるで、森で出会ったあの頃のように美しい」
空中に辿り着いたヴァンクールは、そんなことを言って
私は浮遊をやめて重力に従い、彼と同じように落ちていく。
「私、吹き飛ばす! 手で落とす! 行ける!?」
その一瞬のうちに伝わる限り最大限のジェスチャーを見せて、私は先に彼らの下に落ちる。落下から浮遊に切り替えて、出しうる最速の速度でモミジを飛ばすために空を昇り直した。
「遅い」
光の礫が迫り来る。ヒトの形をする右腕を巨大化させてそれを防ぎ、左手に全神経を集中させる。攻撃を掻い潜ってゼロ距離に辿り着いた私は、モミジの腰に掌を当て、溢れ出す魔力砲によって彼女を遥か上空へと吹き飛ばす。
攻撃よりも僅かに先、ヴァンクールが背を降りる。
勢いよく昇ってくるモミジに対し、ヴァンクールは妹の絶賛に相応しいだけの力で拳を振るった。
私が力を込めたそれの勢いを相殺して、なおかつ地に叩き落とす。この行動がどれだけ難しいかは想像に難くない。しかし、ヴァンクールはその点において規格外だった。
「ええ、素晴らしい重さだ……だがこの程度、我が全力を持ってすれば受け止められるでしょう」
言の葉で成る魔法ではなく、度重なる修練によって積み重ねられた研鑽の証。それが一度目の奇跡を起こし、モミジを地面に叩きつけた。
私が急降下して地上に戻ると、真っ先に動くことのできるファルセットがモミジへ切りかかっていたところだった。既に刃は振り下ろされ、寝転がりつつも咄嗟に防御の姿勢を取ったモミジと衝突する。
二人は互いに一歩も譲らず、他の介入の余地なく膠着状態を保っていた。
「魔王が魔に呑まれしものよ。千年後の存続のため、我々は貴方を倒して砂漠を守る。どうかお覚悟を」
魔力に呑まれたモミジがファルセットの言葉に反応することはない。
そのはずだったのに、彼女の口から言葉が漏れた。
「ファルセット? あなたが、何故、ここに……」
それはモミジの言葉ではない。魔力の渦が作り上げた何かなのか、これもまた彼女自身なのか。
モミジの体が発した言葉、その意味を理解したのはファルセットだけだった。
「……え、あなたは」
ファルセットが抱いたのは驚愕。彼女が零した言葉は震え、それだけで異様な雰囲気を醸し出す。
「私は運命を呪いたい。自ら育てた貴方を、他者の意思かつ自らの体で傷つける運命など最悪でしかない。私にはどうにもできぬ故、せめて簡単に」
モミジは何かを嘆くような口調で呟いた。砂漠を滅ぼさんとする者とは思えぬ優しさを併せ持つ彼女は、最後の慈愛を持ってファルセットを押し除けた。
一瞬だけ現れた人格の意味を、私たちは決して理解することなく。何度目かの膨大な魔力が辺りに満ち満ちて、私たちは戦闘再開を余儀なくされた。
「涼華、奴を抑えるぞ!」
「わかってる——!」
また飛ばれては、あのようにモミジを落とすことは難しいだろう。私はすぐさまメリアに従い、モミジを挟撃する形で前に出る。ほぼ同時に攻撃可能距離へと辿り着いた私たちは、タイミングを合わせてモミジに向けて魔法を放った。
『
『
撃ったはいいもののそこに手応えはない。私たちは攻撃の手を緩めることなく、全速力で次の攻撃へとシフトする。メリアはモミジに接近して拳を飛ばし、私は魔力を塊のまま叩きつける。
「届いた……」
しかし、煙の晴れた先には無傷のモミジがいた。
「嘘だろう、あれだけ受けてダメージがないのか」
こちら側の攻撃が終われば、返ってくるのは反撃が道理。
嫌な気配を瞬時に察知した私は退避を真っ先に考えたのだが、間に合わぬことを悟って咄嗟に右腕を黒く変化させる。
「メリア、こっちに——」
ネリネとヴァンクールはここから遠いからまだ問題ない。そしてファルセットは上手い具合に私の後ろに隠れている。
だがメリアだけは違う。私の方から守りに行っても間に合わないだろうし、雷の力を持つ彼女が来てくれた方が速いのは確実だ。
私の指示を受けてすぐ、メリアは退避先を私に切り替えて走り始める。
……考えてみればこの判断は愚かだった。防御の姿勢に徹するくらいなら、アルビオンの全力を叩き込んでやる方が効果的かつ少ないダメージで済んだかもしれない。
だって、考えてみれば当然だ。
雷の力を借りる少女が、光そのものよりも速く走れるわけがない。
私のミスも意に介さず、モミジは無情にも
『
きらり、と。黒い鱗越しに光が見えて、私の魔力の幾らかが吸い取られた。
それはこの場に居合わせた五人全てが抱いた感覚。
光は地球を遍く満し、その代償に影を作る。故に、どれだけ遠く離れていようとも、この魔法の前では防御にも回避にもならなかった。
「あッ、あああああああああ!」
光の礫が砂漠を満たす。全力で固めた鱗が剥がされることはないが、光の持つ熱量は盾を超えて私の体を容赦なく焼いていく。この力では守りきれない。その魔法の攻撃力は、私たちの想定を遥かに上回ってしまった。
分にも満たない時間だけ光が暴れ、我慢の限界が来た私はアルビオンの盾を解く。
背後を振り返る。私と同じく、ファルセットはほぼ無傷だった。左右にいるネリネもヴァンクールも負傷はあるが、致命傷には至らない。まだ戦えることはその
「……涼華、すまない。腕をやられた」
肝心の、至近距離で直撃を受けたメリアに視線を飛ばす。なんとか防御は取れたようだったが、左腕が痛々しい色に焼けている。回復魔法を使えば傷はどうにかできるのだろうが、モミジと渡り合える格闘術を使うのは難しいはず。
であれば中距離から高火力を連打するしかないか。私が正面に視線を戻すと同時、目の前に光の弾が迫っていた。
しまった。みんなの様子を確かめるために周りを見たものの、それがまさか命取りになるだなんて。
どう足掻いても避けようはなく、為すべきは精一杯の防御。
しかし、吹き飛ぶ準備をした私の目の前で光は消滅した。砂漠に突き刺さるのは一本の槍——。
ネリネは全速力でこちらに戻ってきて、怒りを孕んだ言葉を強く叫ぶ。
「敵を前にして余所見をするな! 背を預ける仲間への気遣いは失礼と知りなさい……!」
「っ、ごめん」
私がなんとか立ち上がると同時、突き刺さった槍を抜いてネリネがモミジへと攻撃を仕掛ける。
モミジは大きく開かれた目でネリネを睨みつけ、光に変貌させた拳を繰り出した。
熱砂の騎士の名を背負う槍兵は、拳を槍で受け流してモミジの懐を取る。決着を狙って攻撃を仕掛けたネリネだったが、突き出した槍は敵の手によって弾き飛ばされてしまった。
格闘を得意とするモミジの前での無防備状態は危険すぎる。このままでは反撃を受けて終わりだ。
望まぬ未来を想像した私だったが、次の瞬間に起こった出来事は予想を大きく上回るものだった。
ネリネはモミジの拳を避け、敵の腹に自らの掌を当てる。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
「さっきはよくもやってくれたわね。私、こう見えて負けず嫌いだから……悪いけど全力よ」
言葉の隙にネリネの背を叩こうと、モミジは拳を振り下ろす。
しかし、この熱砂の騎士が編み出した詠唱はそれよりも僅かに早かった。
『
モミジの腹部より十三本の槍が飛び出した。
灰色の槍は龍の血液で赤く染まり、ネリネを撃ち落とすはずだった拳も静止する。機械の中に動揺を見せたモミジの側頭部を、ネリネは一切の躊躇なく蹴り抜いた。
そのままモミジと距離を取り、ネリネはメリアの横に戻る。
「いつの間にあんな痛々しい技を。見ているだけで恐ろしいぞ」
「切り札よ、一応ね。でも次はないし、奴の魔力は無尽蔵。さて、残りはどう削ろうかしら」
ネリネの攻撃は間違いなく有効打であったが、モミジを止めるにはまだ足りない。
やはり、サラマンダーさえ消し飛ばしたあの力に頼るしかない。
思うと同時、私は口を開いていた。
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