第32話 為すべきことを為せ
ネリネが心に語りかけてくれて、メリアが手を掴んでくれて。
私は大怪我も忘れて勢いよく起き上がった。
「メリア!」
大切な彼女の名を呼んで、次に自らの両手を見る。黒い鱗は全て消え去って、いつも通りの白い腕がそこにあった。
「涼華、体は痛まないか? うん、無事そうで何よりだ。しかしネリネ、一体何をしたんだ。まさか一発で成功するとは思わなかったよ」
「目には目を、歯には歯を。同族だから干渉できる世界もあるのよ」
ネリネは優しい手つきで私の背に触れ、体が痛まないように配慮して寝かせてくれる。
「これでアルビオンの鎧は解けた。だけど体力が戻ったわけじゃない。ここには治療のスペシャリストがいるんだから、遠慮なく力を借りて、しっかり回復して戻ってきてね」
この二人には救われてばかりだ。
決戦までに残された時間はきっと少ない。すぐにでも魔力を集め直して復帰しないと。
「わかった。すぐに戻るよ、二人とも。私のいない間、迷惑をかけるけどよろしくね」
「ふっ、そんなこと気にするな。キミが戻ってくる頃には出撃の準備も終わっているよ」
二人は駆け足で小屋を出ていく。私は拳を握りしめ、自らの身体に視線を落とす。
我武者羅になって恩に報いよう。私が為すべきことはそれだけだ。
この後に待ち受ける戦いに向けて、私は一人で覚悟を決めた。
エルフの人たちは治癒作業をすぐに再開してくれて、私は僅かな間に大きく回復することができた。
後ろは振り返らないと覚悟したものの、やっぱり緊張は誤魔化しきれない。しっかりと眠れたのは十分程度で、後はエルフの騎士たちの様子を横目で確認してばかりいた。
「どうした、竜の子よ。何か気になることでも?」
「あ、いえ、少し落ち着かなくて」
「ふむ、そういうものか。おいそこの、水を持ってきてあげなさい。人の体にこの熱気は堪えるだろう」
指示から一分もしないうちにコップ一杯の水が運ばれてくる。私は水を一気飲みして深く息をつき、それを見た騎士は柔和に笑う。
彼が声を掛けてきたのは、私の体が少し落ち着いた頃だった。
「以前は本当に助かった。もしアンタらが来てくれなかったら、……いえ、貴方がいらっしゃらなかったら、我々の都は滅ぼされていた。感謝してもしきれません」
エルフの騎士は私に魔力を注ぎながら、思う限りの感謝を述べる。私よりも大柄で手厳しそうなこの人が、私の戦いに精一杯の感謝を伝えてくれている。それを思うと、不思議と緊張は和らいだ。
「お礼を言わなきゃなのはこちらも一緒ですよ。貴方たちは私を受け入れてくれた。だから、私たちは最後まで貴方たちと共に戦いたい。私、負けませんから。何がなんでも護りますよ」
「まだ幼いだろうに、アンタはすごいな。……そうだ、市民から伝言を預かってる」
市民から。目的の達成に必死になっていた私には身に覚えのない話だが、なんなのだろう。
呆然とする私を見て、騎士はやれやれと首を振りながら言う。
「まず二人。爽やかな金髪の奴と、髭の長い奴からだ。『
次に、最近都入りした女から。『娘のため、相手の強さも恐れず怒ってくださり感謝しかありません。娘の未来は失われてしまいましたが、貴方は怒ってくれた。その事実に救われています』と。
アンタには身に覚えがなかったのかもしれないがな、ここに来るまでにアンタらが為してきたことは、小さなことでも皆の胸に刻まれてるんだ。……さ、治療は終わりだ。今度も頼むぜ、竜の子よ」
騎士は私を優しく起き上がらせ、体についた魔道具を取り払ってくれた。
小さくお礼を呟いて、試しに体を動かしてみる。全身が羽のように軽かった。
メリアとネリネがあの悪夢から引っ張ってくれて、エルフの人たちが懸命な治療を施してくれたおかげに違いない。
私はベッドから降りて騎士の方を振り返る。
改めて、言うべきことは言っておかないと。
「治療、本当にありがとうございました」
思いを込めて頭を下げれば、辺りを暖かな空気が満たす。その時間はきっと意味のあるものだった。
その場を去ろうとしたところで、騎士は最後に声を掛けてくる。
「おっと、戦士なら鎧は忘れちゃいかんぜ。甲冑じゃないとはいえ、黒一色でさみしい装飾だったらしいがな。今はカッコよくなってやがるぜ。鎧の研磨と修復は二人組で、装飾は綺麗な女だったかな」
ご飯屋で会った二人のエルフと、最初に集落で出会った女性。一度話をしただけの相手が、私にここまで尽くしてくれた。
その想い、生きとし生けるものの優しさ。それらを知った以上、全てを受け止めて応えることに意味がある。
「改めて、『ありがとう』を皆に伝えます。……それと、私は風晴涼華です。よければ覚えて!」
私は大声でお礼を言った後、全速力でメリアたちのいる場を探して駆け出した。
辺りに常駐する騎士たちに話を聞きながら居場所を探して、私は皆がいるところに辿り着く。
「涼華殿!」
最初にファルセットが声を上げて駆け寄って来、私の手を取った。
どこか抜けているところは相変わらずみたいだけど、纏う雰囲気はやっぱり変わっている。
「調子は良さそうね、涼華。安心したわ」
「ええ、まったくです。我々五人が揃えば戦力としては十分だ」
ネリネとヴァンクールがファルセットに賛同する。二人が私に見せる顔も初めよりずっと柔らかい。
皆、出会ったばかりの頃と同じじゃない。
「……お待たせ、メリア」
友の名を呼ぶ。彼女は満足そうな顔で頷き、私の拳を拳で小突いた。
「ああ。こちらこそ待たせたな、涼華」
「よい誓いだ。お前たち」
五人が揃ったその時、私の背後より真っ赤な髪のエルフが現れた。
自らの子を何よりも愛し、この砂漠を誰よりも想う、強大かつ優しきエルフ——カイザー王だった。
カイザー王はネリネの前に立ち、ネリネは合わせて跪く。銀色の槍を眼前に出すと、それにカイザーは魔力を込めた。
「ヴァッサヴァール。長い務め、ご苦労だった。貴殿らしく、最後の戦いも確りと成し遂げよ」
「有り難きお言葉にございます。このヴァッサヴァール、王より受けた恩義は忘れません。全てをここに」
ネリネは深く頭を下げ、それを熱砂の騎士として行う最後の挨拶とした。
次に声を上げたのはヴァンクールだった。
「王よ。出撃の準備は整っております。出撃の命をいただきたく存じます」
私が後ろに下がるのに合わせて、ヴァンクールが先頭に、それに続いてファルセットが跪く。
二人に対して、王はどんな言葉を投げかけるのだろう。果たしてそれは騎士としてのものなのか、家族としてのものなのか。
その答えはすぐ、彼の暖かき言葉が教えてくれる。
「この五千年間、片時もお前たちのことを忘れたことはない。熱砂の騎士として、誰よりもこの砂漠を愛し、守り抜け。そして、どうか死ぬな。戦いの終わりし時にこそ、父としてお前たちを抱かせてくれ」
ヴァンクールもファルセットも、予想外の台詞に何も言葉を返せなかった。
二人のそんな表情を見て儚い顔を浮かべた王は、門の上に立って叫ぶ。
「聞け、無限の支配にも屈さぬ気高きエルフの者どもよ! お前たちの命を、その運命を背負って五人の騎士が戦いに出る。我々が誇る熱砂の騎士三名と、我々を救い続けた二人の勇敢な人間である。五人に剣を託し、我々は砂漠を守る為の戦いへと挑む。
各々、為すべきことを為せ。この都は我が守り抜く。お前たちには一切の傷を負わせぬことを約束する。故に、お前たちも同様だ。英雄の唄を歌え、雄叫びを上げよ! 我ら希望を全力で送り届けるのだ!」
王は右手を振り上げる。
すると、この地に住まうすべての、彼を見ていたあらゆるエルフが力強き声を上げた。
声は互いに反響して勢いを増して一つとなり、遥か遠き天の国にもその想いを轟かせる。
ふと、カイザー王は私たち二人を見た。
かの王の黄金の瞳に宿っていたのは、侮蔑や品定めの光ではない。勇者を送り出す王の、信頼と期待に満ちた強き目だった。
そして、王の合図と共に大門が開き出す。
「……行こう、みんな」
私は門に視線を送って、後ろを振り返ることなく歩き出す。
すぐ、最終決戦が始まった。
全員が使える最大限の魔力を肉体強化に使用し、生物の限界を超えた速度で砂漠を駆ける。
空は灰色を保ったままだが、時刻は変わらず朝だろう。私たちは一瞬でモミジのいる場所に辿り着き、すぐに戦闘態勢へと入っていく。
全ての始まりとなる朝、歪な魔力の塊に向けて剣が振るわれた。
「受けてみよ——
「合わせるわ。
剣から炎が飛び出した。
間髪を容れずに鋼鉄の槍が炎を追いかけて空を翔る。炎は巨大な魔力体を包み、その消失と同時に槍が目標へと辿り着いた。
「消えよ、
走る速度を保ったまま、ネリネは魔力体に向けた拳をぎゅっと握る。
瞬間槍の色が変わり、その内より無数の槍が飛び出した。
「ファルセット!」
外部からの魔力を受けた
この連撃を一瞬でも遅らせてはならないと、私は全速力でファルセットの前に出た。
「涼華、感謝します!」
私がその場で減速し出せば、すぐにファルセットが背後から迫る。ファルセットが私の腕を踏んだ時、バレーボールの要領で彼女を上空へと打ち上げた。
私の補助に呼応するように、メリアも
「ヴァン、ネリネは後ろに下がれ! 私が開く……
「行きます。
メリアの魔法が攻撃の道を示し、ファルセットは加速を重ねて魔力体に到達する。
反撃を許さない瞬時の一刀。それは魔力の塊の中へと沈んでいき、霧にも等しいその体を初めて分断した。
しかし、それは始まりに過ぎなかった。
刃を振り切って落ちてゆくファルセットをメリアが回収した直後、変化は突然始まった。
「二人とも、今すぐそこを離れなさい!」
突如、ネリネが声を荒げる。彼女が最速で魔力の変動を感知、二人に魔法を使わなければ、次の瞬間に溢れ出した紫に呑まれて大打撃を受けるところだっただろう——それはこの場にいた私たちも例外でなく、敵の魔力と荒れ狂う暴風を肌で感じることとなった。
「あれは、一体」
そして思わず、声が出る。
膨大な魔力の塊は一人に集約していた。紫の長い髪に端正な顔立ち、共にモミジそのものだ。
しかし、彼女から溢れる魔力はもはや元の彼女のものではない。メリアの言葉を借りるのなら、今のモミジは悪性に溢れている。
魔力と性質の変化を示すように、巨大な天使の如き羽が六つ、その背に生えている。
神々しき悪が、そこにいた。
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