第31話 それぞれの闘い

 駆ける、駆ける、駆けていく。

 俄に暗雲が立ち込める空の下を、背後で膨れ上がる魔力から逃れるために。

 もはやどれだけの時間、どれだけの距離を走ったのかはわからない。ファルセットの記憶を頼りにヴァンクールと合流できそうなルートを選んで、私たちは無我夢中で走り出した。

 そして、王都の門が見える頃。

「飛ぶぞ、ファルセット」

 私は背の翼で二人を抱えながら飛翔し、ファルセットは残る魔力を全力で使用して跳び上がる。

 王都の内側に入ったところで、私たちは糸が切れたように脱力した。

 無意識下で溜まった疲労と緊張からの解放に、魔力はあるのに体がうまく動かない。

 そのまま体を休めていると、門の辺りにいたエルフたちが知らせたのか、ヴァンクールが門の上より降りてきた。私の予想通り増援を向かわせてくれていたのだろう。彼の部下らしきエルフたちも後になって戻ってきた。

「ファルセット!」

 らしくもない大声で、ヴァンクールは疲労を露わにするファルセットへと歩み寄った。

「あ……、お兄様」

「なんて顔だ、それに魔力も崩れかけている。待っていなさい、今すぐ救護班を呼ぶ。ヴァッサヴァール殿や竜の子まで、一体何が起こったというのです」

 ヴァンクールはその声量のまま、半ば怒鳴りつけでもするかのように救護班を呼びに行かせた。

 抱える二人を寝かせてやると、熱砂の騎士は驚きを隠しきれぬ様子で問うてくる。

「まずは無事で安心しました。アルストロ……いえ、メリア殿。この砂漠の奥にドラゴンが現れたのは聞きました。ですから、事の顛末のみで構いません。何が起こったのか教えていただきたい」

「ああ。ハッキリ言って状況は絶望的だ。心して聞いてくれ」

 そんな前置きの後、私は起こった出来事を簡潔にまとめた。

 我々は龍種モミジと交戦するも、圧倒的な力の前に苦戦を強いられる。最後の一人となった私が足止めを行い、その戦闘中にモミジの性質が判明。和解を試みていたところでモミジの魔力が暴走し、現在の状況に至った。

 ヴァンクールは終始神妙な顔で私の話に相槌を打ち、全てを聞き終えると深く息をついた。

「……なるほど。では、我が部下を連れたとしても無駄な犠牲を産む可能性が高いですね」

「そうなるかもしれない。今度の奴はまだ現れちゃいないが、容赦はなくなっているだろうな」

 もっとも、完全な姿を見ていない以上は判断できないし、諦めるにはまだ早い。今の私たちが為すべきは、満身創痍の涼華とネリネをいち早く復帰させることだ。

「向こうの様子は確認しておきましょう。ファルセット、お前は救護班が来るまで二人を見守って、彼らが来た後は治療を受けるように。メリア殿、貴方も同じく無理はなさらぬよう」

「あのっ、お兄様」

 急ぎ足でその場を去ろうとしたヴァンクールを、恐る恐るファルセットは呼び止めた。

 彼はぎこちない様子で妹の顔を一瞥し、そのまま言葉を待つ。

「……この後の決戦、当然私も参加します。ですが、私を護ることはどうか考えずにいただきたい。これは私なりの訣別なのです。今度こそ、自分の力で世界に打ち勝つための」

 そう告げるファルセットの目には強い意志が宿っていた。

 彼女が背負うものは決して軽くない。一人の少女が背負うにしては重すぎるものだ。

 だが、全ては過去と訣別するためなのだろう。死した弟たちの分まで力を手にする、それはかねてからの理想に違いないのだから。

 ヴァンクールは腰の剣に手を置いて、騎士らしき所作でファルセットに微笑みかけた。

「砂漠を駆ける我が戦友ともよ、信じるとしよう。君が力を求む限り、我々は紛れもなく戦士なのだから」

 屈託のない笑みだった。

 空は異様な色をしており、数年に一度の雨すら落としそうな雰囲気がある。

 その中でも決して折れることのない、力強き騎士の破顔。それはファルセットの心を強く突き動かし、ボロボロの体を奮い立たせてくれる。

 ファルセットが強く頷いたのを確認して、ヴァンクールは「部下に伝えることがある」とその場を走り去っていく。

「行きましょう、メリア殿。私は皆に報いたい。どうか、力を貸していただけないでしょうか」

「当たり前だ。我々は皆、動機は違えど目的は同じなのだから。……さ、準備といこう!」

 今度こそ砂漠を死守すべく、私たちは大急ぎで復帰の準備を整え始めた。


 それから、十五分ほどが経過した頃。

 大した治療の必要がなかった私はエルフの人々たちから離れ、大門の上に立って外を見ていた。

 モミジらしき紫は魔力の形を次々に変えており、まだ暫くはあの姿を保ちそうだった。

 そんな時にネリネが飛び起きて、私のもとにやってきた。

 文字通り光と同等の速度で拳を打ち込まれたのだから、一撃で沈むのは道理だ。臓物にまで響く一突き故に、この数分で復帰しているのは異常と言って差し支えない。きっと、醜態を晒した自分への怒りがネリネを目覚めさせたのだろう。

「……ごめんなさい、メリア。あんな光如きに遅れを取るなんて、騎士として恥じるべきことだわ」

 ネリネは屈辱に身を震わせて、あまりに強い力で拳を握っていた。

 たとえ仕方のないことだとしても、怒りを抱かずにはいられないのが我々という生き物だ。だから、私たちは恥じた分を全力で取り戻そうとする。

「次こそ奴を止めなければ、……いや、解放してやらなくてはならない。次の戦いは私も最初から全力でいく。だからキミも、死なない程度に無茶をしてもらうぞ」

「ええ。あのようなことは二度としないと誓う。今度こそ、貴方たちと共に戦い切ってみせるわ」

 深い決意を口にしたところで、ネリネはその場に腰掛けた。

 雲がゆっくりと流れていく。遠くにある紫の魔は、未だ歪に膨張と収縮を繰り返していた。

「それで、肝心の涼華なのだけれどね。咄嗟にアルビオンを使おうとしたせいか、その力を制御しきれなかったみたい。人間の姿に戻すのに、魔力を抜かなきゃならないの。最短で魔力を元に戻して傷を癒しても、数時間はかかるそうよ」

 涼華。人間体のモミジに一人立ち向かった彼女の顔を思い浮かべる。

 自分の力の制御がままならない中で勝てるほどモミジは甘い相手じゃない。エルフの側につく誰よりも秀でた近接戦闘術を持つ奴は、その点において物が違う。

 いや、そんなことは涼華が一番わかっている。問題は、その異変と戦況にまで気を回せなかった私自身だ。

「……私たちには待つことしかできない。ネリネ、ヴァンクールとファルセットのところに行こう。きっとこの戦いに出れるのはその二人だけだ。我々が持ちうる力の整理を済ませておこう」

 私は再度ネリネに目をくれる。

 彼女は私の言葉に頷いた後、何かを思いついたように顔を上げた。

「わかったわ。メリア、貴方は先に向かっていて。涼華の傷を癒すため、一つできそうなことがあるわ」

「待ってくれ。それは本当か? なあ、ネリネ、私にできることがあれば言ってほしい」

 涼華を癒すことができるのならば、私はどんな難題も成し遂げてみせる。熱意が私を飲み込んだせいか、あまり上手な言葉選びはできなかったが、ともかく、何かできるのならばそれが知りたい。

「……そうね、一緒に来てくれる? 貴方の言葉はきっと、何よりも涼華に届くはずよ」


 ◇


 痛みなのだろうか。

 風邪を引いた時の関節痛みたいな痛みが全身にあって、体をうまく動かそうにも力が入らない。どうやら目を開けることすら難しいみたいで、どれだけ頑張っても何一つの行動を起こせなかった。

 あの時、無茶をしたせいかな。

 咄嗟に出したアルビオンが言うことを聞かないで、私の魔力をごっそり持っていった。それとあの敗北が原因で、私の体は悲鳴をあげてしまったみたいだ。

 眠っている間、私はずっと龍の呼び声を聞いていた。鼓膜を揺らす穏やかだが荘重な響きが心地よく、私は深い眠りに誘われる。この声を聞いていると、何か体の重いものが取れていくような感覚が襲ってくる。

 このまま眠れば、このまま龍に身を任せてしまえば、もう何も苦しまなくていいんだろうな……。


 ——私、なんで戦っているんだろう。


 もう十分頑張った。いっぱい戦ったけどダメで、ならもういいか。

 どうせ誰も咎めないし、別にこのまま寝ていてもいいんだ。

 誇りなんて持っていない。今倒れても、一般人の離脱で片付くよね。

 龍が私を肯定する。そのまま体を任せてしまえと、優しい言葉で囁いてくる。

 そうだ。あの子がいればいい。この力が勝手に働いてくれれば、私は寝ているだけでいい。

「いいえ、ならないわ」

 透き通った声が耳に届く。

 真っ暗闇の中で輝く青色の光は、私と同じようにぼんやりとしている。

「私、なんで戦っているんだっけ」

 自分でも言うつもりのなかったことが口から漏れた。

 芯があってひたむきな彼女の光が私の意識をハッキリさせる。私を夢から引き摺り下ろす、そんな寂しい美しさと一緒に。

「わからない。それは貴方にしかわからないことよ」

 私にしかわからない。でも多分、戦い始めたのはそんなに難しい理由じゃなかった。

 だってそうだ……エルフの話を聞いた時も、あまり実感が湧かなかった。私はあんな苦しみを知らないし、重荷を背負って戦えるほど大人じゃない。

 始まりはきっとくだらない理由だった。

 だから、やっぱり私は戦わなくてもいい。そう思ったのに、彼女は首を横に振った。 

「でも、世界は貴方を待っている。貴方を待ち続ける人がいる。必要なのは重荷でもなんでもなくって、迷わずに前を見て進める力。他でもない貴方には、その力があるでしょう?」

 あ——。

 そうだ。毎日必死だったんだ。迷う暇なんてないくらい、戦いはすぐに決断しなきゃならないことの連続で。

 戦う理由。それは、あの子に苦しんでほしくないから。

 それでいい。私はあの子を追えばいい。誇りを知るのはきっとまだ先で、私は常に目の前のことを我武者羅に乗り越えていくだけで満ち足りる。

 今はそれが、何よりも大切なんだから。

「呼ばれているわよ。さ、貴方を縛る黒い龍——我がものにしてしまいなさい」

 青い光が私を汚泥より這い上がらせる。

 龍の言葉は魅力的だけど、全てを終わらせるのにはまだ早いんだ。

 何度も何度も振り回されてきたけど、今回も私が乗り越える。

 私は私だ。龍に喰われるわけにはいかない。

 その時、緑の光が手を差し伸べた。

 

「メリア」


 私は赤い光でその手を取った。

 さあ、今度こそ名誉挽回だ。私が砂漠を守るんだ。

 

 二つの手に呼ばれて、人は汚泥より這い上がった。

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