第30話 生きとし生ける

 真っ先に動けたのはネリネだった。

 ネリネは高速で槍を生成し、次の瞬間に現れた光魔法を弾き返す。

「この距離でよく魔法を避ける。相当な集中力は賞賛に値する。だが」

 モミジの姿が消え去った。私が視認するより先、禍々しい魔力を孕んだ拳がネリネの腹を強く穿つ。

 人の倒れる音が空虚に響き、それで勝負は済んだ。

 至近距離で放たれた光魔法の拳は、ネリネの急所を的確についていた。あまりに痛烈すぎるものだった。

「ネリネ殿!」

 ファルセットは声を荒げて立ち上がり、魔法の詠唱を最速で試みる。

 しかし光魔法に速度で勝てるはずもなく、彼女はたちまち無数の光に呑み込まれてしまう。砂漠にまた虚しい音が響き渡り、ほんの一瞬のうちに残る勢力は私のみになった。

「抗わずに滅びを受け入れるのもまた一興。そこで大人しくしていれば痛みを感じる間も無く終わらせてやる」

 モミジは我々に向ける手を下げて、もはや私に目もくれない。

 滅びを受け入れる? なるほど、従えばもう全部が終わる。それはとても楽な道だろう。

 抗う痛みも恐怖もない。戦っても勝てずに死するのなら、服従以上に簡単な手段などは存在しまい。

  

 


 この砂漠に集った以上、……魔王を倒すと誓った以上、私は死など微塵も恐れない。

 恐怖に打ち勝つことこそ誇りだ。

 涼華もネリネもファルセットも、私の自己犠牲を認めることなく戦った。

 故に応えなければならない。故に勝たなければならない。

「……冗談も大概にするがいい。皆お前とは違う、誇りと共にここにいる。諦めなど絶対にない」

 今にも膝をつきそうな脚に喝を入れて、全身を奮い立たせる。先の宝石分は残っているが、これではまだ届かない。

 私は懐から宝石を二つほど取り出して叩き割る。

 かつての自分が貯めた魔力を全身に浴びれば、十分に戦えるだけの力が整った。

 巨大な魔力が二つも並べば、我が友ヴァンクールは察してくれるはず。倒すことはできずとも、彼ら救護班が来るまでの時間稼ぎにはなるか。

 もっとも、戦う以上は倒すつもりで挑ませてもらう。

 魔力消費を極限まで抑えて、私はモミジへと突っ込んだ。


 空を雷霆が裂き、瞬きの間に雲が破られる。

 私は勢いのままに突っ込んで、半ば急襲の形でモミジへと拳を飛ばす。

 それは初めて人間体のモミジへと届いた攻撃。光にも喰らい付かんとする拳を確実に命中させて、私は奴を砂漠に叩き落とした。

 言霊コードとしても昇華せず、昂る感情に身を任せて魔力の弾を解き放つ。しかし右の掌から飛び出した雷は命中せず、向こうが唱えた光の魔法によって遮られた。

 雷を飲み込んで襲い来る光をすんでのところで回避して、私はモミジの動きに全神経を集中させる。

 光を目で捉えるなど無理。間違いない、それこそが常識だろう。

 しかし、私は魔王と鎬を削った身だ。

 風晴涼華は常識を、限界を超えた。その右に立つものとして、私も人間の限界に挑まなければなるまい。


 奴は何も本体が光なのではないだろう。

 なればこそ、本物の光よりは遅く、どこかに必ず綻びがある。

 砂の海を乗り越えて、モミジが私の眼前に現れる。光を纏った拳を前に、私は全速力で拳を振るった。

 空中で筋力と魔力の押し合いに傾れ込んだ時、モミジがゆっくりと口を開いた。

「どんな魔道具を用いた? 先の貴様とは何もかもが違うように見える」

「これも努力だ。滅びに抗うための努力だよ」

 拳を重ねたままでは決着がつかないと悟った我々は、どちらからともなく離れていった。

 モミジは曇りの空に輝きを放って飛び出し、三度背後にドラゴンを出現させる。

 人間体の攻撃よりも先にドラゴンの尾が迫り来る。私は雷の翼エレ・トネールを詠唱して尻尾を避け、巨躯の頭へと辿り着いた。

「邪魔だ。一撃、それで眠ってもらおう」

 右腕を引き、そちらに魔力を注ぎ込む。これだけのストックがなければ解き放てない一撃を用意した私は、ドラゴンの脳天に掌を置いた。

「喰らうがいい——」


嵐の王、其の一突きドル・テュエッラ


 掌とドラゴンの鱗がリンクする。

 瞬間、外に一切の光を漏らすことなく雷が爆発し、たちまちドラゴンの体へと流れ出した。

 巨躯がその場で静止する。奴の全身を一瞬のうちに最大火力の電流が駆け巡った。

「これで暫くは制御も効くまい。私を侮ったな」

「面白い。それでこそ滅びに抗うものだ」

 電流を伴う魔力はドラゴンの動きを確かに停止させたものの、その反動で私も暫く動けなくなる。

 その隙をつかれ、私はモミジの放った飛び膝蹴りを回避することができなかった。巨躯から落ちて地面と衝突しかけた私だったが、すんでのところで体の制御を取り戻し空中で静止する。

「かかってくるがいい。滅ぼすものよ」

「いいだろう。正真正銘の一対一、滅びの前の余興としよう」

 モミジは宣言すると同時、己が背後より無数の光線を放ってきた。

 こればかりは避けきれぬ。それを悟った私は、数回の直撃を覚悟して稲妻の波エクレール・ヴァーグを詠唱。魔法の威力で攻撃を無理やり相殺した。

 周囲を囲う魔力がなくなったところで、モミジと私の距離は再びゼロになる。どちらからだったかは誰にもわからない……直後、互いの顔面を拳が穿った。

 魔力も乗った勢いもほぼ互角、私も奴もまた吹き飛んでいく。飛び際に魔法を放つも命中せず、かと言って向こうの攻撃も私には当たらない。

 残る魔力は宝石二つ分。空は暁を指し示し、昼の民が復活するための鐘が鳴る。

 

 さて、私はここで真面目に戦いを続けても一向に構わない。だが、それは敵が抑えようのない悪性を持っている時だけ。すなわち、奴が綻びを持つ今ではない。

「モミジ、お前は命令を遂行するだけだと言ったな」

 サラマンダーの手で呼び起こされたはいいものの主人が見当たらず、仕方がないので書き込まれた式に従って砂漠を滅ぼすことにする。モミジはそのようなことを口にした。

 しかし、奴は戦いの中に余興や面白さを求める。

 機械的に世界を滅ぼさんとする者が、おそらく無意識のうちに自ら余興を求めている。

 この点で奴は完全悪ではない。まだ、時間の稼ぎようはある筈だ——。

「お前を喚んだものがそれを望む。それゆえ、お前はこの砂漠に立ちはだかるのだろう? ああそうだ、それならお前は機械に過ぎない。なのに何故、お前は戦いの中に興を求める?」

 モミジの眉がぴくりと動く。

 生ける知性体としての本能と、命令のままに動くという機械的な理性。その矛盾は本人すら意図していないところだろう——それ見たことか、奴の眉が初めて動いた。

「お前は機械のように振る舞っているが、本能は滅びでなく別のところにある。お前はこの砂漠を滅ぼさんとするものの言いなりになっているに過ぎない。……本性を表せ、龍種モミジ」

 私はその静かにその名を呼ぶ。

 モミジは暫く動きを停止して、ほぼ開いていない目で私を見た。計算と処理を終えたのか、モミジは静かに頷いて、ゆっくりと口を開く。

「そうだ。滅びに興味はない。この世界は生きとし生けるもの全てによって成り立つのだから、一つの生命によって滅ぼされるべきではない。式がなければ、私がこれを実行することはないだろうな」

 彼女は僅かに目を開き、その奥にある青色の瞳で確かに私と視線を交えた。

 この者はこれまで対峙してきた者たちとは訳が違う。根底にあるのは紛れもない善性だ。滅びを拒む私たちとて、彼女を滅ぼす道理はない。

「……よくわかった。だがそれでも、我々は戦わなければならないのだろう」

 どこか躊躇いがちに、モミジは首を縦に振った。

 彼女が拳を握り締める。私も脚を地に埋める。

 奴を止める意思は変わらない。残る魔力を駆使して倒す——。


 全身の魔力と闘気を復活させたその時だった。

 どくん、と。砂漠中に響くような鼓動が、対峙する者の心臓から鳴った。

「……そう来たか」

 誰にでもなく呟いて、モミジは拳を引っ込める。

 一体何だと言うのか? わからない。少なくとも、このまま放置してはならないことくらいしか。

「可能ならこの場より去れ、人間よ。そして多くを外に逃がせ。もはやこの体、私のものですらなくなりつつある」

 どくん。二度目の鼓動が響いたとき、モミジの体から禍々しい魔力が溢れた。

 蜜柑を押し潰して果汁が飛び出る。そんな動きと共に出てはならないものが流れる。その魔力はやがて大きな羽となって、モミジの背より生えてきた。

「なん、だ。これは」

 宝石二つで増強した魔力でも圧倒的に届かない。

 そこで倍々に増えていく力を前にして、もはや正攻法では抑えようのない存在が現れたことを知った。

 窮地の判断だけは他よりも速い。私は身を翻し、全速力で気絶する三人を回収した。

「ファルセット、起きれるか!」

 涼華とネリネは致命傷を負っている。彼女とて他の二人に比べれば即時に復帰できる見込みがあっただけで、相当なダメージを負ったのは間違いなかった。

 ファルセットはすぐさま目を覚まし、嫌でも感ぜられるほどに大きな魔力に戦慄した。

「話している暇はない。ここは一時退却だ、いいな!」

 そのまま彼女を下ろし、代わりに涼華とネリネを抱える。

 モミジの変貌が終われば、私たちはすぐに襲われることになるだろう。これは蹂躙の開始までに逃げ切れるかの勝負——選択を誤れば体は持たない。

 背後より迫り来る崩壊から、我々は逃げ出した。

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