第29話 戦いは静かに幕を開ける

 砂漠に秘匿されし者、長き眠りにつきし者。

 何故私が眠りの長さを知れたのか? 答えは至って単純で、奴の持つ魔力に魔王のそれと同じ力が混じっていたからだ。

「貴様、一体何者だ!」

 ネリネに乗るファルセットが声を荒げるも、紫のドラゴンから現れた女は無機質な顔のまま。

 その目は糸のように細く、果たして開いているのかどうかさえもわからない。

「聞こえなかったらしいな。我が名はモミジ。この地に秘匿されし龍種だ」

 モミジと名乗った紫の龍種は、独特の彩色を持つ華やかな赤色の服を身に纏っていた。

 それは巨大なドラゴンとしてこの地に現れたが、こちらに攻撃を仕掛けたことは一度もなかった。よって、彼女が敵かどうかを判断するには材料が足りない。

 私は落ち着いて言葉を選び、奴に問いかける。

「お前は何が目的だ。そして、何故目覚めた」

「悪性の炎によって。しかし奴はおらず、私は残滓に従うこととする。よってお前たちを殲滅することになった」

 空に静止するモミジは両手を胸の前で合わせた。

 瞬間、誰にも止めようのない力が私たちの前で膨れ上がる。

 肌に染み付くような痛々しさと、我々の全てを足しても凌駕しえない圧倒的な魔力。その場にいる誰もが実力差を味わったに違いない。

『——ここは退きましょう。あんな攻撃、耐えられない』

 すぐにでも解き放たれんとする魔力を前にして、私たちの脳に言葉が響いた。

 震えを必死に抑えるネリネの声だった。

「私の魔法なら相殺くらいできる。涼華、キミは二人と共に先に逃げろ」

 全力を賭した嵐の王、祖の銃撃バル・ティフォンならば奴の魔力は抑えられる。しかし、その一撃で割った宝石分の魔力と平常時の七割の魔力は失われるだろう。それでようやく対抗しうる火力になると見た。

 一度大敗を喫したからだろうか。

 こういう時の判断は誰よりも早い。私は背中に翼を展開し、モミジの前に立ちはだかった。

「ネリネ、キミは躊躇うな。全速力で行け」

 彼女の言葉を聞こうともせず、私は右の人差し指に全神経を集中させる。

 魔力が一点に集中するこの感覚——魔王を穿ち、そのすぐ後に穿たれた苦い思い出のある魔法。

 もはやこれ以上語ることもない。後は撃って、全力で彼女らをにがすだけだ。

「その蛮勇を褒め称えよう。せめて楽に終わらせてやる」

 敵の持つ魔力が右手に集中し、その球は空へと投げられる。モミジのそれが呼び寄せたのは、まさに隕石そのものだった。

 ああ。こんなもの、相殺できなければ全てが終わるじゃないか。

 

春夏冬を穿つ天降ヘルプスト・ファウスト


 モミジの手が我々を指した。

 巨大な隕石が落ちてくると同時、私も切り札を宣言する。


嵐の王、祖の銃撃バル・ティフォン


 指が雷雨の力を持った。

 全身が抉れるほどの衝撃に襲われて、私は眩い光に包まれる。

 これだけの巨大エネルギーを一人で受けるなど、果たして私は存在していられるだろうか。ああ、決して怖くはない。怖くはないが、一体どこまで護り切れるか——。

 死を覚悟したその時だった。

  

大海原に揺蕩う真槍オーツェアーン・ヴァレ・ランツェ

登竜星got star

『█████』


 背後から三つの魔力が爆発し、迫り来る隕石と衝突した。

 振り返らずともわかる。水と炎が風を纏って、私の放った魔法を上空へと押し上げていく。

「……置いて行くなんて絶対にしないよ。それじゃ誰も救えない」

 顔の一部も黒い装甲に身を包んだ涼華が、私の横に並び立つ。

 背後を振り返れば、強靭なドラゴンのままのネリネと、彼女に乗るファルセットもこちらを見つめていた。

「戦う力をくれた貴方を一人にはしませんよ。この砂漠は私たちで背負っているのですから」

 ……まさか、先ほど講釈を垂れた相手に言われることになるとは思わなかったな。

 今更逃げろと言ったところで、この三人が退かないのも考えてみれば当たり前だ。弱気になっていたのはどうやら私の方らしかった。

 指を空から手元に戻すと、ちょうど煙が晴れて空が見える。

 モミジは相殺しきれなかった分の魔法を片手で受け止めて、なお顔色一つ変えずにいた。

「消滅を受け入れないか、愚かしい。何故抗う?」

「エルフの世界を護り抜き、魔王の支配から救済するため。ここで退くなんてあり得ない」

 アルビオンの鎧を体に纏う涼華が、モミジを睨みつけて言った。

 私は手元で宝石を割って、また溢れ出す魔力を全て浴びる。

「その通りだ。お前がこの地に害を成すのならば、火の精霊と同じように倒す」

 四対一の数的有利を確保しながら、敵の持つ魔力はやはり我々を上回る。恐らくこれは本人の魔力だけでなく、彼女を封印した者の手による小細工と、長き眠りにて蓄えられた力が込められている。

 故に、その力から解き放つ。

「為すべきことは変わらない。お前たちが何人いようと、この砂漠を虚無にするのが私の喚ばれし目的だ」


 瞬間、モミジの眼が僅かに開く。

 砂漠の奥から光の柱が突き出して、モミジを囲む五本の柱が出来上がった。

 そして、特大級のドラゴンが再び姿を現した——今度は人間の姿も同時に。

「どっちでもいいからまずは無力化しないと。私とメリアで責めるから、二人は援護をお願い!」

 涼華の指示を受けてすぐ、止まっていた戦線が動き出す。翼を持ちし人間が二人、人間の姿をするモミジへと向かった。

 私は空中で右腕を敵に向け、涼華はその射線と被らないように前に出る。しかし魔法を放つよりも先に、曇天を切り裂く光が私たちの頭上より降りてきた。

「させません——登竜星got star!」

 気高く強き兄の言霊コードを借りた短詠唱が敵の光魔法を切り裂いて、私の魔法詠唱を確実なものにする。

 光より速き詠唱と発動に絶大な頼もしさを感じつつ、私は高らかに宣言する。

「溢れ出る雷よ、我が力となりて大地を穿て。稲妻の波エクレール・ヴァーグ

 完全詠唱は最小限の魔力で最大限の火力を伴い、目にも止まらぬ速さで空気を伝う。人間体の奴に魔法が届くと同時、涼華の手から炎状の真っ黒な魔法が同時に放たれた。

 私は反動を必死に抑え、敵に一切の余裕を与えないように突き進む。

 しかし、流石は龍種と褒め称えるべきか。人間体には何の予備動作もなかったと言うのに、背後に控える巨大なドラゴンが私の肉体を翼で打った。もはや攻撃に気がついたのは後だと言って構わない。人間の質量では押し返せない攻撃が私を砂漠に叩き落とした。

『メリア!』

 体が嫌な音を立てる。地面と衝突した私を、天よりこちらに向かってきたネリネが掬い上げた。

「この程度、問題ない。それよりファルセットは」

 私は上空に視線を飛ばす。そこには、竜を狩る騎士が如き覇気を纏うファルセットの姿があった。

 遠目からでも伝わる殺気は無謀にも攻撃を試みており、私は痛む肺を酷使して咄嗟に補助魔法を詠唱する。

 

救済の雷ライトニング・プレヤー


 剣の鋒が輝いたかと思えば、モミジの装甲に向かってその光は落ちていく。雷が道を示していた。

ネリネの背から投げ出された彼女は重力に従って落ちていくが、その体を纏う風の魔力が落下までの速度を調整する。僅か数秒の間に剣を下ろす位置を決め、魔力を解いて自然に従う——登竜星を纏った刃はモミジが持つ紫の装甲に食い込んで、その肉を深々と突き刺した。

 それを好機と見た私たちは空へと舞い上がり、ファルセットが斬った跡を狙って攻撃を仕掛ける。

 全力の雷霆と龍の息は互いにぶつかり合いながら方向を一点に定め、圧倒的な勢いを持って装甲の割れ目に到達した。崩壊の瞬間を狙ったことで鱗は一気に引き剥がれ、攻撃が通るであろう弱点を晒す。


 そのはずだった。

「まずい」

 私の肌をピリつくものが通り抜けると同時、砂漠が勢いよく捲れ上がる。思考では理解していても反応できず、突然の事象に私は瞬く間に飲み込まれていく。

 次にあったのは激しい痛みと苦しみだった。

 砂の礫が体を打ち付け、無数の砂利が呼吸を奪う。私はネリネとも引き剥がされて、一体何に閉じ込められたのか、深い暗闇の中に埋められた。

 これは間違いなく狙われたものであると、本能が理解した。

「っ、か、あッ……!」

 いくら魔法が強力だろうと、魔力に長けていようと、私が人間である以上は物量に耐えられない。

 砂が私の四肢を完全に拘束し、視界と五感を奪っていく。心臓の鼓動も段々遠くなり、生きるために必要な行動を取ることができなくなる。

 もがくべきと判断するには少し遅かった。

 私は砂に飲み込まれ、既に意識の大半を失っている状態だった。


 もしこの後に声が聞こえなければ、私の戦いはここで終わっていたのだろう。

 砂は突然湿って固まった。結局身動きが取れないことに変わりはない——これでは無理だと思った矢先、砂の塊が木でも斬るかのように分断された。

「……ッ、ギリギリね!」

 顔面が大気に触れて、私は呼吸を思い出す。直後、どうすることもできず地面を転がった。

 呼吸を続けているうちに意識が返還され、目の前に景色が広がっていく。すぐさま状況を判断した私は、まだ痺れる手足を奮い立たせて立ち上がる。

 ネリネは肉体も人間の姿に戻っており、ドラゴンの攻撃をモロに受けたはずのファルセットにも目立った外傷は見られない。私たちはどちらもネリネに救われたらしかった。

 そしてすぐ、涼華の姿がないことに気がつく。

「待て、涼華はどこだ」

 私が疑問を口にした瞬間、空から誰かが降ってくる。とさ、とあまりに軽い音が鳴って、我々のすぐ横に黒い装備を身につけた少女が落ちた。

 ネリネもファルセットも、この場にいた誰もが絶望を味わったに違いない。

「……涼華」

 絞り出すように声を上げたのはネリネだった。

 アルビオンの鎧は完全に引き剥がされ、体に欠損はないものの魔力が完全に切れている。私たちがドラゴンと戦闘を繰り広げている際、人間体のモミジを足止めしていたのは涼華だったのだ。

 だが、何故キミがそんな姿になっている。

 私を救ってくれるだけの力がキミにはあったじゃないか。

 一体何が起こったのか、見れば分かるのに理解できない。

 サラマンダーさえ退けた、切り札を使う涼華が負けた。

 その事実に絶望する暇もなく、無機質で機械的な声が頭上よりやってくる。

「取るに足らんな。魔王に挑むと言っておきながら、これよりも弱いなどということもあるまい」

 モミジの目は既に閉ざされており、ドラゴンの姿も消えていた。

 口ではこんなことを言っているが……或いはこれも含めて、か。

 私たちは完全に侮られていた。

 どうしようもない状況に、私たちは声を上げることができなかった。

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