第28話 覚悟を持って勇者となれ


 ◇


 早朝、目が覚めた。

 いつものように修行から始めようとして、信頼する二人が隣にいないことに気がつく。あたりをぐるっと見回して、涼華の寝巻きが脱ぎ捨てられているのを発見した。

 相変わらずの悪夢で意識はハッキリしていたので、確固たる足取りでまだ暖かい服を拾い上げる。

「何かあったのか」

 二人とも適当な時間に起きる方だが、私より先に目覚めているのは珍しい。涼華が服を脱ぎ捨ててまで出掛ける用事も思いつかなかった。

 服を畳んでベッドの上に置いてやり、まだ少し暗い外を見る。一眼では飽き足らずに身を乗り出すと、可視範囲の際に何かが見えた。

「紫色。あれは」

 あれは何だ。わからない、と自問自答する。

 得体の知れない怖気を感じて窓を閉め、勢いよくドアを開く。廊下へ飛び出して進んでいくと、タイミングよくファルセットと出くわした。

「おはよう。……やはり何かあったのか」

 相当早いにもかかわらず、ファルセットは額から汗を流している。事の異常性を察知するには十分な根拠になった。

 私が暫く待っていると、彼女は深呼吸を繰り返した後で答える。

「おはようございます、メリア殿。ええ、簡潔に説明しましょう。今朝より砂漠に巨大な何か……そう、あれはドラゴン。龍が出現したのです」

 ため息に近い驚きと呆れが口から漏れる。

 ドラゴンだと? 涼華やネリネ、あの二人が姿として持つ生物として最上クラスの存在。それが精霊の侵攻さえ落ち着いた今、突如として砂漠に現れたというのか?

「同時刻より涼華殿とネリネ殿の姿がありません。おそらくドラゴンにいち早く気がついて戦いに向かったのでしょう。メリア殿、何か気づかれたことはありますか?」

「かなり早くから出ていたとしか。だが、故にまずい……二人で交戦して止めているのだとしたら、もう魔力が底を尽きるぞ」

 背後に窓がついているのを確認した私は踵を返し、早速戦場へ向かおうと決めた。

 その時、私を止める者がいた。

「待ってください、メリア殿。私も戦います」

「ファルセット。出れるか?」

 私の服を子供のようにつまんで、何かを訴えかけるような目でファルセットは言う。

「無論です。今は軍を率いるよりも、一人の剣士として戦う方がはるかに必要なこと……。ですから、今すぐにでも」

 ファルセットの顔には焦燥が浮かんでいる。頼れるものの少ない今、最大の脅威を排除するには私が出るしかない。そんな顔だった。

 故に一つ、不安があった。

「ああ、最速で向かうことにしよう。ところで、道中に話したいことがある。構わないか」

 真剣さを意識した声色で訊いてみる。すると、ファルセットは神妙な顔つきで首肯した。

 不穏な雲を宿す天空を一瞥して、私たちは王城を飛び出した。


 目的地までの移動は隠密に、魔法による肉体の強化で走るという単純な方法を用いることになった。

 霧の向こうに見える紫の巨躯は砂漠に不釣り合いで、見ているだけで奇妙な感覚を覚えてしまう。

「それで、メリア殿。話し合いとは?」

 進み始めて間もない頃、ファルセットが問うてくる。

 今から私が話そうとしている問題は家の問題。よって、私たちが解決してやる道理はないし、そもそも首を突っ込むこと自体が間違いなのだろう。

 しかし、カイザー王からエルフの真実を聞いて、並々ならぬ思いが私の中に駆け巡っていたのは紛れもない事実だ。

「先の謁見でエルフの世界について、その全てを聞いた。当然キミのことも聞いたし、王が抱いていたキミへの想いも聞いた」

 王からの寵愛を受けすぎて戦いを許されず、明るき三人の弟を失った悲壮の王女。

 或いは、自らの闘争を認められず、真意に気づけないまま、曲解を信念とする孤独な騎士。

 ファルセット・ジャルベールは、このすれ違いによって戦士としてあってはならない苦しみの中にいた。

 だから、嫌われようと私は問う。

 

「ファルセット。君が戦うのは、本当にエルフの都を護りたいからなのか?」


 王に認められたい。もう誰かを目の前で失わなくていいように、誇り高き騎士になりたい。

 その一心で土の精霊に挑む彼女が持つのは名声を欲する欲望。失われた誰かへの想いを持ちながら、同時に一度剣を折った彼女の王への疑念と負の感情も持ち合わせる。

 誇りと守護の力を持つ騎士を求めながら、自らの中にあるのは強烈なトラウマと疑いの心。

 ファルセットの矛盾はそこにあった。

 

 私の問いに対してエルフの騎士は足を止め、鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見つめてきた。

「当たり前でしょう……! でなければ、私は剣を取ったりしない!」

「だが、キミが王に抱く想いは敬愛とはかけ離れている。名声を求めるがあまり、自分が最も重んじるべきものがわからなくなっているように思う。違うか?」

 失礼だとの自覚はあるが、遠慮するつもりは微塵もなかった。涼華が彼女に友として接するのなら、私はあくまで一人の戦士として接する。

 あの謁見で全てを聞いた時、そう決めた。

 ファルセットは私から半歩引いて、こちらをキッと睨みつける。そしてすぐ、迷いを抱えた自信のない表情を見せた。

「違います。絶対に、違うはずなのです……」

 小さな掌に視線を落として、ファルセットは歯噛みした。

 数秒、沈黙が続く。

 鉛のように重い空気が流れる中で、ファルセットは自虐的に笑いながら呟いた。

「……私は王都を守りたくて戦うんじゃありません。私のせいで誰かが失われるのが、誰かに守られるのが嫌だから戦うのです。だから、やはり私は勇者になれない。騎士ですらないのでしょうね」

「そうか。ならばそれを理由と定めればいい。

 誰かの戦う理由を肯定する権利も、否定する資格も私にはない。だが、自らを偽って振る舞う者を止めることくらいはできる。今のまま無理をすれば、いつか必ずガタがくるぞ」

 ファルセットを一瞥して、私は歩みを再開する。

 彼女は剣をぎゅっと握りしめて、私のすぐ後ろを歩き出した。

「私は王に仕える騎士です。それが忠誠心を持たぬなど、本来あるまじき行為。メリア殿、貴方だって戦士でしょう。だのに、この不純な動機を叱らないのですか?」

「私たちは戦士だが未熟だ。力も心も足りていないのに、大義のために剣を振るうなんてことは無理だ。キミがどう考えようと構わないが、誇りに囚われる必要はないだろう。キミが戦う、その事実で多くの民が救われるんだから」

 最後の一言を言い終えると共に、私はファルセットの方を見る。

 その瞳は少し潤んでいて、どこか儚げな雰囲気だった。

「私は、私の好きなように戦っていいのでしょうか」

「そう思うよ。キミにはキミの思うままに生きる権利があるんだ。ここで立ち止まるわけにはいかないだろう——ファルセット、覚悟を持て。自分が定めた理由を貫き通せるだけの覚悟を。それでキミは勇者になれる」

 思っていたことを、思うまま口にする。

 ファルセットは私の言葉を文字通り噛み締めるように口を結んだ後、その目に再び光を宿して言った。

「……わかりました。行きましょう、

 よく通る声が私の名を呼んだ。

 誰かさんとのはじまりを思い出しながら、私とファルセットは並び立つ。

「共に行こう」

 砂漠の奥にいるように見えた紫は、もう既にそこにいた。

 私たちは息を合わせ、颯より速く駆け出した。


 戦場は砂漠を流れる風が砂を切る以外の音がせず、不気味なほどの静寂に包まれていた。

 重たい雲と立ち込める砂塵で視界が悪い中、私たちは紫の巨躯の近くに到達する。その体があまりに大きいものだから、距離感はいまいち掴めていなかった。牽制として魔力の弾を一撃放って見せたが、それが奴に届いたのかはわからない。

「メリア殿、ここは私が」

 ファルセットは瞬きの間に剣を抜き、射程圏内に入ると同時に魔法を詠唱する。


色彩溢れる騎士の舞台セーヌ・トルバドゥール


 掲げられた銀色の剣から眩い光が放たれると、砂塵や曇天の類が消え去った。

 代わりに現れたのは厳粛な舞台——その魔法で、煌めくステージに座す紫のドラゴンが視認された。

「あの大きさ、本当にドラゴンだというのか? あんなものが動けば、どんな街でも簡単に崩れ去ってしまうぞ」

「……いえ、待ってください。紫だけじゃなくて、何か飛んでいる」

 飛んでいる?

 舞台の奥に目を凝らしたところで、私たちは目の前の紫を追尾するように飛ぶ、それには劣るとも十分に巨大で、それよりも頼りになる黒と青の光を見つけた。

「あれは涼華とネリネだ、間違いない。助太刀するぞ!」

「本当なのか信じ難いですが、そんな話をする暇はありませんね。前に出ます!」

 相手はこの砂漠を狙う勢力の中で最大と言っていい力を有している。

 ゆえに、魔力を溜め込んでおいた魔道具の一つ、すなわち切り札を使用するのに躊躇いはなかった。

「青いドラゴンに乗れ。私がキミをあそこまで飛ばす」

 ファルセットにあれだけのことを言ったのだ。彼女の決意に応えずに、今更この砂漠を守れずして何が戦士か。

 私は手元の宝石を一つ叩き割って、そこから溢れてくる魔力を全身で浴びた。残る魔力回路が唸り声を上げて稼働し、たちまち全身に神の如き魔力が駆け巡っていく。

「メリア、貴方は一体何という魔力を……わかりました。貴方の力に応えられるよう、私も力を使いましょう」

 私はファルセットよりも前に出て、瞬時に稲妻の波エクレール・ヴァーグを詠唱した。

 その魔力のままに飛び立てば、私の意図を察した彼女がすぐに魔法を唱え始める。


箱庭を駆けるものセーヌ・ペガーズ


 背後で魔力が爆発し、私の背目掛けてファルセットが向かってくる。彼女は私の背を踏んで跳躍し、凄まじい速度で青いドラゴンに飛び乗った。

「ネリネ殿、私です! 現在の戦況は——」

 ファルセットが無事に着いたことを確認して、私も眼前の猛り狂う黒いドラゴンへと飛び乗った。

 私は雷の羽を解き、涼華の背に顔を当てて声をかける。

「涼華、私も来た。魔力はまだ残っているな?」

 言葉が返ってくることは期待していない。その鼓動が耳に届けば十分で、涼華は凄まじい雄叫びを上げて飛び上がった。

 すると、すぐにドラゴンの顔が目の前に現れた。


 私たちは紫と対峙する。

 巨大ゆえに魔力の測れないそれは、私たちが何をしようとも一切の反応を返してこない。

 不気味な巨躯との睨み合いが暫く続いた後、突然その出来事は起こった。

「——皆、離れろ!」

 私の肌が敵の異常な魔力を初めて察知した。

 轟音を立てて吹き荒れる暴風はドラゴンから自由を奪い、私たちを大きく吹き飛ばす。

 目の前で何が起こったのか確認できたのは、かなり後方に押された後だった。

「……何だ、あれは」

 ようやく前を向いた時、私の肌を悍ましいものが駆け巡った。

 そこには人が浮いていた。紫の髪をする女だった。

 身体中に染み渡るほど濃く強烈なこの魔力は、人間のものと呼べるのだろうか。

 いや、あれはよく知っている。

 ネリネの根底にある魔力や、涼華が時折見せる爆発的な力に近い。

「我が名は——。秘匿されしが一騎なり」

 その者は、人の形をしながらドラゴンの魔力を持っていた。

 暴風吹き荒ぶ砂漠に、最大の脅威が君臨した。

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