第27話 はじまり

 その夜、自分の心臓の音で私は目を覚ました。

 耳元で曲をかけられているような感覚? いや、考えてみてそれが違うとすぐに悟った。

 体の内で音楽が鳴り響く。調子のいいリズムを刻んで、体が眠る私を呼び覚ます。

「……メリア」

 物凄く嫌な予感がする。私は横で寝息を立てて眠るメリアを揺さぶったが、彼女は何かにうなされているようで目覚めなかった。

 雰囲気が確信を持って訴えかけてくる。たぶん、今の彼女に何をしても目が覚めることはない。

「ネリネさん」

 額を嫌な汗が伝って、私は左に眠るネリネを小さく揺さぶった。

 紫の空を見るに、時刻は深夜のちょうど真ん中。こんな時間に起こしてしまうのは申し訳ないが、この嫌な予感は的中する——そのまま数回揺さぶると、ネリネはその目を少し開いて私を見た。

「涼華。どうしたの?」

「眠いのに、ごめんね。何か嫌な予感が、嫌な魔力がキてる。一緒に来てほしい」

 サラマンダーの件もある。私の訴えを察してくれたようで、ネリネは深く頷き、音も立てずにベッドから降りた。

「門を見に行きましょう。今なら出れるはずよ」

 私も小さく頷いて、できるだけ音を立てずに服を脱ぎ、いつもの装甲へと着替え直した。

 メリアの眠る側とは反対側の窓を開ける。生暖かい風がそよいだのに、私の肌は何故か鋭いものを感じ取っていた。

「私が運ぶよ。ネリネ、つかまって」

 私の言葉に首肯して、ネリネは私の手をぎゅっと握る。この街に眠る誰も起こさないために、私は小さく言霊コードを詠唱した。

 

勇気の竜翼ムート・ドラッヘ


 私の背に生えた二つの翼が、何を意図せずとも魔力の方へと向かっていく。

 流れる宵闇は驚くほどに真っ暗で、私が住んでいた街のような夜の明かりは一つもない。空を見上げれば物寂しく輝く星空があるだけで、魔力探知だけが頼りだった。

「涼華。こちらこそ、お礼を言わなきゃならないわ。門の向こう、見える?」

 そんな真っ暗で危険な砂漠に、視覚でも認識できる赤色が一つ。


 それは遠方に座し続ける巨躯。

 それはあまりにも大きすぎる。

 それは、燃えている。

 

「待って。何あれ」

 遠目でもわかる。赤い光を放つそれは、自らの体を溶解させながら突き進んでいた。

 進行速度は速くない。が、通った後には砂漠の砂すら残っていない。

 あれでは夜が明ける前に王都の門が焼き尽くされるだろう。

「相手は一人に見えるけど……いえ、まだわからないのよね。サラマンダーのように知性があるわけでもなし、見えないだけでリザードマンが潜んでいる可能性もある。様子を見ましょう」

「私が牽制する。ネリネは魔力を取っておいて」

 どうしてこうも嫌な予感が的中するんだろう。そんな悪態を心の中でついてみて、意味のないことを私は悟る。

 翼を意識で制御して地面との距離を縮めた私は、両手を重ねて口にした。


夕立、輝ける松明アヴェルス・フラム


 炎が掌から膨れ上がり、空へ昇った後に礫となって落ちてくる。

 砂漠を衝撃が衝くも、リザードマンなどがやられた様子は感じられなかった。

「敵はあれだけみたいだね——」

「涼華飛んで!」

 秒速、反撃が返ってきた。

 突如としてやってくる恐ろしいくらいの熱量。私はたまらず空へと舞い上がった。

 痛みがする。腕を確認すると、色が変わっていた。焼けたように熱を帯びて爛れていた。

「近づくだけであの熱気……相当ね。涼華、腕」

 ネリネが私の腕に触れる。すると魔力が注ぎ込まれ、私の腕は元に戻った。

「ありがとう。あれは一体何? なんだか、サラマンダーが乗ってた化け物みたいで……」

 上空まで飛んでようやく逃れられた熱気を前に、私はサラマンダー以上の恐ろしさを察知した。いや、あれはなのかもしれない。美しい女の貌に身を包んだ騎兵ではなく、普遍的なイメージ通りの禍々しい竜。自分の体内から溢れる熱に苦しむあの存在こそ、火の精霊サラマンダー自身なのではないか?

「涼華。貴方は人の姿をしたサラマンダーを倒したのよね。乗っていた化け物は倒した?」

「……殺したわけじゃない」

「なら、あれがサラマンダーの乗っていた敵と見て間違いなさそうね。至近距離にあるものを問答無用で焼き尽くす力、厄介だわ。もし王都へ接近を許せば街が大火事になって滅ぶ」

 私の横を浮遊するネリネの頬を、つうと嫌な汗が伝った。

 少し近づくだけで腕が焼き切れるようなあれは。私の肌には、向こうの炎から一切の魔力を感じ取ることができなかった。

「涼華、頼みがある。あの炎の塊は絶対にここで止めなきゃならない……だから全力を出す。幸い私の魔法は向こうに有利を取れるから、方法はなんだっていい。時間を稼いでほしいの」

 ネリネの頼みを承諾して、私は離れたところに彼女を下ろす。

 煌々と燃え盛る炎の塊。今の魔力と気持ちの持ちようじゃ、きっとアルビオンを制御することはできない。

 しかし、幸いすることは私にもあった。

「私がドラゴンになって時間を稼ぐ。ネリネはその間に全力を使って!」

「了解。あの硬い鱗でも破れるかもしれないんだから、無理は禁物よ」

 ネリネの忠告をしっかりと聞き届けて、私は夜空に雄叫びを上げる。使えるかどうかも賭けだったが、体はすんなり言うことを聞いてくれるようで——私は久しぶりに黒い粒子となって、砂漠を見上げる巨躯に生まれ変わった。

 全身にグッと力を込めて、燃え狂うサラマンダーの残骸を見据える。自らの体をゆっくりと飛翔させて空に上がり、私は勢いのままに急降下した。

 言葉にならない叫び声と共にドラゴンの体が炎を受けて焼けていく。でもこれなら耐えられる。程度から確信した私は羽を畳み、重力に任せて化け物の脳天を突いた。

「アアアアアア!?」

 凄まじい衝撃が頭にまで強く響いて、敵は悲鳴を上げながら辺りに炎の礫を撒き散らす。熱と衝撃と伴うそれを受けて、私の体躯は後方へと吹き飛んだ。

 だが、一向に構わない。この程度なら既にネリネとの戦いで十分に味わった。

 私はすぐさま受け身を取って、お返しとばかりに口から炎の塊を放射する。撒き散らされる礫よりも大きな炎は敵の装甲を引き剥がし、熱で白く光った皮膚を露わにさせる。


 皮膚の剥がれた先にあるのは、明らかな弱点。

 私がすべきことはひとつだけだ。


 黄金の月を背に雄叫びを上げる。

 それが互いの闘争本能を刺激した。

 

 ——今度もまた、守り抜く。

 

 夜が明けるまではまだ時間がある。が、長期戦は魔力が持たない。私はドラゴンの体を奮い立たせ、今度は真正面から体をぶつける。人間の姿、すなわちアルビオンの時とやることは同じだ——結局、相手が起き上がれなくなればいい。

 吹き飛んだ敵の体を空中で捕まえて、獲物を叩きつけるように地面へと押し倒した。

 私は口を大きく縦に開けて、最初の灯火プルミエ・フラムを詠唱する。炎の波となって放たれる魔力の渦は、至近距離で装甲を引き剥がした。弱点が顕になった敵を投げて背後に周り、私は奴を羽交締めにする。魔法発動の準備が整ったネリネに向けて、私は咆哮を轟かせて合図とした。


 合図を聞いた次の瞬間、ネリネの口から言霊コードが完全詠唱された。

「真槍、抜錨」

 それは熱砂の騎士らしい、あまりにも短く完結された完全なる詠唱。解放された槍がネリネの魔力を纏って、美しく輝く海のような青色をした更に長いそれへと変貌する。

 遠目からでもわかる綺麗な佇まいと所作。見るもの全てを魅了するに足る力を伴って、ただ一つの槍は投げられた。

 

大海原に揺蕩う真槍オーツェアーン・ヴァレ・ランツェ


 波が海岸を打ち付けるような美しさと力強さを伴って、槍は敵へと突き刺さる。

 マグマのように熱い本体を紺碧の魔力が飲み込んでいく。炎を水が消すように、世界を海が呑むように。

 攻撃を受けて悶えるサラマンダーの亡骸を掴んだまま、私は背後うしろに放り投げた。

 天敵の槍を腹に刺した敵は、私の与えた衝撃により頭部から顔にかけての装甲全てを引き剥がされて狂乱の悲鳴を上げる。

 瞬間、私の肩を跳躍する者がいた。

「その頭蓋、いただくわ——!」

 体を灼熱に包んでなお、ネリネが進んだ。

 その炎を魔力に作り変えて、ドラゴンの高度を利用して——ネリネの手から、再び海の大槍が放たれる。

 それはあまりに速い一撃。私の肩からネリネが消えたと思った次の瞬間には、敵の頭が粉々に砕け散っていた。

「……熱気が止まった」

 呟きを耳にして、私はドラゴンの姿を解く。敵は炎を失って焼け焦げていた。

 静かな砂漠の中、ネリネは敵に近づいてその灰を掬う。黒い骨粉は彼女の手から崩れ落ちて、地面に降り立つと共に砂へ呑まれる。

 私は彼女の横に立って、物言わぬ砂を見つめた。

 あれが王都に辿り着いては、間違いなく惨状が起こっていただろう。……しかし、胸の靄の正体は本当にこの怪物だったのか?

 言ってしまえば、これはサラマンダーの遺した遺物だ。あの胸のざわめきがなくとも、……手遅れになる可能性もあったが、気付けなくはない事象だった。

 そして、胸のざわめきは消えていない。


 瞬間、私は理解した。

「ネリネ、まだ終わりじゃない!」

 咄嗟にネリネへ警戒の指示を出すも、それより先に凄まじい魔力が私たちを飲み込んだ。

 サラマンダーの熱気でも、話に聞く土の精霊でもない。しかし不意に受けたその一撃は、私たちの肉体に十分すぎるダメージを与えた。

 全身を包む紫色の魔力が霧散する。ようやく状況が理解できると思った矢先、強い痺れが私をその場に跪かせた。

「ネリネ……!」

「まだ、動けるわ」

 ネリネの体にも紫の魔力が巻き付いており、その動きの殆どが封じられていた。相当厳しいはずなのに、ネリネは右腕の拘束を解き、魔法で私の体からその魔力を取り払ってくれた。

「ありがとう。……ネリネ?」

 二人分の拘束を解いたネリネにお礼を言うも、彼女は私の先を見ているようで言葉が返ってこない。

 一体なんだと思って振り返り、その先の景色に私は絶句することになる。

「何、あれ」

 王都から離れたところで、砂が山のように盛り上がっていた。山のように、というのは比喩だけど、その大きさに関してはそれで間違いない。

 その世界に昔から存在する山のように砂が盛り上がって、内から紫の地面が現れた。

 いや、あれは地面じゃない。

 それを覆う砂が晴れたところで、私たちはその巨大すぎる姿に絶句する。

 リザードマン、サラマンダーの残骸。

 彼らとは比べ物にならない。サラマンダー本人でさえ、この巨躯を前にしては霞んでしまう。

 なぜか?


 だってそれは、紛れもなくドラゴンだったのだから。

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