第26話 ファルセット
静寂に包まれた王の間にて。彼が真実を語る前、私は王の間に呼ばれていた。
私たちのことを少しは気に入ってくれたのか、カイザー王はワイングラスに葡萄酒を注いで笑った。
「海の地から取り寄せた品だ、そう飲めんぞ。飲んでみるか?」
「いえ、まだ子供ですから……」
見るからに度数の強そうなお酒を前に、私は苦笑いして遠慮する。
王は残念そうな顔をした後、奥にあった椅子を指して言った。
「座れ。アルビオンの子よ」
私は言われるがままに椅子に腰掛け、改めてカイザー王の方を見る。
謁見の時よりも優しい瞳で、王はまたワインに口をつける。至って自然な流れから、エルフの娘についての話は始まった。
「彼奴から、どれくらいの話を聞いた」
「彼女の誕生と育ての親、今の砂漠に至るまでの経緯を聞きました」
「……そうか。では、俺が臆病な王だという話も聞いているはずだな」
臆病な王。彼はきっと、ヴァンクール以外の前に顔を見せないことを負い目に、自らを卑下してそう言っているのだろう。
確かに、人々の前に顔を見せない王がどれくらい信用できるかと言われると少しだけ怪しい。でも、エルフの都を襲撃した精霊はそれだけ恐ろしかったのだ。無理もないと思う。
王は私の返答を待つこともなく、適当に間を置いてから話を続ける。
「少し話をしてやろう。俺が最も愛した女、ファルセットについて」
◆ ある手記による、謁見で語られたエルフ史の記録
かつてのカイザー・ジャルベールは、エルフの森を守る一人の戦士だった。
平和な世界が流れていく中で、カイザーは仲間たちと飯をかっ喰らい酒を呑み、必要とあれば冷酷になった。
時に、そんな男に春がやってきた。エルフの森で実力を伸ばしていったエルフの女性、その名をファルセット。華の騎士団長という二つ名も持ち、これまでの誰をも凌駕する優秀さで上り詰めた人物だった。
史上最年少の女王の君臨。これはエルフ史以外にも出来事として名を残したので、知る者も多いかもしれない。
そして、女王の即位から数年後に女王騎士団の団長に就いたのがカイザー・ジャルベールだった。
彼曰くファルセットは、「誰よりも綺麗な金髪のいい女」らしい。
これもこの世界のエルフ史やドワーフ史において重要な出来事として絡んでくることになるのだが、当時最高峰のカリスマ性を持つ女性ファルセットと、最強格の実力を持つ男性カイザーが結婚した。
まず、間には一人の子供が設けられる。名をヴァンクール・ジャルベールという。
二人目の子が生まれるまでには時間が空いて、四千年が経過した後の誕生——同年、魔王の支配が開始された、その年に生まれた女の子であった。
生まれてすぐに世の中が乱れたため、この少女の名付けがなされるまでには時間がかかり、多くの人々は彼女の出生を忘れていった。
彼女に関係するカイザー王さえも、魔王軍を退けるため、あらゆる種族との共同戦線に出ることを余儀なくされた。
ヴァンクールも戦いに出て、女王であるファルセットも襲撃される可能性がある。
名もなき彼女は女王ファルセットの無二の親友に預けられ、その手で育てられた。
これは魔王と人類の戦いであって、エルフの森の侵略は二の次である。
つまり、その二の次がいずれやってくるのだ。
しばらくが経過した後、魔王の襲撃はエルフの森にも及ぶようになった。
壊滅状態に陥りかけていたエルフは大急ぎで軍を編成して、
戦いはエルフ軍の惨敗に終わるのだが、決着までには相当な時間が要された。
多くの騎士が殺されてもなお、カイザーとファルセット女王のカリスマがエルフの心を保ったのだ。
何年にも及ぶ争いの最後は、女王の下した苦痛の決断に依る。
出産直後の負担を抱えて、意識が飛びそうな苦痛の中、ファルセット女王は親友と共に戦場へ出た。自らの肉体を魔法で騙し、侵略軍に向けて、勝敗による略奪、虐殺、支配をしないという契り——「最後の戦い」を要求した。
魔王は彼女を英雄と認め、自らの右腕を森へと送り込み、女王および親友との戦いを繰り広げた。
そして結果はファルセット女王の死亡に終わる。しかし、魔王は彼女の言葉を守った。エルフの支配は命じず、必要分回収の後に森を去ったのだ。
そして、親友は生き残った。
名もなき少女が百の齢を迎える頃まで、ずっと傍で彼女を育てた。
カイザー王は王位を継承した。
時々親友の様子を見にはきたが、顔を合わせることは本当になかったと、本人談。
「この子はあいつによく似ている。また、きっとエルフはこの功績を忘れ去っていく。だから、ファルセット。その名前をこの子に託したい」
その時になされた提案こそ、今のファルセット・ジャルベールを定義するものとなる。
カイザー王は快諾し、ファルセットはかくして母の名を受け継いだ。
女王の親友は、ファルセットが百の誕生を迎えた次の日に姿を消した。行方不明だった。
カイザー王にとっては、自分の愛した女の魅力を同じだけ知る人物で、娘を守ってくれる大切な友だった。そんな彼女が消え、カイザーは酷く心を痛めた。
かつて共に戦った仲間もなく、かの孤独な王に残されたのは、あまりに愛おしい我が子だけであった。
ヴァンクールは四千の歳を生きており、既に立派な戦士であった。よって、王が本当に守るべきはファルセットであった。
彼女が戦場に出ることのないように、また、一人で悲しまぬように——エルフの女性との間に三人の子を設け、ファルセットと関わりを持たせた。
戦いを知らず、平穏に育って欲しかった。
カイザーの新たな嫁も、成長した後の弟たちも、事情を理解し、快く応じてくれた。
また、嵐を纏う槍の騎士も既に王に剣を預けていた。
王の想いに沿うように、五人の騎士たちは力をつけた。森が砂漠になる数年前、彼らが四人は髪を赤く変化させた——これこそ、後にデザート・エルフと呼ばれる変化である。
一つの団結を得たエルフは更に強くなり、勢力としての強さを拡大した。
ちょうどその頃、森が砂漠に変わる。
魔王軍との不戦を示す契りが解除され、以前のような争いの態勢に戻った。軍より遣わされたのは、森を砂漠に作り替えた土の精霊——二度目の戦争が始まった。カイザー王は覚悟のもとに戦場へ赴き、誰も死なぬようにと祈りながら戦った。
二度目の敗戦だった。
三人の騎士は死し、王の妃は病死した。
残ったのは二人の子と忠義の騎士。いつも賑やかな食卓は、あまりに空席が目立つようになった。
かの屈強な男といえど、連続するこの苦しみには耐えられなかった。
怒り狂い剣を取るファルセットを止められるだけの力もなく、王は悲しみに明け暮れた。その姿を見せたくないがため、王城に籠って自らの姿をヴァンクール以外に見せずにいた。
娘に対する罪悪の感情で、ただの一言も声を掛けることができなかった。
こうして王は孤独になった。
アルビオンの持つこの手記に刻まれた記録はここで終わっている。
この記録こそ、世界が変わるまでのエルフ史だ。
◇
全てを話し終えたカイザー王は、大粒の涙をボロボロと流して泣いていた。
その様子に、私は驚きを隠し切れなかった。
カイザー王もエルフの騎士も、皆がファルセットを愛していた。それが故の、すれ違いだった。
「俺は初めに何かを間違えた。あまりに決定的で大きすぎる何かを。そのせいで、かつて培ったこの魔力さえなければ、俺はただの臆病なエルフでしかない」
もはや冷酷な王のイメージなどあるわけがない……この人は、娘想いの王様だ。
何も間違えてなどいるわけがない。この人は、自分にできることを精一杯しただけなんだ。魔王に奪われた、間違いなく被害者じゃないか。
カイザー王は溢れる涙を放置したまま、私をじっと見つめて言った。
「戦いには力を貸す。だが、どうかファルセットを頼む……彼奴を失っては、もうこの命も持たぬ」
王の悲壮な顔が私の心を強く突き動かす。
なぜ、土の精霊と戦うのか。
私の中に、もう一つ戦うための理由ができた。
◆
これは、風晴涼華の戦いにひと段落がついた頃、彼女
アルビオンの少女が王の顔を見た日の夜、王都から遠く離れ集落も吸収され尽くし、周囲には砂漠以外の景色がない、まさに九夏三伏の熱砂の中心地。
そこに、満身創痍の生命があった。
「がはッ……、もう持たぬとわかっていながらまだ足掻いてしまうとは、なんとも、醜いモノだ」
血まみれのそれは女の体をしていた。最も、体が女の型をしているだけであり、その生命に人間的な性別はない。
人間ではないからだ。
「土なんぞに支配はされぬ、それが応えるというコトッ」
そこまで言って、生命は激しく咳き込んだ。
火の精霊サラマンダー。
右半身がなくて、どうしてこの生命が存続しているのか。
答えは至って単純である。初めからサラマンダーは自分自身の意で動いていたのではない。彼女の力を超える恐ろしいモノの手によって動かされていたのだ。
しかし、風晴涼華との戦いを通じて、本来目覚めるはずのなかった正気のサラマンダーが現れた。
自分を支配するどす黒い魔力と、人間を認め信じ続ける義の心。背反する二つが
今より彼女が強制されるは、砂漠の奥底に眠る魂を呼び覚ますこと。即ち、秘匿されていた封印を解くこと。
サラマンダーに悲鳴を上げられるだけの体力はない。痛みや苦しみは慣れてしまえば楽なようで、それ故に悲鳴を上げていないのかもしれないが。
火の精霊は大量の砂に向け、自らを縛り付ける紫の楔を叩きつける。
その歪な魔力反応が、世界に存在してはならないいびつな存在を呼び覚ました。
どくん、と。
地の底から何かが起動する音が響いた。
「風晴涼華よ、すまない。……何も果たせずに終わるだろう。だが、いつか、必ず」
枯れた肉体から飛び出した楔が地中と結びつき、既に半身を失ったサラマンダーの体が地面の奥底へと呑まれていく。
一つの生、その終わりが、かつての封印を全て解くだけの贄となった。
サラマンダーは砂に飲み込まれ、いつの間にやら息を引き取った。
それと同時に、砂漠の奥で生命が目を覚ました。
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