第25話 砂漠の王
次の朝がやってきて、着替えと身支度を済ませ終えた頃。早めに起きたネリネが部屋に朝食を持ってきてくれたところから話は始まる。
「ついに今日、王との謁見を約束できたわ。今から一時間後、玉座に直接来なさいですって」
参加を認められたのは私とメリア、熱砂の騎士二人。やはりファルセットの名はそこにない。
こんがりと焼けたパンを一つ、籠の中から手に取って、メリアが提案する。
「ここまでの実績については王の耳に届いているだろう。よって、土の精霊との決戦に向けた話をするべきだと思う」
「そうね。王は全てを背負っているがゆえ、下手な発言が怒りを買う可能性もある。最初は出方を窺いましょう」
私が二人に同意すると、ネリネさんが籠を私に回してくれる。
王城の食事というだけあって、パンの一つ一つにも砂漠なら貴重に思われる食材がたくさん入っていた。
甘い匂いのするパンを口に運ぶ。嗅覚に沿う味が口に広がり、寝ぼけた頭を刺激してくれた。
「私たちは砂漠を救うためにここにいる。この謁見を成功させて、早く世界を救いに行こう」
はやる気持ちをぐっと堪えて、私は二人の方を見る。メリアとネリネは、真っ直ぐかつ穏やかな目で視線に応えてくれた。
「もちろん、そのつもりだ。一歩たりとも退く気はない」
「同じ考えよ。この砂漠を救うことは、貴方たちの仲間として、最後の騎士としての務めだもの——」
三人の視線が交差する。
来たる王との謁見に向かって、私たちは着々と準備を進めた。
厳粛な雰囲気に包まれた王の間。兜で顔を隠した無数の兵士が玉座を守るように並んでいる。
聞いていた話と違う顔ぶれが玉座にいて、はじめに驚いたのは言うまでもない。どこか裏切られた気分だった。
顔を鉄の面で隠したヴァンクールに引き連れられて、私たちは王の前に辿り着く。
「我が王よ。竜の子の一団を連れて参りました」
開口一番、ヴァンクールは私のことを「竜の子」と称した。彼の言葉に対して、騎士の間にざわめきが広がったのは言うまでもない。
一体何から始めるべきか。もう話し始めてしまっていいものか。
戸惑う私の様子を察してくれたのか、言葉に覇気を込めてネリネは代弁を務めてくれた。
「この者は世界に生まれ堕ちたばかりにつき、どうかご無礼をお許しください。騎士ヴァッサヴァールの名において、ここに謁見の開始を要求。同様に、この者らの前に姿を見せていただきたく存じます。そして」
他の騎士よりも彩りと輝きを誇る鎧を身に纏い、ネリネは王の前に跪く。
王がネリネの反応を待つので、それにつれて場も厳粛さを取り戻していく。
決めた計画に沿って、ネリネは重要な切り札を場に投げた。
「この謁見、ひいては最後の戦いを以てして——この私を熱砂の騎士より解任していただきたい」
途端にざわめきが広がった。
兜の奥で顔を様々に歪めながら、エルフの騎士たちは口々に異議を唱え始める。
「ヴァッサヴァール卿は一体何を血迷っているんだ。そんなこと、許されるはずが」
「あれなる竜の子にそれだけの価値があるとでも言うのか。見る限り魔力も平均的では」
ただでさえ兵が少ない現状で、主戦力である熱砂の騎士が一人いなくなる。その影響の大きさを考えれば当然のことで、この場が荒れるのも予想できる。
しかし、最初は他に誰もいないと思っていた。私たちにこの場を上手く鎮める手立てはなく、ざわめきを制するだけの力も持ち合わせていない。
メリアに助けを求めてアイコンタクトをとってみるも、微妙な反応が返ってくるだけだった。
「ッ……」
まさにその瞬間、王が口を開いた。
「高貴な一騎士の決めたことに口を出すな。そして、この騎士の連れる者は我が来客である。無礼は叛逆と心得よ」
ベールに覆われた王の影が立ち上がり、突き刺すような魔力が私に襲い来る。
強い。彼の口から発せられる言葉には、恐ろしいくらいの重みがあった。
「ヴァッサヴァール卿よ。無粋ではあるが、理由を問うておこうか」
「竜の子と嵐の子。彼女ら二人と共に、かの魔王を斃す旅に出ると決めたが故です」
巨大な魔力を前にしても、ネリネは怯むことなく王を見据える。その碧い眼には海のように深い力が込められていて、横にいてくれるだけで凄まじい頼もしさを覚えた。
「貴様にそこまで言わせる何かがあるのか。……いいだろう。これより先は我が呼びし者のみが残れ」
王の一声で、顔を隠した相当数のエルフは列を作って次々に消えていった。
開始から数分で、玉座の間は私とメリア、ネリネ、ヴァンクールと王の五人だけになっていた。
「我が臣下が失礼を働いたな。許せ」
王が指を鳴らすと、鉄面に顔を隠した熱砂の騎士が白いベールの幕を上げる。
奥から現れたのは、紅の髪と黄金の瞳を携えるエルフの王。全身を黄金の装飾で彩り、碧いマントを身につけるその者は、豪華な装いでも隠しきれないほどの筋肉と魔力を所有していた。
一眼でわかる。
この人は持つものの次元が違う。
「我が名はカイザー・ジャルベール。九夏三伏の熱砂にてエルフを統べる者だ」
ヴァンクールによく似ているのに、持つ気迫も何もかもが圧倒的に違う。視線さえ魔力を孕んでいて、目が合うだけで黄金の魔力が流れてくる。
あまりの強大さに、私は呼吸を忘れていた。
メリアが静かに私の背を摩ってくれる。そうだ、深呼吸……今からこの人と話すんだ、落ち着いて。
「まずは火の精霊の件について触れておこう。よくぞあの竜を退けたな。後に褒美を使わす。受け取るがいい」
カイザー王は戦士らしき力強い笑みを見せた。
彼は私たち一人一人に目をくれた後、ゆっくりと玉座に腰掛けた。
「要件を聞くとしよう。それだけの実力がありながら、この都に貴様らは一体何を望む?」
「私たちは各々の目的のため、——私は全ての人を救うために。魔王に戦いを挑みます。よって、この先を支配する土の精霊も打倒するつもりです。しかし、相手の力量を見誤りはしません……今の私たちでは足りない。砂漠の中でも屈せず戦う、勇敢なエルフの力を貸していただきたい」
失礼のないよう意識的に言葉を選んで、されど格下と見られないように。私はできるだけ丁寧に要件を述べた。
王と会うのが少し早かったら、もし行動を焦っていたら、私たちはこの申し出をすることなどできなかっただろう。
この砂漠を救った実績。それが運命を大きく変えた。
「大したものよ。魔王の討伐が偽善か否か……それはさておき、貴様らの蛮勇は好ましい」
「私たちには運命を変えるだけの力がある。もし力をお貸しくださるなら、必ずや土の精霊を討伐すると約束しましょう」
丁寧かつ大胆に、メリアは私たちの強さを補償すると言った。
茶髪の少女をつまらなそうに見つめた後、カイザー王はヴァンクールの注いだワインを口にした。
「嵐の女。名をなんと?」
「メリア・アルストロと申します」
「アルストロ。また妙な姓の者が現れたものよ」
その姓を反芻し、カイザー王はワインに二度めの口づけをする。
メリアは敬服した様子で、言葉の気品を忘れずに頭を下げ、王の返事を待った。
「土の精霊の強さを知らぬ訳ではあるまいな。その化け物を相手に、数百の命を背負って戦う覚悟があるか?」
カイザー王の顔が一変する。
悲壮と怒り、侮蔑と期待。その微妙な表情には、あらゆる感情が秘められていた。
わかっている。
土の精霊は恐ろしく強い。実力者であったはずのエルフの騎士が、——ネリネもヴァンクールもいたのに、土の精霊を倒すことができなかったのだから。そんなこと、わかっている。
でも、だからと言って諦めるわけにはいかない。私はファルセットの想いも背負って王の前に立っているのだ。協力を得られるまでは絶対に退かないと決めている。
私たちは魔王を倒す。一国の王相手に怯えているわけにはいかない。
「たとえ何が起こったとしても、一人になっても私は諦めません。戦友と約束しましたから。この世界を、救うって」
絶対に諦めない。心からの意志を目に込めて、目の前の
私たちは微小な魔力が伴った視線を交える。無限に続きそうな沈黙の中で、空気を熱波が揺れ動いた。熱を帯びた魔力が私の体に入り込んできて、思わず脳がぐらりと揺れた。
「我が王よ。竜の子が諦めることは決してありません」
王の横にいる騎士が声を上げた。
「貴方がいるのですから。そうでしょう? 我が友よ、我が同胞よ」
サー・ヴァンクールが視線を送った先は私ではなく、いつの間にか私の横に立った少女——メリア・アルストロだった。
私が受ける魔力の半分を請け負って、メリアは王に目を送った。
「ええ。涼華が一人になることも、諦めることもありません。ここに私がいるのですから」
「その通りです。我々には全ての命を背負う覚悟がある。生半可な善意など捨ててきました」
……メリア。ネリネ。
仲間のまっすぐな一言が、場の空気を一気に変えた。
カイザー王はヴァンクールを一瞥して、私たち三人をそれぞれ見つめた。
「年端もいかぬ少女の覚悟とは、到底思えんな。気に入った。このカイザーが名の下に、軍の編成と協力を検討してやる」
王は不敵な笑みを浮かべて、向ける視線から魔力を解いた。
カイザー王もヴァンクールも、曇りのない笑みを浮かべていた。
「よ、よろしいのですか? 王よ」
まさか一度で説得が成功するとは思っていなかったのか、メリアは驚いた様子で王を見上げる。
「我が二本の刃が絶賛する者だ。それにこの目でも見た。これ以上の判断材料があると思うか?」
カイザー王は不敵に笑んだ。これまでの笑みとは一味違うそれが示すのは、間違いない。
謁見の大成功。それは、新たなる戦いの幕開けを意味していた。
「熱砂の騎士の解任は、その名が成立しなくなった時。あとは言わずともわかるな?」
彼らの暮らす世界を熱砂から救え。
遠回しに伝えられた激励の言葉には、王からの絶大な信頼が込められているように感じられた。
場の空気が落ち着いたところで、私はネリネとメリアにアイコンタクトを取る。
今この王が認めたのは、私たちの戦いについて。
まだ、私たちの友の戦いを認めてもらっていない。
「王よ。私は貴方に出会う前、ファルセット殿と知り合い、友となりました。彼女の無二の友として、無礼を承知でお聞きしたいのです。貴方が彼女を避けるのは、一体何故でしょうか」
王の顔色がみるからに変わった。
それは激昂ではない。が、奥底には何かピリつくものを感じる。ただの威圧でないことは肌が感じ取った。
「ファルセットと知り合ったか。何故、他人の貴様が知りたがる」
「共に戦うことを約束した、背中を預ける友だからです。精霊を倒す旅には、彼女こそ欠かせない」
私を見るカイザー王の瞳には、何か複雑な感情が渦巻いているようだった。
しかし、先ほどよりもわかりやすい。
黄金の瞳は、今にも零れ落ちそうな揺らぎを伴っていた。
そして、私たちは知ることになる。
エルフの真実。孤独に一人苦しみ抜いた、孤独な赤い王の話を。
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