第24話 千年前の君へ


 ◇


 千年前。

 私から全てを奪い去った魔王が世界に君臨した、最悪の年からファルセットの話は始まった。

「まず、私は母親の顔を知りません。我が王がまだ戦士として戦っていた頃、彼女はエルフの女王だったと聞きます。……リザードマンやドワーフとの争いが絶えない中、お母様は絶大な信頼を抱くヒトに私を預けたそうです」

 王の身分に関してはともかく、親を知らないというのはこの世界ではよくある話だ。一度目の誕生日を知らずに亡くなる子供も多い。

 ファルセットは眉一つ動かさず、その話が他人事であるかのように淡々と続ける。

「お母様、すなわち先代女王は強い人でした。魔王が全世界へ宣戦布告を開始するまで、エルフの森に侵入できた者は只の一人もいませんでした。……しかし」


 魔王の手によって、栄華を極めた巨大なエルフの森は七割が焼失した。

 その時、ファルセットの母親も殺されてしまったそうだ。

「我が王もお兄様も戦う身であったため、私の引き取り手で少し揉めたようでした。ですが、私を最初に預かってくれた人が、私が百年を生きる頃まで育てると決めてくれたのです」

 そこで初めてファルセットの顔色が変わった。昔を懐かしむような遠い目だった。

 それを見て、自分がネリネに救われた時のことを思い出した。

「魔王の支配が確固たるものになっても、エルフの森はここ数年まで森のままでした。ですから、昔から『熱砂の騎士』が存在した、とは少し違うのかもしれませんね。……王はお母様の死後、別の女性との間に三人の子を設けました。それが国を守る騎士となったのです」


 ファルセットの声色が暗くなっていく。

 ——かつての熱砂の騎士は五人。

 彼女が抱える弱さを悟った。


「はじめに騎士団が整備された時、王は団長を五人求めました。ヴァンクールお兄様と、異母兄弟にあたる弟三人。彼ら四人が選ばれたのは言うまでもなく。

 ……残る一人に選ばれたのはネリネ殿でした。肝心の私は、熱砂の騎士が二人になった現在いままで、戦いの場に立つことを許されなかった。

 どれだけの時間が経ったかは覚えていません。次に私が城の外に出た時にはもう、土の精霊の手により弟たちは殺されていました。森が砂漠に変えられたのも、大体その頃だったと思います。

 しかしその状況でも、私は王に受け入れられなかった。王はヴァンクール卿を頼り、他の者の前には滅多に姿を見せなくなりました」


「……私は土の精霊が許せぬのです。たとえエルフに受け入れられずとも、あの人と過ごした森は宝物でした。だからこそ、絶対に私の手で打ち取らなければならない。森を取り返さなければならないのです」


 それきりファルセットは喋らなかった。

 語るべきことは全て言い切った。これ以上、聞くのはやめてくれ。そう訴えているような沈黙があった。

 

「……育ててくれた人は」

「死にました」

 遠慮がちに問うた涼華に対して、ファルセットは食い気味に答えた。

 いつまでも前線に立つことを許されず、兄弟の最後すら見届けられなかった戦士、ファルセット・ジャルベール。果たして彼女は、涼華の目にどう映ったのだろうか。

 真っ向から冷たい返しを受けた涼華だったが、彼女の暖かな灯火がその程度で消えることはない。


「……話してくれてありがとう。たぶん、私が何を言ったとしても、キミの苦悩の助けにはならないし、感想なんて他人が好き勝手に述べていいものじゃない。だから私は、キミの勇気に報いるために戦うよ」

 

 私の心を稲妻が撃った。

 涼華が他者を傷つけないことも、その言葉が誰かを救うこともわかっていた。しかし、今の涼華が返した答えは、一人の少女のものではない。立派な戦士のそれだった。


「そう、ですか。ふふ」

 ファルセットはぎこちなく笑んだ。

 風晴涼華にしか捌けない力強さが私の心を撃ったように、ファルセットの心が射抜かれたのは一眼見れば明らかだった。

「……調和の取れた方々ですね。王はきっと、お二方のことを認めてくださるでしょう。これは嫌味でも嫉みでもありません。ですからどうか、私と共に今後も戦い続けてほしい」

「うん。この四人の誰一人として欠けることなく、土の精霊を討伐しよう」

 涼華のお陰でこの話はうまく帰着し、必要以上に誰かを傷つけることはせずに済んだ。

 ふと窓の外を見れば、いつか見たような平穏な景色がそこにある。

 冒険の始まりから、相当な時間が経っているようにさえ思えてきた。



 夜の帳が降りてきた。 

 ネリネとファルセットの厚意で、私たちは浴場を借りられることになった。旅の間に湯を浴びれるというのは珍しいことで、浴場を使って体を洗うなど滅多にできることではない。

 一度だけ、幼い頃に入った以来だったろうか。

 二つある浴場を貸し切って、私たちは二人ずつに分かれて使うことにした。

 私とネリネが一緒だった。

「ネリネ、キミはいつもこんなに大きなところで体を?」

「んー、時と場合によるかも。水属性だと、自分で魔法を浴びるだけで汚れの大半は落とせちゃうし」

 ネリネは迷う素振りなく湯の一つを選び、そちらに向けて視線を送った。

 あまり入らないと言う割に、ネリネの所作には慣れと余裕が溢れているように見えた。

「えっ、と……」

 どう使えばいいのだろう。人が二人で入るにはあまりに大きすぎて、どこで何をすればいいのかわからない。

 戸惑う私の背を押しながら、ネリネが目の前の湯の塊を指して言った。

「あのお湯に入るのよ。ふふ、そんなに身構えなくてもいいのに」

 ネリネに促され、私は湯の塊——湯船というらしい、に体を沈めた。

 ほのかな温かみが全身に広がって、これまた不思議な感覚に包まれる。

「どう、気持ちいい?」

「ああ、絶妙だな。この水源は一体どこから?」

「昔のにね、お風呂が大好きな騎士がいたの。砂漠になってから土の精霊が来るまで、少しの間があったのだけれど……彼ね、魔力さえ注いでおけば、お湯を綺麗にして循環できる装置を作っちゃったのよ」

 言霊コードを上手く利用して水のイメージを組み直し、新たな湯として生成することを繰り返しているのだろうか。確かに、敵との戦いが多いエルフの世界ならば、王都くらいは気分を換える場が提供されるのも納得がいく。

 同時に思うこともあった。

「そうなんだな。エルフの王は、子想いのように聞こえる」

 湯船にほぼ全身を沈めて、私は小さく呟いた。

 ネリネはどこか儚く、遠い目をして言葉を返した。

「ええ、私もそう思う。だって浴場を減らす素振りも見せなければ、増設までしちゃったんだから。自分の子が全力で作ったモノ、忘れたくないのでしょうね」

「ネリネはその、王のもう一人の奥方を知っているのか?」

「うん。でも、女王と違って平凡で病弱な人でね、だいぶ前に病気で。……ま、この話は終わりにしましょう? せっかくリラックスと健康のために入るんだもの、楽しい話をしましょう」

 なるほど、健康のため。

 心が安らぎそうな話題を思いついたので、ネリネの方に少し近づいてから訊いてみる。

「そうだな。では私から一つ聞こう。これから旅をするなら、どんな景色をキミは見たい?」

 意識せずとも目に入る綺麗なそれを軽く揺らして、ネリネは決まっていたかのように答えを告げる。

「皆と海が見たいかな。全てが終わったその時に、暮れの海が見たい」

「……海か、いいな。とてもいい」

 幼い頃に義兄から聞かされた、大英雄の冒険譚。その最終節に海が出てきたことがあったか。

 飴色の昔に想いを馳せて、私は同意を呟いた。

「シュラハトから聞いたの?」

「うん。絵で見たことがあるだけだが、とても懐かしく感じるよ」

 私はネリネの方に身を寄せる。肌と肌が触れ合った。

 この砂漠で再開する前、最後にネリネに会ったのはいつだったろうか。シュラハトを失って傷心していた頃だったか? 当時の記憶は曖昧だが、ネリネが傍にいてくれた、それだけはハッキリしている。

「……だからこそ、皆で海を見たい。ネリネと涼華、そして、これから出会うであろう皆で」

「ええ。どんな世界が待ち受けているのかしらね」

「きっと最後には、最高だったと笑える旅になっているよ」

 私たち二人では余るくらいに大きな浴場で、遠い未来の話をする。

 出会う仲間、行く街の数々。その一つ一つに想いを馳せて、私たちは心身を休める。


 こんな日がまたあればいいのにと、強く思う夜だった。


 ◇


 隣の風呂場が動き出す頃、私たちも入浴していた。

 冬休みに友達と出かけた温泉旅行、そんな感じの大浴場に、できる限り丁寧に入浴する。

「涼華殿、どこかで浴場を使われたことがあるのですか?」

 あまりに綺麗な肢体を持つファルセットが私の隣に座って問うてくる。

「前に一回。湯船の文化、エルフにもあるんだね」

 彼女の話によれば、風呂が好きな熱砂の騎士が昔いたらしい。

 そんな歓談を少し続けた後、自然な流れでファルセットは話し始めた。


「先ほどはありがとうございました、涼華殿。これまで身の上話をしたことは何度かあったのですが、多くの方が私に同情して、憐憫の目を向けられるばかりでしたから」

 私は想いを汲み取って、傷つけないように言葉を選んでいるだけ。大したことじゃないけれど、感謝してくれる人がいるのは嬉しいことだった。

「人が誰かを憐れむのは、自分が当事者じゃない時だと思うんだ。私はファルセットと同じ目線でいたい。だからキミに寄り添うことを大切にしたいんだ。これからも一緒に戦ってくれれば十分だよ」

 ……メリアらしく言ったつもりだったけれど、伝わっただろうか。

 ファルセットは呆気に取られた様子で私を見つめた後、少しだけこちらに寄ってきた。

「嬉しいです。私は貴方を、友と呼びたい」

「もちろん。これから先も、よろしくね」

 その後は、友達らしく他愛もない話をして、冗談を言い合ってひとしきり笑った。

 これまでの旅の中でも、五本の指に入るくらい尊い時間だった。


 この夜を、私が忘れることはない。

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