第23話 アルビオン

 アルビオン。

 私が宣言したまさにその時、一条の光がサラマンダーを貫いた。それは天を駆け雲を吹き飛ばし、青空という天蓋さえも簡単に切り裂いて消滅する。

「はーっ、はーっ……」

 魔力の反動で手の感覚がない。止め処なく溢れてくる煙と晴れた空は、私が戦いに勝利したことを教えてくれた。

 サラマンダーの姿は見えなかった。魔力をごっそり奪われてしまった今の私にそれを気にする余裕はなかった。

「あ」

 ふらっ。体が揺れて視界が後ろに流れていく。

 体がとても軽い。翼がなくなった。右腕の熱が霧散して、手袋を脱いだ時みたいな、言葉にしがたい喪失感に包まれる。

 視界が砂漠へと向かっていく。この高さから落ちて、生きていられるかな……。

 脱力感と疲労が私の意識を一時的に奪い取った。



 そして、エルフのももの上で私は目を覚ます。

 視界に広がるファルセットの顔で、私は膝枕をされていたのだということに気がついた。

「ありがとう、涼華殿。貴方のおかげで王都を守り切ることができました」

「……うん。でも、私だけの力じゃないよ」

 アルビオン。頭の中に浮かんできた言葉であって、その意味は知らない。しかし、サラマンダーを止められたのは、私の中から溢れ出したドラゴンの力と、この言霊コードがあったおかげに違いなかった。

 私は一度頭の中を切り替えて、共に戦った盟友のことを想起する。

「ところで、メリアは」

「この辺りのどこかにおられます。重症でしたから、ネリネ殿が大急ぎで」

 そっか、と私は弱々しく言葉を返した。

 同時に溢れてくるのはネリネと話したいという思い。結局戦いでは別々になっちゃったし、サラマンダーと一人で向き合って疲れてしまったのだろうか。あの優しさが恋しかった。

 目的を定めた気になってぼうっとしている私に対し、ファルセットは穏やかな様子で声を掛ける。

「涼華殿、魔力切れの最中なのに無理はなさらないでください。ここは私の部屋ですから、私以外に入ることのできる者はいません。遠慮せず休んでください」

 纏まらない思考のままファルセットの奥にある景色に視線を投じる。豪華な天井や壁の装飾から、ファルセットが王の娘であることを思い出した。

「我々が全魔力を投入して治療するとして、お二方が揃って完全復帰するのには二日ほど要するでしょうか」

「ありがとうね。そこまで面倒見てくれて」

「何を言いますか。もし涼華殿がいなければ、私たちは全滅していたことでしょう」

「……気持ちは受け取ったよ。ファルセットとヴァンクール、ネリネが私たちを信じてくれたから、今回はうまくいったんだ」

 ファルセットは言葉の代わりに小さく笑んで、私の髪をさらっと撫でた。

 ひとまず休め、ということなのだろう。

 ベッドがあるのだから枕を使えばいいものを、無遠慮にも私はファルセットの膝の上で深い眠りについてしまった。



 想定通りと言うべきか、私が目を覚ましたのは二日後だった。

 何か長い夢を見ていたような、そんな気がする。

 真っ赤な西日で起きた私をはじめに襲ったのは、のしかかってくるような倦怠感。この時は二日も寝ていたことを知らないので、私は眠ったのに動かない体に辟易していた。

「ファルセット……いないか」

 毛布を剥いで姿見で自分の様子を確認し、ポニーテールを結び直してから手元を確認する。宿屋に置いたままの筈の私の荷物が部屋の一角に全て纏められていた。

 一番上に乗っていた手記を開いて、続きのページに文字を書き出す。

「今日で何日目だったっけ」

 私が疑問を口にすると同時、旅の開始からの経過日数が手記の左上に刻まれた。

 相変わらず不思議なノートだなあ、などと思いつつ、私は続きを自分の手で書いていく。


『王都を襲撃した火の精霊、サラマンダーと激突。戦友ファルセット、メリアがやられた中で、不思議な力が目覚めた。アルビオンという魔法は、一撃で相手を消し飛ばした。本当は倒したくなかったけれど、サラマンダーを止めなければならなかった。どこかで無事でいてくれれば、なんて思ってしまう自分がいる』

 

 誰にも語れない心の内を書き記して、私は手記をそっと閉じた。

 他の荷物はひとまず置いたまま、手記だけポケットにしまって私は外に出る。

 

 とりあえずファルセットを探そうと、隅々まで手入れのされた豪華な廊下を適当に歩いた。王の娘だけあって、部屋は特別なゾーンに隔離されているのだろうか——しばらく歩いてもエルフの騎士や階段には辿り着かない。

 十分に満たない時間を歩いたところで、私は後方に押されて尻餅をついた。

 顔を上げた先にいたのはメリアだった。

「っと、涼華か。キミも目が覚めたんだな」

「今起きたばっかりだよ。ここは?」

 メリアも寝起きなのだろうか、少し汚れた自分の体を気にしながら首を捻った。

「私にもわからない。空き部屋を借りたのだとネリネから聞いていたから、出てみたところでキミとぶつかった」

 二人揃って迷子ということらしかった。

 この階には誰もいないと説明して、私たちはメリアのいた階へと引き返す。


 ゆっくりとした足取りで城の中を歩きながら、私たちは戦いについての話を始めた。

「どれくらい寝ていたかに関して確証が持てないから、そこは一旦省くとして。……あの時はありがとう。キミが私を守ってくれたこと、ネリネとファルセットから聞いた」

「でも、メリアがやられてようやく百二十%を出せたんだ。だから、一人の力なんかじゃない」

「うん。たとえそうだったとしても、私を守ってくれたのはきみだよ、涼華」

 元はと言えば、私が臆病を晒したせいでメリアは怪我をしてしまったのだ。にもかかわらず、彼女は私を糾弾せず、さもなかったことのように語ってくれる。

 変わらずの優しさが今は嬉しくて、今度はあの力をすぐに発動できるようにしたいと強く願った。

 ありがとう。お礼を小さく口ずさむ。

「怪我はもう平気?」

「ああ、皆が治療してくれたお陰だ。何はともあれ礼を言いたいのだが……む、あれは」

 何かを見つけたらしいメリアについていくと、私を軽微な魔力が包む。先ほどメリアが私のいたフロアに来たのと同じ方法で、私たちは空間を転移した。

 魔法を抜けた先には二人の友が立っていた。

「ファルセット、ベッドをありがとうね」

「ネリネ。キミには迷惑をかけた」

 軽装に身を包んだ二人が快く出迎えてくれる。

 私たちはそれぞれが面倒を見てもらった方にお礼を言って、ひとまず客室らしき場所に連れていかれた。


 中に入ってから、私とネリネさん、メリアとファルセットがそれぞれ向き合うような形で座った。

 縦型の窓、その先に見えるのはエルフの騎士たちの姿。彼らの中でも一際強い輝きと共にヴァンクールもいた。

「起きたばかりでごめんね、二人とも。サラマンダーとの戦いで何があったか説明してくれる?」

「うん。知っての通りだとは思うけど、まず——」

 

 ここでの会話の前半部分に重大なものはなかった。

 何かに取り憑かれたように暴れるサラマンダーにメリアが倒されて、怒った私が新たな姿で撃退したこと。

 取り立てて語るべきはそれだけだったが、同じドラゴンの姿を隠し持つネリネにとっては相当な重みを持つ情報になるようだった。

、ね」

「ネリネ殿、知っているのですか?」

「ええ。話すと少し長くなるから、今は割愛させてもらうけど。涼華。貴方が持つその力は他人の比にならないくらい強大なものよ、喜んでいいわ。まさか黒い体を持つ貴方が、この世界で……いえ、なんでもない。…………とりあえず、欲しかった『最大限の火力』は追加できたのではなくて?」

 意味心中な発言に多少気になるところはあったけれど、大体ネリネさんの言う通りだ。

 先の戦いで全てが終わったわけではない。火の精霊サラマンダーを退けた先に本来の目的、土の精霊との戦いがある。

 敵の軍勢を少数で倒すための武器はこれで揃ったと言えるだろう。

「王も謁見は快諾してくださるでしょう。お兄様は今日の晩に戻って来ますから……その際に伝えてみることにします」

 ファルセットがそう言ったところで、メリアがおずおずと手を挙げた。

 全員の視線が躊躇いを含んだメリアに集中する。

「一つ聞きたいことがある。キミを傷つけぬよう注意するが、受け入れてもらえるだろうか」

 柄にもない所作を彼女が選んだのはこれが理由だったらしい。

 心の内に秘めた遠慮を察してくれたのか、ファルセットは深く頷いて質問を待った。

「……口ぶりから、エルフの王と連絡が取れるのはヴァンクールのみだという風に聞こえる。キミは、その、王との関わりは濃いはずだ。王が繋がりを制限しているのには、何か理由が?」

 ファルセットは沈黙を保ったまま、メリアをじっと見つめていた。

 王と彼女の関わりはきっと、話すことを渋っていたエルフの真実にも大きく関わることなのだと思う。

 たとえ信頼は得られておらずとも、サラマンダーを退けたことで信用は得られたはずだ。

 

 私が彼女の意思に全てを委ねたところで、ファルセットはつぶやいた。

「わかりました。王にお会いするのであれば、私から真実を語る必要があるのも道理です」

 その顔には迷いがなかった。覚悟を決めた騎士の顔だった。

 風がゆるりと窓を叩く。

 流れに任せるようにふんわりと、ファルセットは口を開いた。

「我々と精霊の因縁を話すのなら、そう。私が生まれた時代に遡らなければなりません。この九夏三伏の熱砂が一面の緑に包まれていた頃、すなわち、世界が色彩豊かな桃源郷だったとき。それはちょうどのことでした」

 千年前。

 その数字は、メリアが忘れることのない数字。

 私たちが忘れてはならない数字だ。

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