第21話 魔法大戦

 サラマンダーの体のあちこちには返り血が染み付いていた。リザードマンを殺してきただけにしては血の量があまりに多すぎる。この者が何をしてきたのかを悟るには十分だった。

 醜悪な笑みを浮かべて、竜は答えを示す。

「王都に来る前に前菜は戴いた。悪くなかったぞ」

「……まさか、貴様。エルフの集落を既に潰してきたのか」

 サラマンダーの乗るが更に一歩足を進ませた時、リザードマンの肉が引き摺られる嫌な音が聞こえた。

 いくらなんでも、こんな仕打ちあまりにも酷すぎる。思うのとほぼ同時、私は声を荒げていた。

「何で……何のつもりで、自分の部下まで殺すんだ!」

 あまりにも冷たい嘲笑が返ってくる。

「はっ。石ころ一つを注視する者がどこにいる?」

 石ころ。かつて善良だった種族を捕まえて自分のいいように改造して、それでいて石ころと、この女はそう口にしたのか。

 私の中にふつふつと、とても抑えることなどできない大きな怒りが込み上げてきた。

「涼華、もういい。こんな者の言葉は聞くな」

 諭すように言うメリアだったけれど、相当に怒っているのは顔を見れば明らかだ。

 戦場の中心に開戦の合図など無かった。

 私が右手を振り翳して、メリアがサラマンダーに飛びかかる。

 魔力が放出されたその時にはもう、目の前で魔法大戦が始まっていた。


 全身に雷霆の魔力を流して、メリアはあまりに疾い先制攻撃を仕掛ける。右腕に生成された巨大な雷の塊が人間の皮を被ったサラマンダーに直撃する。

 私もメリアの動きに合わせ、拳の到達点目がけて全力の炎を解き放った。

 手応えありの一撃だった。にもかかわらず、煙が晴れた先には無傷のサラマンダーがいた。

「なっ……!?」

「その程度で先陣を切るか。いや、この程度故に捨て駒なのか」

 私の炎はサラマンダーの手によって防ぎ切られ、メリアの拳はその顔面で止まったまま。

 何一つ攻撃が通っていない証拠だった。

「返してやろう。拳とはこう穿ち」

 ぐるん、とメリアの体が一回転する。人間の体が蛇口を捻るように宙を返った。

 直後、サラマンダーがメリアの顔面を捉えた嫌な音が耳に届く——。

「ッ、あぐっ、あぁっ」

 呻き声が聞こえてようやく、戸惑う私は理性を取り戻した。

 僅かな油断、それがいけなかった。

「炎とはこう放つ」

 私の足元から炎の柱が巻き上がった。

「う、あ……!」

 熱い。私が放ってきたどんな炎よりも熱い。こんなに強い炎の魔法、どうやって抑えられるだろうか。

 火焔と熱気が消え去る頃には、私はかなりのダメージを受けていた。しかし、ただ炎を受けただけで後ろに吹き飛ぶものなのだろうか。私の顔面を一際強い衝撃が打ち付けた後、視界には焼けた空が広がった。

 

 サラマンダーの乗る化け物の尾に打たれたのだろう。痛い。でも、その瞬間には思ったより言葉が出てこないみたいだった。

 

 気を抜けば意識だって簡単に飛んでしまいそうなくらいの衝撃が、頭のぐらつきとなって何度も襲ってくる。

 

 涼華、そう私の名を呼ぶ声がある。口に混ざった砂利と血痰を吐き捨て、震える体で私は両手足に喝を入れた。

「大丈夫、まだ立てる。メリアこそ平気?」

 顔についた血を拭って、メリアが私の横に並び立つ。

 この程度で倒れるわけにはいかないと、いつも通りのクールな声が更に力を与えてくれた。

「負けないよ。これが私最大の取り柄だからな」

 私は敵を睨みつける。

 

 今の一撃でサラマンダーの実力が相当に高いものだということは理解できた。

 単純に戦うだけじゃダメだ。今の私が持っている魔法だと攻撃にはならない。炎相手に通る炎を出すのは、今の私の魔力では難しいだろう。

 考えろと自分に命じる。何かこの状況を覆せる魔法を思いつけ。一陣の風ガストみたいな汎用魔法を転用すれば、風属性じゃなくても炎の魔法が使えるはずだ。

「はっ、はっ、はーっ」

 喉が熱い。呼吸ひとつひとつが焼け爛れそうなくらいに熱を帯びていた。

 サラマンダーと戦うには地上戦じゃ分が悪い。人間の体が熱に耐えられない。耐えられる場所があるとするのなら——空。

 私はメリアの名前を呼んだ。

「飛ぶよ!」

 背中に空を飛べるだけの巨大な翼をイメージする。これまでに何度か空を駆けたような、とても大きなドラゴンの翼を想像して、私は言霊コードを詠唱した。


勇気の竜翼ムート・ドラッヘ


 ごっそりと魔力が持っていかれて、背に巨大な翼が現れる。私はダッシュでメリアを抱えると、全力で空に舞い上がった。

 空を見上げるいくつかのリザードマンとサラマンダーの姿が目に入る。上から特大の一発を喰らわせることができれば、戦況は大きく好転するはずだ。

「メリア、ここからでも届く大技ってない!?」

「持ち合わせているが、切り札を一つ切ることになる。やるからには全力でアシストをお願いしたい」

「わかった。いつでも任せて!」

 私の言葉に応えるように、メリアは懐から魔道具を取り出して、力のままに叩き割った。


 ——そして、次の瞬間。

 荒れ狂う台風のような莫大な魔力が爆発した。

「この塊をサラマンダー目がけて撃つ。相当な反動が返ってくるから、キミには全力で踏ん張ってもらいたい」

 素早く覚悟を決めたメリアは、もう止まらない勢いで指先をサラマンダーの方に向けた。

 私はメリアが打ちやすいように気をつけて、素人ながら角度を調整する。嵐の如き魔力が増幅するにつれ、私の心を纏う期待はより大きなものとなる。

 指示を受けながら数分程度、確実にサラマンダーを仕留められるように動き回った。

 サラマンダーの方が私たちから意識を外した。

 今こそが狙い目だ。

「調整完了、いつでもオッケー!」

「承知!」

 メリアの指先に溜まった魔力が一点に結合し、形を変え、眩い矢となって具現化する。

 私がその体をしっかり握ると同時、彼女の声が砂漠中に響き渡った。


嵐の王、祖の銃撃バル・ティフォン


 文字通り体が吹き飛ぶような、全身が爆発するような、とにかく凄まじい一撃だった。

 激しい雷霆が空を切り裂き、サラマンダーの反応を遥かに超えて直撃させる。周辺まで無差別に吹き飛ばしてしまったかもしれないが、巻き上がった煙の量が威力の高さを物語っていた。

 魔法の反動を直で受けた私にも手応えは伝わっていて、戦況が変わったことを確信する。

「……代償付きならこの程度は出るか。涼華、キミの魔力はまだ持つか?」

「うん、ひとまずは。煙が晴れるまでしたには降りない方が——」

「っ、涼華危ない!」

 メリアの顔色が一気に変わったのを見て、私は全力で横に飛び退けた。

 藍色の空さえ焼き尽くす特大の花火が、私たちの後ろでギラギラと輝いていた。それがサラマンダーの放った炎だと理解できたのは、地面が見えてようやくのことだった。

 私は高度を落として着地し、地上で何が起こったのかを確認する。


「っ、なんで——!?」

 砂漠を溶岩が焼き尽くしていた。

 いや、メリアの技は命中した。サラマンダーは全身血まみれで呼吸も荒く、満身創痍のように見える。

 だのに、煙が晴れるまでの僅かな間に、エルフの騎士もリザードマンも、多くが殲滅されてしまった。壁に頭を衝突させて呻くファルセットの姿も私の目は視認した。

「おのれッ、おのれ貴様ら、よくも我の体に傷をつけてくれたな! 貴様のようなガキが我の装甲を破るなどあってはならぬことだ……貴様ら、簡単に死ねると思うなよ」

「化け物め……あれを受けてなお立っていられるというのか」

 メリアの声が震える。

 一度限りの大技を持ってしても仕留めきれず、多くの犠牲を出してしまった。耐久力を見誤った? いや、相手の実力も知らないのにいきなり切り札を切らせたのが悪かった。私の責任だった。

 あまりの衝撃に体が動かずにいた私たちに向かって、サラマンダーは呻き声を上げる化け物と共に一歩踏み出してきた。

「よいぞ。四肢を捥いで心の臓に釘を刺してやるわ」

「涼華!」

 サラマンダーが腕を上げると同時、地面から灼熱が迫り上がってきた。

 メリアに突き飛ばされて体が動くようになるまで、攻撃が行われたことに気が付かなかった。砂の上にメリアと転がった私は、彼女の背が炎で切り裂かれていることに気がついた。

「メリア、背中が」

 かなり深い。私が呆けていたせいで、また迷惑をかけてしまった。

 顔のパーツがわからないほどに出血したサラマンダーは、なおも止まることなく、充血した瞳でこちらを睨みつけてくる。

 サラマンダーと目が合った。

 彼女は殺戮者の目をしていた。

 体がうまく動かない。ダメだ、立たなきゃならないのに。

 怯えてなんかいない。怯えてなんかいないのに、手足が震えて言う事を聞かない。

「この程度の傷など慣れている、問題ない。……涼華?」

 うまく言葉も出てこない。

 サラマンダーを前にして、私は萎縮してしまっていた。

「その餓鬼はもう終わりだな。覚悟もない癖して戦場に出てくるからじゃ、情けない」

 私は体が動かなくて、メリアはそんな私に意識を取られていて。

 サラマンダーが特大の魔力弾を放ったことに、どちらも反応できなかった。

 

 あ。

 避けられない。そして、これは私に耐えられる一撃じゃない。体が焼けて命が終わる。

 それくらい、私にもわかった。


 でも、メリアは違った。

「——ッ!」

 私を支える彼女の手が離れて、それに釣られるように顔を上げた。

 メリアが炎に呑まれ、全身を焼かれる姿が目に入った。

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