第20話 似たものどうし


 ◇


 戦いから数時間が経過した。夜の帷はとうに降りていた。

 私たちは簡単な食事を終えて、一、或いは二時間ほど休息を取った。ネリネはヴァンクール、ファルセットたちとの作戦会議に向かって、私は涼華と二人で焚き火を囲んでいた。

「涼華、怪我はないか」

「……うん、大丈夫」

 結論から言うと、我々はリザードマンを一名も残さずに掃討した。

 私たちが先んじて敵陣を壊したことが成功し、身体能力もかなり高いはずのリザードマンを作戦で抑え、最小限の犠牲で勝利することができたのだ。

 しかし、不可解なことが一つ。

 相当数のリザードマンがいたというのに、肝心のサラマンダーは敵軍が壊滅する最後の時まで現れなかった。

「絶対にサラマンダーがやってこないはずない。リザードマンを従えてあんなに笑う狂人が、自分の手でエルフの都を攻撃しに来ないわけがないよ」

 涼華は自分の手に視線を落として、どこか悔しそうに独りごちる。

 

 今思えば、涼華は出会った時からずっと何かと戦っていたように思う。それは魔王の支配する世界でも、暴虐の限りを尽くす悪性のリザードマンに対してでもない。

 直接聞いたことはなかったが、涼華はおそらく戦いに慣れていない。私が出会った誰よりも極度に命を重んじている節がある。ヴァンクールと出会った時はそれを察して守ったが、それ以降、特に自分の右腕が暴れ出してからは——どこか怯えるような節、命を重んじる姿は少し落ち着いていたように思う。

 しかし、今日の涼華はどうだった?

 あの時よりも強くなって、騎士のサポートも完璧に行ってくれた。

 その手が震えていることを除けばきっと完璧だった。

「ああ、私もそう思うよ。……なぁ、涼華」

 藍色の星空がまたやって来る。

 この空を見上げて砂漠に座すのは、私たちだけであった。

「今日のキミにはどこか迷いがあった。リザードマンのことか?」

 膝を抱えて座る涼華の顔は、少しばかり疲弊していた。

「……バレちゃった? 殺すことでしか救えないなんて、あまりに辛くて」

 やはりか。私は心の中で呟いた。

 本当、誰にもない優しさを涼華は持っている。その優しさが宝石よりも貴重で、——なおかつ致命的だった。

 こういう時、私はなんて声を掛ければいいのだろう。命など石ころの一つくらいにしか見ないで、魔王の部下を数えきれないくらいに消し飛ばした私のどこに、説得力のある言葉を引き出す辞書があるんだろう。

「涼華、キミが求めるのは理想の最たるものだ。邪悪が支配するこの世界でキミはなお理想を掲げている。それは戦いに生きる全ての者が信じるもの。理想郷、楽園を作りたいのなら、魔王を倒すこの戦いに、犠牲のない決着を求めてはいけない」

 だから必死に言葉を紡いだ。

 残酷を知らない無垢な少女に酷なことを言ったかもしれない。しかし、私は涼華ならわかってくれると思った。

「メリア」

 涼華が何か言いかけた、まさにその時。


 ◇


 再び鐘が鳴った。今度は、より一層激しい鐘の音だった。エルフが大焦りで叫ぶ声が聞こえた。

「メリア、これって!」

「私の村でも聞いたことがある。……最悪の事態を告げる時の音だ」

 つう、と嫌な汗が額を伝う。

 今度こそサラマンダーがやってきたに違いない。全身を駆け巡る嫌な予感がそれを如実に伝えていた。

「涼華、急ぐぞ。攻め落とされる前に向こうへ出る」

「ダメっ……! 出る前にヴァンクールたちの方に行こう」

 私はメリアの肩を掴んで止める。このまま攻撃を仕掛けるのも一つの手段だったけれど、何故か嫌な予感がした。心の奥底に訴えかけてくるようながあったから、私は門の内側まで戻った。


 そしてすぐ、嫌な予感が的中したことを知る。

 真っ先に私たちの帰還に気づいたファルセットは、顔に強い焦りを宿しながらこちらに駆け寄ってきた。

「涼華殿、メリア殿! よかった、戻ってきてくださったのですね」

 私が顔を出すや否や、ファルセットは私の手を包み込むように握った。その安堵が窺える顔からも、状況が芳しくないことは察せられた。

「ああ。今の状況は?」

「ちょうど伝令が届いたところなのですが、我々は包囲の中にあるようでして」

 ファルセットの説明をかいつまんで説明する。

 夕方に襲撃があった方向から、先ほどの五割増しの数でリザードマンが襲撃してきたとのこと。

 更には、もう片側にも。逃げ道を塞ぐようにリザードマンの軍がいて、そちら側に圧倒的な魔力を誇る者の姿が見つかったとのことだった。ほぼ間違いなく、その人物こそがサラマンダーなのだろう。

「私とメリアはサラマンダーの方に向かいたい。構わないか?」

「ええ。ネリネ殿も今は熱砂の騎士として、ヴァンクールと共にリザードマンの大群に向かわれました。サラマンダーを抑え、あわよくば討伐したい。ご協力、お願いできますでしょうか」

「ああ、当然だ。私と涼華は先のように先導する、ファルセットは軍をまとめ上げてかかってくれ。前衛の敵を全て掃討した後で門を開けるから、できるだけ早いうちに攻撃を仕掛けてくれ。任せるぞ」

 こんな状況でも冷静に対処するメリアの姿を見て、私は気を引き締めると同時、ファルセットの方を見た。

「っは、はい。……私は王に仕えるエルフの騎士ですから。誇りにかけて、我が同胞を率いて見せましょう」

 ファルセットの手は震えていた。

 必死に抑え込んではいるけれど、ぎこちない様子が見え隠れしていて、剣に触れる方の手は強く握り締められている。

 どことなく、私に近いものを感じた。

「行くぞ、涼華。援軍が来るまで止めるのも我々の仕事だ」

 メリアは駆け足で門外の方へ行ってしまう。残された私とファルセットは、複雑な顔で互いの顔を見た。

「……私もハッキリ言って怖いよ。だけど引き下がるわけにはいかない。誰かを守りたい気持ちの方が今は強いんだ」

「それは、っ、涼華殿!」

 それだけ言い残して、私もメリアの背中を追いかける。ファルセットに見せられない顔になる前に、私は逃げ出すことを選んだ。


 私たちがいち早く出られたおかげで、まだ戦いは始まった直後のようだった。

「今門を開ければリザードマンが流れ込んでくる。私たちで一掃して援軍への道を開くぞ!」

 メリアは私を抱えて一気に門を飛び越えた。

 門の上から見る景色は壮絶なものだった。無数のリザードマンが松明を持っていて、既に門の付近にまで迫っていたのだ。

「わかった。通りのサラマンダーを叩く!」

 メリアは同意と共に拳を握りしめた。

 空気が震えるような鋭い魔力が収束し、雷の槌となって形成される。電光脚ブリッツ・バインを既に携えた彼女は、空高く飛び上がると同時に魔法の言霊コードを詠唱した。

「我が雷霆を喰らうがいい。『握槌ハンドアックス』!」

 メリアが地面に拳を打ちつけたその瞬間、雷がリザードマンの全てに降り注いだ。凄まじい威力の一撃がリザードマンの軍勢を一度に吹き飛ばし、王都の門との間が確保される。

 

 飛び降りるには少し高いような気もしたけれど、地面は砂だし、上手く受け身を取れば怪我をすることもないかもしれない。

 私は砂漠から飛び降りて受け身を取り、振り下ろされた棍棒を躱して夕立、輝ける松明アヴェルス・フラムを詠唱する。二度の魔法詠唱で前衛のリザードマンを弾き飛ばし、メリアに戦線を任せながら王都の門を開け放った。


 開かれた門の先には、怯えを振り切ったファルセットと彼女に従うたくさんの騎士がいた。

「我が友に続いて進め! 親玉の討伐は意識せず、リザードマンだけを倒すことを心がけよ!」

 ファルセットの横にいる魔法使いが肉体強化の魔法を唱えれば、皆が猛々しい声を上げてリザードマンに突っ込んでいく。

 戦陣が前に進んだことを確認して、私はメリアの方へと戻る。彼女に振りかざされる棍棒をいち早く確認して、私は躊躇いもなく魔法を詠唱した。

「そのまま動かないで——『最初の灯火プルミエ・フラム』!」

 咄嗟に放った炎魔法は、リザードマンを跡形もなく消し去ってしまった。

 自分が当たり前に行ったこの行為は重いものに違いなかったが、戦いの熱気の中にいた私は異様な興奮があって顧みることはない。

「感謝する。サラマンダーはすぐ先だ、仕留めるぞ」

 メリアは右手の稲妻をリザードマンの軍勢に向けて言う。激しい斬り合いと雄叫びの声を背景に、私たちは並び立つ。

 藍色の夜空を突き破って、炎が煌々と燃え盛る。太陽よりも肌に染み付く熱気に大粒の汗を流しながら、私は頭の中に次なる魔法をイメージする。

 視線でメリアに同意して、私は一歩踏み出した。

 ちょうどその時のことだった。

 

「クハハハハハハハ! いかなる英雄や騎士が出てくるのかと思えば、名も知らぬ少女が二人? 笑わせる、笑わせてくれるわ旧人類——さぁ、死にたい方から跪いて首を出し出せ。お遊びは終わりの時だ」


 耳に響く嫌な笑い声。その体には似つかわしくない残虐性は健在のようで、半身を異様な姿の竜に預けた女は、リザードマンを踏み倒して私たちの前まで現れた。

 私を悩ませた夢の話の登場人物。

 目の前のそれこそ、サラマンダーだった。

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