第18話 Sadjes Libre
◇
陽の昇る前に目が覚めた。
今日はどうやら何も壊されなかったらしい。
私は宿屋に自分の行き先を示したメモを残して、王都の外れの方に向かい、誰の開発もされていない空き地に目星をつける。
体が壊されて使える魔力量が減るならば、肉体強化なしでも戦えるくらいに肉体を強靭にしてやればいい。就寝前か早朝に欠かさず行うようにする習慣のようなものだった。
「ふっ……」
魔力が漏れ出ぬようコントロールに意識を向けて、完全に魔力消費量をゼロの状態にする。
日も登っていないのに誰かを起こしてしまっては話にならないし、それがこの修練の目的だ。
目の前にかつて戦った最大の敵——魔王をイメージして、記憶を頼りにシミュレーションを開始する。
魔法と魔法、技術と才の応酬を繰り返して敗北したあの戦い。
次にあの戦いを繰り広げるならば、もっと速く正確な攻撃ができるよう、雷の魔法についていける体を作らなければならない。
「……来たか」
私の目の前に魔王が立ちはだかる。
魔王が魔法を発動した——のであれば、ここで取る術は回避に他ならない。
城が簡単に崩れ去る。落ちゆく瓦礫を足場にして飛びながら、至近距離まで跳躍して魔力を纏わせた拳を叩き込む。
そのまま地面に素早く着地、防御さえ貫通する全力の一撃を投下する——!
私は空に向かって拳を突き上げた。一度目のイメージトレーニングを終えて眼を開け、深々と息をつく。
……今の動きでは魔王に届かない。勝ちたいと言う想いが最後に幻想を作っただけだ。
「お見事でしたよ、アルストロ殿。毎朝修行をなさっているのですか?」
「ひゃっ!?」
まさか背後にヴァンクールがいるとは思ってもみなかったが。
ほぼゼロ距離で声をかけてくるこの男に、私は思わず身構える。敵として警戒しているわけではないが、デリカシーが無いにも程があると思う。
「何の用だ。お前と話すことは別になかっただろう」
「貴方を追いかけて来たのではありませんよ。私も修練は欠かさないタチですが、王城の方で行うと騎士たちの訓練が始まってしまうものですから……この辺りをよく訪れるのです」
建物もほとんどない開けた空き地だ。利用するにはちょうどいいのだろう。
「互いに考えることは同じ、ということだな。もし邪魔なら私は去るが」
汗を服の襟で拭い、私は空き地の外側に向かう。ヴァンクールに呼び止められたのはすぐのことだった。
「お待ちください。戦う者として、改めて共に修練をするのはいかがでしょうか。王都側の人間、熱砂の騎士としてではなく……戦士として、一個人としての申し出です」
正直言って、この男との間にはあまりいい思い出がない。涼華の右腕とドワーフの命について争ったこともあったし、「二度とやり方に口を出すな」とも言った。
だが、ヴァンクールが戦士として申し出てくるのであれば、私もしがらみに囚われず改めて向き合う必要がある。強くなるためだけに熱砂の騎士を利用するなど、戦う者として失礼極まりない。
「私の方からも頼みたい。……あの時の発言は私の独断だ。謝罪させてくれ」
私はヴァンクールに向き直り、深く頭を下げる。たとえ一度戦って敵対したとはいえ、あの時の発言はあまりに安直で子供らしく、戦士としての気品や配慮に欠けるものだった。
心からの謝罪を、ヴァンクールは大人としてではなく、一人の騎士として受け止めてくれた。
「ええ。こちらこそ、貴方の誇りを傷つける真似をしてしまったかもしれません。お許しいただきたい」
……話してみると、私が抱いていた嫌味な騎士という印象は全くの別物であるということがわかった。
私たちは仲違いを解消して、まだ日の昇らない空を背に対峙する。
「さ、始めよう。太陽の騎士ヴァンクール、貴方の胸をお借りする」
「互いに高みへと至りましょう。メリア殿」
雷魔法と炎魔法。拳と剣、技術と技術。つい最近経験したような肌のピリつきを感じながら、私はヴァンクールの懐目掛けて駆け出した。
◇
割と早くに目覚めたつもりの私だったけれど、起きた時にはもうメリアの姿はなく、少し席を外すという書き置きだけが残っていた。とりあえず何をしようかな、なんて思いつつ、ふと思い立って荷物の整理をすることにした。
メリアと情報収集しながら買い揃えた魔道具たち。ネリネさんの分も含めてお揃いの、魔力が籠ったネックレス。魔力を集約させて放つための小さなロッドなど、実用的だがお洒落なものが幾つかあった。
とりあえずネックレスは後にするとして、私が買ったものは更にもう一つ。
『Sadjes Libre.』
とタイトルが記入された日記帳だった。あるエルフから推され、メリアはメリアで「まぁ記録をつけるなら必要じゃないか?」なんて言うものだから、断りきれずに買ってしまった。
とりあえず昨日の記録からつけようと思って、私は一ページ目を開く。日記帳やノートにしてはかなり薄いが、一体何日分が記録できるんだろう。
昨日は確か……。
メリアとエルフの都でご飯を食べて、その後ファルセットと出会った。いや、私たちの冒険が始まったところから書いた方がいいのかな。
書きどころに悩んでいた時、突然日記帳が輝いた。
私が何を言うまでもなく、一昨日までの記録が一切の間違いなく私の文体で記録されていく。
「涼華殿、一体何を……?」
「眩しい……あら、それって」
日記帳はひとしきり輝いて動きを止めた。
あまりの眩しさにネリネとファルセットの二人も起こしてしまったけれど、それよりも自動手記機能への驚きが私の心を支配していた。
しばらく日記に見惚れた後、正気に返った私は二人の方を見る。
「ごめん、二人とも。起こしちゃった?」
「ううん、偶々起きただけ。魔道具よね、それ」
「昨日買ったんだ。機能は初耳なんだけどさ」
ネリネは私の真横までやってくると、日記帳の煌びやかな表紙を見て言った。
「Sadjes Libre……? 変わったスペルね。大英雄にあやかった商品かしら」
「さっきより分厚くなってる気がする。不思議な仕掛けだね」
何かを深く考えるネリネさんが気になったが、呟いていた通り表紙についてなのだろう。敢えて問うことは特にしなかった。
日記帳をしまってチェックアウトの準備を済ませたところで、メリアが「修行中につき遅くなる」と言って荷物を全て持っていってしまった。
残された私と二人は宿を離れ、ファルセットの勧める料理屋を訪れた。少量のモーニングを頼んだところで、私たちは対サラマンダーの作戦を立て始める。
「このままだと確実に攻め込まれる。ファルセットの持つ小隊でリザードマンの軍が抑え切れるとは思わないわ」
「そうですね。仮に謁見が襲撃の前に行えたとしても、軍が用意されるのには時間がかかります。迫り来るリザードマンを一掃するに足る魔法を使うことができれば、或いは」
ファルセットは難しい顔をして言った。
要するに、一つの部隊に匹敵するだけの魔法を一撃で、しかも連発できる大技が求められるということになる。
「私に使えないわけではないわ。……けど、連射となるとインターバルがある。交互に撃つとしても、そんな単純戦法は現実的じゃない」
「確かに、相手の本懐はサラマンダーだもんね。ネリネ、敢えて聞くけど——あの手段も厳しいよね?」
「最終的な手だけど採用価値はある。それこそ、サラマンダー相手に使ってもいいと思うわ」
「一掃魔法との分担は如何でしょう。お兄様の力をお借りできれば、なんとかなるかもしれません」
「お兄様って?」
ファルセットはドリンクを一口で飲み干して、少し間を置いてから口にした。
「熱砂の騎士ヴァンクール・ジャルベール。彼と私は王の子なのです」
「うぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
ヴァンクールとファルセットが兄妹だとしたら、髪の色も気になるところではある。受け継いだ特徴が違うと言われればそれまでだが、ここまでエルフの砂漠を旅してきて、ヴァンクールと同じ髪色のエルフには出会ったことがなかった。
「ヴァンクールさんの髪色は遺伝とか?」
「イデン? 無知ゆえその辺りは知りませんが……魔王軍と精霊の攻撃を度々受けるようになってから、王族のエルフは自分の代で進化するようになったのです。お兄様もその一人でして」
遺伝の概念がないのだろうか。今回に関しては無関係だから構わないけど、時代的にまだなのかな。
ネリネは色々と知っているようで、モーニングを食べ終えてファルセットの方に視線を送るだけだった。当の彼女はそれを気にすることもなく、進化についての話を続ける。
「それこそがデザート・エルフ。この九夏三伏の熱砂において、エルフの国の象徴として君臨する力の象徴です」
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