第7話 迷い、痛む
凄まじい魔力を解き放つ熱砂の騎士、ヴァンクール。
奴が現れたことで、この場の全てが掌握されたようだった。
「涼華、なぜ遮る。奴らが村の人の言う騎士なんだとしたら、出るのは今に違いないはずだ」
ゼロ距離で進行を遮る涼華に対して耳打ちするも、彼女から言葉が返ってくることはなかった。
何故だ? 理解できない。私たちが、——キミが挑むのは、あの騎士をゆうに超える悪鬼が揃う魔王の軍勢なのだ。それなのに、魔力に気圧された程度で戦いの相手を譲ってしまうというのか?
それでも私が飛び掛からなかったのは、ここで暴れれば涼華からの信頼を失ってしまうと考えたためだった。
私の体があと少しでも軽ければ。不甲斐ない自分に嫌気が差した。
そんなことを考えていた時のことだった。
老いたドワーフの一人がヴァンクールの前に現れる。奴はヴァンクールを見るやいなや、罵詈雑言を浴びせ始めた。
「ふざけるな王都の奴隷め! お主らの王こそ悪に他なら——ぬ、あ?」
騎士の銀閃がドワーフの体を真っ二つに切り裂いた。
べちゃり、と、生き物だった肉が砂漠に呑まれる音が響く。あまりに突然、騎士らしき無慈悲な一撃だった。
何も考えずにヴァンクールの行動を見ていた私は、三度自らの愚かさを呪うことになる。
涼華に見せるわけにはいかない。
「視線を落とせ、キミは見なくていい!」
遅かった。言う前からわかっていたが、それでも言わざるを得なかった。
至近距離での出来事だったのは言うまでもない。分断された下半身からは行き場を失くした血が噴き出し、ぴゅー、と間抜けな音を立てる。
横向きにかけられた力の残る屍は、数秒前の生を彷彿とさせる動きで砂漠に寝そべった。茶色の砂をしばらく真っ赤に染めたあと、それは砂漠に飲み込まれる。
ただの剣による分断は魔法の何倍も残酷だった。
その様子を、涼華は肩を小刻みに震わせて見ていた。決意の直後にこんな悍ましい光景を見せられては、恐れをなしてしまうのも無理はない。恐怖を落ち着かせようと私がその肩に手を置いた直後、涼華は声を荒らげて言った。
「なんで……っ、どうして、こんな無惨な殺し方を!?」
当たり前の残酷を前にして激昂する涼華に対し、赤い騎士は平然と言い放つ。
「奴らは敵だ。それが同胞の命を奪ったのならば殺す。太陽が生まれた頃からの掟でしょう」
涼華の気持ちを慮れば——感情論に違いなくとも、あのような容赦のない殺しをするなど許されはしないのだろう。
しかし、私はヴァンクールの考えを否定しようとは思わなかった。エルフとドワーフの対立関係は今に始まったことでなく、彼らは人間の何倍も生きる。これから世界を変えるチャンスが幾度となく訪れる、そんな生き物が彼らなのだ。
エルフの幼子を殺すと言うことは、未来の英雄が世界を変えたかもしれない千年以上の時間を白紙にしたということ。ドワーフの老いぼれよりも、命の重みがあるはずだ。
「そこなる茶髪の少女よ。貴方はものの道理がよくわかりそうだ。理解できるはずです。残り百年も生きない、生きたとしても世界に石ころ以下の影響しか与えない老いぼれと、未来を変える一本の矢になりうるはずの少女。二つを天秤にかけたとして、どちらの方が重いのか。貴方の賢明な頭ならもう答えは出ているのでしょう」
涼華の訴えが理解できないはずがない。それでも、私はこの世界で育った時間の方が遥かに長い。老いたドワーフたちの行動がいかに重いことかよく理解できる。停戦協定を無断で反故し、エルフの命を奪ったのだから当然の処置ともいえよう。
何を言うこともできなかった。沈黙が正解を示すことになったとしても、否定する言葉が思いつかなかった。
「そんなの絶対におかしい。貴方は裁定者にでもなったつもり……!?」
頭に雷が落ちたような衝撃を覚えた。
私のすぐ近くにいる少女が、強大な相手を前に果敢にも立ち向かおうとしていた。
命の裁定者。この場において最も実力を持っているのは、——私は確かに魔王に挑んだが、あの時のように体が動かない——口惜しいがヴァンクールだろう。この場において、彼は命の裁定者になるだけの力を持っていた。
「白髪の少女よ。貴方には貴方の尺度があるように、我々には我々の尺度があるのです。それ以上喋らないでいただきたい」
「それが敵の命を奪っていい理由にはなりません。殺す気があるのなら絶対に止める」
「では私が、そこのドワーフに斬りかかったのならば、エルフの幼子を奪ったその老いぼれに背を向けて、命をかけてまで私と戦うというのですか?」
ヴァンクールの言葉が涼華を一蹴する。
しかし、それでもなお、彼女は抗おうとした。
「私はどちらの味方でもありません。それに彼らを殺さなくったって、やり直せる機会さえあれば!」
「できぬから悪が生まれるのだ!」
怒号が響いた。
ヴァンクールは兵士を魔力で制すると、剣の
「……いいでしょう。貴方を退かせて私が奴らに裁きを下す。それだけです」
「させるものか」
体が自然に涼華の前へ出ていた。啖呵を切ったのは涼華に違いないが、戦いを任せっきりにするわけにはいかない。
私はヴァンクールに負けないよう、今出せるめいっぱいの魔力を体から放出した。
「私の名はメリア・アルストロ。
怒る涼華よりも先に、私の体は地を蹴っていた。体の不調を無視して、最大限の力を使わなければこの男を倒すことはかなわない。本能が訴えかけていた。
『
体を流れる魔力をうまく分散して、体の限界に立ち向かう最高速度の魔法を展開する。地を蹴るたびに魔力が増大し、速度が上がっていく雷の魔法——それを眼前にしても、眉一つ動かさないヴァンクールの姿が僅かな時間目に入った。
それと同時、騎士の口から猛々しい
『
太陽の如き輝きを伴った炎だった。道を拓く雷と剣気の炎が衝突し、砂塵を巻き込んで爆風が発生する。
「くっ」
視界を奪われたことにより、私は空中で動きを一瞬だけ停止してしまった。それがいけなかった。
『
聞きなれた汎用魔法が聞こえると同時、私の体は宙を舞い、焦った次の瞬間にはもう地面に叩きつけられていた。
いとも簡単に私は制圧されてしまった。
「このっ」
体を起こそうとしたところで、ヴァンクールの剣が喉元に突きつけられる。
「動かないでいただこう。白い髪の少女よ、次は貴方だ。降伏を推奨するが、どうするおつもりで?」
「降伏だと……!? ふざけるな!」
「それは当人が決めること。この場においては貴方も部外者ですよ、無垢なる少女」
太陽に照らされた銀色が私の行く手を阻んでくる。おまけに無垢とまで言われて、強い屈辱の感情さえも私の中から湧き上がってきた。
視線を涼華の方に飛ばすと、彼女はぎゅっと拳を握り締めてヴァンクールを睨みつけていた。
その時、体を悪寒が駆け巡った。
何か嫌な予感がする。涼華が傷つくだとか、敵が襲って来るだとか……そんな類ではない。望ましくないことが起こるような気がした。
◇
突如として現れた熱砂の騎士ヴァンクール。
彼の強さは恐ろしく、メリアが魔法を駆使して戦ったドワーフの集団を、剣の一振りで簡単に消し去ってしまった。
ドワーフの人たちが過ちを犯していたとしても、命を使わなければ償えないとしても、あんな簡単に殺していいはずがない。もっと他にも償いの仕方だって見つかるはずなのに、その機会を奪っているだなんて、信じられなかった。許せなかった。
そして、ヴァンクールにメリアは制圧されてしまった。
彼の剣が私に向く。
「白い髪の少女よ、次は貴方だ」
胸がどきり、とした。あんなに強いメリアが軽々といなされてしまうような相手、私が戦ったところで勝てるはずがない。勝てないのなら、立ち向かうことに何の意味があるっていうの? 本物の剣をちゃんと見たのだって初めてなのに、使えるかどうかも曖昧な魔法を使って戦わなきゃならない。天変地異が起こってくれないと勝てない。そして、天変地異なんてものが都合よく起こってくれることはない。
「降伏を推奨します。どうするおつもりで?」
降伏。そうだ、降伏すれば痛くなんてない。命も助けられるし、そっちの方が絶対に——。
「降伏だと!? ふざけるな!」
私の友が声を張り上げた。
メリア・アルストロ。私の夢の中に出てきた少女。彼女はどんなに痛い思いをしてここにいるのだろう。自分にも、大切な人にも、刃が下される瞬間を何度も見たはずだ。
私はメリアを救うためにここにいる。それなのに、剣一つで怯えてどう救えるの? 私はまだ、メリアを後ろから追いかけているだけなんだ。また逃げようものなら、いつまで経っても追いつけない。
「私が、戦う」
次の瞬間だった。
私は想像を絶するような激しい痛みに襲われた。
「う! あ、ああ、あああああああ!?」
自分が折り畳まれるような鈍い痛み。自分の中から、自分じゃない何かが迫り上がってくる奇妙な感覚。
頭が、こころが痛い。
「ああアアアアアアア」
こんなに痛いものが存在するなんて知らなかった。幾度となく叫び声を上げたって、なんとなく憶えている。
叫んだ時間に関しては定かではない。しばらく私は苦しんだ。
そしてすぐ、黒い鱗を纏った巨大な腕が私の視界に入ってくる。これは一体誰のものか。わからない。わからないけれど、私の意思で動かせるような気がした。
顔を上げる。目の前にはエルフの男がいた。
「うああっ」
……そうだ、止めなきゃ。
殺すことは罪じゃないって、言ってもわからないなら、力で教えればいいんだっけ。
「涼華!」
頭がぼうっとして何も入ってこない。
メリアのため、それだけは憶えているけれど。メリアを救うために魔王を倒す。その過程で、立ちはだかるこの人を——。
私は右腕を振った。
何もかもが吹き飛ぶ音が聞こえた。
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