第8話 龍の右腕
「え……?」
私は目の前の光景に愕然とした。
あまりに大きな涼華の変貌に、驚かざるを得なかったから。充血した目は不気味なほどに真っ赤で、綺麗なはずの右腕は
そして、彼女が現れた瞬間、砂嵐が吹き荒れた。太陽はどこかへ消え去ったというのに、体にのしかかる灼熱は力を増すばかりだった。
「竜種だと? 茶髪の少女よ、それが彼女の切り札なのですか」
「わからない。少なくとも、放っておくのは互いにとって拙そうだ」
私の体を一筋の汗が伝った。暑さによるものなのか、莫大な魔力を前にした緊張なのかはわからない。今の涼華を放っておけば、凄まじい被害が出るということだけはわかった。
「壊サなきャ」
ノイズのかかった言葉が聞こえてくる。本能に近いものが訴えかけてきて、私は思わず彼女から距離を取っていた。
壊す? 何を言っている、涼華。何を壊すって?
「ヴァンクール、他の者を逃がせ!」
「避難は済ませていますとも。それよりも、これは私と白髪の少女の一騎打ちだ。邪魔はしないでいただきたい」
騎士という生き物の頭の硬さに、私は小さく舌打ちをした。
今の彼女に一騎打ちができるものか。ヴァンクールよ、お前が騎士だと言うのなら、あの目を、あの体を、あの魔力をよく見てみろ。単純な力量で言えば、涼華はこの場の誰よりも強いのだ。
『待ッてテね、今助ケるかラ』
その時、目にも止まらぬ速さで涼華が右腕を振った。
魔法体系とはまるで違うというのに、彼女の言葉が
「熱砂の騎士!」
涼華の魔力は凄まじく、村の一つくらい簡単に壊滅できる威力だっただろうか。
ヴァンクールもすぐさま反応し言霊を詠唱する。
『
二人の魔力がぶつかる間に、私は全力疾走を開始した。一度引いたとはいえ大した距離ではなく、いつの間にか発生した砂嵐に飛び込んですぐ、異相の風体で苦しげな顔をする涼華を見つけた。
ヴァンクールの方に意識が向いている最中に、私は右手を涼華に向ける。
「すまない、涼華——『
手から雷を放つと同時、涼華に対する謝罪の気持ちが湧いてきた。
涼華はきっと痛みを知らない。龍華と呼ばれるに等しい存在であることに違いないが、絶えず優しい彼女の顔、絶望を知らない真っ直ぐな瞳——察するに、魔法を受けたこともないはずだ。そんな彼女が、いきなり体に多大なる電圧を受けたとすれば? 痛いだろう、怖いだろう。痛みと恐怖が今後の涼華を縛り付けてしまうかもしれない。
では、このまま放っておくべきか?
否。あんなに優しい顔のできる少女が、自らの手で関係のない人々を傷つけたと知ったら一体どうなる? 呵責の念に駆られて、本当に立ち上がれなくなるかもしれない。
最悪の結末は絶対に避けねばならなかった。たとえそれが、涼華を傷つけることと同義でも。
雷に直撃しても、涼華の攻撃が止まることはない。鱗に落雷が防がれて、ダメージは通っていなかったことが見てとれた。
「少女よ、離れなさい!」
ヴァンクールの言葉とほぼ同じ瞬間、眼前で魔力が爆発した。
涼華の右腕が私の前にあった。いつの間に——窮地を理解したその瞬間、私の顔面を鱗が打ち付けた。
「くあッ……!」
一体何が起こったのか理解できたのは、じりじりと唸る熱砂を舐めた後だった。
自分の弱さに嫌気が差した。これまでの私ならば今の一瞬で防御魔法を張れていたはずなのに、攻撃をもろに受けてしまった。頭がぐらっと揺れて視界を陰が蝕んでいく。それでも、倒れるわけにはいかなかった。
なんとか立ち上がった私のもとにヴァンクールが駆けてくる。
「茶髪の少女よ、下がりなさい。この魔力は私が処理します」
「私を侮辱するか、熱砂の騎士。私は涼華の味方だ。涼華が苦しんでいるのなら、私が救わねばならない」
私が奴の顔に視線を飛ばすと、ヴァンクールも橙色の瞳で私を見下ろした。
「……では、共闘の形を取りましょう。互いにこの村を守る意思はあるはずだ」
ヴァンクールの申し出を承諾すると、涼華の方に視線を飛ばす。
どうすれば止められる? 鱗の強度は相当なもので、あの防御を掻い潜らなければ攻撃は通らない。私だけでも、この騎士だけであっても相当な労力を要するはずだ。
「私が道を開く。間を縫って懐を取れ」
「了解しました」
次の瞬間、ヴァンクールは私の前に立ち、鋼の
私は左の腕を胸の前で止め、指の先々まで魔力を充填させた。
絶対に止める。昂る魔力を感じながら、私は思考した。
涼華が振るった腕の一つで何人もの命が奪われてしまうなど絶対にあってはならない。涼華の心をこんなところで折るわけにはいかない。今は、私が涼華を守る時だ。私が、涼華の右腕になる時だ。
その時、私の中からいつもと違う魔力が湧き上がってくるのを感じた。攻撃に転ずるための魔力ではない——これは、道を開くための魔法。
涼華の訴えを無駄にしない。その一心で、私は
『
雷光が空を射た。
私の放った
空に登る雷から放たれる魔力をヴァンクールに集中させる。元来、私の魔法属性は雷であって、誰かを救うためのものではない。であれば強化魔法として使うのが正解のはず。
私が言っている間に、ヴァンクールは涼華のすぐ近くまで迫っていた。
そしてすぐ、奴自身も
「受けるがいい。『
その剣は、涼華を鱗ごと断ち切った。真っ黒な装甲が剥がれ、涼華を人間以外に変貌させていたあらゆる要素を燃やし尽くしていく。浄化の光が龍を鎮めるようだった。
砂塵が晴れて、太陽が再び現れる。戦いにちょうど決着がついた。
涼華に対して問わなければならないことが増えた。しかし、問うことが涼華を傷つけはしないだろうか。
どうか何事も無く済むようにと、私は空を仰いだ。
◇
私が目を覚ましたのはベッドの上だった。
「ここ、は」
目を開けて起き上がった途端、激しい頭痛が襲ってくる。感じたこともない体の重さに、私は意識を失った時の記憶を思い出す。私は熱砂の騎士の鏖殺を止めようとして——そうだ、メリア。メリアを探さないと。
ゆっくりと起き上がり、私は辺りを見回す。ついさっき訪れたばかりの村に近い家の造りだった。おぼつかない足取りで外に出てみると、満天の星空が広がっていた。私の住んでいた町は街灯だらけだったし、外に出てみてもこんなに美しい星空を見ることはできなかっただろう。
「綺麗……」
「涼華、体は無事か?」
藍色の空に佇む無数の星々をじっと見上げていると、私の背後からメリアが現れた。
「……うん。メリア、あれからどうなったの?」
少し考えるような素振りを見せた後、ぽつぽつと、メリアは教えてくれた。
熱砂の騎士ヴァンクールを止めようとして私が暴走を始めたこと。戦いすらよくわからないこの私が、村を壊せるくらいの魔力を爆発させたこと。私を王都に運んでくれたということ。
そして、メリアが私を必死に止めてくれたこと。メリアのおかげで、誰も傷つけずに済んだこと。
全てを聞いた後で、彼女に対する深い感謝が湧き上がってきた。謝罪はきっと野暮……だと思う。
「色々とありがとうね。メリアのおかげで、誰も傷つけずに済んだ」
精一杯の感謝を込めて、私はゆっくり頭を下げた。
もしメリアとあの人——ヴァンクールさんが止めてくれなかったら、私は多くの人を殺してしまっていたはずだ。
「構わないよ、涼華。君がいるから、私はもう一度戦おうと思ったんだ」
その時、ひゅっと風が吹いた。
生きるには難しい砂漠を踏み締めて、星空を背にメリアは
「明日、改めて熱砂の騎士のもとへ向かおう。エルフの協力を得られるように、力を示さなくてはな」
メリアの言う通りだと思った。
自分の中に芽生えた問題を解決するために、強くなりたいと思った。
黒い夜空の無数の星が、私の心と重なった。
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