第29話 覚醒
あまりに信じられない光景を前にリリックがそんな声を漏らすと、今度は険しい表情を浮かべたアイリスが口を開いた。
「……おそらく、さっきの一撃を全て取り込んだのよ」
「取り込んだって……」
副団長が静かに告げた言葉に、さらに驚きの色を隠すことができない団員たち。
すると攻撃を仕掛けた張本人も衝撃を受けているのか、『あれれ?』とスピーカーの向こうからニニアの動揺した声が聞こえてくる。
「とりあえず急いでここから離れるわよ。このままだと何が起こるかわからないわ」
そう言ったアイリスは飛空艇を急いで発進させる為にミントに声をかける。
「ミント、飛空艇の状態は?」
『損傷はない。でも、燃料が切れかけてる』
スピーカーを通して聞こえてきたミントの言葉に、思わず顔を見合わせる団員たち。どうやら先ほどの一撃で、飛空艇のエネルギーはほとんど使い切ってしまったようだ。
「おいニニア! てめぇ後で覚えとけよッ!」
『ふにゃッ!』
せっかくの活躍を自分自身で無駄にしてしまった専属メイドに、思わず怒鳴り声を上げるリリック。
けれどもそんな怒りも虚しく、スピーカーの向こうからは変態メイドが『お、お仕置きですか!?』と何故か嬉しそうな声を上げていた。
「アイリス、これからどうするの?」
不安げな表情で尋ねてくるシズクの言葉に、副団長は冷静な声音で言葉を返す。
「まだ機械室に予備の燃料タンクが残っていたはずよ。ミントはその調整をお願い」
『わかった』
副団長からの指示にミントが返事を返した直後だった。
再び前方から強い衝撃波と共に、今度は禍々しいエーテル反応を感じた彼女たちが慌てて視線を移す。
「こ、今度はなにっ?」
咄嗟にアイリスの背中に隠れて声をあげるコルン。怯えた表情を浮かべる彼女の目に映ったのは、大樹の表面を突き抜けて次々と現れてきた黒い触手だった。
「どうなってんだよ……」
予想もできなかった展開に、思わずゴクリと唾を飲み込むリリック。
突如として現れた無数の触手は彼女たちの目の前で急激に成長して巨大化していくと、まるで宿主を喰らうかのごとく大樹を飲み込んでいく。
「……まずいわね」
大樹を飲み込み、莫大なエーテルを我が物とした触手の群れを見てアイリスが目を細めた。
取り込み過ぎたエーテルをもはや抑えきることができないのか、触手たちは一か所に集まるとさらに膨張を続けていく。
このままいくと間違いなく大爆発を起こすと思ったアイリスは、飛空艇のエーテル燃料に己の意志を同調させると急いで発進させようとした。
だがしかしその瞬間、臨界点を超えた化け物がおぞましい鳴き声を発しながら強烈な閃光に包まれた。
そしてーー
――霊獣解放・アメノカグノイブキ
放たれた閃光は、一瞬にして大陸全土を覆い、そして海をも越えた。
まるで超新星のような光と衝撃波は、メビウスが放った一撃とは比べ物ものにならず、そのあまりに強大な力はこの星そのものを揺るがすかのごとくどこまでも響いていく。
あらゆるものを無へと帰すような凄まじい力の解放。
その爆心地の中心、今まさに数百年の歳月を経て再びこの地で目覚めたのは、かつて厄災の一つとして恐れられていた存在の成れの果てーー
「あれは……」
光に包まれた世界の中で、何とか目の前の光景を目視することができたアイリスが思わず動揺した声を漏らす。
そして同じように前方を見た他の団員たちも驚きの表情を浮かべる。
「嘘だろオイ……」
徐々に視界が晴れ、目の前の化け物の輪郭がはっきりと映った瞬間、思わず目を見開くリリック。
その視界の中に映ったのは、まるでこの世界の支配者のごとく君臨する大鹿の姿を模した巨大な化け物。
不気味な触手に覆われ、全身を闇色に染めたおぞましい野獣は、この世界に生きる者にとっては最も恐ろしい生物を彷彿させるほどの強大で邪悪なエーテルエネルギーを発している。
「……『王魔』」
呆然と目を見開いたままのアイリスが静かに呟いた。
本来であれば、魔物の中でも各種族の頂点に立つ王魔はこの世界に数匹しか存在しない。
そして莫大なエーテルを食し欲するこの化け物たちは、時には同族である他の魔物でさえ喰らい、その数を増やすことなく古来より王座に居座り続けてきた。
だがしかし、アイリスたちの目の前に現れた怪物は、間違いなくそれらに匹敵するだけの力を秘めていた。
「ま、ま、マズイよアイリス! このままだとみんなここで死んじゃう!」
半泣きになるコルンが必死になって声をあげる。その隣ではシズクとユーニも不安げな表情を浮かべて副団長のことを見る。
一刻を争う事態に、もはや彼女たちに取れる選択肢は一つしかなかった。
アイリスは飛空艇をすぐさま旋回させると、魔物に背中を向けて急いでこの場から離れようとした。――だが、しかし。
『グゥォォォオオオーーーーーッ!』
突如として耳をつんざくような雄叫びが雷鳴のごとく響き渡った直度だった。
化け物は、自分に背を向けて逃げ去ろうとする飛空艇を睨みつけると、今度は凄まじいほどのエーテル量を一瞬にして練り上げて口内で高密度のエネルギー体を生成。
そして再び雄叫びと共に大きく口を開いた瞬間、尋常ならぬ破壊力を持つ強大なエネルギー体は勢いよく発射されると同時に分散され、それはまるで五月雨のごとくメビウス飛空艇に向かって襲いかかった。
「くッーー」
無数の光の粒が飛空艇もろとも自分たちを蜂の巣にする寸前、アイリスは船体の動力も利用すると巨大な防壁を展開した。
「アイリス、がんばって!」
命懸けで自分たちのことを守ろうとする副団長の姿を見て、すかさず声を上げるユーニ。朱音との連戦直後とはいえアイリスは残った力を振り絞って防壁を展開し続けると、何とか相手の攻撃を凌ぎ切る。
「生まれた直後で……まさかこの力とはね」
防壁を解き、肩で息をするアイリスが周囲を見渡しながら言う。
飛空艇は守り抜くことができたとはいえ、先ほどの一撃によって辺りは無惨なほどに破壊されていて、魔物が立っている場所については焼け野原のようにほとんど更地となっているほどだ。
「ちっ、あのヤロウこっちに来るつもりだぞ!」
リリックが険しい口調でそんな言葉を向ける先、化け物は王者のごとくゆっくりと飛空艇に向かって歩き始めていた。
さすがにこれ以上の戦闘も長居も危険だと判断したアイリスは再び飛空艇を急発進させようとした。
だがその直後、今度はシズクの言葉によって呼び止められる。
「みんな、あそこを見て!」
「――ッ!?」
飛空艇の足元あたりの地表に向かって指差すシズクの先に映ったのは、崩壊を始めた樹海都市から避難して広場のようなところに集まっている人間たちの姿だった。
「あいつら、まだあんなところに……」
甲板の手すりから身を乗り出し、人間たちがいる方向を睨むリリック。よく見るとその群衆の中には、自分たちに銃口を向けてきた人間だけでなく、ミカゲやヒナタたちの姿もあるではないか。
明らかに無事では済まされないような場所に避難している人間たちを見て、アイリスが思わず険しく目を細める。
「アイリスどうしよう。このままだと……」
「……」
シズクからの言葉に、その場で黙り込んでしまうアイリス。
するとそんな二人のやりとりを見ていたリリックが険しい口調で叫ぶ。
「おいッ! 早く逃げないとマジでヤバいぞ!」
後方から近づいてくる化け物は、迷うことなく真っ直ぐにこの飛空艇へと向かってくる。
刻一刻と迫る死への恐怖に、「アイリスっ!」と必死になって副団長に助けを求めるコルン。
燃料が残りわずかとなったこの船では、今の自分たちでさえまともに脱出できるかわからないような状況だ。
ましてやあそこで集まっているほとんどの人間は、獣人である自分たちのことを差別し、武器を向けてきた者ばかりで手を差し伸べる義理もない。
獣人として、そしてメビウス飛空艇団の副団長として、優先すべき守る命も自分が決断すべきことも彼女自身にはわかっていた。
そう、わかっているのだが……
アイリスは僅かに逡巡した後、目前に迫ってきている化け物を睨む。そして今度は再び地上にいる人間たちへとそっと視線を移した。
「……助けるわよ」
彼女が静かに告げた言葉に、「え?」と驚きの表情を浮かべる団員たち。そしてその直後、すぐさまリリックが口を開いた。
「助けるって……あんな人数この船には乗せれないぞ!」
副団長からの指示に自分の耳を疑ったリリックが相手の顔を睨んだ。けれどもアイリスは
黙ったまま真っ直ぐな瞳でリリックのことを見つめる。
「だいたいアイツらはアタイらの命を狙ってきたような連中だぞ? それに今回の任務は人助けじゃなくて……」
「ええ、わかっているわ」
苛立った口調で話すリリックの言葉を遮り、アイリスがきっぱりとした声音で言い返す。
するとそんな彼女に対して、今度はコルンがおずおずとした態度で口を開いた。
「でもアイリス、助けるって言ってもこの状況だと……」
コルンはそう言うと、迫り来る化け物と地上で集まっている大人数の人間たちを交互に見る。
同じく不安げな瞳を浮かべて副団長のことを見つめるシズクとユーニ。
「……策はあるわ。一か八かだけれど」
団員たちからの視線を浴びる中、アイリスはそんな言葉を口にするとちらりと頭上を見上げる。
その視界に映るのは、接近する幻影雲の影響を受けて雷鳴を轟かせながら荒れ始めている空の景色。
策があると口にした副団長の言葉に団員たちが驚きを滲ませた表情を浮かべていると、今度はアイリスがリリックの方を見る。
「私があの魔物を足止めしている間に、あなたの炎でできるだけ敵にダメージを与えてほしいの」
「なっ……」
あまりにも突拍子もないアイリスの作戦に、思わず目を見開くリリック。
「おいまさかアタイら二人だけであの化け物を倒すつもりかよ?」
無謀過ぎる賭けに出ようとするアイリスに向かって、リリックが強い口調で反論する。
すでに奈落の亡霊との戦いでほとんど力を使い切った二人には、化け物を倒すどころか足止めできるほどの力さえも残っていない。
そんなことを重々承知しているアイリスは、リリックからの問いかけにはあえて答えず、今度はシズクの胸元にいるユーニへとそっと近づく。
「ユーニ、あなたの力を少し借りてもいいかしら?」
「うんっ!」
アイリスからの言葉を聞いて、自分のことを頼りにされたユーニが嬉しそうに力強く返事をする。
するとそんな彼女の姿を見て優しく微笑んだアイリスは、再び険しい顔つきに戻るとリリックのほうを見る。
「なにも倒す必要まではいらないわ。最低限の足止めとある程度弱らせることができればいい」
強い口調でそう言い切るアイリスの言葉を聞いてさすがのリリックも後に引けなくなったのか、今度はやけくそな口調で言い放つ。
「だーッ、わかったよ! やりゃーいいんだろやりゃあッ」
開き直ったかのようにそんな言葉を口にするリリック。そして彼女は一歩前に出ると、アイリスと同じくユーニの前に並んだ。
「それじゃあユーニ、お願いするわ」
アイリスからの言葉を受け取ったユーニはこくんと頷くと、その小さな両手を二人へとかざす。
するとその直後、彼女は静かに目を閉じると術を発動した。
【属性展開・エーテルコネクト】
術の発動によって彼女の身体から淡い光となっって発せられた瞬間、今度はその光がアイリスとリリックを包み込む。
そして同時に二人の身体には、ユーニの中に眠る膨大なエーテルエネルギーの一部が流れ込んできて、それはあっという間に二人が消費し切った力を元に戻す。
「よし、これなら十分だッ」
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