第28話 大樹の暴走

 辺りに広がる光景は、もはやほとんどが元の原型をとどめていなかった。

 廃墟と化していたビル群も、それらを飲み込むように覆っていた樹海の植物も、ほんの数時間前とはまったく異なる光景となっていたのだが、その中心にいるアイリスにとって特に驚きはなかった。

 なぜならその原因が今も続いている地響きというよりも、自分が力を解放したことによる結果だったからだ。


「アイリスっ!」

 

 突然背後から名前を呼ばれて彼女が振り向くと、そこにいたのは索敵による交流が途絶えていたリリックの姿だ。


「リリック……あなたも無事だったのね」

「ああ、何とかな」

 

 そう言ってアイリスに近づいたリリックは、彼女の瞳に深紅のエーテルの輝きが残っているのを見て意外そうな表情を浮かべる。


「はっ、テメェが力を解放するなんてよっぽどの相手だったんだな」

「そうね……止めは刺せなかったけれど」

 

 アイリスはそう言うと、朱音が飛び去った方角を見つめた。けれども彼女はすぐに意識を切り替えると、今度は眼前に聳え立つ大樹を見上げる。


「……これじゃあ植物というよりもはや化け物ね」

 

 アイリスは目を細めると険しい声音でそんな言葉を呟く。彼女の視界に映るのは、異様なまでの速度で成長を続ける幹とまるで生物のように蠢いている枝葉の姿。


「おそらくこの辺り一帯のエーテルをすべて吸収するつもりね」

「エーテルをすべて吸収するって……じゃあここは」

 

 アイリスの言葉に、呆然とした様子で辺りを見渡すリリック。負のエーテルだけならまだしも、生物やこの大地が宿すエーテルまで吸収するとなるとそれがどんな悲惨な結果をもたらすのか想像するのは難しくない。

 そんなことを考え、苦い表情を浮かべるリリックの耳に再びアイリスの声が届く。


「とりあえず話しは飛空艇に戻ってからよ。ここにいると私たちも危険だわ」

 

 そう言ってアイリスがリリックと共に急いで飛空艇まで戻ろうと足を踏み出した時だった。

 突然頭上から耳をつんざくような大音量の声が響き渡る。


『アイリスさま! リリックさま! やっと見つけましたよォォォっ!!』

 

 スピーカーを通して聞こえてくるニニアの叫び声に、思わず獣耳を塞いで空を睨み上げる二人。

 すると見上げた視線の先には、翼を広げて自分たちの方へとゆっくりと降りてくるメビウス飛空艇の姿が。


「おーいッ! 二人とも!」


 どうやら先にこの場を離れていた仲間たちも無事に飛空艇まで辿り着いていたようで、甲板からは手を振るコルンやユーニたちの姿も見える。


「ったく、のんきな奴らだな」

 

 呆れた声でそんな言葉を漏らしながらも、コルンたちの無事も確認することができて安堵したような表情を浮かべるリリック。

 そして彼女たちも、甲板から放り出されたロープを使って仲間たちの元へと合流する。


「助かったわ。意外と早く飛空艇まで戻ることができたのね」

「うん、私たちのことを心配してくれたニニアが途中まで迎えにきてくれたの」


 甲板へと足を下ろしたアイリスの言葉に、ユーニを抱き抱えているシズクが笑顔で答える。


「はっ、たまにはやるじゃねえかニニアっ!」

 

 専属メイドの珍しい活躍にリリックがそんな声をあげると、甲板に設置されているスピーカーからすぐさま声が返ってきた。


『とーぜんでございますリリックさまッ! このニニア、ご主人さまたちが危機となればたとえ火の中、水の中、そしてベッドの中でもすぐに駆けつけますにゃッ!!』 

「ベッドは余計だって……」

 

 この状況でも相変わらず頭の中のネジがぶっとんでいるニニアの発言に、思わず苦笑いを浮かべてしまうコルン。

 するとそんな賑やかな彼女たちとは反対に、アイリスが冷静な声で口を開く。


「ミント、飛空艇の燃料状態は?」

『もちろん満タン。いつでも出せる』

 

 副団長からの問いかけに、今度はスピーカーの向こうからミントの声が返ってきた。その言葉を受け取ったアイリスは、「よし」と力強く頷くと周りにいる団員たちの顔を見回す。


「今から最大出力でここからすぐに離脱するわよ。急がないといつあの大樹が……」

 

 アイリスが険しい口調でそんなことを話し始めた時だった。『そこをどくのですミント!』と何やらスピーカーの向こうでニニアとミントが揉めている声が聞こえてきたかと思うと、今度は突然……


『やいッ! この化け物植物め! よくもニニアの大切なご主人さまたちを困らせてくれたにゃッ!』

 

 突如としてスピーカー越しからニニアのうるさい怒鳴り声が聞こえてきて、慌てて耳を塞ぐ団員たち。


「ちょっとあの、ニニア……」

 

 専属メイドの突然の発言に何やら嫌な胸騒ぎでも感じてしまったのか、アイリスが思わず戸惑った様子で口を開くも、しかしそれでも彼女の暴走は止まらない。


『ご主人様たちの敵はニニアの敵、そしてご主人様たちの愛情はニニアだけのものッ! その愛の強さがどれほど強力なのか、わたくしニニアが全力で教えてやるのですッ!!』

 

 もはや何を主張しているのかまったくわからないほど一人勝手にヒートアップしていくニニア。そしてそんな彼女が、『ポチッとにゃ!』と不吉な一言を発した直後だった。

 

 突然メビウス飛空艇が淡い光に包まれたかと思うと、今度はその光が船の先端へと集まっていき、それはあっという間に巨大なエーテルエネルギーの塊となる。


「おい待てそれは……」

 

 白色に輝く尋常ならぬエネルギー体を前にさすがのリリックも動揺した声を漏らすも、時すでに遅し。

 メビウス飛空艇が有するエーテルエネルギーを注ぎ込んだ光の球は、まるで隕石かのごとく煌々しい輝きを放ちながら目の前の大樹に向かって勢いよく発射された。


「――ッ!?」


 放たれた強大な一撃が大樹に的中した瞬間、凄まじい爆発音と共に辺り一帯が一瞬にして真っ白な光に包まれる。

 その直後、今度は前方から烈風のような衝撃波が飛空艇を襲う。


「くッーー」

 

 アイリスは咄嗟に巨大な防壁を展開すると、飛空艇ごと自分たちの身を守ろうとする。

 けれども予想以上に激しい衝撃波に、船体の揺れは収まる気配を見せない。


「もうニニア! 何やってんだよッ!」

 

 必死になってリリックの身体にしがみつきながらそんな言葉を叫ぶコルン。もはや大樹どころか大陸そのものを吹き飛ばしてしまうかのような爆発の衝撃に、団員たちは全く身動きを取ることができない。


「ど……どうなったの?」

 

 飛空艇の揺れがやっと収まり、辺りに静けさが戻ってくると、団員たちはゆっくりと目を開けて周囲の状況を確認する。

 すると爆煙が立ち込める中で、前方を指差したユーニが声を上げた。


「みんな、あれ!」

「――ッ!」

 

 ユーニが示した方向を見た直後、団員たちが驚きのあまり思わず目を見開く。


「そんな……」

 

 目を見開いたまま、呆然とした様子で声を漏らすシズク。

 彼女たちの視線の先に映ったのは、あれほどの一撃を喰らいながらも無傷のまま悠然と聳え立つ大樹の姿だった。

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