第23話 仲間の力

「いつまでも逃げてばっかやったら勝負にならへんで!」


 頭上からそんな朱音の声が響いた直後、ビル街の跡地に逃げ込んだアイリスたちの周囲を突如大きな影が覆う。

 その瞬間見上げた視界の中に飛び込んできたのは、自分たちのことを押し潰そうとするかのごとく振り下ろされた巨大な死屍の拳。


「くっーー」

 

 団員たちと共に走るアイリスは咄嗟に光壁を発動させると、その強烈な一撃を何とか凌ぐ。

 けれども朱音が呼び出した怪物はすぐに体勢を立て直すと、今度は彼女たちを踏み潰すそうとその右足を大きく上げてきた。


「うわッ!」

 

 間一髪のところで直撃はま逃れたものの、まるで地震のような凄まじい地鳴りに思わず悲鳴を上げるコルンたち。

 尋常ならぬ破壊力と圧倒的な巨躯を持ちながらも、攻撃を繰り出す相手はといえばまるで子供の戯れのような動きで彼女たちを狙い続ける。


「ヤバイよアイリス! あんな化け物どうやって倒すのさっ!?」

「……」

 

 パニックに陥る団員からの言葉にアイリスは黙ったまま険しい表情を浮かべると、箒に座りながら高みの見物をしている相手を睨み上げる。

 すると敵意を剥き出しにしたその視線を受けて、朱音は「はっ」と鼻で笑うような声を漏らす。


「アンタもちょっとは殴るなり蹴るなりして反撃してみいやッ!」

「……私は野蛮な戦い方が嫌いなのよ」

 

 相手の挑発に対して、冷静な声音で言葉を返すアイリス。そして彼女は再び振り下ろされてきた巨大な拳に向かって今度はすぐさま右手をかざした。


【攻撃展開・エーテルランサー】

 

 アイリスの術によって生み出された光の槍が、迫りくる死霊の一撃を貫かんと頭上へと勢いよく撃ち放たれた。

 だがしかし、彼女の力によってエーテルを高密度に圧縮して形成されたその一撃でさえ、相手の攻撃の前では無惨にも打ち砕かれてしまう。


「むだむだッ! 属性も持たんただのエーテルの攻撃がウチの術に敵うわけないやろ!」

 

 細かな光の粒子と化して砕け散った自分の一撃を見上げ、アイリスは思わず「くっ」と苦い声を漏らす。

 するとその直後、向かってくる拳は突然その手を開いたかと思うと、今度は彼女たちを鷲掴みにしようと襲いかかる。


【防壁展開・エーテルルーム】

 

 巨大な人骨の手のひらに捕らえられる寸前、彼女たちを囲うようにして現れた光の壁がそれを拒絶した。


「アイリスっ!」

 

 自分たちを守るために咄嗟に術を放った副団長の姿を見て、シズクたちが思わず声をあげる。

 四方と天井を囲うその光の防壁の向こうでは、巨大な死屍の手が激しい力でアイリスたちを防壁もろとも握り潰そうと攻撃を続ける。


「くっ……」

 

 凄まじい敵の力を前に、防壁を展開しながら苦しそうな声を漏らすアイリス。両腕を上げ、己の身体からエーテルを放ち続けてさらに術を強化するも、それでもミシミシと鈍い音を立てながら亀裂が走っていくのを止めることができない。


「これでアンタらも終わりやなッ!」

 

 頭上から彼女たちの様子を眺めていた朱音が止めを刺すために死屍の力を増幅させた、まさにその時だった。

 崩れ始めた防壁の中でアイリスが纏うエーテルの気配が変わる。


【属性展開・アイスフロスト】

 

 アイリスの身体から青い燐光が放たれた瞬間、防壁を握り潰そうとしていた死屍の右手が突如として凍り始めた。


「――なッ!」


 突然の出来事に驚きを隠すことができない朱音。そんな彼女の視線の先では、右腕のみならず身体の半身を氷漬けにされてしまった死屍の姿が映る。


「す、すごい……」

 

 あれほどまでに苦戦を強いられていたはずの相手の動きを止めてしまったアイリスの術に、彼女の背後にいるシズクたちも思わず目を見開く。

 本来雪国で暮らしていたアイリスにとって、氷を具現化する力はまさに兎族としての証。

 しかしそれはまた同時に、彼女にとっては非力で幼かった自分自身と、そのせいで失ってしまった大切な繋がりを思い出させるもの。


 そんな過去の苦い記憶にチクリと胸の奥を刺されながらも、アイリスは今守るべき繋がりを失わない為に、目の前の強敵に向かって術を放ち続ける。


「たかが凍らせたぐらいで良い気になってんちゃうでッ!」

 

 己が呼び出した死屍を氷漬けにされてしまい、怒りを露わにする朱音。

 そして彼女はアイリスの術を内側から無理やり打ち砕こうと、身動きの取れない死屍に向かってさらに力を送り込もうとした。

 ――が、しかし。


【属性展開・アイスブレイク】

 

 再びアイリスが術を発動した瞬間、死屍の半身を覆っていた氷が突如次々とひび割れ始め、それは中に閉じ込めている人骨もろとも粉々になって崩れ落ちていく。

 そしてその直後、身体の一部を失いバランスを崩した敵はなす術もなく地上へと倒れ込んでしまう。


「ちっ、よくもウチの弟を……」

 

 無惨な姿と化した死屍を見下ろし、朱音が思わず悪態をついた舌打ちを鳴らす。

 そして彼女はそのまま死屍の側に降り立つと、またも箒を地面へと突き刺して大きな影を生み出した。


「ごめんな、ツバサ……」

 

 どこか少し寂しげな声で朱音がそんな言葉をぼそりと呟いた直後、アイリスによって倒された死屍は沈んでいくようにして影の中へと飲み込まれて消えてしまった。

 その光景を見て、一つ脅威が減ったことに僅かに安堵の息を漏らすコルンたち。

 だがしかし、それも束の間。朱音は鋭い瞳で彼女たちのことを睨みつけると、殺気に満ちた声で言う。


「……アンタら、マジで許さんからな」

 

 朱音がそんな言葉を口にして、パチンと指を鳴らした瞬間だった。

 彼女の身体の周りに無数の黒いナイフが現れ、それらが一斉にアイリスたちに向かって襲いかかる。


「――ッ!」

 

 逃げる時間もない刹那、アイリスは咄嗟に術を発動すると自分たちに襲いかかってくる刃を防ごうと防壁を展開。けれどもあまりに短い時間の中では強力な防壁を展開することはできず、仲間の身を守ることを優先した彼女は自分の防御が疎かになってしまう。


「くっ……」


 肩に深い切り傷を負い、アイリスは思わず苦痛に顔を歪めてその場に膝をついてしまう。

 するとそんな彼女を見て、朱音が呆れた声で言う。


「アホやな。そんな足手まといなんてほっといて、自分の身だけ守ってれば良かったのに」


 慌てて近寄ってきたユーニに治癒を施される彼女に冷たい視線を送る朱音は、そう言うと再び術を発動させようと右手を構えた。

 すると彼女の言葉を受け取ったアイリスが、鋭い瞳で相手のことを睨みあげる。


「自分の仲間を見捨てるわけがないでしょう」

「……」

 

 アイリスの発言に、朱音は何故かピタリとその手を止める。そして彼女は先ほどよりもさらに冷めた目で相手のことを睨み返した。


「はっ、散々ウチらの世界で好き勝手人間を殺しといて自分は仲間を見捨てへんやと? 獣人のくせにふざけんなや」


 一段と殺気の増した声で、朱音はアイリスに向かってそんな言葉を吐き捨てる。するとそれを聞いたアイリスは、相手のことを睨んだまま落ち着いた声音で答えた。


「勘違いしないでほしいのだけれど、私はこの手で人間の命を奪ったことはないわよ」

「黙れッ! そんな言葉信用できるわけないやろ!」

 

 アイリスの言葉に、烈火のごとく怒りを露わにする朱音。けれども彼女はすぐに表情を落ちつかせたかと思うと、今度はなぜか不敵な笑みを浮かべる。


「まあええわ。自分ら獣人がどれだけ酷いことやってきたか、殺されてきた人間に直接教えてもらった方がわかるやろ」


 朱音はそう言うと両手で箒を握りしめて、そこに強大なエーテルを注ぎ込んでいく。

 そして再び箒の先端を地面に向かって突き刺すと、得体の知れない術を発動させる。


【死霊降臨・憎夢ぞうむ増殖ぞうしょく

 

 朱音が術を発動させた直後、彼女の足元を中心にして黒い影がどこまでも広がっていく。

 そしてその影は辺り一帯を覆った後、今度は地面の中に染み込むように消えてしまった。


「こ、今度はなに……?」

 

 不気味なほどの静けさと、そして何も起こらない状況に怯えた表情を浮かべる団員たち。

 するとその直後だった。

 辺りの地表が次々と盛り上がり始めたかと思うと、突如地面を割って人間と思わしき死屍たちが無数に現れ始めた。


「ひぃぃぃぃぃーーーッ!」

 

 あまりにグロテスクな光景に、コルンとユーニが思わず悲鳴を上げる。

 しかもあろうことか、朱音の術によって呼び起こされた死屍たちには骨だけでなく、腐敗した人肉まで手に入れているではないか。


「くっーー」

 

 逃げ場なく周囲から襲いかかってくる死屍たちに、アイリスとシズクがすぐさま応戦。 

 けれども痛覚を持たない相手はどれだけダメージを与えて倒しても、すぐに立ち上って襲いかかってくる。


「アイリス、このままだとみんなが……」

 

 両手でハンドガンを構えて応戦を続けるも、シズクが険しい口調で背中にいるアイリスに向かって声をかける。

 その間も地中からは次々と死屍たちが這い出てきては、生きた血肉を喰らおうとするかのように彼女たちに向かっていく。


「そいつらは獣人のせいで死んだ人間たちや! アンタらのことを殺してバラバラにしても気が済まへんやろな!」

「ひぃッ!」

 

 恐ろしい発言と共に自分たちの眼前へと迫ってきた死屍にまたも悲鳴を上げるコルン。

 するとさすがに恐怖が限界に達したのか、彼女が抱き抱えているユーニが「ふぇ……」と声を漏らし始めた。


「ま、マズイよみんな! ユーニが……」

 

 ユーニの異変に気づいたコルンが声を上げた瞬間、死屍たちと戦っていた二人も慌てた様子で彼女たちの方を振り返る。

 見ると、瞳に大粒の涙を溜めて今にも泣き出しそうなユーニの姿が映る。


「アホな奴らやな! そんな足手まといのガキに気取られてる場合ちゃうでッ!」

 

 死の危険が迫っているにも関わらず理解できない行動をするメビウスの団員たちに、呆れた朱音が思わず声を上げる。

 そしてこの状況を勝機と捉えた彼女は、無尽蔵に生み出した死屍たちにさらに力を送る。


「ア、アイリスどうしよう!?」

 

 周囲から迫ってくる脅威と、胸元で泣き出しそうな幼女を抱えてパニックに陥るコルン。 

 すると黙っていたアイリスが判断を下す。


「みんな、この場から動かないで」

「え?」

 

 副団長からの指示に団員たちが戸惑った表情を浮かべる中、アイリスは咄嗟に術を発動させる。


【防壁展開・サイレントイヤー】

 

 あらゆる音を遮断するエーテル術をアイリスが団員たちにかけたまさにその時だった。

 恐怖の限界を越えてしまったユーニが大きく息を吸い、そしてーー

 

「ふえぇぇぇぇぇーーーーーっん!!!」


 まるで爆撃音のような耳をつんざく泣き声が辺り一帯に響いた瞬間、そのあまりに凄まじい音と衝撃波に「なッ!」と朱音が思わず驚きの表情を浮かべる。


「なんやねんッ! この異常なエーテル量は!?」


 両耳を押さえながらあまりの苦痛に顔を歪ませる朱音。まともに立っていることさえままならないほどのユーニの泣き声は彼女から発せられるエーテルの力も合わさって、周囲にいる死屍たちの動きさえも止めてしまい、さらには次々と消滅させていくではないか。


「くっ……」

 

 己の術が破られながらも身動きが取れない朱音は、ただ相手のことを睨むことしかできない。するとそんな彼女に向かって、アイリスが毅然とした態度で言う。


「この子はうちの団員の中では団長と唯一同じ『霊獣族れいじゅうぞく』……あなたが思っているような足手まといなんかじゃないわよ」

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