第22話 奥義
地上でアイリスたちの戦いが激化していた頃、彼女たちの遥か地下深くでもう一人の奈落の亡霊を相手にしている団員の戦いもまた激しさを増していた。
「ハァァァァーーッ!」
凄まじい威圧を放ちながら、空中で大剣を振り上げるリリック。その刃が狙うのは、自分の真下にいる黒刀を握りしめた男だ。
「……遅い」
リリックの放った刃は相手の身体に触れることもなく、そのまま空を切って地面へと激突。
直後、彼女は慌てて体勢を立て直すと視界から消えた男を探す。
「どこを見ている」
不意に真横から声が聞こえた瞬間、リリックは咄嗟に後ろへと下がり、男が仕掛けてきた一撃を鼻先寸でのところで躱す。
そして怯むことなくすぐさま大剣を構えて横薙ぎに放つと、今度は相手の脇腹を狙った。……だが、
「くッーー」
隙があったと思いきや、リリックの攻撃を瞬時に先読みした男は手首を捻って刀の角度を変えると、大剣の一撃を難なく防ぐ。
さらには不安定な体勢にも関わらず、両腕で力を込める彼女の攻撃を片手だけで押し返していくではないか。
「この野郎……」
ぎりりと歯を食いしばりながら、リリックは何とか男の力に耐えようと両足を踏ん張る。
だがしかし、このままでは力負けしてしまうと感じた彼女は、すぐさまエーテルを放つと大剣へと纏わせた。
【属性展開・炎豪烈火】
自身をも巻き込むほどの炎を生み出し、男の身体を灰と化そうと狙うリリックだったが、技が発動する寸前で相手は大きく距離を取ってきた。
「ちっ……」
燃え盛る炎の中で、思わず舌打ちを鳴らすリリック。己が生み出した炎で彼女自身が燃えることはないが、その身体にはすでにいくつもの刀傷があった。
自分とは異なり、傷一つ無いどころかまだ呼吸さえ乱していない相手をリリックは鋭い目で睨みつける。すると直後、前方にいる相手が刀を構えた。
【幻刀流・風突き】
男が距離を取ったまま突きの一手を放った直後だった。
まるで巨大な刃が迫ってくるかのような激しい突風がリリックめがけて襲いかかる。
「――ッ!」
おそらく直撃すれば真っ二つにされていたであろう風の刃を真横に飛ぶことで何とか躱したリリック。
けれども相手の攻撃は止まることを知らず、次々と形のない刃が彼女を襲う。
「ハッーー」
リリックは肉体強化した身体と野生の勘で相手の攻撃をギリギリのところで躱し続けると、今度は頭上に向かって大きく跳躍。そして再び空中で大剣を構えると、男がいる場所めがけて一気に距離を詰めた。
「馬鹿が、何度やっても同じことを……」
頭上から大振りの一撃を放とうとするリリックを見上げ、男が構える。
と、その直後。彼女の身体を纏う紅いエーテル粒子の輝きがさらに増した。
【属性展開・
空中でリリックが術を発動した瞬間、二人を取り囲むかのように突如巨大な火柱が生まれ、さらに彼女自身の身体が激しい炎に包まれてその姿が見えなくなる。
まるで燃え盛る隕石が落ちてくるかのような目を見張る一撃を前にしても男の顔には焦燥はなく、そのまま真正面から迎え撃つ為に刀を構え、そしてーー
「――ッ!?」
リリックの身体を両断するがごとく男が放った一撃はしかし、空を切るかのように炎を裂いただけで終わった。
するとその直後、背後から殺気を感じた男がすぐさま後ろを振り返る。
「ハァァァッーー!」
突如火柱の向こうからリリックが姿を現し、彼女の一撃が力の乗り切っていない男の刀を弾き、そして宙へと舞い上がらせる。
刀を手放し両手ががら空きになった相手を見て、勝機を察したリリックはすかさず二撃目を放った。
「――ぐッ」
大剣の刃が男の首元を切り裂くまさにその寸前、突如脇腹に痛みを感じたリリックが声を漏らした。
思わず攻撃の手を止めて視線を落としてみると、そこには先ほど宙へと消えていったはずの黒刀の切先が自分の身体を貫いているではないか。
「なっ……」
慌てて男から離れることによって自身に突き刺さっている刃を無理やり引き抜いた彼女は、今度はありえないという表情で男が握りしめている黒刀を見る。
「無駄だ。この刀は折れることも無ければ、失われることもない」
瞬きも許さぬスピードで新たに己の刃を生み出した男を、リリックは痛む脇腹を押さえながら睨みつける。
すると相手はそんな彼女を前にして、哀れむような声で言う。
「諦めろ。貴様に勝機などない」
「くっ……」
男は静かにそう告げると、リリックに向かって一本踏み出す。
そして今度はどこか遠い過去でも見つめるかのような目で、荒れ果てた辺りの光景を見た。
「しかし皮肉なものだな……『新世界』というこの駅名通り、かつてこの場所からこの国は変わってしまった」
……貴様ら、獣人たちによってな。
静けさと、そして殺気が一段と増した声で男が言った。
その言葉を受け取ったリリックは「ちっ」と舌打ちを鳴らし顔を歪めると、鋭い目で相手を睨む。
「さっきからアタイらのことを目の敵にしたようなことばっかり言いやがって! 厄災をもたらしたのはテメェら人間のほうだろッ!」
「笑止……あの時代を知らぬお前には何もわかるまい」
男は落ち着いた声音でそう言うと、リリックに向かって刀の切っ先を向ける。
「醜い獣である貴様らなど、この世界で生きる資格などない」
「……」
魂までをも貫くような冷たい声音で、男は獣人であるリリックに向かってそんな言葉を吐き捨てる。
そして彼は、押し黙ったまま顔を伏せた相手へとゆっくりと近づいていく。
わかっている。自分たち獣人は昔から人間に忌み嫌われていることなど。
そして、このひどく歪に歪んだ世界では、弱者である限り生きる資格を奪われ続けてしまうということを。
祖国を失い、その道理も生き方も嫌というほど味わってきた彼女だからこそ、この状況でも心を折るわけにはいかなかった。
たかが人間相手に、負けるわけにはいかなかった。
何故なら自分たち獣人には、真に秘められた『力』があるのだからーー
「テメェこそ……あんまりアタイらを舐めるなよ」
先ほどとは異なる声音で、リリックがそんな言葉を口にした直後だった。
彼女が放つエーテルの気配が突然変わり、男は咄嗟にリリックから離れる。するとその視線の先では、力強く大剣を握る彼女の身体から輝かしいほどの紅い光が溢れ始める。
そしてーー
【獣人解放・
今までとは比較にならないほどのエーテル量が、彼女の身体から解き放たれた瞬間だった。
目が眩むほどの光が辺り一帯を飲み込んだかと思うと、それは一瞬にして燃え盛る異界の炎へと姿を変える。
さらにはそれだけには止まらず、現れた炎はまるで意志を持つかのようにリリックの後ろへと集まり出すと、今度は何かを形作るかのようにまたもその姿を変えていく。
あまりに凄まじいエネルギー量の展開に、今まで無表情だったはずの男の顔に初めて驚きの色が滲んだ。
そしてその直後、リリックの背後に現れた相手を見て、男は興味深げな声を漏らす。
「ほう……『虎』とは久しぶりに見たな」
そんな言葉を呟き、男が細めたその視線の先に映ったのは、かつてこの地上では個として最強の力を持っていたと言われていた獰猛な野獣。
エーテル粒子が起こす奇跡とリリックが持つ強い意志の力によって炎の化身がごとく生み出されたのは、一匹の巨大な虎の姿だった。
術者である彼女のゆうに数倍はあろうかというその大きな虎は、目の前にいる小さな獲物を睨みながら低い唸り声を漏らす。
「はっ、これでテメェも終わりだなッ!」
力の解放と共にさらに身体能力を高めた彼女は、男に向かって刃を向けた。そして背後にいる生み出したばかりの相棒の名を叫ぶ。
「いくぞっ、『
リリックがそう言った直後、凄まじい咆哮を上げた炎の虎は目にも止まらぬスピードで男へと飛びかかった。
そして炎で揺らぐその巨爪を、黒刀を構える相手に向かって容赦なく振り下ろす。
「ぬっーー」
刃でその一撃を防いだ男が思わず口元を歪める。全身の骨が軋み、肉体が押し潰されそうなその重圧に、男は咄嗟に刃を傾けて相手の力を受け流すとその場から離れた。
「エーテルを具現化するだけではなく意思まで持たせるとは……さすがは虎の魂を司る女だな」
距離を取った相手が、燃え盛る野獣を見上げながら呟いた。
獣人解放。
人ならざる獣人、その中でも特別な者にだけ許された力。
リリックのように種族の化身を呼び出す者もいれば、時には王魔に届くほどの驚異的な身体能力や術を発揮する者さえいるといわれる極意。
そんな圧倒的な力を前にして、それでもなお男はこの死闘を楽しむかのように僅かに口端を上げる。
するとその直後、彼の瞳に大剣を構えて飛び掛かってくるリリックの姿が映る。
「はっ、ごちゃごちゃうっせーんだよッ!」
そんな言葉と共に勢いよく刃を放つ彼女の一撃を、男はその場で跳躍することで躱す。
だが直後、再び目の前から迫ってきた炎の巨爪に、彼はすぐさま黒刀を構えた。
「くっーー」
凄まじい力の攻撃に、男は刀でその一撃を防ぎながらも、そのまま虎と共に後方へと投げ出されて地上へと着地。
そして勢いが衰えることのない相手の力によって、地面を削りながら後ろへと押され続けていく。
「くっ……忌々しい!」
男は両足にさらに力を込めると、何とか野獣の力を堰き止める。そしてすぐさま反撃へと移ろうとした、まさにその時だった。
野獣の足元から、突如大剣を構えたリリックが姿を現したのだ。
「ハァァァーーッ!」
振り上げによる彼女の一撃を、男は黒刀を構えて迎え撃つ。
だがその直後。彼の視界の中で、折れた黒い刃が宙を舞う。
「――ッ?」
驚きのあまり思わず目を見開く男。直後彼は咄嗟に身体をひねって地面を蹴ると、目の前に並ぶ二つの驚異から距離を取った。
すると、一瞬とはいえ初めて焦燥を見せた相手に、リリックが威勢良く叫ぶ。
「折ってやったぞテメェの刀ッ!」
大剣の切先を向けて、勇ましい姿でそんな言葉を叫ぶリリック。
いくつもの時代を越えて自分たちの目の前に現れた亡霊を前に、彼女は今、その歴史に終止符を打とうと刃を放つ。
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