第20話 急襲

 地上でアイリスたちが再び歩みを進め始めた頃、彼女たちの足元深くでは、同じようにリリックも一人行動を開始していた。


「にしても、マジで薄気味わりーところだな……」

 

 ぼんやりと青味がかった薄暗い空間で、辺りを見回していたリリックがぼそりと呟く。

 彼女の視界に映っているのは、迷うことが難しいほどに前へとただ真っすぐ伸びている通路と、かつては列車でも走っていたのか、足元に敷かれている二本のレールだった。

 

 本来ならば何もかも暗闇に閉ざされているはずの空間なのだが、両隣の壁に等間隔で続いている光によって最低限の明るさは確保されている。


「おいアイリス、この光ってるのは何なんだ?」

 

 不気味に光るその青白い光がエーテル粒子の発光ではないことに気がついたリリックが、地上にいるであろう相手に向かって尋ねた。

 するとリリックから光の特徴を聞いたアイリスは、彼女の頭の中に声を返す。


『おそらく、電力と呼ばれる力を使った光でしょうね。科学文明期の主な原動力となっていた力の一つよ』

 

 団員からの言葉だけを聞いて、的確かつ博学な答えを返すアイリス。

 そんな説明を聞いて「デンリョク?」とリリックが首を傾げて眉根を寄せていると、再び副団長の声が頭の中に響く。


『けれども驚いたわね……当時の技術がまだ生きている地下道となると、そこが門へと続く道である可能性が高いわよ』

「はっ、だったら楽勝だな! 魔物も出てこねーし、道もただの一本道だし」

 

 薄気味悪さだけを除けばこれといって特に危険な要素もなさそうな通路に、リリックが余裕たっぷりとした声を発する。

 するとそんな言葉を聞いたアイリスから、すぐに忠告が届く。


『リリック、そこは樹海都市の中核へと続く道なのよ。いつどんな所から敵が出てくるのかは……』

「あーはいはい、わかってるっつーの。敵が出てきたらぶった斬ればいいんだろ?」

 

 一人別行動になったとはいえ、頭の中の相手に向かって相変わらずの悪態をつくリリック。

 そんな彼女の態度に、姿は見えなくとも上官がため息をついている光景が目に浮かんでしまう。


 しばらくの間地上にいる相手とくだらない口論を続けていたリリックだったが、通路が終わりふと開かれた空間へと出た瞬間、彼女は思わずその足を止めた。


「ここは……」

 

 アイリスと口論していたことも忘れ、眼前に広がる光景に目を見張るリリック。

 彼女の目の前に広がっていたのは、いくつもの線路が集結している巨大なターミナルの跡地だった。

 まるで地下にあるとは思えないほどの広さを有するその場所は、かつてこの街の終着駅として機能していたのか、リリックが今歩いてきたような通路と線路がずらりと並び、さらにその向こうには見上げるほどの高さがある大きなゲートの姿も見える。


 しかし、ここにも樹海の魔の手はすでに及んでいたようで、ゲートの向こうには大樹の根っこと思わしき部分がまるで壁のように連なっていて、立ち入る者の行く手を阻んでいた。

 予想もしなかった過去の文明が残した異質な空間を前に、リリックは思わずゴクリと唾を飲む。


『リリック、どうしたの?』

 

 不意に言葉が聞こえなくなったことに不安を感じたのか、少し険しさが混じったような声音で尋ねてくるアイリス。

 するとそんな彼女の問いかけに対して、リリックは「いや……」と間の抜けたような声だけ漏らすと、再び目の前に向かってゆっくりと歩き出す。


「……どうやら目的地近くに着いたようだぜ」

『……』

 

 線路を越え、駅のホームに飛び上がり、そのままゲートを抜けたリリックが巨大な木の根っこを見上げながら呟いた。

 あの街の人間が話した通りだとすれば、不気味な根っこに覆われたこの向こうに、目的の研究施設と『門』と呼ばれる場所が存在しているはずだ。


 リリックは背中の大剣をそっと静かに抜き取ると、その鋭い切先を大樹の根元へと向ける。そして直後、彼女は目にも止まらぬ速さで薙ぎの一手を放った。……だが、


「くそッ……すぐに元に戻りやがる」


 リリックの放った斬撃は大樹の根元を大きく切り裂くも、蓄えている負のエーテルによってそれはあっという間に再生を果たしてしまう。

 同じことを何度か繰り返すリリックだったが、残念ながらどれも結果は同じだった。


「ダメだアイリス、根っこが邪魔して先に進めねぇ」


 再び鋭い一撃を放ったものの、まるで何事もなかったかのように元の姿に戻る異界の植物を前に、思わずリリックがそんな言葉を漏らす。

 すると相手は聞いているのかいないのか、先ほどから声が返ってくる様子はない。

 

 そんな上官の態度に、ちっと舌打ちを鳴らしたリリックが「おい、アイリス……」と少し苛立った口調で口を開いた直後だった。


「ほう……まさか先客がいたとはな」

「――ッ!?」

 

 突如背後から声が聞こえ、リリックがすぐさま後ろを振り返る。

 そして視界に人影を捉えた瞬間、彼女の野生の本能が無意識に大剣を構えさせた。


「……誰だテメェ」

 

 殺気だった声を発し、前方にいる相手を鋭く睨みつけるリリック。


 彼女の目の前に音も無く現れたのは、見知らぬ人間の男だった。

 

 髪の色と同じ黒い道着に身を包み、腰に一本の刀を携えたその細身の男は、殺気に満ちたリリックを前にしても不気味な静けさを保っている。

 アイリスが索敵を展開し、まして獣人であるリリックにも気づかれずにこの場所に忍び込むなど本来ならば不可能なはず。

 それどころか、相手の男からは生物ならばみな等しく持っているはずのエーテルさえも感じることができない。


 明らかに異様であり異常な力を持った相手の登場に、リリックは柄を握りしめる両手に無意識に力を込める。

 すると、目の前の男が静かに唇を開いた。


「……死にゆく者に名乗る名前など持っていない」

「はっ、言ってくれるじゃねーかッ!」

 

 すでに自分のことを標的と捉えている相手に向かって、リリックが威勢よく言葉を返す。 

 そして彼女は、男が腰に携えている刀に手を伸ばす前に、肉体強化によって一瞬にして距離を詰めると、その喉元めがけて大剣を放った。――が、しかし。


【幻刀・クサナギノカゲロウ】

 

 リリックの刃が相手の喉を切り裂く寸前、男の右手に突如黒い刀が姿を現す。

 直後、虚空から生み出されたその細い刃が、リリックの放った一撃を軽々と受け止める。


「なッーー」


 あまりにもありえない光景を前に、思わず目を見開いてしまう彼女。肉体強化によって放ったはずの一撃を、あろうことか相手の男は片手だけで防いだのだ。


「ちっ」と思わずリリックが苦い声を漏らした直後、今度は突如身体を飲み込むような強烈な殺気を感じた彼女は、野生の勘で慌てて男から距離を取る。


「ほう、さすがは獣人だな」

「……」

 

 つう、と右頬に流れる血を感覚だけで感じながら、リリックは目の前の男から視線を外さず睨みつける。

 本能的に避けることができたとはいえ、今の一撃は彼女の目にはまったく捉えることができなかった。


 ありえない、と思わず胸中で呟いた彼女は、地上にいる仲間に向かってこの危険をすぐに知らせる。


「おいアイリス! 聞いて……」

 

 リリックが声を上げた瞬間だった。

 再び目前に強烈な殺気を感じた彼女は慌てて上半身を捻ると、そのまま真横に向かって飛び退く。

 するとその直後、彼女の視界の中で、先ほど自分が立っていた地面が斬撃によって大きく破壊されたではないか。


「無駄だ。今頃お前の仲間も同じ運命を辿っている」

「ッ!?」


一瞬にして自分の真横に現れた男の言葉に、リリックの表情が一変する。


「テメェ、アイリスたちに一体なにしやがったッ!」

 

 咆哮のごとく怒りを露わにした彼女は、すかさず男に向かって大剣を放つ。


【エーテル強化・金剛の一太刀】

 

 ありったけの力を両腕に込め、赤い燐光を纏った彼女の一撃が相手の身体を捉えた。

 その瞬間、辺り一帯に凄まじい衝撃波が突き抜ける。


「驚いたな……女のわりになかなかの力だ」

「くっ……」


 相手を一刀両断するつもりで放った刃はしかし、先ほどと同じく黒刀によって受け止められてしまう。

 けれどもリリックは引くことなくさらに両腕に力を込めると、今度は己が放つエーテルを大剣の刃へと纏わせる。


【属性展開・炎豪烈火】

 

 リリックが術を発動した瞬間、今度は拮抗する二つの刃が激しい炎に包まれる。

 直後、烈火のごとく燃え盛る異界の炎がその身に燃え移る前に、男は軽々とした身のこなしでリリックから離れた。


「……」

 

 己の連撃を食らいながらも呼吸一つ乱すことのなく静かに佇む相手を、リリックが険しい瞳で睨みつける。

 男が虚空から生み出した刀は、間違いなくエーテル術によるものだ。

 

 だがしかし、獣人でもない人間がノーモーションで術を発動させたどころか、リリックがエーテルによって強化した実体を有する握りしめる実体を有する大剣の刃を防ぐなどあまりにも埒外。

 

 明らかに今まで戦ってきた敵の中でも桁違いの強さを持つ相手を前に、彼女は無意識に呼吸を止める。

 と、その時。刀を構え直した男の左手の甲に、奇妙な刺青が入っていることに彼女は気づいた。


「テメェまさか……『奈落の亡霊』か?」

 

 不意に唇から溢れ落ちた言葉は、彼女自身がこの世で最も信じることができないはずの言葉だった。

 けれどもこのありえない事態の中では、それ以外の可能性が思いつかない。


 するとリリックからそんな言葉を問われた男は、ふっと呆れたような息を吐き出す。


「……亡霊とは、また皮肉なものだな」

 

 否定することなく、ただ静かにそんな言葉を呟く男。

 その言葉を聞いたリリックの心の中で、戸惑いが確信へと変わる。


「はっ、これまた随分とレアな奴が出てきたもんだな!」

 

 威勢良くそんな言葉を発しながらも、リリックはかつてないほどの警戒心と殺気を纏って相手のことを睨みつける。


 奈落の亡霊。

 

 古来より飛空艇乗りにとってこの世のどんな魔物よりも恐れられていた言い伝えが、今彼女の目の前に現実のものとなって立ちはだかる。

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