第15話 番人の街

 アーケードの跡地をしばらくの間道なりに進んでいたメビウス飛空艇団。

 途中何度か魔物と出くわすこともあったのだが、樹海都市に生息する魔物とはいえど彼女たちにとっては脅威となるような相手ではなく、問題なく先へと歩みを進めていた。


「あの橋の向こうに私のおうちがあるよ!」

 

 アーケードの跡地を抜けた直後、アイリスの胸元にいるヒナタが声を上げた。

 彼女たちの前に現れたのはコンクリートを素材として作られた橋で、その下に流れていたであろう川は完全に干からびている。

 そしてまた橋の向こうには同じように朽ち果てたアーケードと、廃墟と化したビル群が見えていた。


 かつては戎橋えびすばしと呼ばれ、この街の象徴的な建築物の一つであった橋なのだが、そんな歴史があったことを彼女たちが知る由もない。


 辺りに魔物が潜んでいないか注意深く警戒しながら橋の上を進んでいると、「あっ!」と突然ヒナタが声を上げた。


「お姉ちゃんたちだ!」

 

 前方を指差しながら嬉しそうにそんな言葉を発するヒナタ。すると彼女はアイリスの胸元から飛び降りると橋の向こう側へと向かって勢い良く走っていく。


「ヒナタっ!」

 

 小さな女の子が走ってくることに気づき、橋の向こう側にいた少女が声をあげた。そしてその瞬間、彼女の周りにいた人間たちも続々と集まってくる。


「良かった……ヒナタが無事で……」

 

 涙混じりに声を漏らしながらヒナタの小さな身体をぎゅっと抱き締める黒髪の少女。周りにいる人間たちもそんな二人を見て、ほっと安堵したような笑みを浮かべている。


「これからみんなで探しに行くところだったけど……よく一人で帰ってこれたね」

「ううん、うさぎのお姉ちゃんたちが助けてくれたんだよ」

 

 抱きしめられたままヒナタはそう答えると、チラリと後ろを振り返った。

 するとその視線の先ではアイリスたちがゆっくりと橋を渡ってくる姿が映る。……が、


「待って」

 

 橋の上を歩く団員たちを、突然アイリスが険しい声で制した。その言葉を聞いた団員たちは、「え?」と不思議そうな表情を浮かべてその場に立ち止まる。

 すると、その直後だった。

 突然一発の銃声が辺りに鳴り響く。


「……随分と歓迎されているみたいね」

 

 自分の頭部に向かって飛んできた銃弾を咄嗟に防壁を展開して防いだアイリスは、鋭い瞳で辺りの建物を見回した。

 するとその細めた視界の中では、瓦礫の影に隠れて自分たちに銃口を向ける人影がいくつも見えるではないか。


「だれだッ! いまアイリスのことを撃ちやがったのは!」

 

 仲間の命が狙われたことに対して、大剣を構えて怒声を放つリリック。怒りを露わに自分たちに刃を向けてくる彼女の姿を見て、ヒナタの周りにいる人間たちも慌てて武器を手にする。


「ち、違うの! あのおねーちゃんたちは……」

「ヒナタは下がってなさい!」

 

 妹を背中に隠し、腰に携えていた短剣を引き抜く少女。その鋭い切先を向ける先には、怒りを露わにするリリックだけでなく、困惑の表情を滲ませているコルンたちの姿も。


「くそっ、どうしてここに獣人の奴らがいるんだ!」

「早いとこ始末しないとまた厄災が広がるぞッ」

 

 次々とそんな罵声や怒声を飛ばし、メビウスの団員たちに敵意を向ける人間たち。

 そんな彼らに向かって「ちょ、ちょっと待って下さい!」と今度はシズクが声を張り上げるも、同じ人間である彼女の声でさえ相手の耳には届かない。


「おい! あの女、人間のくせに獣人なんかと一緒にいるぞ!」

 

 誰かがそんな言葉を叫んだ直後だった。「この裏切り者っ!」と他の人間たちが次々とシズクに向かって石を投げつけ始めた。


「……もう我慢できねぇ」

 

 あまりにも理不尽かつ差別極まりない光景を前に、ギリっと強く歯を噛み締めるリリック。

 そして彼女は大剣を構えたまま一歩前へと出ると、今度はその身体に赤い燐光を纏わせ始める。


「リリック、やめな……」

 

 一触即発といわんばかりの彼女の行動に、慌てて口を開こうとするアイリス。

 

 すると、その時だった。

 

 人間たちの荒々しい叫び声が聞こえる中で、突如落ち着きのある声が耳に届く。


「やめなさい、皆の者」

 

 しわがれた声ながらもどこか威厳を感じさせる言葉が響いた瞬間、シズクたちに向かって石を投げつけていた人間たちの手がピタリと止まる。

 そしてその直後、彼らの後ろから杖をついた一人の老人が静かに姿を現した。


「み、ミカゲ様……」

 

 現れた老人を前にして、慌てて道を譲る人間たち。

 おそらく、彼らの長なのであろう。灰色の外套を纏ったその老人は、ゆっくりとした足取りながらも躊躇することなくアイリスたちがいる橋の方へと近づいていく。


「ミカゲ様、それ以上は危険です。あいつらは獣人で……」

「わかっておる」


 若い男の言葉を制した老人は、今度は姉の後ろに隠れているヒナタに目を移した。


「ヒナタよ、あの方たちがお前をここまで連れてきてくれたのか?」

「うん……だからね、悪い人じゃないの……」


 自分のせいでアイリスたちがイジメられてしまったと思っていたのか、大粒の涙を流しながらことの成り行きを見ていたヒナタが必死になって言葉を絞り出す。

 するとそれを聞いたミカゲは「そうか」と静かに言葉を漏らすと、周りにいる人間たちに向かって言う。


「ここはわたしが話しをするから、皆の者は持ち場に戻ってくれ」

「し、しかし……」

 

 長であるミカゲの判断に、隣にいる男が戸惑った表情を浮かべる。けれども何を言ったところでその選択が変わることがないとミカゲの目を見て感じたのか、「わかりました……」としぶしぶ返事を返した彼はそのまま後ろへと引き下がる。


「ヒナミよ、お前さんもヒナタを連れて先に家に戻っておくれ」

「はい……」


 ミカゲの言葉を受け取った少女は、足元で泣き続けているヒナタを両腕で抱き抱えると、他の人間たちと同じようにその場から離れていく。


 そんな様子を、黙ったまま見つめるアイリスたち。

 そしてしばらくすると、さっきまでの険悪とした喧騒が嘘のように、彼女たちの周囲にはぽっかりと穴が開いたような静けさだけが残った。


「先ほどはこの街の者たちが失礼なことをしてしまい、申し訳ない」

 

 アイリスたちの前までやってきたミカゲは、そんな言葉を口にすると小さく頭を下げた。それを見て、アイリスが「いえ……」と静かに声を返す。


「あなたがこの街の長なのですね?」

 

 アイリスからの問いかけに、「いかにも」と小さく頷きを返すミカゲ。そして彼はそっとアイリスたちの顔を順に見回すと、再びその唇を開いた。


「それと、孫のヒナタを連れ戻してくれたことも感謝する」

「えっ、あの子っておじーさんのお孫さんだったの?」


 ミカゲの突然の言葉を聞いて、コルンが思わず声を上げる。その両隣ではシズクやリリックたちも「え?」と目をパチクリとさせていた。

 そんな彼女たちの反応を見て、老人は小さく笑った。


「とは言っても、実際に血が繋がっているわけではないのだがな。けれども一番若い彼女たちには、いずれ長としてこの街を継いでもらわなけばいけない」

「この街を……ですか?」

 

 ミカゲの言葉を聞いて、アイリスが少し戸惑ったような声音で聞き返す。するとそんな彼女を前にして、ミカゲはハッキリとした声で告げる。


「そうだとも。ここはかつてこの国で起こった厄災の最後の砦となった街であり、今もなお我々は異界との『門』を封じるための番人として代々生きてきた。……そしてあの子たちは、そんな役目を担う次の世代の者たちだ」

「……」

 

 落ち着いた声音ながらも、ミカゲは厳かな口調で自分たちの歴史について静かに語る。

 

 するとそんな話しを聞いて思わず黙り込んでしまうメビウスの団員たちだったが、眉間に皺を寄せていたリリックが口を開いた。


「おいおい、厄災の砦とか門を封じるとかよくわかんねーけど、もとはと言えばテメェら人間のせいで厄災は起こったんだろうが」

 

 どこか責めるような口調でリリックがミカゲの話しに言葉を返すと、相手の老人は小さく息を吐き出す。


「たしかに厄災のきっかけとなったのはかつて人間が作り出した文明であると伝えられているが、厄災そのものをこの世界に持ち込んだのは獣人たちだと我々は昔から教えられてきた」

「あぁ? なんで獣人が悪者に……」


 老人の話しを聞いて、思わずまたも怒りを露わにするリリック。するとそんな彼女の言葉を、アイリスが睨みを利かせて制する。


「もちろん我々もそれが真実かどうかなど今となっては確かめることはできない。けれどもそう教えられてきた以上、街の者たちにとって獣人は悪しき存在で恐れるに値するものだと認識されている……だから先ほどのような行動を取ってしまったのだよ」

「……」

 

 どこか憂いと後悔を滲ませたような声で話すミカゲに、団員たちも続く言葉を失ってしまう。

 するとそんな重々しい空気を変えるかのように、アイリスが静かに尋ねた。


「あなた方が番人として守っている『門』というのは、この街の中にあるのですか?」


 アイリスはそんな疑問を口にすると、目の前に続くアーケードの跡地を見つめる。すると老人は小さく首を振ると、その疑問について答えた。


「それは違う……我々はただ門へと通じる道を守り抜くようにと代々任せられてきただけで、その道がどこに続いているのかを確かめた者はいない」

「はっ、だったらアタイらがその道を使って門とやらをぶっ潰してやるよ。そうすりゃこの辺りもちょっとはマシな世界になるだろ」


 そう言ってリリックは周囲に鬱蒼と生えている樹海の植物たちをぐるりと睨み回す。するとそんな彼女の発言を聞いたミカゲは、「それはならん」と静かに答えた。


「門へと続く道は我々にとって聖域のようなもので、この街の人間でさえ通ることはできない掟になっているのだよ」

「しかし、だからと言ってこのような危険な場所にあの子をずっと住まわせるというのは……」

 

 ミカゲの言葉に、今度はアイリスが思わず口を挟んだ。

 本来であれば人間が生きていること自体が奇跡ともいえるようなこの劣悪な場所に、まだこれからの未来がある少女たちを残していくことに抵抗を感じてしまう彼女。

 先ほどのように魔物の脅威に晒されることもあれば、高濃度の負のエーテルによって身体が蝕まれていく可能性も十分にあるのだ。


 するとそんなアイリスの心境を察したのか、ミカゲはその口元をふっと緩める。そして彼は右手をゆっくりと上げるとその手のひらを広げた。


「なに、ヒナタもただの人の子というわけではない」

「それは……」

 

 落ち着き払ったミカゲの言葉とは対照的に、アイリスが少し驚いたような声を漏らす。 

 同じように目を見開く団員たちの視線の先に映ったのは、皺の刻まれた手のひらの上に現れ始めたエーテル粒子の輝きだった。


「我々の先祖は崩壊後の世界でも役目を果たすことができるようにと、少し身体を組み替えられていてな。その為、エーテルに対しては多少の耐性と術を扱う力を持っているのだよ」

 

 ミカゲはそう言うと手のひらに集めていた輝きを解き、再び右手を元の位置へとそっと戻す。その光景を驚いた表情のまま黙って見つめている団員たち。


 本来この世界の住人である人間は、エーテル界に住んでいた獣人たちとは違い、生身の状態でエーテルを可視化するほどの力は持っていない。

 その為シズクのように媒介となる武器や道具を使うことが常道とされているのだが、ミカゲはアイリスたちとまったく同じやり方でエーテル粒子を発現させたのだ。


 百聞は一見にしかずというまさにその言葉通り、目の前にいる老人の話しを信じざるおえなくなった彼女たちに向かって、ミカゲは再び言葉を続ける。


「特にあの子たちは幼いとはいえその力を色濃く受け継いでいる。……だからこそ、この街にとって必要な存在なのだよ」

「……」

 

 ミカゲが語る言葉に対して、アイリスはその瞳をそっと細めた。そして彼女は喉元まで込み上げてきた言葉を、躊躇いと共に一緒に飲み込んだ。


 自分たちがこの世界で生きる上で築き上げてきたルールや価値観があるように、彼らにもまた、譲ることができない信条があるのだということを感じて。

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