第10話 過去との繋がり
突如メンバーが増えたことによってさらに騒がしい船旅を過ごすことになってしまったメビウス飛空艇の団員たちだったが、ニニアも一応は正式な専属メイドなので彼女たちの飛空艇での生活そのものは確かに快適なものにはなった。
掃除や洗濯などといった雑務はすべてニニアが引き受けてくれるようになった上、今までなら簡素なラインナップが多かった食事も団員たちの好きな料理がテーブルに並ぶようになり、大食いのリリックについては連日のように大喜びしているほどだ。
時たまに団員たちの下着が行方不明になってしまうことや、就寝中や入浴中に気づけば隣にニニアがいるという怪現象を除けば、彼女たちの空の旅は思ったよりもトラブルなく進んでいたのだった。
「あらユーニ、まだ起きていたのね」
月明かりが差し込む大広間で、円卓に座っていたアイリスがふと口を開いた。
その視線の先にいたのは、眠そうに目を擦りながら扉を開けて入ってくるユーニの姿だ。
「アイリスはこんなところで何してるの?」
他の団員たちが部屋で休んでいる中、一人で広間にいた副団長に向かってユーニが尋ねる。
するとアイリスは握りしめていた羽ペンを静かに置くと、彼女に向かってそっと微笑む。
「今日の出来事を日記に書いていたのよ」
「にっき?」
ポカンとした表情を浮かべたユーニは、そのままアイリスの方へと近づいていくとテーブルの上を覗き込もうとしてうんと背伸びをする。
そんな彼女の姿に微笑みを浮かべたまま、アイリスはユーニを抱き上げると自分の膝の上へと座らせた。
「こうやって毎日どんなことが起こったのかを紙に書いて、後で思い出せるようにしているの」
それが日記よ。と優しい声音で説明をするアイリスに、ふむふむとユーニは何やら真面目な表情を浮かべながら何度も頷く。まだ幼い彼女にとって他の団員たちが行うことは、そのすべてが興味の対象として映るようだ。
「アイリスはどうしてにっきを書いてるの?」
「そうね……」
幼い少女の質問に、アイリスは僅かに瞳を細めるとその理由について考える。
もちろん彼女が一日の出来事を記すのは、任務が終わった後にナムラや団長に詳細な報告ができるようにする為ではあるのだが、それだけが全ての理由というわけではなかった。
「いつか……お姉様に会えた時にお話しができるようにする為かしら」
相手がユーニだったからだろうか、ふとそんな素直な言葉を口にした自分自身に、アイリスは少し驚いたような表情を浮かべた。
するとその話しを聞いたユーニが、「へぇ」と興味津々に彼女の顔を見上げる。
「アイリスっておねーちゃんがいたんだね」
「ええそうよ。……とは言っても、もう随分と会えてはいないけどね」
ユーニの言葉に返事をしながら、遠い過去の記憶を振り返るようにそっと目を閉じるアイリス。
そのまま少しの間黙って考え事をしていると、再び彼女の耳にユーニの明るい声が届く。
「ユーニにもね、おねーちゃんがたくさんいるんだよ」
「あら、そうだったのね」
膝の上に座る幼い団員の言葉に、瞼を上げたアイリスは少し意外そうな声音で返事をする。獣人の中でも特別な立場であるユーニには、姉妹だけでなく家族や同族の獣人も存在しないはずだからだ。
アイリスがそんなことを考えているなど露とも知らないユーニは、何やら今度は自分の両手を広げるとそれを見つめながらぶつぶつと呟く。
「シズクでしょ。リリックとコルンもそうだし、あとだんちょうとニニアと……」
広げた指を一つ一つ順に折り曲げながらそんな言葉を口にするユーニは、最後にアイリスの顔を見上げるとニコリと笑う。
「もちろんアイリスもユーニのおねーちゃんだよ!」
「……」
嬉しそうな笑顔と声で自分のことを姉妹だと言い切るユーニを見て、アイリスは一瞬きょとんとした表情を浮かべたものの、すぐに優しい笑みを溢す。
きっとあの頃の自分もこんな風に姉のことを見ていたのだろう、と。
そんなことを思いながら「そうね」と返事を返すアイリスは、そっとユーニの頭の上に手を置くとその柔らかい髪をゆっくりと撫でた。
「……この話しは、二人だけの秘密ね」
「うんっ」
アイリスとの秘密の約束に、今度はイタズラな笑みを浮かべるユーニ。
月明かりだけが満たす静かな部屋で、二人はしばらくの間そんな心安らぐ時間を過ごしていた。
***
その記憶をいつも思い出す時、真っ先に浮かぶのは、銀雪に輝く世界だ。
どこまでも続くそんな景色の中を、幼い自分は前を歩く姉の手に繋がれている。
一族の中で類まれない才能と、そして、誰よりも優しい心を持っていた憧れの人。
決して届かぬ相手とわかりながらも、自分はいつもその背中に追いつきたくて、その隣に並んでみたくて、姉の後ろばかりを歩いていた。
幼い自分にとって、姉はまさしく太陽のような人だった。
居場所のなかった自分を、いつも優しく照らしては見つけ出してくれる唯一の存在。
けれども、あの日すべてが変わってしまったのだ。
獣人の自分たちしか暮らしていないはずの山奥に、突如として人間たちがやってきた日。
自分には理解できぬ言葉と、ただならぬ敵意を向けて一族の長を取り囲んでいた彼ら。
私には、何が起こっているのかわからなかった。
わかっていたことは、彼らと話す長の表情が憎しみと苦悩に歪んでいたということ。
そしてその直後、何故か自分たちの方へとやってきた人間たちが姉を連れて行ってしまったこと。
わけもわからず去っていく姉の後ろ姿を見た時、幼い自分は咄嗟に走り出すと、その足元にしがみついて尋ねた。
――また、会えるよね?
必死になって声を絞り出して尋ねることができたのは、そんな言葉だけだった。
けれども自分が勇気を出して尋ねた言葉に、
大切な絆を繋ぎ止めようとして尋ねたその言葉に、
姉は結局何も答えてはくれず、ただ私に向かって優しく微笑んでくれただけだった。
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