第8話 飛空艇乗りの言い伝え 〜その①〜

 メビウス飛空艇がユリイカのコロニーを発ってからしばらく経った頃、その船の一室、三方を窓ガラスに囲われた大広間では相変わらず団員たちの賑やかな声が響いていた。


「しっかし樹海都市の調査だなんて、ナムラのばーちゃんも今回は随分と無茶な任務を頼んでくるよなぁ」


 レザーソファにだらしなく座っているリリックがふとそんな言葉を漏らした直後、他の団員たちと一緒に円卓のテーブルに座っていたアイリスの獣耳がピクリと動く。


「リリック、いい加減その口を慎みなさい。ナムラ『様』よ」

 

 ギロリと鋭い目つきと共に忠告の言葉をリリックに向かって投げつけるアイリス。

 けれどもそんなやりとりも日常的なことなので、「へいへい」とリリックは面倒くさそうにひらりと右手を振ると、そのまま今度はソファの上にゴロンと寝そべる。


「だいたい今さら様付けなんて言われてもアタイにとっては昔からナムラのばーちゃんはばーちゃんなんだよ。それにお前だってガキの頃は『センセーセンセー』って言いながら甘えてたじゃねーか」

「馬鹿言いなさい。私は甘えていたのではなく、いつもエーテル術を教えてもらっていたのよ」


 だから別に甘えていたわけではないから、とやけにその点については強く怒った口調で反論するアイリスに、同じくテーブルに座っているシズクとコルンが「まあまあ」と声を合わせて宥める。


「まあでもたしかに私も先生って呼ぶ方が今でもしっくりくるかなぁ」

「そうそう、私なんてしょっちゅう『先生許してぇッ!』って叫びながら逃げ回ってたもん」


 懐かしそうにそんな話しをするシズクとコルンの隣で、アイリスがわざとらしく咳払いをする。すると空気を読んでいるのかいないのか、シズクの膝の上にちょこんと座っていたユーニがふと口を開いて会話を変える。


「ねーねー、ミントおねーちゃんはどこに行ったの?」

「そういえばさっきから見てないね……」


 どこ行っちゃんだろ? とユーニと同じく辺りを見回すシズクたちに、アイリスがその疑問について答える。


「彼女なら今は動力室にいるわ。メビウスが目的地に着くまでの間、常に万全の状態にしておきたいみたいよ」

「おうおう、そりゃまた随分と仕事熱心なことで」


 アイリスが説明をする傍で、ソファに寝転んだまま口を挟んでくるリリック。

 そんな彼女をアイリスは冷たい目でチラリと一瞥するものの、何を言ったところで無駄だと思ったのか、リリックのことは気にせず会話を続ける。


「この飛空艇だけではないわ。今回の任務は間違いなく今までの中でも最高ランクに値するものよ。つまりそれだけ危険度も高いということだから、私たち自身も常に気を引き締めておく必要があるわね」

「ま、まあ確かに樹海都市ともなればどんな魔物が出てくるかわかんないもんね……」


 アイリスの話しを聞きながら、不安げな表情を浮かべてゴクリと唾を飲み込むコルン。するとそんな彼女をさらに追い詰めるかのように、アイリスが真剣な面持ちのまま言葉を続ける。


「相手はなにも魔物だけとは限らないわよ。樹海都市ともなれば滅多に立ち入ることができない場所だから、そこに眠る情報や秘宝を目当てに他の飛空艇団や海賊だって現れる可能性だってある。それに……」

 

 そこでふと言葉を止めたアイリスは、何かを考え込むかのようにそっと目を閉じる。そして他の団員たちがそんな彼女のことを黙って見つめる中、再びゆっくりと瞼を上げたアイリスが静かに唇を開いた。


「もしかしたら……『奈落の亡霊』もね」

「……」


 副団長から告げられたその言葉に、団員たちの表情が思わず固まってしまう。

 そして直後すぐに戸惑うような表情を見せたコルンが、アイリスに向かっておずおずとした口調で尋ねた。


「奈落の亡霊って……もしかしてあの科学文明の時代から彷徨い続けてるっていう亡霊船のこと?」

 

 どこか疑うような声音で尋ねながらも、怯えた様子を見せる狐耳の少女。

 するとその質問にアイリスが答えるよりも前に、ソファに寝転がっているリリックが言う。


「くっだらねーなオイ。いつからメビウス飛空艇団はお化けなんかにビビるようになったんだ?」

 

 そう言って上半身を起こしたリリックは、話し手であるアイリスのことを馬鹿にするような目で睨んだ。

 けれどもアイリスは真面目な表情を崩すことなく、淡々と言葉を紡ぐ。


「何も悪ふざけで言っているわけじゃないわよ。未知の領域であれば、私たちが想像するよりもはるかに危険で不可思議なことが起こったとしてもおかしくないわ」

「だからってさすがに奈落の亡霊はないだろ。あんなのただの噂話しだ」


 はっ、と鼻で笑いそんなことを口にするリリック。すると今度は黙っていたシズクが唇を開いた。


「でも、噂話しで片付けるにはあまりにも有名な話しだよね。それに実際そんな飛空艇を見たことがあるって言う人もいるぐらいだし……」

「ちょっ、や、やめてよシズクまで」

 

 頭の耳をぶるりと震わせて、ますます怯えた表情を浮かべるコルン。その様子から分かるように、彼女はこの手の話しも大の苦手なのだ。

 しかしコルンが怖がったところで話しが終わるわけもなく、今度は再び副団長の声が室内に響く。


「シズクの言う通りよ。奈落の亡霊の話しはただの噂話しで片付けるには不可解な点も多い。それに毎年多くの飛空艇がこの空の中で忽然と姿を消しては、未だに残骸一つ見つかっていない奇怪な事故が後を絶たないのも事実よ」

「はぁ……どうせ幻影雲にでも突っ込んで亀とか龍に喰われたんだろ」

 

 アイリスの真剣な声音とは対照的に、リリックが面倒くさそうな口調で言い返す。そして彼女は呆れたように大きく息を吐き出すと、さらに言葉を付け足した。


「だいたいアタイが一番信じられないのは、奈落の亡霊に乗ってる連中が獣人じゃなくて全員ただの『人間』だってことだ」

 

 吐き捨てるように告げられた奈落の亡霊についての有名な話しに、他の団員たちがまたも顔を見合わせる。


「にんげん、ってことはシズクと一緒?」

「うん、そういうことになるね」

 

 ポカンとした顔で団員たちの会話を聞いていたユーニがふと口にした疑問に、シズクがこくりと頷く。


 文明が崩壊し、奈落のような混沌とした時代より彷徨い続ける人の魂――

 

 これもまた飛空艇乗りであれば誰もが一度は耳にする言葉で、奈落の亡霊と呼ばれる集団には獣人は存在せず、そのすべてがかつて科学文明の時代にこの世界で生きていた人間だという。

 そしてこの話しがあるからこそ、より一層奈落の亡霊については迷信扱いされるようになったのだ。


「人間ってのはアタイら獣人よりも寿命が短い種族なんだろ? なのに科学文明の頃から生きてるっていうのがそもそもおかしいじゃねーか」

「うーん、たしかに……」


 呆れたような口調で話しを続けるリリックに、コルンがにゅっと眉根を寄せる。


 たしかに彼女が言う通り、人間という種族は獣人たちと比べるとその寿命ははるかに短い存在だ。かと言って今の世界で最も寿命が長いとされる獣人の種族であったとしても、その寿命はせいぜい二百から三百年程度と言われている。


 つまり、五百年という途方もない月日を生き延びることができる生物など、地上を覆う樹海の植物や負のエーテルがある限り生き続けることができる魔物を除いては存在するはずがないのだ。


 もちろんそんな常識を知っているリリックは、奈落の亡霊の話しに対して自分の見解を述べる。


「どうせ昔の獣人たちが適当にでっち上げた話しだろ。そうすりゃ人間たちを悪者にして排除できるからな」

「……」

 

 リリックが口にした言葉に対し、アイリスとシズクの表情が一瞬曇った。

 そんな二人の僅かな変化を敏感に察知したのか、シズクの膝の上に座っていたユーニがその口元をコルンの耳に近づけて小声で尋ねる。


「ねーねーコルン、なんでにんげんが悪ものなの?」

「あーそれは……」

 

 ユーニからの素直な質問に、少し困ったような表情を浮かべて黙り込んでしまうコルン。 

 それも仕方のないことで、ユーニが口にした疑問の答えを幼い彼女にもわかるように伝えることはなかなかに難しいことだった。


 本来この世界に住んでいた人間たちにとって、エーテル界の住人であった獣人たちは異界に生きる未知の存在として恐れられていた。

 けれども人間の手によって二つの世界の崩壊が始まった時、住処を失ってしまった獣人たちは否が応でもこちらの世界に移り住むことを余儀なくされてしまったのだが、それでも彼らは友好的に人間たちと接しようと試みた。


 だが、しかし。元々この世界にいた人間たちにとってその行為は侵略の意としてしか捉えられず両者の溝は深まっていくばかりで、今日に至るその長い歴史の中で幾度となく争ってきた過去があるのだ。


 奇跡的に種族を超えた共存を成しえたユリイカのコロニーは例外として、今でもこの世界では人間たちと獣人たちによる争いは絶えることがなく、結果としてそれが数多くの孤児を生み出すことにも繋がっていて、シズクもそんな幼少期を過ごしたことがある一人なのだ。


 場の空気が少し気まずくなってしまったことを感じたのか、呆れたように息を吐き出すリリックがそんな雰囲気を変えるかのように強い口調で言い切る。


「アタイはそういう女々っちい考え方をする奴らが大っ嫌いなんだ。獣人だろうが人間だろうが強い奴が最後まで生き残る。弱い奴は死ぬだけだ」

「途中までは良かったのに……」

 

 リリックの発言を聞いて呆れたコルンが肩を落とす。するとそんな彼女に対してリリックが「あぁ?」とケンカ腰な声を漏らした瞬間、ややこしい展開になりそうだと察したアイリスが話題を戻した。


「奈落の亡霊については諸説あるけれど、主な話しとしてはリリックが言った通り乗組員のすべてが人間であるということ……そしてもう一つの特徴は、彼らの左手の甲には『フクロウ』の刺青があるということよ」

「梟?」


 アイリスが告げた奈落の亡霊についてのもう一つの情報に、団員たちが首を傾げる。そんな彼女たちを見て、「ええ」と静かに頷くアイリスはそのまま言葉を続けた。 


「いつからそんな話しが生まれたのかはわからないけれど、昔の人間達にとって梟という動物には特別な象徴としての意味があったようね。だからその呼び方にも様々あって、森の賢者やアテーナの遣い、それに……」


ストリクス。とアイリスは静かな口調で覚えている限りの知識を口にした後、今度はゆっくりと団員たちの顔を見回す。


「何もすべての話しを信じろなんていわないわ。けれどもこんなにも長い間奈落の亡霊についての話しが言い伝えられている以上、そこには何かしらの存在が隠れている可能性は十分にあると思うの」

「たしかに火のないところに煙は立たないって言うしね」


 アイリスの話しを聞いてシズクが真剣な表情で頷く。そんな彼女に対してアイリスも同じように小さく頷くと、そのまま話しを続ける。


「そうね。それに今まで話した敵以外にも、この世界には帝国軍もいることを忘れてはいけないわ」

「あぁ? もしも帝国の奴らが現れた時はアタイが全員ぶっ潰してやる!」


 急に声音を荒らげて立ち上がるリリックに、「ひっ」と驚いたコルンが慌てて隣にいるシズクの肩に隠れた。そして彼女はおずおずとした口調でシズクに尋ねる。


「ね、ねぇ……なんでリリックあんなに怒ってんの?」


 小声で尋ねてくるコルンに、今度はシズクがそっと耳打ちをする。


「リリックはもともとヒストニア王国の王族だったんだけど、国が帝国軍に支配されちゃったのよ」

「あーなるほ……」

 

 ど。と声を漏らすよりも先に、あることに気づいたコルンが突然目をパチクリとさせる。


「え、ちょっと待って。王族ってことは……リリックって、もしかしてお姫様だったの?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る