第5話 風呂場ではお静かに

 ここはユリイカの塔の中階層に位置する場所。この階層は主に住人たちの居住区域となっているのだが、同じようにメビウス飛空艇団が住まう屋舎も存在している。


「たはぁー! やっぱ風呂は最高だなッ!」


 カコーンと間延びした風呂桶の音が響く中、湯船に身体を沈めたリリックが満足そうにそんな言葉を発する。

 その視界に映るのは白い湯気が漂う貸切の大浴場と、シャワー台に横並びで座っている団員たちの姿だ。


「あーダメだよリリック! ちゃんと体を洗ってからお風呂に浸からないと」

「はっ、風呂は浸かりたい時に浸かるのが一番気持ちいいんだよ」

 

 まあお子ちゃまにはわからないか、と上機嫌にケラケラと声をあげて笑うリリック。そんな彼女の言葉に対して、シズクの膝の上に座っているユーニがムッと頬を膨らませた。


「こらリリック、ここはみんなで使う大浴場なんだからユーニの言う通りだよ」

「そーだよ。いつも一番汗かいてるのがリリックなんだし、そのまま入ったらダシが出ちゃうじゃん」

「おいテメェ、誰のダシが出るだって?」

 

 ザパァンと勢いよく立ち上がって睨みつけてくるリリックに、余計な一言を言ってしまったコルンが思わず「ひっ」と声を漏らす。

 そして彼女は身を守るように風呂桶で顔を隠すとすぐさま謝罪する。


「ったく、謝るぐらいなら最初から余計なこと言ってくんなっつーの」

 

 湯舟の中で仁王立ちしながらふんと鼻を鳴らすリリックだったが、さすがに団員三人から非難されてしまうと少しは気にするようで、彼女はそのまま浴槽から出るとシャワー台の方へと向かっていく。

 と、その時。扉の磨りガラスの向こうにうっすらと人影が映った。


「おっ、珍しいな。お前がアタイらと一緒に風呂に入るなんて」

 

 ガラリと扉を開けて現れた人物を見て、リリックが物珍しいそうな言葉を発した。

 その視線の先にいたのは、どこか落ち着きなくソワソワとしている様子のアイリスだった。


「べ、別に構わないでしょ。入浴の時間に決まりはないんだから」

「へー……」


 アイリスの言葉を聞いて、リリックは含みを持たせるような声を漏らしながら彼女の姿をまじまじと見る。


 普段は誰もいない時間帯に入浴することが多いアイリスにとっては、いくら同性で同じ飛空艇団のメンバーといえどその肌を晒すことに抵抗があるようで、彼女の身体はなぜかハンドタオルではなくバスタオルでぐるぐる巻きにされていた。


 しかしそれでも彼女が決意を持って入浴を決めたのは、別に副団長として団員たちとコミニュケーションを図るためではなく、猫耳メイドからぽろりと言われてしまった一言を一刻も早く払拭したいからだった。


 そんな事情など露とも知らない団員たちは少し驚いた表情を浮かべながらも、アイリスが心を開いてくれたと勘違いして嬉しそうな笑みをこぼす。

 が、そんな中でリリックだけは何やら悪巧みでも思いついたかのようにニヤリとした笑みを浮かべながらアイリスの方に近づいていく。


「ったく、なんで風呂入るのにバスタオルで身体隠してんだよ」

「当たり前でしょ。私にはあなたと違って恥じらいと気遣いというものがあるのよ」

「あぁ?」

 

 茶化すような笑みを浮かべていたはずのリリックだったが、アイリスからぴしゃりと浴びせられた冷たい一言によって思わずその表情が固まる。

 直後、まるで魔物と対峙するかのように殺気だった目で睨み合う二人。そして…… 


【防壁展開・エーテルカーテン】


【肉体強化・金剛の右腕】

 

 大浴場のど真ん中で、強烈なエーテルエネルギー同士が激しくぶつかり合った。

 ひらりと現れたまるでオーロラのような光のカーテンがアイリスの身体を包み込むも、それを無理やり引きちぎろうとするかのようにリリックが赤い燐光を帯びた右手で鷲掴みにする。


「ちょっと馬鹿なことはやめなさいリリック! コロニー内での武力行使で謹慎処分にするわよ」

「はっ、それを言うならテメェだって同じだろアイリス!」

 

 ぬぐぐっとありったけの力を込めてエーテルで作られた光のカーテンもろともバスタオルをばき取ろうとするリリック。

 凄まじい力の拮抗に、周囲に立ち込めていたはずの湯気が烈風によって一瞬にして吹き飛ぶ。


「ちょ、ちょっとやめてよ二人とも! 頭が洗えないじゃんッ!」

 

 運悪くシャンプーの途中だったコルンが泡立った頭を両手で押さえながら必死になって叫ぶ。

 そんな中、事前に危険を察知していたシズクとユーニだけは己のエーテルで身を守りつつ、いつの間にか湯船に浸かりながら上官二人の戦いを「おぉ」と興味深げに見守っていた。


「くっ、こうなりゃ本気で……」


 片手では埒があかないと思ったリリックが、今度はその左腕にも燐光を纏わせて両手を使い光のカーテンを握りしめる。

 それを見たアイリスも、「往生際が悪いわね」と苛立った声を漏らすと、さらにエーテルを込めて術の強度を増していく。


 もはや大浴場がただの決闘場と化す中で、互いのプライドをかけて争う二人。

 本来であれば操るエーテル量もその強さもアイリスの方が一枚上手だ。

 だが状況が状況のせいか、羞恥心によっていつもの調子を発揮できない副団長に、リリックがすかさず王手をかける。


「このヤロウ……これならどうだァッ!」

 

 虎の猛攻のごとくリリックが力を振り絞って両腕を振り切った瞬間だった。アイリスの身を包んでいた光のカーテンもろともバスタオルが宙を舞う。

 その直後、「きゃっ」とアイリスが思わず乙女チックな声を漏らす。


「おぉっ、アイリスのおっぱいも大きい!」

「こらユーニ、そんなこと叫んじゃいけません」

 

 副団長のあられもない姿がよほど珍しかったのだろう。目をパチクリとさせながら興味津々に声を上げるユーニに対してシズクが「めっ」と戒める。

 ちなみに彼女が「アイリスも」と口にしたように、寸前までキャットファイトを繰り広げていた相手であるリリックの身体付きもなかなかのものだ。

 

 そんなナイスバディな女性たちの姿を見てしまったせいか、ユーニは何やら悩ましげな表情を浮かべると、その小さな手で自分の胸元をペタペタと触り始めた。


「ねーシズク。なんでユーニにはアイリスたちみたいにおっぱいがないの?」

「ユーニはまだ子供だからね。心配しなくても大人になったらみんなと同じになれるよ」

「ほんとに? じゃあユーニもコルンもこれからおっきくなるってこと?」

 

 何の悪気もなく純粋無垢な気持ちからそんな疑問を口にしてしまったユーニ。

 その直後、今度はシャカシャカとタオルで身体を洗っていたはずのコルンの手がピタリと止まる。


「ね、ねえユーニ……今のはどういう意味ナノカナ?」

 

 ぎこちない口調で尋ねながらも、できるだけ穏やかであろうとユーニに向かって微笑みを浮かべるコルン。

 しかし、残念ながらその笑みは見ているだけで胸が痛々しくなってしまうほど引きつったものだった。


 思わぬところで爆弾発言をかましてしまったユーニに対して、彼女を抱き抱えているシズクが慌ててフォローを入れる。


「こ、コルンは気にしなくても大丈夫だよ! それにこれからも……たぶん、まだ……」

「…………」

 

 フォローを入れるつもりが、なぜか話せば話すほどシズクの声は小さくなってしまい、ついには相手の慎ましい胸元からそっと目を逸らしてしまう始末。

 そのせいでますます涙目になってしまったコルンが、「くそぅっ!」とタオルを床に叩きつけて立ち上がる。


「わ、私だっていつかはアイリスと同じくらいおっきくなるつもりなんだから!」

「そうです。コルン様もユーニ様もこれからに期待大なのです!」

 

 突然背後から威勢の良い声が聞こえてきて、「ひっ!」と思わず肩をビクつかせるコルン。

 慌てて後ろを振り向くといつからそこにいたのか、隣のシャワー台になんとニニアが座っているではないか。しかも何故か、素っ裸で。


「ちょっ……あんたいつからいたの?」

「そうですね。麗しく色気たっぷりのお二人がキャットファイトを繰り広げ始めたぐらいからですかね」


 まあキャットは私なんですけどね! と陽気な声と共にパチっとウィンクを付け足してくるニニア。

 そんな彼女に対して呆気に取られている三人をよそに、ニニアは「どれどれ」と声を漏らしながら立ち上がると、コルンの方へと近づいてその胸元を堂々と覗き込む。


「なるほどなるほど……かつての科学文明時代の基準に当てはめるのなら、コルン様の場合は寄せて上げればC、揉んで育てればDぐらいまでは成長するかと……」

 

 では早速、と何故かツーっと鼻血を垂らしながら怪しい指先の動きでコルンの柔らかい肌に触れようとするニニア。

 そんな変態メイドを前にして身の危険を察したコルンは、「ひぃぃッ!」と再び悲鳴を上げるとそのまま湯船に向かって勢い良くダイブし、今度はシズクたちの後ろに隠れた。


「ちょ、ちょっとニニア! いきなり変なことしようとしないでよ!」


 両手で胸元を隠しながら、コルンはキリッとした目つきでニニアのことを睨みつける。

 

 だかしかし、この程度のことですんなりと引き下がってくれないのがメビウス飛空艇団の専属メイド。

 ニニアは鼻血をゴシゴシと右手の甲で拭うと浴槽の縁に立ち、そして両手を腰に当てると完全なる変質者の出立ちでコルンたちを見下ろす。


「変なこととは失礼な! わたくしはメビウス飛空艇団に仕える身として、ご主人様たちが満足できる身体を得るためのお手伝いをしようと考えているだけなのです!」

「いいってそんなことしなくても! だいたいそんなことされなくたってあと二、三年すれば私だって……」

「ふふふ、心配しなくても大丈夫ですよコルン様。このニニア、今までも数々の麗しき人の胸元を豊かにしてきた実績があり……ブニャっ!」


 突如パコンと小気味良い音が響いたと思いきや、奇声を発したニニアが目を回しながら湯船に向かって倒れ込んできた。

 と、そんな彼女の後を追いかけるように、風呂桶も一つ湯船に落ちる。どうやらこれが彼女の後頭部に激突したようだ。


「だ……大丈夫ニニア?」

 

 まるで水死体のようにぷかーとうつ伏せになって浮かぶニニアに向かって、気まずい笑みを浮かべながらシズクが恐る恐る尋ねる。

 

 そんな彼女の視界の隅では、「早くそのタオルを返しないこの馬鹿者!」「へへーん、やだに決まってんだろ!」と風呂桶が飛んできた原因であるアイリスとリリックの第二ラウンドがいつの間にか始まっていた。


 やはりメビウス飛空艇団のいるところは、賑やかさとハプニングに事欠かないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る