第4話 ユリイカの長

 ユリイカのコロニーは、少し不思議な形をしている。

 山脈の頂上付近に作られたこのコロニーは険しい山の斜面をくり抜いてできたような場所にあり、巨大なドーム状のデッキを足場にしてその上に『塔』が建っているのだ。


 まるでバベルの塔がごとく天空に向かって聳え立つその大きな建築物の中には、住人たちの居住区域はもちろんのこと市場や病院、それに映画館などの娯楽施設もあれば、教育機関や図書館までもが存在している。

 

 またコロニー自体は険しい山脈地帯に建てられているため住人たちは外に出ることができないのだが、食料などの生活用品は『sky eats』と呼ばれる定期的に運んできてくれる飛空艇の便がある他に、メビウス飛空艇団による支えもあるので彼女たちは何一つ不自由することなく生活を営むことができているのだ。


 もちろん数多く存在するコロニーの中でもここまで発展しているコロニーは稀な方で、一般的にはどちからといえば避難所や隠れ家といった側面のほうが強く、娯楽施設どころか学校などの教育機関がないことも多い。

 

 そんな中、厳しい自然環境かつましてや女性しかいないユリイカのコロニーがここまで成長発展を遂げることができたのは、まさしくこのコロニーを率いるトップによる手腕の賜物だ。


「……そうですか。またコロニーが消えてしまったのですね」


 塔の最上階。最も見晴らしが良く、まるでこの世界そのものを監視できるような場所に存在する『天界の間』と呼ばれる部屋で、悲しみを滲ませた女性の声が静かに響いた。その声の主と対面して座るアイリスは、敬意を込めた姿勢のまま言葉を返す。


「はい。おそらく負のエーテル濃度の増加によって樹海が拡大してしまったせいでしょう。南西大陸にあったコロニー群はそのほとんどが樹海の植物に飲み込まれている状況でもはや救出は困難かと……」

 

 今回の任務で自分たちが見てきた惨状を報告するアイリスに、対面に座る白髪の女性が深いため息を吐き出す。


 アラクネと同じく顔に刻まれたシワからはその人生の重みを感じさせるが、だからといって彼女もまた老いた弱々しい雰囲気は醸し出していない。

 慈悲深い瞳にはどこか聖母のような温もりと神聖さが宿っており、その服装はアイリスが着ているものと似ていた。


「わかりました。一応生存者がいないか確認する為に飛空艇連合には私から連絡しておきましょう。……報告ありがとう、アイリス」

「いえ。ナムラ様のお力になれず申し訳ありません」


 そう言って、畏まった様子で頭を下げるアイリス。そんな彼女の態度を見て、ナムラと呼ばれたユリイカのトップは柔らかな笑みを浮かべる。


「いいのよそんなこと気にしなくて。それに今回のあなた達の任務は資源の調達であってコロニー救出ではなかったもの。ましてやあの団長さんもいなかったしね」

「団長には私から任務の報告と合わせて一刻も早く戻ってくるように厳しく忠告しておきます」


「あらまぁ」とアイリスの言葉を聞いてナムラは少し目を丸くした後、今度は口元に手を当ててクスクスと笑い始めた。


「これじゃあどっちが団長なのかわからないわね。まああの人も私と同じ世代で少しマイペースなところがあるから、若い子たちに迷惑をかけてばっかりで申し訳ないわね」

「いえ。団長はともかく、ナムラ様の場合はむしろ私たちの方がいつも支えてもらうばかりで決してそのようなことは」


 ナムラが口にした言葉に対して、アイリスは慌ててそれを否定する。

 それがお世辞ではなく彼女の本心であることは、その紅く澄んだ瞳を見れば一目瞭然だった。事実ナムラはこのコロニーだけでなく、今までも数々のコロニーに手を差し伸べてきてはそこに住まう人たちを樹海の脅威から遠ざけて、そして魔物からも守ってきた多大な功績があるのだ。


 そんな偉大なる相手に対して、アイリスはかねてより考えていたことを口にする。


「その……ナムラ様は私たちと比べてもやはり働き過ぎかと。なのでコロニーの運営含めてもう少し他の者たちに仕事を任せた方が……」

 

 失礼のないように慎重に言葉を選びながら自分の身を案じてくれるアイリスの話しを聞いて、ナムラは大切な孫娘を見るかのような優しい瞳を向ける。


「ありがとうアイリス。けれども大丈夫よ。確かに老いたこの身体ではあるけれど、できることはまだまだたくさんあるわ。それに……」

 

 ふっとそこで言葉を止めたナムラはその瞳を僅かに細めると、今度は窓の向こうに映る果てしない山々を見やる。


「この世界とエーテル界が崩壊を始めてから五百年……それだけの途方もない時間が過ぎたというのに、いまだ私たちは過去の文明が残した負の遺産を何一つ解決することができていない。このままではやがて地上はすべて樹海に飲み込まれてしまい、二つの世界は二度と元に戻ることはできなくなってしまうでしょう」

「……」


 口調は穏やかながらも険しさと危機感を滲ませるその言葉に、アイリスは黙ったままナムラの顔を見つめる。


かつてこの星で繁栄していた人間たちが長い歴史の中で築き上げてきた科学文明。


 その文明の技術が最後に辿り着いた秘境こそ、『エーテル界』だった。


 この世界とは表裏一体の関係でありながら、肉眼では確認することができない別次元に存在する異界の地。

 物質界とは異なる生態系と原理原則から成り立つその世界では、エーテル粒子と呼ばれる微細な光が万物の基となっており、それはこちら側の世界に住む人間たちにとってはまさに神の領域と等しく無限の可能性を秘めた物質だった。


 生物が持つ意識に強く反応し、それを具現化する作用を持つ光の粒子。

 科学技術発展の代償として失われていくこの星の未来を救うために各国は競い合ってこの魔法のような物質の研究に乗り出したのだが、結果それは両者の世界のバランスを崩して破滅をもたらし、樹海と魔物という厄災を生み出すことになってしまったのだ。


 未だ終わらぬ過去の厄災への始末と、それが原因となって発生する自然災害や残り少ない生存圏を手に入れるための領土争い。

 混沌としたこの時代を生きる者たちにとって己の命を脅かす存在は数多あり、それだけメビウス飛空艇団が立ち向かう敵も多いということだ。


 そんな自分たちの未来に常日頃から不安を感じているアイリスは、ユリイカの長に対して意見を述べる。


「ナムラ様、樹海の拡大を防ぐことも含めて我々には解決すべき問題が多数存在しているのが事実です。それに最近では帝国の飛空艇団がさらに軍事力を強化していると耳にすることもあるので、やはりユリイカも飛空艇の数を増やしていくべきかと」

 

 やがて訪れるであろう様々な脅威に対してアイリスは自分が思う最善の策を口にするも、その意見を聞きながらナムラは静かに首を横に振る。


「残念ながらそれはできません。飛空艇というのは単なる乗り物というだけでなく、それを所持するコロニーにとってはまさに権力の象徴となる存在。むやみに増やしてしまえば新たな争いの火種を生み出し、結果さらに多くの人たちの命が失われることになる。そうならない為にも各コロニーの創始者たちは一国一艇という条約を定めたのです」

 

 落ち着いた声音で自分たちがこの世界で生きる為に築いてきたルールを語るナムラに対し、「ですが……」と困惑を滲ませた表情を浮かべるアイリス。

 けれどもそんな彼女に対して、ナムラは穏やかな顔つきのまま言葉を続ける。


「大丈夫よアイリス。確かに数の上では帝国軍が勝るかもしれないけれど、個の力となればあなた達メビウス飛空艇団に敵う相手はそうはいません。飛空艇の強さが決して数の多さだけで決まらないということは、団員であるあなた達の方がよく知っているでしょう?」

 

 優しく諭すかのような口調で問いかけられた質問に、アイリスは思わず黙り込んでしまう。


 確かにナムラが言う通り、飛空艇の強さは数の多さだけで決まるわけではない。


 いくら船体が優秀で高性能だったとしても、中で操縦する者の技量が追いついていなければ宙を漂う無力な風船も同然。


 ましてやエーテルという特殊な燃料を使用する飛空艇は、装置面の技量だけでなく、繊細かつ大規模なエーテルコントロールを求められるのでそう易々と誰もが操れるものではない。


 メビウスの中でも才ある副団長のアイリスでさえ、まともに飛行できるようになるまで数年の月日を費やしたのだ。


そんな彼女の成長の日々を最初から知っているナムラは、落ち着いた声音のまま話しを続ける。


「もちろん私達もただ黙って見ているわけではありません。こういった事態のために主要コロニー同士が手を組んだ飛空艇連合が存在するのです。来るべき帝国軍の脅威に対してはすでにこちらでも動き始めています」


 それよりも今は……、とふいに声音を落としたナムラの表情がわずかに曇った。

 そして再び窓の外をそっと見つめるナムラの横顔を見て、続く言葉をすぐに察したアイリスが先に口を開く。


「……『奈落の亡霊』、ですか?」

 

 どこか半信半疑といった口調でそんな言葉を口にしたアイリス。

 すると彼女の言葉を聞いたユリイカの長はその瞳を細める。


「ええ、そうです。今の私たちにとって最も脅威となるのは帝国の飛空艇団でもなければ魔物の王族とも呼ばれる王魔獣でもなく、古来よりこの雲の中を漂う亡霊のほうがはるかに恐ろしいでしょう」

「……」

 

 ナムラが語った話しに対して、どこか戸惑ったような表情を浮かべて黙り込んでしまうアイリス。

 普段であれば迷信の一言で片付けられてしまうような話題なのだが、相手がこの世界に精通しているユリイカの長ともなれば事情が違う。


 肯定も否定もすることができずに黙り込んでいると、そんなアイリスの気まずい雰囲気を察したのか、ナムラが今度は明るい口調で言う。


「任務が終わったばかりなのにこんな暗い話しばかりしてしまってごめんなさいね。こうやって自分たちの未来について話せる相手も年々少なくなってきてしまったから、ついあなたにまで相談してしまったわ」

「いえ。私としてはナムラ様からご相談頂けるほうが光栄ですし、何としてでもお力になりたいと常々思っております」


 畏まった口調でそんな言葉を口にして、揺るぎない忠誠心をその瞳に宿すアイリス。

 するとナムラは懐かしい思い出でも見つめるかのようにそっと柔らかく目を細めた。


「ふふ、昔は私の姿が見えなくなっただけでよく泣いていたあなたが、今となってはそれが夢だったかしらと思うぐらい逞しくなったわね」

「なっ」

 

 不意打ちのように告げられたその言葉に、思わず頬を赤らめてしまうアイリス。

 そして先ほどまでとは違い、彼女は慌てた口調ですぐさま口を開く。


「い、一体いつの話しをしているんですか先せ……」

 

 つい感情的になって声を発したアイリスだったが、無意識に過去の自分に戻りそうになってしまい咄嗟に唇を止めた。


 が、どうやらすでに手遅れだったようで、対面する相手はクスクスと肩を揺らす。


「あら、私としては様付けなんかよりも昔みたいに『先生』と呼んでくれたほうがずっと嬉しいわよ?」

「……」

 

 不覚にも自分が敬意を向ける相手に対して恥ずかしい失態をしでかしてしまったことを無言で悔いるアイリス。

 そんな後悔を赤く染まった顔で表現していた彼女だったが、コホンとわざとらしく咳払いをすると気持ちを切り替える。


「いえ……今の私にとってナムラ様は『ナムラ様』です。先ほどは失礼しました」

「あらあら、なんだか淋しいわね」


 断固として堅い姿勢を崩そうとはしないアイリスに、ナムラが微笑みながらそんな言葉をかける。


 それでもその瞳に宿る温もりは、かつて教え子として彼女と向き合っていた時と何一つ変わりはしなかった。

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