第四話 邂逅
〝うるか山〟から吹き下ろす冷たい風が木々を揺らす。太陽の光がそれを寒々しく照らしていた。
猪の命を奪った樫の太刀は血を吸って赤黒くなっていた。これを携えているせいで、獣の気配につきまとわれていた。その気配が、風が吹き抜けるのと時を同じくして波を引いて行った。
森の空気が変わったようだった。なにか湖底のように静謐で張り詰めたような、そんな雰囲気が充満している。
遠くで、何かが風を切った。
咄嗟に横に身を引いた白香のすぐそばをかすめて、大きな枝が飛んで行った。近くの大木の幹に突き刺さった枝の葉がさらさらと揺れる。
白香が枝の飛んできた方向を見ると、風に乗って赤い衣に身を纏った人影が近づいてきた。そばの岩の上に立ったその人影は白香を見下ろすように仁王立ちした。
──天狗!
その一瞬で、白香は怒りを解放して土を蹴ると、岩の上の人影に向かって血染めの太刀を振るった。瞬きほどの時間で行われたその斬撃を、赤い衣の人影はいとも容易く飛んでかわし、近くに伸びた枝の上にすっと飛び移った。
「いきなり何しやがるんだよ」
赤い衣で顔を半分隠した男は、燃えるような赤毛を風にはためかせて、意志の強い眼差しで白香を捉えた。
「問答無用」
岩の上を走って枝の上の男に斬りかかる。だが、男は白香が突っ込んできた勢いでそのまま彼女を受け流した。白香はなす術なく眼下の地面に叩きつけられた。すぐに樹上を見上げた白香だが、そこに男の姿はなく、
「だから、いきなりなんなんだ、お前は?」
白香の背後から男は問いかけた。
「ふざけるな!」
振り向きざまに太刀を振るった白香だが、虚しく空を切る。男は振り抜いた太刀の残像の中に滑り込むようにして、白香の目と鼻の先に間合いを詰めた。彼女は一瞬の隙を突かれて息を飲むその刹那、男の掌底が白香の胸元に直撃した。
雷鳴のような音が響いて、白香の身体は木の葉のように吹き飛ばされて、岩肌に打ちつけられた。
男は息をついた。
あの一撃を食らえば命はないだろうと分かっていたからだ。
舞い散る無数の黄色い葉片の中を赤黒い太刀が猛進して男の頬をかすめて飛んで行った……と思う間もなく、男のそばを目にも止まらない速さで駆け抜けていった少女が、飛び去ろうとする血の太刀の柄を掴んで男の背後に振り下ろす。
お辞儀をするようにそれを回避した男は前の方へ駆け出して白香と距離を取ると、彼女の方を振り向いた。
「お前……何者だ?」
太刀を構えた白香のこめかみを一筋の血が流れ落ちていく。
「白香──、お前が殺した雲月の妹だ」
「何を言っていやがる」
「
ほとんど一歩で間合いを消す白香が振り上げた太刀も、男を捉えることはできなかった。木漏れ日の中に身を投じた男は太い枝を掴んで折り取ると、空中を蹴って白香のそばに舞い戻る。男が抱えた枝で横に薙ぐと、突風が土を吹き飛ばす。白香は身を屈めて一撃をやり過ごしていた。柄を握るのとは反対の手で太刀の切っ先を掴んで、そのまま打ち上げる。
今度はめきっという音と共に男の身体が浮き上がって、くぐもった声が漏れ出る。だが、その勢いのまま空中で身を翻した男は枝で白香の脇腹を狙い撃ちにした。
抗いきれない衝撃が彼女を吹き飛ばして、その身体が樹の幹に打ちつけられた。樫の太刀が音を立てて岩にぶち当たって跳ねまわる。
男は口の端から流れる血を拭い取って、枝を放り捨てた。
「なんなんだ、てめえは……」
近づいてくる男を見据えながら、白香は気を失った。
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