遅咲きオメガ王子は婚活に孤軍奮闘！

第16話 発情と攻防

　まるで体が蕩けているような感覚だった。そのくらい体のあちこちが気持ちよくて、どこを触れられてもトロトロと溶け出してしまう。

「ん……っ」

　肩に吸いつかれただけで背中がぞくぞくした。肩に触れていた唇が少し動き、二の腕あたりを吸われて肩が震える。

「ランシュはどこもかしこも敏感だな」

「ん……ぅ、」

　そんな恥ずかしいことを言わないでほしいと訴えたいのに、口を開けば意味のない声が漏れるだけだった。

（前回も、こんな感じ、だったんだろう、か）

　熱に浮かされたようなぼんやりした意識のなか、そう思った。もしそうだったとしたら、あまりにも恥ずかしいしとんでもない快楽だ。

　二度目の発情だからか、ふわふわした体とぼんやりした頭でも意識が完全に途切れることはなかった。おかげで触れられるたびに声が漏れそうになり、これなら意識がないほうがいいのではと思ったほどだ。

「んっ」

　腕を取られ、二の腕の内側まで吸われてしまった。ちゅうっという音や肌への刺激に、今度は肩だけでなく腰までも震えてしまう。

「そういう初心な反応もいい」

「……っ」

　囁かれた言葉に頬がカッとした。なぜか気恥ずかしくなって顔を逸らすと、「こういうランシュも可愛いな」と言われて思考がぴたりと止まった。

（……可愛い……？　僕が……？）

　思考と一緒に止まってしまった体を引き寄せられ、正面から抱きしめられた。驚いて少し仰け反ると、今度は反った背中を指先で撫でられる。

　たったそれだけで敏感になっていた僕の体はビクビクと震え、再び気持ちよさで頭がいっぱいになった。殿下の言葉に戸惑っていたのもすっかり消えて、ただ気持ちいいことに心身が支配されていく。

　気がつけば体の外も奥も熱くてたまらなくなっていた。自分がどうなっているのかよくわからない。それでもこれが発情での交わりなのだということだけは理解できた。

「あぁ……甘い香りを感じる……前よりも濃く感じるのは、二度目、だからか……」

　殿下の囁きが聞こえるだけで頭が弾けそうになる。体の奥からせり上がってくるものが目の奥をパチパチと刺激し、ふわふわとした頭の中にギラギラとした閃光が何度も走り抜けた。

　そうして様々な刺激が限界まで膨らんだとき、溜まっていた快感がパァンと弾け飛んだような気がした。耳の近くで聞こえるくぐもった声に、殿下も快感を得たのだろうことがわかる。もう何度目かわからない感覚が怖くてたまらないのに、体はもっとと貪欲に殿下を求めていた。これが発情なのかと一瞬怖くもなったが、同じくらい強い満足感も感じる。

（これが……αとΩの、発情……）

　……うれしい。幸せな気持ちが膨らんで喜びが体の内側からあふれてくる。気持ちいいこととうれしい気持ちが体中に満ちてくる。

（ようやく……殿下と……違う、まだだ）

　ふわふわとした頭に引っかかるものがあった。何かが足りないのだと本能が訴える。

（……そうだ……まだ、噛まれて、いない……）

　とっくの前に首飾りは外れているのに、そこに口づけすらされていない。αはΩを自分のものにするために噛むのだと教えてくれたのは殿下だ。こうして発情を共にしているのに、なぜ噛まないのだろうか。

（一度目も、噛まれなかった）

　そう思ったら、喜びにあふれていた胸が押し潰されるような悲しみに覆われた。悲しいだけじゃなく苦しくて切なくて、胸を掻きむしりたくなる。こんなにひどい気持ちになったのは初めてだ。それもこれも殿下が首を噛んでくれないからに違いない。

　そう思ったら自然に口が開いていた。頭で考えるよりも先に言葉が勝手に出てくる。

「噛んで……首を、噛んで、ください」

　僕の声に殿下の動きが止まった。僕を抱きしめていた腕が離れ、上半身を起こしたのだとわかった。うつ伏せになっていた僕は、言うよりも行動で示したほうが早いと思い頭を少し動かした。

　うつ伏せのまま俯くように頭を動かせば、間違いなく僕のうなじは殿下の目に映る。いまの言葉とこの動きで、僕が噛んでほしがっているのは伝わるはずだ。

　僕は胸を高鳴らせながら、その瞬間をいまかいまかと待ちわびた。噛まれるのは痛いだろうが、心も体も期待に満ちあふれている。首を噛まれたことなどないのに、それがどれほど気持ちいいことかわかっているように心臓がバクバクと鼓動を速めた。

　早く、早く噛んで……そんなことを思ってしまうのは、それがΩの本能だからだ。二度目の発情で、僕はようやくΩらしい自分を感じることができた。それがうれしくて、さらに噛んでほしいαと発情を過ごしていることが幸せでたまらなくなる。

「……駄目だ」

　殿下の低い声に、高揚していた気分が一気に消えた。体は気持ちよさに高ぶったままなのに、心がすぅっと冷めていくような奇妙な感覚になる。

「な、ぜ……αは、噛む、て……」

　そう言ったのはノアール殿下だ。そして僕は噛まれることを覚悟した。いや、噛んでほしいと心から願っている。Ωである僕は、αであるノアール殿下に噛まれたいのだと全身全霊で思っていた。

　体がブルブルと震え出した。どうして震えるのかわからないが、体は気持ちいいままなのに心が苦しくてわけがわからない震えが止まらない。

「噛ん、で……ど、して……」

「噛めば……ランシュは、わたしから離れられなくなる」

　それを僕は望んでいるのだ。だから噛んでほしいと何度も口にするのに、殿下は頑なに噛もうとしない。体は深いところで繋がったのに、思いが通じないことが悲しくて必死に訴えた。

「ぼ、くは、あなたに噛まれ、たいんです。殿下、以外のαに、噛まれる、なんて、絶対に嫌、だ。それなら、死んだほうが、ましだと……、ルジャン、殿下に噛まれ、そうになったとき、痛感した、から……っ」

　ほかのαに噛まれることを想像するだけで身震いがする。それだけ心がはっきりと拒絶するのだ。こんなに噛んでほしいと願うのはノアール殿下に対してだけだと断言できる。それなのに殿下は噛もうとしない。

「噛んで……早く、噛ん、で……」

　噛んでほしいと訴え続けていると、これまでよりもっと濃いミルクの香りがし始めた。大好きな香りに気を取られそうになるが、いまは噛んでほしいと訴えるのが先だ。それなのに、濃厚なミルクで全身を包まれてしまうと頭が段々ぼんやりしてくる。

「噛、んで……」

　噛んでもらうまで諦めないと思っているのに、体の中にミルクがじゅわりと染みこんできて目眩がした。どこもかしこもミルクに浸されたような感覚で、香り以外のことはどうでもよくなりそうだ。ふわふわとした心地よさに心も体もうっとりとしてくる。

「……もし首を噛んだあと子ができなければ、飼い殺しにすることになる。前回子ができなかったということは、今回もその可能性があるということだ。いや、男のΩだから一度では子ができなかったということかもしれないが……」

　ノアール殿下が何か話している気がするが、ふわふわした感覚が強すぎて聞き取ることができない。

「わたしは、ランシュをそんな状況には置きたくない。それに、たとえ子ができたとしても苦しめることになるだろう。わかっているのに……手放すことができなくなってしまった。こんな感情を抱いたのは初めてだ」

　なぜだろう。殿下の声がひどく落ち込んでいるように聞こえる。それなのに耳から言葉がこぼれ落ちるせいで何を話しているのか理解できなかった。何がそんなにつらいのか訊ねたいのに、何も考えられなくなる。

　その後、僕は濃厚で濃密なミルクの香りに包まれながら何度も殿下と交わった。体の奥で殿下を感じるたびに体が満たされる感覚になったが、なぜか心は苦しいままだった。

　初めての発情のときは気持ちがいいということしか覚えていなかったが、今回は違う。ところどころの記憶とともに苦い気持ちを残したまま、僕の二度目の発情は終わった。

　目が覚めたとき、ベッドには僕一人だった。ぐるりと見回した天井や壁は、ビジュオール王国に来たときから使っている僕にあてがわれた部屋のものだ。

　ベッド脇の小さなテーブルを見ると水差しとグラスが置かれていた。深い青色の美しい形をしたグラスは、前回殿下が用意してくれたものと同じだ。

「ということは、今回も殿下が用意してくださったのかもな……」

　しかし、殿下の姿はない。ここは僕の部屋だから当然といえば当然だ。どのくらいの時間、発情を過ごしたのかはわからないが、殿下には王太子としての勤めがある。いつまでも後宮にある僕の部屋に留まることはできないだろう。

　わかっているのに胸が小さくツキンと痛んだ。それを誤魔化すように瞼を閉じ、深呼吸をしてからゆっくりと目を開く。

「今回は、何とか起き上がれそうだな」

　腰が怠く力が抜けそうな感じはするが、上半身を動かすことはできそうだ。これも二度目の発情だからだろうか。……尻は、前回よりもさらに感覚がないような気がする。というより、まだ太いものが刺さっているような気がして顔がボッと熱くなった。

「……水でも飲むか」

　水差しから水を注ぎ、グラスを手にして口をつける。ほんの少し漂う柑橘の香りが気持ちをスッと涼やかにした。

　水を飲もうと首を少し反らしたとき、首飾りがついていることに気がついた。たしかルジャン殿下に外されたはずだが……そう思いながら首飾りに触れた指がぴたりと止まる。

　グラスを水差しの隣に戻した僕は、ゆっくりと両手で留め具を外した。首飾りは殿下に頂戴したものと同じだが、これまで使っていたのと同じものかはわからない。それをベッドに置き、後頭部に右手を伸ばす。相変わらずふわふわな髪の毛に触れ、襟足を触り、そうっとうなじに触れた。

「…………何もない、な」

　少なくとも、指で触る限りは傷一つない。鏡で見ても真っ白な肌が映るだけだろう。αに噛まれたらどんな痕がつくのかはわからないが、真っさらな状態のままだとは考えにくい。ということはつまり、ノアール殿下は噛まなかった、ということだ。

「あれだけ噛んでほしいと訴えたのに……」

　途切れ途切れではあったが、何度も噛んでくれと訴えた記憶がある。……もしかして、それがいけなかったんだろうか。

　Ωがそんなことを言うのは、みっともない行為だったのかもしれない。それで呆れて……いや、それならあんなに何度も交わったりしないだろう。噛んでほしいと訴えた後のことはぼんやりとしか覚えていないが、お腹が苦しくなるくらい交わった記憶はある。それこそ、尻からドロドロと流れ落ちるくらい……。

「……いや、そのことじゃなくて」

　思い出すだけで体が熱くなる。もう発情は終わっているはずなのに、体の奥が火照るような感覚に慌てて淫らな記憶を追いやった。

「発情を共にしたのに、なぜ殿下は噛まなかったんだろう」

　そういえば何か話していたような気がする。珍しく沈んでいるような殿下の声が気になって、どうしたのか訊ねようとしたのだが……。あまりに濃いミルクの香りを嗅ぎすぎたのか、頭がぼんやりして何を言われたのかまったく覚えていなかった。

「もし噛まなかった理由が別にあるとするなら……」

　頭に浮かんだことに、気持ちが一気に沈んだ。

「……僕を妃に選ぶ気はないという意思表示、なんだろうな」

　αがΩを噛むことで婚姻に至るのだとしたら、ねだられても噛まなかったということはその気がないということだ。一度目のときに噛まなかったのも、もしかしたらそういうことだったのかもしれない。

「……そうか。少しは希望があるんじゃないかと思っていたが、もともとそんなものはなかったということか」

　ぽふんと音を立ててベッドに横になる。すっかり馴染んだ天井を見ながら、もう一度「そうか」と声に出した。

「……後宮を出るのも、現実味を帯びてきたということだな」

　右腕を額に乗せ、視界をさえぎる。閉じた目尻からこぼれ落ちたものでこめかみが濡れるのを感じながら、ゆっくりと息を吐き出した。