第38話‐其は権利なきに非ず、故に——。②

 喉の奥に針を刺したような、息の詰まる空気が漂っていた。


 しかし……、それは死体の転がる車内の凄惨な光景によって形作られたものではない。今、自分達の数m先で不気味な笑みを湛えるたった一人の男へ感じている、自分達の中の恐怖心が生み出した幻想である。


 「——おいおい……俺に用があってここまで追って来たんだろう? そう固まってちゃ話し相手にもなれやしない。トークをしようぜ、トークを?」

 「「……」」


 その幻想に微睡んだ故か——、二人は衝動に突き動かされたように、無言でリボルバーを構える。


 玉のような汗を流せながら、ジェジフを睨みつけた。


 「ハハハハハっ、そう死に急ぐだよ……話の一つ位は構わないだろう?」

 「……話す事なんてないわよ。どうせ私たちの用件なんて分かってるんでしょ?」

 「あぁ、どうせ転がってる連中と同じだろう? ……お前たちはコイツに用がある・・・・・・・・

 「「……っ!」」


 そう言ってジェジフが懐から取り出したのは、不気味な人の手——聖骸だった。


 見せびらかすようにプラプラと聖骸を振る様を見て、二人はいっそう表情を険しくした。


 「……依頼人からはアンタの生死は問わないって言われてる。——それを寄こせ」

 「お行儀のいい脅し文句だな、お坊ちゃん? 俺も悪役らしい決まり文句を返そうか? ——"欲しいなら力づくで奪ってみろ"……ってな」

 「「……」」


 ニヤリと笑ったジェジフ。覚悟を決めたように眉間のシワを濃くした二人。


 両者間の緊張感が高まって行く。


 列車の走行音だけが響く中、ゾっとすような静寂を破ったのは——。


 二発の銃声だった。


 「いい腕だなぁ!」


 戦いの火蓋を撃って落とした銃声に連なって散り、そして鳴る火花と金属音。


 高速で行われるキキとルースの銃撃と再装填リロード&ファイアをものともせず、ジェジフは正確に自身の急所へ飛んで来る銃弾を斬り落としていく。


 狭い車内を器用に駆け回り、ぐんぐん距離を詰めるジェジフ。


 5m、4m、3m……と、縮まって行く彼我の距離に比例して、キキとルースの表情が焦りで歪んでいく。


 そして、2mを切った瞬間、ジェジフが地面を強く蹴り上げ加速する。


 双剣を構え、斬り捨てんとする意思が宿った彼の視線が、二人を捉えた。


 「今ですっ!」


 その瞬間、ルースが叫んだ。


 待っていたと言わんばかりに口を開いた彼の言葉に弾かれたように、キキがリボルバーをホルスターへと仕舞う。肩へ掛けたリボルビングライフルを構えたキキが、その銃口をジェジフへと向ける。


 ファイアリングピンを下に向け、引金に指を掛けた。


 ——取った……っ!


 突進してきた相手に対し、キキが選択したのは被弾範囲の広い散弾ショットシェルである。


 通常弾頭と散弾の二種類が撃てる珍銃コンビネーションガン故の強み。銃の構造を知らなければ、ほぼ初見殺しに近いタイミングで、回避不能の一撃を見舞う事が出来る。


 これは躱せない——。


 キキは内心で勝利を確信し、引金を引いた。


 「……っ!」


 しかし、その内心の高揚はすぐに砕かれた。


 キキとルースの目論見を見透かしていたかのように、ジェジフが取った行動は回避でも、後退でもなく——、だった。


 キキが引金を引くとほぼ同時に、通路に転がった軍人の死体を蹴り上げたジェジフ。射線上に出来上がった人肉の壁が、散弾からジェジフを守った。


 散弾によって蜂の巣のようになった軍人の死体から血飛沫が上がる。


 人倫を無視したその行いにキキの表情が驚きに染まる——が、その驚きをやり返すように動いたのは……ルースだった。


 「……っ」


 軍人の死体を死角にした一撃。


 死体ごと刺し貫いて己へと飛んで来たサーベルの切っ先に、ジェジフの目が大きく見開かれる。


 彼は上体を逸らして難なく躱すも、その隙を見逃すような敵ではなかった。


 すぐさまサーベルを引き抜き、死体をジェジフへと投げつけたルース。好戦的な笑みを浮かべて死体を客席へと蹴ったジェジフに、数発の銃撃を放った。


 「ハハっ、酷い事をする奴らだ……その軍人だってさっきまで生きていたんだぜ? 正義の側に立つ人間が、死体を盾にするような真似をしていいのか?」

 「……手段を選んでいる余裕なんてありませんから。——それに、その死体を作ったのはアンタだろ。殺人鬼に道徳を問われる謂れなんてない」

 「ハハハっ、お行儀のいいお坊ちゃんだと思ったんだがなぁ~? 勘違いだったらしい。だが嫌いじゃないぜ? なりふり構わないその感じ」


 ジェジフは当たり前のように自身へ飛んで来た弾丸を、後ろに後退しながら弾き飛ばすと、挑発するように両手を広げる。


 そんなジェジフを開いた瞳孔で真っ直ぐと睨みつけたルースは、短く一呼吸を置くと、銃撃を放った。


 ルースに続くように小銃の引き金を引いたキキは、一瞬だけ両断された死体を一瞥をくれると不機嫌そうに眉を潜める。


 「余裕だなぁ! お嬢ちゃん!」

 「っ!?」

 「避けろぉ!!」


 僅かな意識の間隙を狙いすましたかのように、ジェジフは転がっていた軍人のサーベルを蹴り上げる。


 ルースの叫びにビクリと反応したキキは、飛んで来たサーベルの切っ先を、横っ飛びで回避した。


 「——格上ですっ、キキさん! 今は許容して下さい!」

 「……、……分かったわ。今は集中するっ」


 背中を向けたまま叫んだルースの忠告に、キキは一瞬だけ逡巡する様子を見せるも、すぐに返事を返すと唇を強く噛み締める。


 再び突っ込んで来たジェジフへ向けて銃撃を放つも、カチ、カチ、とルースのリボルバーから、銃撃音ではなく、撃鉄が銃身を叩く乾いた音が響く。


 弾切れ——。


 舌打ちをしたルースは、リボルバーを仕舞うとサーベルを強く握り直す。


 間髪入れずサーベルの間合いに入ったジェジフの双剣と、ルースのサーベルが交差した。


 「ルース! 何とか時間稼いで!」

 「了っ解……!」


 捌き、往なし、受け止める。双剣による凄まじい連撃を、ルースはギリギリのところで耐え続ける。


 キキの銃撃による援護も、その全てが弾かれ徐々にルースが後退していく。


 防戦一方。残りの弾丸も心許ない。このままではジリ貧である。


 「【火と硫黄、朽ち果てた池、慈母の流血は檄を弾く】——」


 故に、キキが持ち得る手札の中から選択したのは——『魔法』だった。


 凛とした声で紡がれる詠唱文に、初めてジェジフの表情が不快そうに歪んだ。


 チィ、と舌打ちをした彼は、少し焦ったように攻撃の手を早める。捌き切れなくなったルースの衣服や髪が斬られ、切れ端が宙を舞う。


 「【竜を討つ人の狂気よ、赦しを乞わぬ蛆の王位に、槍の塔を突き立てよ】——」


 赤い燐光が弾け、車内の空気が熱気を帯びる。


 ジェジフの足元に浮かんだ赤い光から、火の粉が溢れた。


 してやったり、と勝ち誇ったような笑みを浮かべたルースが、ジェジフを睨んだ次の瞬間。


 「——【イフェスティオ・ハイマトス】……っ!!」


 火の塔が立ち昇った。


 列車の天井を突き破って空へと上がって行く火の塔に圧され、ルースは後退りながら尻もちを着く。


 ジェジフも同様に火の塔から逃れる為、後ろへ跳んで回避しようとする——が、しかし、「逃がさないわよ……!」と。


 ここで仕留めると言わんばかりに、覇気の乗った言葉と共に二本目の火の塔・・・・・・・が立ち昇る・・・・・


 驚きの表情に染まったジェジフを、二本目、三本目と、立ち昇る火の塔がジェジフを前の車両へと追い立てて行く。


 「っ!」


 そして、ついにガラス付き扉——この車両の最奥まで追い詰められたジェジフに、火の塔が追い付いた。


 炎上する列車内。火の塔が天井を突き破り、青い空と市街地の景観が露わになる。


 数秒の間、列車内に立ち昇った火の塔は、徐々にその幅を小さくしていくと、小さな火の粉となって消えて行った。


 「……ここで終わってくれればいいんだけどね」

 「やっぱり……一筋縄じゃいきませんか」


 その消えた火の粉が消えて行った先——前の車両の、屋根の上に人影が映る。


 視線を見遣ると、そこには魔法によってチリチリと音を立てて燃えているトレンチコートを脱いだジェジフの姿があった。


 白シャツと黒いべストに身を包んだジェジフは、同じく少し焦げたボーラーハットを脱ぎ捨てる。手に持ったコートの中から聖骸を取り出し、破いたコートの切れ端で、聖骸をベルトに結び付けた。


 「……あ~あぁ~……せっかくの一張羅が台無しだよ」


 不機嫌そうにジェジフが口を開いた。


 「ガキだと思って甘く見てたかねぇ~? 存外やるもんだ」


 自身の服を燃やされた事が気に入らなかったのか、露わになった素顔は苛立ちに歪んでいる。大きな古傷がついた口元を不機嫌そうに曲げながら、彼は二人を睨んだ。


 「こっからはお遊びなしだ……せめて1分は持ってくれよ、冒険者?」

 「「……」」


 明らかにこれまでと違う雰囲気のジェジフに気圧され、二人は額に冷や汗を流す。


 キキはリボルビングライフルを構え直し、ルースもサーベルを強く握り直した。


 そして、間髪を入れずに地面を蹴ったジェジフが二人へ突っ込んで来た。


 「……ルースっ、これ使いなさいっ!」

 「了解っ……!」


 キキが投げて来たリボルバーを構え、ルースはキキと共に銃撃を放つが、それをものともせずに突っ込んで来るジェジフは、弾丸の悉くを斬り落としていく。


 「少しは学べよっ、銃で俺は殺せねぇぞぉ~っ!?」


 再び距離を詰めて来たジェジフ。


 だが、先程の比ではない速度で迫る凶刃に、ルースが舌打ちをする。リボルバーを降ろし、右手のサーベルを強く握り直してジェジフへと突っ込んだ。


 「馬鹿っ、ムチャよ……!」というキキの叫びを無視して、ルースは下に構えたサーベルをジェジフへ向けて振り上げる。


 「なっ……!」


 しかし、その振り上げを見事な剣捌きで後方へと往なし、宙返りをしながら回避したジェジフは、その視界にキキを捉え・・・・・・・・・・


 恐らくは魔法を警戒したのだろう。


 一瞬でキキとの間合いを詰めたジェジフ。踵を返したルースが彼女の元へと向かうよりも早く、ジェジフの凶刃がキキの首元を捉えた。


 「……っ!」


 キキの首が飛ぼうとした正にその瞬間だった。


 ジェジフの頭上を覆った影。太陽を背にして飛来した大剣に一早く気付いた彼は、双剣を後ろへと引き、一歩後ろへ下がる。


 彼とキキの間を隔てるように、大剣が突き刺さった。


 唐突な事態に一瞬固まったジェジフ。その隙を突いてルースがサーベルを振り下ろすも、それを意図も容易く弾いたジェジフは、再び列車の屋根の上へと跳んだ。


 「……これ、マスターの剣よね」

 「って事は……」


 その時だった。


 市街地の屋根から飛び跳ねて来る一つの影が、屋根に上ったジェジフ目掛けて飛んで来る。


 「……ったく、めんどくせぇなぁ? 厄介そうなのが来やがった」


 その影——アスマ・クノフロークの姿を見たジェジフは、一目で彼の実力の程を見抜いたのか、面倒そうな表情で吐き捨てるように口を開いた。

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