第36話‐文明を嫌う怪物⑥

 路地裏からアンセイムの三人が飛び出すや否や、待ち構えていたかのように、キャリバンの剛腕が振るわれた。それを長年の経験と勘で見通していた三人は、一瞬だけ驚いた表情で眉尻を上げたものの……慣れた体捌きでそれを躱した。


 「オォォォオオ!」


 空を切ったキャリバンの剛腕。それに捉えられた家屋が大きな倒壊音を立てて崩れて行く。苛立ちに満ちた咆哮が轟く中、衝撃で周囲に砂塵が舞い、三人は砂煙に紛れてその場から距離を取った。


 近くに乗り捨てられていた蒸気自動車へと乗り込み、エンジンをかける。エンジンが消えてから間もないのだろう。ボイラーが温まっていた為か、ものの数秒で甲高い蒸気音が鳴り響く。


 ゆっくりと車体が進み始め、その音に気付いたキャリバンが歯を剥き出しにして低く唸る。のそりのそりと、ぎこちない動きで追いかけて来る。


 「これからどうするの? リーダー」

 「俺らには奴を一撃で仕留める手段がねぇ。だが幸い、こっちにはいけ好かねぇ警察どうりょう共が寄こして来た対霊弾薬がある」

 「つまり、あの木偶の坊を穴の空いたチーズにしてやればいいのだなッ!」

 「あぁ、そうだ。だが、足を止めて戦うのはハッキリ言って不利だな……街の中をグルグル回りながら少しづつ奴を削って行くしかねぇ」


 対霊弾薬はキャリバンの再生を阻害する弾薬だ。数発程度ではその効果は発揮されないが、何十、何百と撃ち込めば話は違う。あの怪物の腹に、決して癒える事のない風穴を開けてやる事が出来るだろう。


 その事を考慮すれば、ケインの作戦立案は理に適っている。


 が、しかし——。


 納得しかけた二人の思考に待ったを掛ける懸念が一つ。代表するように眉尻を下げたミーシャがジト目を向け、至って普通の質問をぶつける。


 「街の被害すごそう」

 「ここはブルジョワ共の街だ。多少の被害なら、金で何とかするだろうさ」


 ニヤリ、と。悪い笑みを浮かべて、極々当たり前にそう言い放ったケイン。


 勢いとはいえ市民の安寧と秩序の守り手たる警察官のバッジをつけた身として、それはどうなんだと問い正すべき場面ではある——しかし・・・


 「それもそっか」

 「一理あるな」


 些細な仕返しの意も込めてこれから行われる大立ち回りに、心躍る何かがあったのだろう——。ケインと同じく悪戯を思いついた子供のような微笑を浮かべたジャンとミーシャは、案外と乗り気で同意した。


 ——生憎と彼らは元・冒険者であり、どん底出身のならず者。


 時代の流れとはいえ、自分達を低辺へと追いやった存在の一つであるブルジョワ達に対しての配慮の心など、微塵も持ち合わせていないのである。


 つまるところ。


 「つーわけだっ!! 思いっ切り暴れるぞっ、お前らっっ!!」

 「「了解!!」」


 ——いかにも冒険者らしい破天荒な大暴れが繰り広げられる事となった。


 「じゃ、ミーシャは空から……っ!」

 「落ちんなよ~?」


 ケインの掛け声に返事を返すや否や、我先にと飛び出したのはミーシャだった。


 警察からの支給品だろう——キキとの戦闘で壊された蒸気銃とは、別の銃を構えた彼女は、ケインの軽口を流し、小高い建物の一角へと向けてワイヤーを射出する。


 ギュルンギュルンと、巻き取り機がワイヤーを回収し、ミーシャの身体が宙へ浮く。空中を立体飛行しながら頭・胴・尾っぽの順に、自慢の射撃を披露した。


 怒りで我を忘れているのか、被弾したキャリバンは痛がる素振りを見せない。しかし、銃弾が当たった個所の再生が明らかに遅く、そして青みがかった怪物の身体が僅かに白みがかったのを、ケインは見逃さなかった。


 「ハハっ、効いてやがるな……! ほらついでだ! こいつも受け取れ!」


 軽薄に笑ったケインは曲がり角でハンドルを回し、車体を急カーブさせた。


 車が曲がる刹那、置き土産だとでも言うように、彼が懐から取り出したルーン・カードには、『ᛖᛪᛈᛚᛟᛋᛁᛟᚾ火よ、燃え爆ぜろ』と記されていた。精霊資源と共に投げた即席爆弾は、淡い精霊の燐光が漂った次の瞬間、キャリバンの頭を吹き飛ばす。


 凄まじい音と爆発音と共に、こちらを認識できなくなったのか、覚束ない足取りでそのまま直進したキャリバンは、曲がり角を曲がり切れずに建物へと突っ込んだ。


 瓦礫と共に砂煙が舞い、その中から頭部をゆっくりと再生させたキャリバンが顔を出す——と、同時に凄まじい銃撃音が鳴り響き、再び頭部が吹き飛んだ。


 『キュオオオオオ……っ』

 「フハハッ! 派手に吹き飛んだな!」


 ジャンである。


 銃口から上がった白煙が、空へと立ち昇って行った。


🕊


 同地区、中央通り。ウォーレイ橋前に立つ時計塔。


 レンガ造りの歴史あるこの時計塔は、リベルタスを象徴する歴史的建造物として有名である。時計の整備の為に設けられた屋外通路の上に二つの人影があった。


 アスマとハンスである。


 「——若いってのはいいなァ……この歳になると、変化が苦でしかねェ」

 「……、……そうだな」


 しみじみと言ったアスマの言葉に同調したハンスは、嫌そうな表情を見せる。だが、表に出てしまった自分の感情を隠すように、彼はハンチング帽を目深に被った。


 時計塔から少し離れた場所で大きな爆発音が鳴り響く。


 少しだけハンチング帽を上げ、鍔の下からのぞき込むように向けた先には、巨大な怪物を中心に三つの人影があった。


 ケイン達である。


 「……あぁいう姿を見る度に思い知らされる。どんな時代であろうとも、主役は若者なのだと」

 「全くだ。歳なンて取るもンじゃねェし、夢なンて見るもンじゃねェな……。変わるにァ遅過ぎる。なのに諦めるにァ眩し過ぎる。この歳になるまで、ずっと時間を使い潰して来た感覚だけがあるぜ。オマエもそうだろ?」

 「……あぁ、まぁな。若い頃のチャンスの全てを捨てて、子供のように喚き散らして来たよ。どうして『自分俺達』が変わらなくちゃいけない? 『世界お前達』の方が変われ! とな」

 「羨ましい話じゃねェか。オレはそれすら出来なかったよ」


 ただの半端モンだな、ハハっ……と。アスマはハンスと同じく自嘲気味に笑った。


 哀愁の漂う空気を醸しながら、二人は屋外通路から時計塔の中へと入り、螺旋階段を下って行く。カツカツと、時計塔内に靴音が響き渡る。


 「……お互い、若さの使い方を間違えたらしい」


 ポツリ、と。ハンスの口から零れ落ちた言葉。


 「……だが、老いの使い方はお前が正しいように見えるよ……お前は大した奴だ、アスマ」


 屋外通路と同じ声音で語られたその言葉は、しかし、どこか茶化す事の出来ない空気感を纏っていたように思えた。軽口で誤魔化す事の出来ないような、張り詰めた重い空気感が。


 ——だが、彼の言う通りなのだろう。アスマとハンスの違いは、それが全てだ。


 「……若者の成長を見守り、道を踏み外した時は教えてやる。少しでもより良い方向へと導いてやるのが、老いた人間の努めなのだろうな……」

 「……」

 「……お前だろう? ケイン達が警察になれるよう裏で口添えでもしたのは?」


 階段を下りきり、外へと出た二人。すると、彼らから十メートルも離れていない距離にある家屋が倒壊し、燃え散った灰のように白くボロボロになったキャリバンの姿が露わになる。


 『……ルォォォっ』と、最期の力を振り絞って出した声は、しかし——次の瞬間に鳴り響いた三発の銃声によって掻き消される。空へと立ち昇って行く銃声の余韻に引かれるように、身体が崩れ始めたキャリバンの身体が風に舞い上げられて行く。


 その見上げるような巨体の後ろから、三つの人影が現れた。


 良く見慣れたその人物の胸には、『甲冑と鷲獅子』を象ったバッジがつけられている。他でもない——冒険者が心から憎んでいる筈の警察のバッジだ。


 「……オレの今後を心配して『冒険者なんて辞めておけ』って言ってくれた奴らの言葉を突っぱねていなかったら……オレの人生には、もっと別の道があったンじゃないかと考える時が時々ある。若い頃の話さ……。今ではつくづく実感してるよ。——アイツらが正しかったって」


 風に煽られて飛んで行くキャリバンの灰を目で追い、自然と空を見上げたアスマ。


 「……だから、なんだろうな? アイツらの背中を追いかけてるだけなンだよ、オレは。アイツらと同じ事をして、自分が真っ当な人間だって思いたいだけだ。——買い被り過ぎさ。オレが正しく見えたのなら、それはオレの周りにいた連中が正しかっただけさ」


 過去を悔いるように語られたアスマの顔は、その言葉とは裏腹にどこか晴れやかだった。その表情の奥底にある真意は計り知れないが、きっと、彼の中では既に決着のついた問答なのだろう。


 ハンスがそこに答えを出せず『世界の方に変われ』とキャリバンを召喚したのとは違い、アスマは周囲から遅れながらも、『自分を変える』道を選んだのだ。


 「……、……そうか。やっぱり大した奴だよ、お前は」


 フっ、と。瞼を下げて微笑んだハンスの表情は、納得したといわんばかりだった。しかし、どこか寂し気に見えるのは、彼がアスマとの差を比べてしまったからなのだろう。


 自分とよく似た存在。若さを消費し、間違った道を進んでしまった老いた人間。


 だが、それでもどん底までには落ちていないのは、アスマが自らの間違いを受け入れているからだ。その度量だけは、ハンスが持ち合わせていなかったものだ。


 ——ほんの少しだけ劣等感を感じてしまったのは、それが原因なのだろう。


 「あれ? オッサン……何でこんな所にいるんだ? 第二労働区の方のキャリバンを倒しに行ったんじゃ無かったのかよ?」

 「もう倒したに決まってンだろ? 余裕だよ、余裕」

 「あっちには二体いたはず……」

 「……とことんブっ飛んでいるな、貴様」


 アスマがハンスと話していると、自分達の姿を見つけたケイン達が話し掛けて来る。何でもないという風にキャリバンの討伐報告を聞いた彼らは、少し引いたように半眼を作った。


 「……それよりも——そのバッジ、似合ってるじゃねェか?」

 「……っ、……、……あぁ、まぁな。どっかのお節介なオッサンが、どこぞのチビ警部に口添えしたせいで、最悪な所に再就職しちまったよ」


 胸のバッジを指摘され、少し言い澱んだケイン。だが、小さく溜息を吐いた彼は、どこか開き直ったように皮肉を口にする。彼のその言動に倣ったように、ジャンとミーシャも満更でもなさそうな笑みを浮かべる。


 そんな三人の反応を見て、アスマも嬉しそうに笑みを浮かべた。


 そして、意を決したように言った。


 「ハハっ、そいつァ良かったな? ——なら、警察としての初仕事もきちんとこなせよ?」

 「?」


 言葉の意味が分からず、はてなマークを浮べたケイン。


 だが、戦いの高揚が少しづつ落ち着いたおかげで、ハンス達は時計塔の入り口付近——影になっている部分に立つハンスの姿に気付いた。


 一瞬、驚いたような表情をしたアンセイムの三人。バツが悪そうに視線を逸らすも、少し躊躇いながら歯切れの悪い声音で口を開いた。


 「ハ、ハンスさん……いたのか」

 「あぁ。そこの意地の悪い冒険者に捕まってな」

 「そっか……」

 「あぁ」

 「……あー、えーと……」

 「……」

 「……」

 「……ケイン」

 「……な、何だよ?」


 ケインの名を呼んだハンスは、ゆっくりとケイン達の前に立った。


 そして、少し困ったような笑みを浮べると、無言で両手を突き出した。


 「頼む」


 ただ一言。そう言ったハンスの行動の意味を、ハンス達は一瞬で理解した。


 ——手錠を掛けろ。そう言いたいのだろう。


 「掛けてやれよ? 言ったろ? ちゃんとこなせよって」

 「「「……」」」

 「それがオマエらの初仕事だ」


 どうすればいいか分からずに固まっていた三人へ向け、アスマが口を開く。


 思い出したように懐から取り出した手錠。装備品と共に渡されたそれを手にしたケインが、三人を代表するようにハンスの手へと掛け始める。


 ぎこちなく、躊躇うように行われた手錠掛けの初仕事を終えると、三人は無言でその場に立ち尽くす。何を言えば分からないといった風に、黙っている彼らへ向けて、ハンスは柔和な笑みを浮かべて口を開いた。


 「そんな顔をするなよ。お前達は正しいのだからな」

 「……」

 「これから世話になる」

 「……、……あ、あぁ……分かった」


 まだ実感の沸かないのか、どこか呆けたように何とか言葉を紡いだケイン。しかし、ハンスの優しさを汲み取ったのか、三人はハンスを逃がさないように傍に立つ。


 「……これから、留置場の方にアンタを護送する。抵抗しないでくれよ、ハンスさん……」

 「あぁ、分かった。しないよ」


 そう言って、・アンセイムという冒険者ギルドだった三人の警察官は、その場を後にした。ただでさえ見すぼらしいその背中を更に丸めて、ハンス達は歩いて行く。


 去って行くその四つの背中を見送って、「さて——」と、アスマは踵を返した。


 「……オレも行くか。情報は本当に合ってるンだろうな、エマ・・?」


 すぐ近くで一匹の鳩を腕に留めたエマが、そこに立っていた。


 「——あぁ、間違いないよ。ついさっき、伝書鳩を通じて情報が入った。アポン=エイヴォン第二商業区の方で捕まったマックス・ムスターマンが自白した。バーリー兄弟は今、サザンギャレット第一商業区の方から出る事になってる急行便に乗っているってね?」

 「オーケーだ。オレはこのまま奴らを追う。オマエも来るか?」

 「いや、アタシは後処理優先さね。——後は頼むよ、冒険者」


 辺りを見渡しながら肩を竦めたエマ。


 あちらこちらの家屋が倒壊した酷い惨状である。この後始末の事だろう。


 「あぁ」と短く返事を返したアスマは、ケイン達が乗っていた蒸気自動車へと乗り込む。愛用の大剣を後ろの席に置き、彼は冒険者らしい快活な笑みを返した。


 「——任しとけ!」

_____________________________________

※以下、後書きです。

ここまでで<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第五章・文明を嫌う怪物>は終了となります。ここまで読んで下さった読者の方々は、本当にありがとうございました。一人の創作者として、これほど喜ばしい事はございません。これからもご愛読して下さると、更に喜ばしく思います。

次回からは、<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第六章・其は権利なきに非ず、故に——。>に入ります。少しでも面白いと思ってくれた方々は、これからもよろしくお願いします。

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