第35話-文明を嫌う怪物⑤

 キュステ=ブルク中央街区。


 証券取引所や銀行の他、大商会や株式会社の本拠が集中した地域であり、有力な証券取引所などが多く存在する上、外国為替市場などの国際金融取り引きが活発に行われている国際金融センターとしての側面を持つ。


 リベルタス市に留まらず、セントへリックという国家そのもの経済の一役を担っている大都市として、シティ・オブ・リベルタスという別名も持つこの都市は、正しくリベルタスの中心と言っても過言ではないだろう。


 『ォオオオオオオオオオォオォォォォォオオオオォオォ~~ッッ!!』


 そんな街区の一角。およそ生物の形態とは思えぬ醜悪な姿の怪物——キャリバンが、少し先の場所で暴れ回っている。


 「……どうするつもりだ、ケイン」

 「あの警部の話、受けるの?」

 「……」


 軍とキャリバンが交戦から逃げ惑う人々の人垣の中、ケインは呆然と立ち尽くしていた。まだ迷っている彼の背中に向けられたジャンとミーシャの言葉に押し黙り、まるで答えを求めるかのように、その手に握られた物へ目を向ける。


 ケインの手に握り締められていたのは『甲冑と鷲獅子』を象ったバッジ。


 リベルタス警察の一員である事を証明する証である。


 「俺は……」


 ケインの脳裏に数刻前のエマとの会話が過る。


 🕊


 「——アンタ達、『民間の騎士』になる気はないかい?」 


 その言葉の真意が理解できず、三人は無言で固まった。


 状況が上手く呑み込めない自分達の姿が可笑しかったのか、少し面白そうに表情を綻ばせたエマは、「……昨日、アンタ達を護送してた車の中でアスマに言われたんだよ」と。


 「『新しい部下が欲しくないか? ちょうど三人、有能な冒険者に心当たりがある。犯罪歴はあるが、せいぜい子供のいたずら程度の犯罪しかしていない小心者共だ』ってね?」

 「「「……っ」」」


 その言葉で、ようやくエマの言葉の真意を理解した三人は驚きに染まったひょぷ上で顔を上げた。


 つまり、彼女はこう言いたいのである。


 ——警察になるつもりはないか? と。


 「……本気で言ってるのかよ? 俺たちは冒険者だぞ? お前たちの敵だ。社会の厄介者だっ。他でもない……冒険者から居場所を奪ったお前たち警察の誘いを、俺たち冒険者が本当に受けると思っているのかっ?」

 「いやならいいさ。アタシだって旧友に言われなきゃこんな事は言ってない」


 素っ気なく言って、エマは懐から何かを取り出し牢の中に放り込んだ。


 三人の前に転がった物は、恐らくはこの牢屋を開ける為の鍵と、そして——『甲冑と鷲獅子』を象ったエンブレムのついた警察のバッジ。


 本気で言っている。


 その三つのバッジを見てそれを理解した三人は、それ以上の追及が出来ず再び押し黙った。


 「武器は守衛室に置いてある。一緒に対・キャリバン用の弾丸も用意してある。やる気があるなら、それを持ってキャリバンを倒しに行きな。勿論、そのバッジを胸につけてね?」


 カツカツと、靴音を鳴らしながらその場を去って行くエマの後ろ姿と、床に転がった三つのバッジを三人は交互に見つめた。


🕊


 「……なぁ、ジャン、ミーシャ。お前ら、冒険者以外の道を選んだ自分って、想像したことあるか?」


 唐突に問われた問い掛けに、ジャンとミーシャの二人は顔を見合わせた。


 少し考えた素振りを見せた二人は、「いや、ない」「ミーシャもない」と返事を返す。


 「はは、だよな……俺もだ。これ以外の道なんて考えた事なかった」


 力なく笑ったケイン。何を言うべきかと迷ったように、口元をまごつかせる彼の次の言葉を、二人はただ待った。


 そして、ポツリと。


 「……今さら変われると思うか?」


 不安に圧し潰されそうな声音でただ一言だけ紡がれた問い掛け。


 それはきっと、ケインだけではなく、ジャンとミーシャも同様に心の奥底で感じていた不安だ。


 冒険者以外の道なんて考えた事もなかった——いや、考える事を割けていた。


 この不安は、その思考の放棄を自分達に行わせた原因と言ってもいいだろう。


 『恐れていた』のである。


 これ以外をやって来なかった自分達が、今さらこれ以外の道に進んだところで、何者かになれるのだろうか? と。


 どうしようもない程の恐怖心が、自然と自分達に冒険者以外の選択肢を遠ざけていた。それはきっと、誰しもが持っている感情であり、ハンス達も同様に感じていた筈のものなのだと思う。


 キッカケなどというものは何だっていい。些細なもので十分なのだ。今日は天気が良かったからとか、何となくそう思ったからとか、何だって……。


 だから、今までの自分達の人生には、その問い掛けに対して『変われる』という答えを提示できるチャンスがいくらでもあった筈なのだ。


 幾らでもあった筈なのに、一度も変わらなかったのは——。


 やはり恐れていたからなのだ。


 「……」


 そして。


 その変われるチャンスが、ケインの手には握られている。


 あと必要なのは茶った一つ。


 ——勇気だけなのだ。


 「おいっ、そこで何してる!? 早く逃げろ!!」


 ケインの問いにジャンとミーシャが答えあぐねていると、男の怒声が響き渡った。


 見ると、警察の制服に身を包んだ男達——おそらく民間人の避難を手伝っていたのだろう——が、身体の何か所からか血を流しながら立っていた。


 辺りには彼と似たような状態の警察官や民間人たちが複数いる。仲間に支えられながら、意識もなく全身から血を流す者も数名おり、キャリバンから命からがら逃亡してきたであろうことは一目で理解できた。


 「ぼーっとしてるんじゃない! キャリバンが来るぞっ! 急——」

 『——オォォォォォオオオオオォォォォォォオオ……っ!!』


 警察官たちの言葉を遮ぎったのは、建物を破壊して現れたキャリバンだった。


 突然現れたキャリバンは軍人たちを捉えると、ゆったりと腕を振り上げる。唐突な事態に対応できず、警察たちは怯えた表情で固まる事しかできない。


 次の瞬間——。


 悲鳴を上げる事さえ出来ない彼らへ向けて、怪物の腕が振り下ろされた。


 「ジャンっ、ミーシャ!!」

 「あぁッ!」「分かってる!」


 咄嗟に。ケインはそう叫んでいた。そして行動していた。仲間の名を叫び、その手に銃を握り締めしめていた。


 ジャン、ミーシャも同様に、名を呼ばれるよりも早くその足は動いていた。


 振り下ろされた怪物の腕が警察たちを挽肉にするよりも早く、ケイン達三人の放った銃弾がキャリバンの腕を撃ち落とす。


 『キュオォォォオオン……っ』と、痛みに叫ぶキャリバン。助かった事への安堵よりも、やはり目の前の怪物への恐怖心が大きいのか、警察たちは呆けている。


 「何してる! 早く逃げろ!!」

 「っ、わ、分かった……っ。ありがとう……っ」


 急いで駆け寄ったケイン達が肩を貸し逃走を手伝う。


 「このまま行け! 別の通りに繋がってる!」と、近くの路地裏へと彼らを逃がすと、ケイン達は再びキャリバン達へと向き直った。


 「い、行けって……まさか戦うつもりか……っ? 無理だ! 軍が到着するまで逃げ回った方がいい!!」

 「……その逃げる時間を誰かが稼がないと、全員死んじまうだろうが。それとも、ケガ人抱えたままあんなのから逃げ切れると本気で思ってるのか?」

 「そ、それは……そうだが……」


 少し考えたような様子の警察官達は、ケイン達の恰好を見て何かに気付いたのか「……分かった。でも、一つだけ聞かせてくれ」と口を開く。


 「お前たち、冒険者だろう? 何で俺たちを助けてくれたんだ……?」

 「……」


 次はケイン達が考える様子を見せる事になった。


 少しバツが悪そうに言われた質問。おそらく彼は警察と冒険者の確執を知っているのだろう。だからこそ、冒険者である自分達が警察である彼らを助けた理由が分からないのだ。


 だが、それはケイン達とて同じだ。


 何故さっき、自分達は警察である彼らを助けたのだろうか?


 適当な理由も納得いく理由も全く見当がつかない。三人はどう答えたものかとお互いに顔を見合わせる。お前が答えろよ、とばかりのジャンとミーシャの視線に促され、ケインが苦虫を噛み潰したような表情になった。


 「あ~、それはー、そのな~……」と、歯切れの悪い言葉を二、三ほど紡ぎ、後ろ頭をガシガシと掻く。


 「……」


 そして、何かを思いついたように。


 先ほど拳銃を出す時にしまった警察のバッジを取り出し、まじまじと見る。


 フッ、と。小さく笑みを浮べた彼は、そのバッジを胸につけながら宣言した。


 「今日からアンタ達の同僚だからだよ。よろしくな、先輩?」

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