第34話‐文明を嫌う怪物④
『政府議会によって新たな立法が行われた。近年の農業革命の後押し、また爆発的な人口増加への食料供給政策の一環として、囲い込みを合法のものとする』
思えば、それが始まりだったように思える。
時代が近代と呼ばれる時代に入り、爆発的に増えた人口に対応する為に、政府は新しく発見された農法を中心とした政策を打ち出した。
所謂、第二次囲い込み政策と呼ばれるものである。
この政策によって、多くの地主や資本家が活発な投資をするようになり、多くの土地の統合と土壌の改良が促進され、近代的な農業生産が急激に発達する事となったのだ。
つまるところ、多くの地主や資本家たち——金持ち達が、金にものを言わせて農民たちから土地を買い漁り、こう宣ったのだ。
——ここはもう私の土地だから私の言う事全てに従え、と。
『シュミットのところの三男坊か。悪いが、これ以上の雇い入れは必要ないんだ。お前は都会にでも行って仕事を探してくれるか?』
変化はすぐに訪れた。
その結果として、十数年間の長い間、生まれ育った故郷から受けた仕打ちはそんなものである。自分がまだ、十五を迎えた時だった。
張り付けたような表情だったのを今でも覚えている。
どこか申し訳なさそうな表情の奥底に、『面倒だから、とっとと出ていけ』という本音が明け透けに見えていた。
顔も声も見知った地主から告げられたその言葉。不意に優しい言葉を掛けてくれた思い出もある。それほど悪い人物ではなかったと思う。
だが——新しい農法が発見され、新しい商談が舞い込んで来て、『莫大な金が手に入る』と分かった彼は、すぐにその優しさの仮面を投げ捨て、仮面の奥底に隠れた本性を見せ始めた。
両親や兄弟は何も言い返してはくれなかったし、引き留めるような事はなかった。
自分達だけは、地主に雇ってもらえたからだ。
故郷で仕事を貰えた彼らは、その土地で生きる権利を与えられたのである。
その土地で仕事を貰えなかった自分は、つまることろ——故郷で生きる権利すらない『ゴミのようなもの』だったという事なのだろう。
きっと、彼らの眼には自分が『無能』に見えていたのだ。
『お前には今日からここで働いてもらう。労働時間は基本的には十二時間だが、最近は需要に供給が追い付かなくてな……この好景気が続く限りは、毎日十五時間くらいは働いてもらうと思うから覚悟だけはしておいてくれ』
リベルタスへ来てようやく見つけた仕事は、機織りの仕事だった。
当時の頃からだっただろうか——。各国で王侯貴族や教会の権威の衰退がハッキリと明らかになり、自由放任主義の風潮が世界中に流れ始めた。
結果的に大きな政府は力を削がれ、小さな政府へと変貌を遂げることとなったのである。社会経済へ介入する政府の力が削がれたことにより、代わりに王侯貴族や教会関係者に変わる高等身分が現れ始めた。
即ち——
資本を持った彼らが賃金を対価として労働者を雇い、商品を生産し、売買し、利益を出す——これによって、機織り産業を中心としたあらゆる産業が成長し革命が起きた。
所謂これこそが、『産業革命』である。
この産業革命によって台頭し始めたのが、『工場』と呼ばれるものだった。
当時はまだ水力や蒸気力で動く自動の機械というものがなく、人力こそが花形の時代だったのだ。だから、多くの工場で、労働者達は手を動かし、自らの腕によって新たな製品を作り出していった。
俗にいう
『何でこんな簡単な事も出来ないんだっ、この愚図め! ガキの方が物覚えがいいぞ! やる気がないなら辞めちまえ!』
すいません、すいません……すいません、すいません……と。
何度も頭を下げた事を、何度も何度も怒られた事を、自分は今でも覚えている。
雇い主や先輩労働者達から、罵られ、貶され、やりたくもない仕事を強制される——。望んでこんな場所に来た訳ではないのに、どうしてこんな思いをしなくてはならないのか、と。
『理不尽』と『不条理』——これは、金持ちのせいだ、と。
こんな場所に自分を追いやった奴等のせいだ、と。
社会の在り方を牛耳っている金持ち達への仄暗い感情が、自分を構成するパズルの一ピースになるのに、そう時間は掛からなかった。
『ハンスさん……すいません、これどうすりゃいいんすかね……?』
だが、それでも。
自分が工場に勤めて、ベテランと呼ばれる程の年数が経った頃。
新顔が増え、自分が頼られるようになって思ったのは、意外にも喜びだった。
それまでの自分は、自分がいま住んでいる場所というものが、誰か他人のものに思えてならなかった。だが、あの時、あの瞬間、あの言葉を掛けられてから、自分は本当の意味で、あの場所を『自分のもの』だと思えるようになったのだ。
必要とされている事実が与えてくれたのは、『自分はここにいてもいいのだ』という安心感だったのだと思う。
故郷で生きる権利を失って、遠い異郷の地で得たその安心感は、自分が心の奥底で求めていた『居場所』というものを形作ってくれたのである。
自分が心安らぐ第二の故郷として、あの時、本当の意味で、あの瞬間を受け入れる事が出来たのは、自分を必要としてくれる人々がいてくれたからだったのだ。
『機械を導入することになった。明日から機械の設置の為に工事を始める。それに伴い人員の何人かを新しく始まった事業の方に回すが……ここにいる連中は解雇することになった。済まないが、明日から来ないでくれ』
しかし、現実というものは慈悲を持ち合わせない。
世は産業革命の真っ只中。発明に次ぐ発明が、新たなる『力』を生んだ。
——蒸気機関。人力よりも、水力よりも、より優れた『力』による機械の発明。
それによって、十数年間の時間を捧げた第二の故郷から受けた仕打ちはそんなものだった。自分が、三十を過ぎた頃だった。
淡々と告げられた雇用主の言葉は、まるで機械のように淡々としていたのを今でも覚えている。忘れるはずもない。
表面上は申し訳なさそうにしながらも、その心の奥底に隠した本音は告げていた。
『面倒だ、とっとと出ていけ』、と。
自分が仕事を教えた後輩たちは、何も言い返してはくれなかったし、引き留めるようなことはしてくれなかった。
自分達は、雇用主から新しい仕事を貰う事が出来たからだ。
新しく仕事を貰えた彼らは、その工場で働く権利を与えられたのである。
その工場で仕事を貰えなかった自分は、つまることろ——第二の故郷で生きる権利すらない『クズのようなもの』だったという事なのだろう。
きっと、彼らの眼には自分が『無能』に見えていたのだ。
『……
今思えば、自分の目に映っていたのは、『機械』ではなかったのだと思う。
機械というレンズを通して見た『金持ち』たちの醜悪な表情だ。
瞳の奥に金に曇らせ、他人をただの労働力としてしか見ていないクズ共の目だ。
水力、蒸気力。奴らは、自分達をこれと同じ『力』の一種類としてしか見ていなかったのだ。
奴らは、自分達を使い捨ての効く『道具』としてしか見ていなかったのだ。
その眼を覚えている。今でも覚えている。夢にさえ出て来る。
その眼は、自分達を『人』として見たことなど、ただの一度たりともなかった。
だから、だったのだろう。
自分が——ハンス・シュミットという男が、機械打ち壊し運動に身を投じた理由は、きっと……どこにでもあるような、ただの復讐心だ🕊
「……引き返すには遅すぎたんだ。新しく何かを始めるには、歳を取り過ぎていた……時間というものに期限がある事を、俺は知らなかったんだ……」
破壊された工場の瓦礫が、あちらこちらに散乱した大通り。討伐された二体のキャリバンの死体が青い燐光となって消えて行く姿をボンヤリと眺めながら、ポツリ、と。
「……どうして………どうしてこうなってしまったんだろうな」
まるで遠い過去でも懐かしむように、ハンス・シュミットは呟いた。
「答え出てンじゃねェか。引き返せる内に引き返さなかった……それが理由だ」
溜息交じりに返って来た返答。心ここにあらずといった放心状態のハンスが、ゆっくりと顔を向けた先には、キャリバンとの戦いで出来た数か所の傷から血を流すアスマの姿があった。
煤で汚れた服を手で払いながら近付いて来た彼は、ハンスの腕を掴み上げ、力任せに立たせる。「お、おい……どこに連れて行くつもりだっ?」と、抵抗するハンスを無視し、近くに乗り捨てられていた車に放り込む。
「決まってンだろ? オマエが見なきゃなンねェモンの所だよ」
「……は、はぁ? オマエ、何を言って——」
「——『なぁ、冒険者。誰よりも向こう見ず生き方をして来たお前たちなら分かるのか? 自分ではなく、世界の方を変えようした奴らは、最後はどこに行き着くのか』……」
「……」
「……覚えてンだろ? お前の言葉だ」
ハンスの言葉を遮ったアスマの口から出た言葉は、どこかで聞いた覚えのある言葉だった。それもその筈だ。その言葉は、ハンスが【PEOPLE OF THE ABYSS】でアンセイムの三人にした問いだったのだから。
何故いきなりそんな事を言い出したのかの真意が分からず、ハンスは間抜けな表情で黙ってしまう。
アスマはそんな彼を気にした様子もなく、車のエンジンをつけながら、面倒そうな口調で言葉を続けた。
「その答えは出ただろ?
「……」
「だから見せてやるっつってんだ。オマエらが選ばなかった方の選択肢——自分を変えた奴らが、最後はどこに辿り着くのかを」
エンジンをつけ終わったアスマが、ハンドルを握り締めた。
彼がハンドルコックを全開にすると、耳障りな音を立て始めた車体が前へと進み始める。慣れたハンドル捌きでアスマが向かった先——その方向にあったのは、ブルジョワ達が住まう地区・キュステブルク中央街区。
——最後のキャリバンが召喚された場所だった。
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