第31話‐文明を嫌う怪物②

 「クソ……っ! よりにもよってこのタイミングでかよ……っ! 早過ぎンだろっ、ハンスの野郎……っ!」


 割れ鐘の咆哮が響くゴルドリック=ハーデン第二商業区の南部。


 敷石が敷き詰められた街道を、パニックに陥った労働者達が叫び声を上げながら逃げていく。アスマは人混みを掻き分けながら、現場へと足を急がせていた。


 少なくともアスマの耳に響くキャリバンの声は二つ。


 つまり、二つの聖骸が使用され、キャリバンが召喚されたという事である。ハンス達が手にしているであろう聖骸がキャリバン召喚の目的意外で使われていない限りは、あと三体のキャリバンが召喚されるだろう。


 市民の避難を優先するにしても、召喚のタイミングが早過ぎる。


 既に軍と警察が動き始めているとはいえ、戦闘態勢が完璧に整っていないこの状況で先手を打たれたのは最悪だ。


 「あぁぁ~っ、クソっ! 考えてる暇じゃねェか……っ——!」


 鳴り響く建物の倒壊音とキャリバン達の咆哮。その発生源と思わ敷場所から、パニックに陥った人々が逃げ狂って来ている。そして、その向こう側からは、幾つもの銃撃音が聞こえ始めた。


 きっと、付近を警備していた軍の人間が到着したのだろう。


 「オイっ、どけどけェ~! 冒険者様のお通りだぞォ~!!」


 アスマは革製のケースから大剣を取り出し、人混みを威嚇しながら前へ入って行く。背筋を這う悪寒に焦りを募らせながら、彼は足を急がせた。


🕊


 「一班と二班は隊列を組んで銃撃っ! とにかく撃ち続けて牽制しろっ! 民間人が避難するまでの時間を稼げ……!」


 場所はアポン=エイヴォン第二商業区南西部、公衆給水ポンプが設置された広場。


 逃げ惑う民間人の雑踏と悲鳴を打ち消すように、大量の銃撃音と怪物の咆哮が轟いていた。


 駐屯している軍と警察の混合部隊が十数mの距離を挟んで対峙しているのは、全長五mはあろうかという巨大なキャリバンの怪物である。


 細長く伸びた胴、顔は無く、不気味な大口を開けた口内には不均一に並んだ臼のような歯が生えている。細長い胴の前胴部分は不自然に太く、幾つもの骨張った手が生えていた。


 そして、その表皮には、植物の枝に似た模様が浮き出ており、その模様の先が鰭のように背中から突き出ていた。その枝——まるで血管のように、無数に枝分かれした模様の中を、精霊の青色が蠢いている。


 「あぁ、ダメだダメだ……! アイツ全く効かないぞ……! 撃った端から再生してる……! やっぱり通常の弾薬じゃ倒せないぞ……!!」

 「くそっ、対霊兵装はないのか……!?」


 混合部隊の弾薬が当たる度に、キャリバンの被弾箇所が弾け飛ぶ。


 しかし、弾け飛んだ端から信じられないような速度で再生していくキャリバンの肉体。キャリバンの怪物が持つ再生能力である。これを突破するには、ルーンを刻んだ武器や弾薬——対霊兵装を用いる他ない。


 だが、そんな物はこの場に無い。加えて、付近にいた軍人だけで組んだこの急造の部隊では、対霊兵装を用いても対応仕切れるかどうか——。


 部隊に指示を出している隊長らしき軍帽の男が、強く唇を噛んだ。


 『——オォォォオォオオオオォオオオォォォオォォ……!!』

 「……っ! 退避ぃ~、退避ぃぃぃぃ~~!!」


 キャリバンの怪物が苛立ったように叫び声を上げる


 すると、存在しない筈の眼で並んだ混合部隊を捉えたかと思えた次の瞬間、銃撃で弾け飛ぶ自らの肉体などお構いなしに、部隊へ向かって突進して来る。


 恐怖心に負けた軍帽の男が、我先にと逃げ出すと、他の軍人たちも叫び声を上げながら散開した。


 十数mはあった筈のキャリバンの怪物との距離が、ものの数秒で縮まる。


 『——オォォォオォォオオォ……』

 「ば、化け物……!」


 逃げ遅れた警察の一人が、尻もちを着いて後退る。


 ゆっくりと警官を睥睨したキャリバンの怪物は、鉤爪のような手を振り上げると、真っ直ぐと振り下ろした。


 自らに迫る死神の鎌の鋭さに恐怖し、警官が諦めたように目を閉じる。


 その瞬間、カァァン、と。


 警官の身に降りかかったのは自らの四肢を裂く凶刃ではなく、彼の耳朶を打った甲高い音……まるで金属同士がぶつかったような衝突音だった。


 「逃げて下さい……っ! 早く……っ!」


 死を覚悟した警官の眼に映ったのは、銀褐色アッシュブラウンの短髪が特徴的な少年だった。


 警官の前に立ち塞がった少年。


 サーベルでもってキャリバンの巨大な手を受け止めた彼は、凄まじい怪力にジリジリと圧し潰され、すぐにその場に膝を着く。


 玉のような汗、震える全身、地面にめり込んだ足。彼の全身全霊をもってなお、圧倒的過ぎる実力差が少年——ルース・クラークの命を刈り取ろうとしていた。


 「何ぼーっとしてんだ……っ、早く逃げろって言ってるだろ……っ!!」

 「っ!」


 限界ギリギリまで追い詰められたルースの怒声で我に返った警官は、錯乱した様子で小刻みに頷き、彼に言われるがままその場から逃げ去って行く。


 「うっ、がっ、あぁぁああああ~~~っっ——!!」


 警官が逃げたのを確認したルース。


 しかし、キャリバンの手を往なす事も、逸らす事も、押し返す事も出来ず、少しづつルースの五体が地面へと圧しこまれて行く。ただ圧し潰されないように全身の筋肉をフル動員し、自分を奮い立たせるように叫ぶ事しかできない。


 「後ろに跳びなさい!」

 「っ!」


 その時。聞き慣れた声と共に、数発の銃撃音が響き渡った。


 矢継ぎ早に放たれた弾丸が、今まさにルースを圧し潰そうとしている腕へ命中した。弾け飛んだ端から再生するが、再生するよりも早く放たれた銃撃が腕を抉って行く。


 それによって一瞬緩んだキャリバンの腕力。ルースはその隙を狙って、自分を助けに来た後ろの人物の元へと跳んだ。


 「はぁ……はぁ……ありがとうございます、キキさん……助かりました……」

 「いいわよ、別に。——それより、アレ……」

 「……はい。間違いありません、キャリバンの怪物です……」

 「……耳障りな叫び声が聞こえたと思ったら……まったくっ、どこの馬鹿よ、あんなの呼び出したのは……!!」


 聞き慣れた声の主——キキは、心の底から不快だと言わんばかりに顔を顰め、舌打ちをする。


 不気味に首を傾げたキャリバンは、撃たれた自分の腕へと顔を遣り、苛立ったように歯を食い縛ると『オゥゥゥゥ……』と唸った。


 キキとルースへと頭を向け、凄まじい咆哮を上げる。


 「……どうしますか? キャリバンに効く武器なんて持ってませんから、もしこのまま戦うなら、キキさんの魔法頼りになります。余裕で都市法引っ掛かりますけど、やりますか?」


 キャリバンに対応するには対霊兵装を用いるか、再生が追い付かない速度の火力で吹き飛ばすしかない。この場でキャリバンを倒せるとしたら、キキの魔法とルースの切り札・・・くらいだ。


 だが、この場で切り札は使えない。


 消去法で取れる手段はキキの魔法だけ——。


 「……やるしかないでしょ? どの道、逃げられそうにないし……悪いけど、もう一回留置場まで付き合って貰うわよ?」

 「……何時もの事です。付き合いますよ、何回でもね」


 ルースの言わんとしている事を理解しているのだろう。キキは即答する。


 そして。


 覚悟を決めたように不敵に笑ったキキとルース。その額に冷や汗を一筋流す。


 力強くサーベルを構えたルース。倣うように、キキは弾薬をリボルビングライフルに詰め込むと、キャリバンの怪物へ銃口と切っ先を向けた。


 『——オォォォオオオォオオォオオォオォォォォォォォオオ……ッッッ!!』


 二人の敵意を察したのか、キャリバンの怪物が咆哮を上げる。


 叫び声に弾かれたようにキキとルースは走り出した。

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