第30話‐文明を嫌う怪物①

※今回は少し長めです。

______________________________________

 歯車とクランクに擦り潰される夢を見ている。


 燃料は血と肉。比喩ではない。言葉通り、誰かの血と肉だ。


 しかし、誰かの血肉を資源として、燃料として、淡々と動くその機械を、悪と罵る者はいない。血の滴る機械による恩恵をこれでもかと享受しながら、しかし誰しもがその血塗られた恩恵を当り前のものとして受け入れている。


 理由は単純だ。かつて、の聖人が喉を溶けた鉛で焼かれ言葉を奪われたように、多くの人々は、その誰かの言葉を封印し、ムリヤリに自分達の行いを善であると決めつけたからだ。


 文明とは怪物に似ている。


 巨大な体躯は、何かを踏み潰している事にさえ気づかないだろう。


 必ずその歩みの道中で、何かを燃料にすることでしか前進できない文明の在り様は、誰かにとっては怪物でしかない。多くの人々は知りもしないのだ。その誰かが如何なる思いで、自らの血肉が擦り潰される様を見ているかなど——。


 彼らもまた同じだ。


 文明という怪物を嫌う怪物。ラダイト運動の支持者達。その境遇は、見方を変えれば誰かと同じなのかもしれない。


 しかし、彼らは知らない。


 いかなる理由があろうとも、どれだけの不条理と理不尽に晒されようとも。


 文明という土台の上で暮らす人々を巻き込んでいい理由にはならない、と。


 文明という機械の下で藻掻く自分達よりもなお下にいる誰かがいる事を忘れてはならない、と。


 もしも、その一線を越えるのであれば。


 ——その代償は必ず支払う事になる、と。


🕊


 「……ん~……あー、最悪の目覚めだ……」


 太陽が顔を出した早朝の時頃、空には魚に似た朧雲が尾を伸ばしている。


 普段であるならば、眠気眼を擦る労働者達が、自身の勤める工場へチラホラと通勤し始める時間である。


 しかし、温かな朝日と久方振りに見た悪夢によって目覚めたルースの寝ぼけた耳に、窓の向こう側から聞こえてきたのは、道行く人々の雑踏や話し声だった。


 何事かと窓を開けると、その原因が判明する。


 「……あぁ、そっか。今日、安息日か……」


 ——聖人アマデウスの生誕日。


 今日という日は、世界三大精霊信仰の一つであるペナーテース教によって、正式に聖人として認められたアマデウスの生誕日であり、同時に、国家が認めた安息日——一年三百七十二日間の内、たった六十八日間しかない休日の一つである。


 仕事に追われ、自分の時間を取れない労働者達にとって、一年の四分の一にも満たない貴重な休日である今日は、お祭りとイコールで繋がるものなのだ。


 故に、数少ない休日を謳歌せんと、朝早くから眠い目を興奮で醒まし、小金を手に街へと繰り出すのが、このリベルタス市における労働者達の常識である。


 「……ちょっとぉ~? 流石に寝ぼけ過ぎじゃないのぉ~? 仕事がキャンセルになったからって、今日は休日にはならないんだけどぉ~?」

 「うぇっ、そうだった……っ。すんませんっ、今行きまぁ~す……!」


 コンコン、と。ドアをノックする音が聞こえる。


 ルースが返事をする前に開かれたドアの向こうから、【GLORIOUS MEMORY】の給仕服に着替えたキキの姿が見えた。寝坊した同僚を責めるようなジト目を見て、ルースは慌てて飛び起きる。


 「ったく……早く着替えなさいよね? アスカさんから頼まれたこと、もう忘れたの? ——私、先行ってるわよ」

 「……へぇ~い」


 そう言い残したキキは、足早に店の方へ駆けて行く。気の抜けた返事を返し、いそいそとルースは着替え始めた。


 ——そう。何を隠そう、今日は安息日である。


 休日として見ている者もいれば、この休日を『稼ぎ時』と、目の奥をギラギラに染める守銭奴もいる。


 休日の時間を利用し、家族との時間を取る為に外食をする家庭が多いこの安息日は、正しく飲食店産業の従事者達にとっては、これ以上ない儲け話である。


 勿論、それは大衆食堂を営んでいる【GLORIOUS MEMORY】も例外ではない。


 故に——。


 『聞いたよー? 仕事キャンセルになったんだって?? じゃあ明日暇だよね! 見せ手伝ってちょうだい! お願い!』

 『『……え゛』』


 思い出す昨晩の事——。耳ざとく仕事がキャンセルになった事を聞いていたアスカが、半強制的にキキとルースを店の手伝いに引きずり込んだのは言うまでもない。


 「……はぁ~。昨日の今日でこれかよ……」


 昨晩、キキと共に気合を入れ直した矢先の後のこれである。


 これから心機一転、冒険者稼業に邁進する輝かしい未来の一歩目——と、なるはずの今日だったが、やはり現実というのは甘くはない。


 給仕服のベルトをキュっと締めたルースは、気落ちしそうになる気分を「よしっ!」と膝を叩いて奮い立て、自室の扉を開いた。


 駆け足で遠ざかって行く彼の足音を、窓の縁に留まった斑鳩テメラリアだけが聞いていた。


🕊


 同時刻、キュステブルク中央街区。第一留置場にて。


 檻の中で不貞腐れた様子のアンセイムの三人は、鉄格子の前に立った人物達——エマ・グリンサムとアスマ・クノフローク、そして複数人の警察官たちと相対していた。


 「——それで……アンタ達が受け取った聖骸は指五本分で間違いないんだね? そして、バーリー兄弟からの依頼とやらは内容を知らない、と?」

 「……あぁ、そうさ。それで間違いない」


 唇を尖らせながらそう言ったケインの言葉に、「……何てことだい」とエマは頭を抱えた。アスマも同じ反応を示す。


 「厄介だな……。最低でも五体はキャリバンが召喚されるって事だぞ……もし、別々の場所でされたら対処する人員が足りねェ……」

 「……しかも、あのロクでもない兄弟が何かを企んでるとなれば……想像はしたくない事だねぇ……」

 「せめて、召喚場所さえ分かればな……」

 「アンタ、襲撃場所は聞いてないのかい?」

 「……さぁね? 民間の騎士なら、自分で調べればいいじゃないのか? 捜査はアンタ達の専売特許だろ」

 「「……」」


 エマの質問に対し、ケインの返答は友好的というには程遠いものだった。


 やはり冒険者と警察の仲の悪さはそう易々と埋まるものではない。長い年月を掛けて蓄積された冒険者の警察に対する恨み辛みは、何も知らない者には想像し難い根深さがある。


 それを理解しているからこそ、エマとアスマの反応は若干の苛立ちが入り交じった沈黙だった。


 「——第二労働区のカートライト工場だ。他には、ブルジョワの多いキュステブルク中央街区も襲撃場所に挙がっていた」

 「っ! おいっ、ジャン!!」


 その時だった。それまで沈黙を保っていたジャンが、口を開いたのは。


 エマやアスマの驚き、そしてケインの激高さえも無視して彼は言葉を続ける。


 「……指五本分のキャリバン全てがその二つを標的にするかは分からん……が、ハンス達は機械と、その機械を社会に広め、自分達の仕事を奪ったブルジョワ達を何よりも恨んでいた。標的は機械とブルジョワの多い場所に限られるだろう」

 「ん。バーリー兄弟の依頼も大体は予想つく」

 「……おい、冗談だろミーシャ。お前もかよ……」


 ジャンに倣うように口を開いたミーシャ。


 自分とは違い警察に友好的な態度を取る二人に、ケインは頭を抱えて項垂れた。


 どういう心境の変化なのか、彼らのその内心は伺い知れない。しかし、有力な情報提供に目をアスマと合わせたエマは、「続けな」と一言口にする。


 「バーリー兄弟は前の取引で、かなり警察と軍の捜査網を煙たがってた。多分だけど、シャーウッドの会を使って逃走ルートを確保するつもりだと思う」

 「その逃走ルートに当てはあるかい?」

 「ない……けど」

 「けど?」

 「キャリバンを召喚して捜査網が手薄になるルートが怪しいと思う。アイツら聖骸の取引と引き換えに、ハンスを脅そうとしてたから」

 「……」


 ミーシャの言葉に口元を押さえて考え込む素振りを見せるエマ。


 ——現在、警察と軍による捜査網と検問による厳しい捜査が行われている。ミーシャの言う通り、バーリー兄弟が都市外へ脱出するのは難しいだろう。


 一般の脱出ルートで考えられる鉄道や船、そして乗り合いの馬車による他国や別の街への経路は勿論の事、違法移民の運送を請け負っている業者や下水道の内部に至るまで、人員は配置されている。


 が、後者の裏ルートは考えにくいだろう。こちら側が警戒しているのは、バーリー兄弟も理解している筈だからだ。


 使うとしたら恐らく、何食わぬ顔で一般人に紛れ、キャリバン召喚による短い混乱の時間の中で、より早く遠くに逃げられるルートを使うはず——。


 「……はぁ~。どの道、召喚場所を限定してからじゃないと見当もつけられなさそうだねぇ……」


 そこまで考えて、一度思考を遮ったエマは他の警察官たちに向け指示を出した。


 「聞いての通りだ。シャーウッドの会は第二労働区と中央街区を狙う可能性が高い。二つの地区を中心に捜査網を強める。軍の方とも連携して、キャリバンの召喚を何としてでも食い止める」


 了解! と。エマの言葉に返事をした警察官たちは足早にその場を去って行く。間を置かず、「……エマ」と。アスマが話し掛けて来る。


 「……オレも行く。何かあってからじゃ遅ェからな……」

 「アンタはここにいな。コイツらが抵抗した時どうするんだい」

 「大丈夫だよ。そんなことしねェさ。それに——」


 フっ、と。笑みを浮かべたアスマは、一度だけケイン達に視線を向ける。


 「——オレがいねェ方が話しやすいだろ?」


 そう言って、去って行く足音の一つとなったアスマ。「あっ、待ちなアスマ……っ!」と、エマが手を伸ばすもそれを無視。すぐに彼の背中は見えなくなった。


 「……はぁ~、全くあのバカは……っ!」と。自分勝手な顔馴染みに向けて悪態を吐き、頭を抱える。


 「——何でだよ、ジャン、ミーシャ……」


 そのすぐ後だった。


 警察とアスマが去ったのを見計らったように、ポツリとケインが呟く。


 アスマとエマが視線を向けると、そこには悲壮感に満ちた表情のケインと、少しだけ申し訳なさそうな表情で座るジャンとミーシャの姿があった。


 「……なに。昨日の夜、冒険者になった頃を思い出す機会があってな……。たくさんの人々を救う自分を夢見て、銃を手に取った青い頃の自分に、ほんの少しだけ戻りたくなっただけの話だ……つまることろ——気まぐれというやつだ、ケイン」

 「……」

 「……ん。ミーシャも同じ。昨日の夜、冒険者になった頃を思い出してた」


 昨夜の夜——。キキとルースの二人と話した時の事である。


 「……ミーシャたち、結局、冒険者らしい仕事はほとんど出来なかったけど……それでもリーダーに付いて来て良かったと思ってるよ」

 「うむ。悔いはない」

 「……何が言いたいんだよ」


 二人の諭すような言葉。何が言いたいのかは、何となく分かる。


 しかし、今この瞬間、彼は子供のように不貞腐れるしかない。


 そうして色々な現実から逃げ続けて出来上がったのが、今のケイン。ペルージャという情けない一人の人間だからだ。


 「『困っている人間たちに手を差し伸べる——つまり、人助けを生業とする何でも屋』……それが冒険者だろう? ならば、最後くらいは冒険者になっても構うまい」

 「ん。警察と冒険者の確執なんて忘れて、困っている人達に手を差し伸べられる方の選択肢を選ぶべき。ミーシャはそう思う」

 「……」


 冒険者としてのプライド。


 つまるところ、それがジャンとミーシャを動かしたものの正体なのだろう。


 夢と憧れを抱き、輝かしい未来を夢想して冒険者になったあの日。


 忘れない。今でも覚えている。


 だが現実というものは悲惨で。そして無慈悲だ。


 冒険者としての仕事など無く、日雇いの仕事を毎日探す日々。


 こんな時代に生まれてしまった自分達は、貴重な時間というものを、湾岸施設の低賃金労働で食い繋ぐどん底の人々として、来る事のない冒険者としての成功の日を夢見ながら、毎日を無駄に生きるしかなかった。


 だが——地獄のような日々の中で。


 ケインはその冒険者としてのプライドを忘れる事はあったが、捨て切れはしなかった。それはきっと、二人も同じだ。


 「——ハハ、そうだなぁ……まったくその通りだよ。お前たちが正しい・・・・・・・・


 だから、きっと自分が言うべき言葉はこれでいいのだろう。


 今この瞬間、自分が冒険者である事を認めるには、二人の選択を肯定するしかないのだから——。


 「……。……話は終わったかい?」

 「……あぁ」


 エマが問い掛けると、少しだけ晴れやかな表情でケインは顔を上げた。


 きっと、今の会話で心の整理がついたのだろう。


 「これからアンタ達は都市法に則って裁判が行われるだろう。聖骸を使うような連中と知りながら、その活動を補助したアンタ達の罪は重い。まず一生牢獄の中から出られないと思いな」

 「「「……」」」

 「——そこで提案さね・・・・・・・


 ピン、と。人差し指を立てた手を突き出したエマ。


 救いのない現実を突きつけられ、項垂れようとした三人へ向けて、彼女は懐から取り出した三つのバッジを、ヒョイ、と投げる。


 冷たい地面に転がったバッジに刻まれていたのは、『甲冑と鷲獅子』。


 リベルタス警察のエンブレムである。


 その意味を理解できず固まった三人は目をパチクリ。エマはそんな彼らへ向けて快活に笑みを作り、問い掛けた。


 「——アンタ達、『民間の騎士』になる気はないかい?」


🕊


 無数に伸びた煙突の数本から、精霊の青色を含む煙がモクモクと昇って行く。


 淡い青色よりも少しだけ濃いその煙の色は、空の白雲と合流すると、すぐに空の蒼色へと溶けていった。


 場所は、そんなゴルドリック=ハーデン第二労働区の一角。


 このリベルタス市における最大の機織り工場であるカートライト工場の裏手付近にある路地裏にて、ハンスと数人の男達は震える手で、チョークをカリカリと動かしていた。


 「——本当にやるのか……ハンス?」

 「……、……あぁ、やるしかない」


 地面に描かれていたのは、男達の一人が持っている用紙に記された『キャリバンの怪物』の召喚術式である。


 背中に大量の油汗をかいたハンスは、震える瞳孔を開きながら、懐から出した聖骸——不気味な青い二本の指を睨んだまま動かない。


 「……今頃、キュステブルクの方でも、キャリバンの怪物を召喚している頃だ。マックスに任せたアポン=エイヴォンの方も、きっと上手くやってくれる……俺達が——いや、俺が……ここで逃げ出す訳にはいかない」

 「……わ、分かった」


 焦点の定まらない瞳で立ち尽くすハンス。


 まるで自分に言い聞かせるように呟いた彼は、男の一人に聖骸を渡す。


 尋常ではないハンスの様子に圧された男は中心に移動すると、恐る恐る聖骸を置いた。


 『……っ!!』


 その瞬間、ぼぅっ——、と。


 男が聖骸を術式の中心に置くとほぼ同時に、青い燐光が弾けた。


 チョークで描かれた術式が徐々に青く染まって行き、周囲から燐光——精霊が一ヶ所に集まって行く。


 聖骸を中心に集まった精霊達は、徐々に形を成していく。


 「……ぁぁっ、ぁあああ、うわあぁぁああ……!!」


 男達の内の一人が絶叫しながら逃げて行く。


 それが合図だったかのように、他の男達も怯え切った様子でその場から走り去っていった。


 そして、ただ一人。


 誰もいなくなった路地裏で、ハンスだけが何かを悔いるような表情でその場に固まり、少しづつ形になって行く異形の姿を見上げる。


 ——そして、怪物がその産声を上げた。


 『ォォォォ……ォォォォオオオオオオオオ……ッッ!!』


 見上げる程に巨大な体躯だ。


 長さも太さも不均一な七つ足、その体に腕は無く、目も耳も鼻らしきものも無い頭には、歯の無い七つの口が奇妙に突き出ている。


 表皮には、まるで魚の鱗のように、枝のような、蔦のような、植物に似た奇妙な文様が刻まれ、その文様の先が角のように十本、表皮から突き出ていた。それ等の中を絶え間なく蠢く精霊の青色は、見る者全てに恐怖と嫌悪を抱かせるだろう。


 不気味な異形の怪物——。


 正しく、そんな言葉がピッタリな怪物である。


 「……あぁ……ぁぁあああ……っ!」


 とうとう恐怖心に耐えきれなくなったように、後退りしたハンスが叫び声を上げながら、その場から逃げ出した。


 ただ一匹残された異形——文明の破壊者たる『キャリバンの怪物』は、再び青過ぎる空へ向かって咆哮する。


 その叫び声に呼応した怪物の産声がつ、空へ向かって放たれた——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る