幕間‐袋小路のネズミ

 昼間の逃走劇から数時間後。


 周囲にはコッツウォルド川の波音が響いている。


 ゴルドリック=ハーデン第一労働区を流れる水路道、現在は廃棄された倉庫の中で、疲労困憊したハンス・シュミットが壁に寄り掛かっていた。


 煩雑とした静けさの中、彼は壁に空いた大穴から、遠巻きに見える工場地帯の明かりを見ていた。


 「……ははは。お互い、しぶとさだけは一級品らしいな……マックス?」

 「あぁ……そうみたいだなぁ。苦労したぜぇ、警察の包囲網から逃げ切るのは……」


 流石に体内のアルコールが抜け始めたのか、昼間よりかは呂律の回った口調で話すマックス・ムスターマンは、倉庫内にいる他の仲間たちを見回しながら魚みたいな笑みを浮かべた。


 ハンスの眼に映った彼らの姿はボロボロであり、あの後、店に駆けつけて来たであろう警察たちの包囲網から何とか逃げ切って来たであろう事は明白だった。


 「……なぁ、マックス……ここにいる奴らだけなのか、逃げ切れたのは?」

 「……、……あぁ」

 「……そうか」


 店内いっぱいにいた筈の大勢の仲間たちは随分と数が減り、今では両手両足の指で足りる程の人数まで減っている。あれだけ大言壮語を吐いておきながらこのザマだというのだから、笑える話だ。


 そんなハンスの自虐的な心情と同調したのか、沈黙した彼の言葉に続き口を開く者はおらず、倉庫内にはただ重苦しい静寂だけが広がった。


 そう。まるで——。


 自分達の革命は失敗に終わったのだ、と。そう言わんばかりに。


 「——おいおい。諦めて貰っちゃ困るぜ、ハンスの旦那?」

 「「……っ!」」


 そんな時である。


 何処からともなく響いてきた声に釣られ、ハンスとマックスは後ろの船内へと振り返った。驚愕に染まった表情で、謎の人物の正体へと視線を向ける。


 既に空は濃い藍の色に染まり、その姿の全貌は見えない。


 しかし、淡い月明りに照らされてその姿。


 二人の眼に映ったのは、トレンチコートにボーラーハット。二振りの剣を腰に携えた男が、人を食ったように口角を吊り上げた姿である。


 ——ジェジフ・バーリー。


 各国の国家元首が所属する世界最高の意思決定機関——大世界連盟が直々に指名手配した、超一級の国際指名手配犯。


 あらゆる犯罪に手を染め、暗殺や運び屋、違法な物資の売買から、国家の機密情報の奪取までを行ってきた……正真正銘の大悪党である。


 「……何の用だ、ジェジフ」

 「決まってるだろう? この前の取引で言ったじゃないか。——依頼だよ、依頼。まぁ、あれだけ息まいてた三匹の鳩は掴まっちまったみたいだけどな?」

 「……なら失せろ。俺たちがお前の話を聞くことは無い」

 「……」


 ハンスの返答は、突き付けられた銃口だった。


 リーダーに倣うように、先程まで寝息を立てていた男達が、懐から取り出したピストルの引金に指を掛けている。


 自身へと向けられたその何丁ものピストルが面白くなかったのか、先程まで吊り上げられていた口角をへの字へ曲げたジェジフは、わざとらしく大きな溜息を吐いた。


 「……あぁ~あぁ~? だからネズミは嫌いなんだよ。群れるとすぐに図に乗り始める」

 「お前の言う通りだ。図に乗ったネズミは機械の歯車だって食い千切れる。もしかしたら、どこぞの悪党の首だって食い千切れるかもしれない」


 ツー、と一筋の汗を額から流したハンス。


 しかし、その口元は勝利への確信で吊り上げられている。


 そんな彼の表情を見たジェジフは——フっ、と。


 思わずといった風に笑みを浮かべると、腹を抱えて笑い出した。


 「……おいおい。食い千切る為の歯・・・・・・・・も無いのに・・・・・、いったい何を食い千切るって?」

 『?』


 ——この男は一体、何を言っている?


 そんな疑問が口を突いて出るよりもなお早く。


 ベチャ、ベチャ、ベチャベチャ、ベチャリ、と。床に転がった幾つもの・・・・・・・・・・腕と血飛沫・・・・・を見て、ハンス達は絶叫した。


 『うぁぁぁっ、あぁぁ~、ぁぁぁああ~……っ!』

 「ハハハハハハ!」


 倉庫内に断末魔にも似た叫びが響き渡る中、ジェジフの笑い声が木霊する。


 いったい何をされたのか、ハンス達には理解できなかった。


 だが、痛みで働かない僅かな理性で捉えたのは、いつの間にかジェジフの手に握られていた、血塗れの双剣である。


 この状況から彼らが理解できたのは、自分たちの腕が目にも止まらぬ速さで切り落とされたという事だけだった。


 「いやぁ~悪い悪い? でも、コレで分かってくれただろ? ピストルを何丁持ってこようが、お前たちみたいな薄汚いネズミが何匹束になろうが、俺には勝てないって?」

 『……』


 すっかり怯え切った表情で蹲ったハンス達。


 彼らは無くなった腕の傷口を抑えながら、小刻みに何度も頷いた。


 それに満足したのか、再び人を食ったようにジェジフは口角を吊り上げる。


 「安心してくれ、腕はくっつけてやるからさ? なにせお前たちには明日、アンセイムに依頼するはずだった大事な仕事をしてもらわなくちゃならない……片腕じゃ満足行く仕事なんて出来ないだろ?」

 『……』

 「なに、を、企んでる……?」


 痛みで震えた声だけが響く中、ハンスがくぐもった声音で問い掛ける。


 「焦るなよ。まずは治療からさ?」と、ジェジフはその問いに答えると、ハンスの懐から浅黒く変色した不気味な人の指——『聖骸』の指を一本取り出し床に置いた。


 「——昔々……ざっと1000年も前の話だ。世界には、タイタス・アンドロニカスという聖人がいた」


 滔々と語り出したジェジフは、床に置いた爪の周囲へ、奇怪な形をした『力ある文字』——ルーン文字で、何かを綴っていく。


 「この聖人は、ある特別な種族としてこの世に生を受けたんだ。人間種、環境種、混淆種、全ての人間と亜人の血が混ざりあった結果として誕生した不死身の肉体を持った人種——『精霊種ゲニウス』と呼ばれる種族に」


 文字が綴られていく度に、周囲が青い光——精霊の光に包まれていく。


 ハンス達は目の前の光景に、ただ呆ける事しかできなかった。


 「肉体に測り知れない程の精霊を宿したタイタス・アンドロニカスは、その特別な力を以て、あらゆる大地に恵みを齎し、天変地異を沈め、多くの人々を救った。だが——その力に眼をつけた時の皇帝、コリオレイナスによって……生きたまま資源・・・・・・・にされたんだ・・・・・・


 そして、信じられない出来事が起こった。


 ハンス達の視線の先にあったのは、自分達の切り落とされた腕、その傷口。


 ——そこから生えてきた・・・・・・・・・新しい腕だった・・・・・・・


 「磔にされたタイタスは、腕を切り落とされ、足を捥がれ、目玉のくり抜かれ、内臓を引き摺り出され、首を落とされ、最後には——心臓を抉り出された。だが、タイタスは死ななかった……死ねなかった……ゲニウスの力はそれ程までに強力だったんだ」


 次第に弱まって行く青い光。


 ハンス達は生えてきた自分の腕をまじまじと見ると、その奇跡と呼ぶ他ない現象を引き起こした物——聖骸へと目を遣った。


 「当然、測り知れない程の復讐の炎に身を焦がしたタイタスは、世界中の人々を殺し回ったらしい。まるで今までされた残虐な行いを、そのままやり返すように……最後にはタイタスは封印されてしまったが、タイタスから切り落とされた無数の肉体の一部だけは世界中に残った——」


 青い光が完全に収まると、ハンスはまるで見惚れるように、揺れる瞳孔の奥にその指の像を映した。


 「——『聖骸』と呼ばれる……世界最高の精霊資源としてな?」

______________________________________

※以下、後書きです。

ここまでで<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第四章・子鳩たちの巣立ち>は終了となります。ここまで読んで下さった読者の方々は、本当にありがとうございました。一人の創作者として、これほど喜ばしい事はございません。これからもご愛読して下さると、更に喜ばしく思います。

次回からは、<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第五章・文明を嫌う怪物>に入ります。少しでも面白いと思ってくれた方々は、これからもよろしくお願いします。

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