第12話‐名も無き端役の革命旗⑤
※今回は少し長めです。
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青みがかった白い蒸気に混じって、甘い香りが漂っている。ベンゼンの香りだ。
店内の奥、ドーセットストリートの裏通りへと繋がる
だが、それはなにも、匂いそのものが不快だった訳ではない。
ザムエルの血と呼ばれる精霊資源は、常にとあるものを動かす為に使用されて来た歴史を持つからである。
「……これを使って逃げるだと? 何の皮肉だ、それは?」
ジジジジジ、シュゥゥゥ——と。
四つの車輪に、鉄の車体。配管から漏れる蒸気の音と、規則的な機械音が小気味いいリズムで空気を震わせている。しかも不愉快な事にそれが二台。ハンスは思わず、忌々し気に悪態を吐いた。
——
今世紀最大の天才とまで謳われた蒸気王レイモンド・ワポルが作り出した稀代の大発明。つまるところ、蒸気機関で動く自動車両の
目の前にあったのは、その最新式。レイスタン自動車会社が出している『レイスタン・ベルモンド』だろう。その最大の特徴は、車体の前に取り付けられた最新式の四ストエンジンによって、後部車輪を駆動する今までにない構造だ。
レイスタン・ベルモンドは、ハンドルのすぐ近くに備え付けられたハンドコック・レバーの操作により弁の開閉を行い、車輪へ送る蒸気圧力を調整することによって、トルクの回転率を上げたり下げたりするスピード調節機能がある。
これはレイスタン社が出している他の車に備え付けられたスピード調節機能と同じだが、従来の車両と違い、ブレーキがレバー式からペダル式になった事により、運転がしやすくなったモデルである。
スピードも出るし、多少は無茶な運転にも耐える車だ。確かに、これならば逃走用に持って来いかもしれないが、ハンスは機械打ち壊し運動の支持者である。そんな人間が機械に乗って逃げるなど、皮肉もいいところだ。
つまるところ——それこそが、ハンスが不愉快な理由の正体だった。
「我々シャーウッドの会がどういう目的を掲げて、どういう活動を行っているのか……お前達は知っている筈だろう? お前たち冒険者には、前金でやった豆が気に入らなければ、クライアントに糞を投げてもいい文化でもあるのか?」
「そう言いなさんなハンスの旦那? 俺等はクライアント様にとって最善の利益を齎す提案をしてるだけさ。他意は無いよ、他意は」
「……その割には、未だにエンジンがつかないようだが?」
「それはー……ちょっと待ってくれ……すぐにつくから」
「……はぁー……」
不機嫌そうなハンスの溜息を聞き、愛想笑いを浮かべる男——冒険者ギルド【UNSAME】のギルドマスターであるケイン・ペルージャは、エンジンを作動させる為、赤い車のボンネットを開けてその操作を行っていた。
シュコシュコと何かを動かしているが、どうやら始動に手こずっているらしい。
「おっ、ついたな! さぁ、乗ってくれよハンスの旦那? ここからは楽しいドライブの時間だ。何ならブロンズチャペルのガイドもサービスでつけようか?」
「……必要ない。全く……何で俺が機械なんぞに乗らねばならんのだ」
エンジンが機械的な作動音を吐き出し始めると、車体の後ろについた
待たせたことを悪いと思っているのだろう。少しバツが悪そうにしながら赤いベルモンドに乗り込んだケインに倣い、ハンスもしぶしぶといった様子で乗り込んでいく。
「ゴチャゴチャ文句を言うなぁッ、
が、しかし。そんなハンスの態度に物申す声が一つ。
声に釣られてハンスが振り向くと、そこには自分達が乗っている車両とは別に、既にエンジンのついた黒いレイスタン・ベルモンドがあった。
ハンスに物申したのは、その車上に座る二人の亜人種の内の一人。背中のホルスターに大口径のソードオフライフルを背負った
おそらくハンスの態度が気に食わなかったのだろう。
グルルルルと、牙を剥き出しにしながら睨んで来るジャンの瞳には、縄張りを主張する猛獣が時折見せる激しい怒りの感情が浮かんでいた。
「ジャン、うるさい。静かにしろ。敵に気付かれる。ジャンは図体も声もデカい上に無神経なんだから、いい加減、慎ましさってモン覚えるべき」
そんな彼の凶暴な振る舞いを窘めたのは、上下二連式の
今度は、心底不機嫌そうに言った彼女の物言いに頭が来たのか——、ジャンはその鋭い視線を彼女へと移し、怒声を張り上げた。
「黙れチビめぇッ! そういう貴様は身体が小さいのだから、そのデカい態度を小さくしろぉッ!」
「だからうるさいって言ってる! 静かにしろ! 敵に気付かれる!」
「おいっ、こんな時にケンカすんなって! ——あー……いや、悪いねハンスの旦那? 大目に見てやってくれ……こいつら見ての通りバカなんだ」
「誰がバカだぁッ!」「バカはリーダーも同じだから、私たちに謝るべき!」
「あぁ~、もうっ、うるぇせぇなぁ~! 仕事中なんだから真面目にやれよ!」
「……」
冒険者というものは、緊張感がない、と。
敵が迫って来ているこんな状況にも関わらず、口喧嘩を始めた三人を見て、ハンスは呆れのあまり言葉を失った。きっと彼らは、母親のへその緒から受け取るべき生真面目さの代わりに、身に余るエゴイズムを受け取ってしまったのだろう。
彼らは優秀ではあるが、こういう短気な部分はマイナスポイントである。
雇う人間を間違えたかもしれない——と、ハンスは内心で独り言ちた。
「——あー……なぁ、ハンスの旦那? もう出発するが……
口喧嘩が一段落したのか、少し遠慮がちに声音でケインがそう聞いて来る。
「……俺達は冒険者だ。相手が同業だろうが、命懸けで戦う覚悟くらいギルドの旗を掲げた時から持ってる。クライアントのアンタが命じるなら、別にあの三人組の足止め位してやったっていいんだぜ? アンタはその間に仲間を連れて他のアジトに逃げればいい」
「……」
ハンスは一瞬だけ口元を引き結ぶが、すぐに「……構わない、出してくれ」、と。未練を断ち切るように口を開いた。
「……聖骸を使うと決めた時点で警察からの追手が止む事が無いのは理解していた。ある程度の強硬策を取ってくるであろう事も、だ。——それにどの道、あの人数を連れて他のアジトに逃げられるだけの時間はもう無いさ……。今は都市中に警察の捜査網が張られている。この騒ぎを聞きつけた警察が、すぐに駆けつけて来るだろう」
「だからこそだろ。
「……安心しろ。同志達は優秀だ……大半は捕まるかもしれないが、残った数人で必ず革命を成し遂げる」
「いや、だけど——」
「——くどいぞっ、何度も言わせるな! クライアントは俺だっ。指示に従え、冒険者……!」
「……。……そうか。分かった」
これ以上話す事は無い、と。まるでそう言いたげにキャスケット帽を目深に被ったハンスの行動を皮切りに、重い沈黙が四人の間に広がった。
ハンスの強い言葉に押し切られたケインは、短い返答と共に運転席のハンドルコックのレバーをグルグルと回し車輪を駆動させて行く。ジャンもそれに倣い、レバーを回し始めた。
「——皮肉な話だ。雇われただけのお前たちが一番、この革命を本気で成功させようとしている」
ポツリ、と。どこか自嘲の交じった声音でハンスが口を開く。
ケイン達は一度手を止めて、ハンスの話に耳を傾けた。
「時代の流れを決めるのは何時の世も圧倒的多数だ。民主主義の支配するこの時代であるのなら尚更、な……。そして俺達はその多数に属していない。未だの機械の多大なる恩恵を否定しているのは、俺たち位だ」
その言葉を聞いて、ケイン達はすぐに彼が何を言わんとしているのかを察した。
——ラダイト運動支持者と冒険者。
時代に置いて行かれた似た者同士だからこそ、共感できてしまう部分がある。
己が意志ではなく、他人の意思で自分の明日が決められる——。
その理不尽が誰か個人によって行われるのであれば、簡単な話だったかもしれない。怒りのままに振り上げた拳が、憎しみのままに振り下ろされる先は、たった一つで済んだ筈だ。
だが、その拳の先にあったのは、自分達が今まで帰属意識を持ち、また支えていた筈の『民衆』である。『故郷』である。自分達を不要と切り捨てたのは、自分達が今まで所属していた社会であり、集団そのものなのだ。
勿論、この時代の全てを決めたのが民衆という訳ではない。
それを牽引したのは銃や蒸気機関を発明した天才達であり、その発明を利用し経済を搔き回したブルジョワ達であり、その経済の荒波を社会へと有益な形で還元した議会の権力者たちである。
彼らがいなければ、この近代の世が自分達を切り捨てる事は無かっただろう。
だが、しかし——。
そもそもとして、時代を変えた『力』とは——時代を牽引した彼らが利用した『力』の正体とは、民衆という『数の力』なのである。
「……なぁ、冒険者。誰よりも向こう見ず生き方をして来たお前たちなら分かるのか? 自分ではなく、世界をの方を変えようした奴らは、最後はどこに行き着くのか……」
今まさに、これからハンス達が歯向かおうとしているのは『民意』なのだ。
だからこそなのだろう。この世で唯一、数の力に対抗しうる力——『暴力』に、彼らが頼ってしまったのは。
「「「……」」」
これまでの毅然とした態度からは想像もつかない弱々しい声音で、自分達に問い掛けて来たハンスに、ケイン達は僅かな沈黙の後、再びハンドルコックのレバーをグルグルと回し始めた。
「正直言うとな……俺たちもその最後を知りたくて今回の仕事を受けたんだ。多分、今回の依頼が、
そして、ポツリ、と。
ハンスがそうであったように、少し自嘲交じりの声でケインはそう言った。
「だから、旦那の質問には答えられない。いくら冒険者っつっても、世界の全てを踏破した訳じゃない。何でもは知らないさ」
ハンドルコックが回って行くに連れ、堰き止められていた蒸気圧力が車輪へと伝わって行く。機械的な音が車輪を回し始め、徐々に車体を前進させた。
「……だが、俺たち冒険者のやる事はハッキリしてる。『受けた依頼は全霊を懸けて完遂する』っつー事だ。それが俺たち冒険者の、
「……。ハハっ……答えになっていないな」
ケインの返答が気に入ったのか、ハンスは静かに笑みを作った。
目深に被ったキャスケット帽を上げると、未だ仄暗いその瞳の中には、寂し気な光が灯っている。どこか諦観に似た空気を孕んだその光の意味を、ケイン達は何となく理解した。
不安と不満に裏打ちされた義憤の感情が、自責思考と他責思考の間で揺れている。
豆の一つでさえ食べられなくなるかもしれない——そんな明日を圧し潰そうとする現実と、人として培ってきた道徳心や善人としての価値観が、きっと彼と、彼らの間で行ったり来たりしているのだろう。
「——改めて頼むよ。我々の革命の成功の為に、その力を貸してくれ」
「あぁ、その依頼……確かに俺たちの冒険者ギルド【UNSAME】が承った」
「任せておくがいいッ!」「よゆ~」
力強く握手を交わしたハンスとケイン。ジャンとミーシャも快活な笑みを見せる。
まるで劇の一幕のようなワンシーンは、見る者が見れば、彼らこそが舞台の主役達であると錯覚するであろう。だが——彼らの思想も、彼らがこれから行おうとしている事も、その全てが主役達に対する
そこに正義はある。しかし、大義はない。
残念な事に——これは
「——『受けた依頼は全霊を懸けて完遂する』……ハハハっ、その通りだ! 若造の割には分かってるじゃねェか!」
『……っ!!』
そう。これは
我が物顔で舞台の上に立つ主人公たちは、社会の側に立つ
「俺たちも同じです! 誇りに準じてこその冒険者っスからね!」
ハンス達の会話に割って入って来た声と共に、凄まじい破砕音が響き渡った。
大広間から力任せに壁を突き破って来たのだろう。
舞い上がった木片と土埃。その中から飛び出してきた三つの影。
ニヤリ、と。好戦的な笑みを浮かべてその三人——冒険者ギルド【RASCAL HAUNT】の冒険者達は、眼前の敵を見据えた。
「——でも、何か勘違いしてないっ? この
台詞だけ聞くのであれば、どちらが悪役なのかは分かったものではない。
台詞以外の情報を視野に入れたのであれば、さて——。観客たちの目には、一体どちらの側が正義に映るだろうか? どちらにせよ、正しさの立証を大衆に示すことが出来るのは、常に勝者のみである。
——それを決めるの為の戦いの幕が今、乱暴に引き上げられた。
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※以下、後書きです。
ここまでで<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第二章・名も無き端役の革命旗>は終了となります。ここまで読んで下さった読者の方々は、本当にありがとうございました。一人の創作者として、これほど喜ばしい事はございません。これからもご愛読して下さると、更に喜ばしく思います。
次回からは、<Episode I:ブレッド・オア・ブラッドの赤い旗 第三章・DANGEROUS SPEED>に入ります。少しでも面白いと思ってくれた方々は、これからもよろしくお願いします。
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