第9話‐名も無き端役の革命旗②

 ブロンズチャペルタウンの北西部。歓楽施設が数多く建ち並ぶこの区画の地下には、リベルタスの古い歴史の過程で造られた地下通り——通称『ドーセットストリート』が存在する。


 戦時中に非常時の逃げ道として造られた歴史的経緯を持っているこの地下通りは、現在ではブルジョワ達の道楽によって再開発事業が進み、知る者ぞ知るカジノ通りとなっている。


 その一角にある、とあるカジノ店『PEOPLE OF THE ABYSS』に、彼ら——ハンス・シュミット率いるラダイト運動を支持するテロ組織『シャーウッドの会』はいた。


 「——赤旗を掲げろっ、同志達……っ!」


 高らかに掲げられた革命を意味する赤い旗。


 現在は作戦決行前の前祝いである。ハンスの号令に合わせて、会に所属する支持者達が興奮した様子で怒声と歓声を響かせていた。


 「——いよいよ待ち望んだ革命の時が来たのだ! 狙うはゴルドリック=ハーデン第二労働区……卑しいブルジョワ共の甘言に唆され、浅ましくも金に眼が眩んだプロレタリアート達が、機械化という悪徳を広めんとするあの悪逆の魔窟だ!

 聖人アマデウスが見守るの日にっ、我々シャーウッドの会はあの場所を徹底的に破壊し尽くすっ!!」

 『おぉぉぉぉぉぉぉおおお~~~!!』

 「いいぞ~、ハンス~!」

 「そうだっ、機械なんてブっ壊せぇ! 取り戻すんだっ、俺たちの時代を!」


 無駄に広いということ以外は、幾つかのカジノテーブルが置かれているだけの特に特徴のない店内に、人間種、亜人種を問わない五十人ほどの男達がいた。


 皆、産業の機械化によって職を追われた元・手工業者達である。


 「ここまで付いてきてくれた同志諸君には心から感謝する! 今回の戦いで、パンか血かと叫び続けて来た戦いの日々に、ようやく一つの区切りを齎す事が出来るだろう! コレはこれまでの戦いと、明日の決戦の為に設けた労いだ! 皆、存分に飲んで英気を養ってくれ! では——近代文明に鉄槌を!」

 『近代文明に鉄槌を!』


 ハンスの音頭に合わせて、支持者達が酒の入ったグラスを天井に突き上げた。


 乾杯が終わるとすぐに、待ちきれないと言わんばかりに酒や食べ物を胃の腑の中に流し込み、ガハハ、と。品の無い笑い声を上げる。


 屈託のない彼らの笑顔を見届けたハンスも、店の入り口付近にあるカウンター席に座ると、彼らの空気感に倣ってエールを一飲みに呷った。


 「んぁあ~、ひぃっく……いい演説だったぜぇ~、ハンスぅ~?」

 「……もう酔ってるのか、マックス」


 ハンスよりも先に座っていた先客は、カウンターに突っ伏したままそう言った。


 イヒヒと、浜辺に打ち上げられた魚みたいに歪な笑い方をする、ハンスの旧くからの友人であるマックス・ムスターマンは、禿げ散らかした頭髪を隠しもせず、酒で火照った顔を赤く染めていた。


 無類の酒好きの彼である。ハンスは仕方がないと思いつつも、酒盛りが始まって五分も経たない内から酔い潰れそうな友人を、少し呆れたような半眼を作って見る。


 「イヒヒヒヒ……っ、でもよぉ~、ハンスよぉ~? お前っ、やっぱバっカだぜぇ~! 今度こそ、警察と軍がぁ、お前をきったねぇ塀の中にブチ込んじまうぞぉ~?」

 「もし仮にそうなったとしても、ここよりは品がある。構わないさ」

 「イヒヒヒヒ……! たしっかにその通りだぜぇ~! 市議会とブルジョア共がぁ、イーストエンドの再開発事業? だったかでよぉ! ここも綺麗になったがよぉ! やっぱクソ小便と死体の腐った臭いが取れねぇんだよなぁ~!」

 「あぁ、随分様変わりしたが……そこだけは変わらないな。昔のままだ」

 「最悪って事じゃねぇかよぉ~! イヒヒヒヒ……ゴホっ、ゴホっ!」

 「おい、飲み過ぎだぞマックス……」

 「なぁ~に言ってんだよぉ~! 俺はまだまだ飲めるぜぇ~! 酒もってこぉ~い!」


 その寂れた風貌とは反対に、マックスは幸せそうに笑いこけている。

 

 しかし、その振る舞いは、少なくともハンスの眼には現実からの逃避にしか見えない。かつては勇猛果敢に『パンか、血か!』と叫んでいた革命の勇者も、いまではほんの一時の酩酊を求めて酒を呷るだけの老いぼれだ。


 物は変わる、人も変わる。そして、世も変わる。


 きっと、変わらないものなどこの世にはないのかもしれない——。


 彼の変わりようが、このラダイト運動の衰退を表しているように見えてならないのは、きっと考え過ぎではないのだろう、と。


 今回の作戦が失敗に終わると考えている自分がいる事を、ハンスは自覚していた。

 

 「……ほら、マックス。もう奥で休め。もう春といってもまだ少し冷える。俺たちみたいなお尋ね者が風邪でもひいてみろ? 医者にかかる金もないんだから、そのままあの世行きだ。少しは体に気を遣えって」

 「お~う、わかってるぅってぇ~……」

 「……ははは。まったく、変わらないよお前は。大したダメ人間だ」

 「へへへ」


 呆れ交じりの笑みと共にハンスの口から出た言葉は、きっと旧くからの友人が、旧くからの友人のままでいてくれたからなのだろう。


 自分でも意図せずに零れたその笑みと言葉は、光の速度で変わっていく世の中においても、『変わらずにいてくれるモノ』がある事への安堵から出たものだったのかもしれない。


 「……。……なぁ~、ハンスよぉ~? お前、本当に第二労働区であんなもん・・・・・使うのか……?」

 「……。あぁ、使うよ」

 「……そうか。……変わっちまったなぁ……色々と。昔のお前は、もっと、こう……人情っつぅか人道的っつぅか、人の心みたないもんがよぉ——」

 「——酔いが回り過ぎてるぞ、マックス? 肩を貸した方がいいか?」

 「……。……イヒヒ! いいってぇ、いいってぇ! 自分で歩けるぜぇ~、俺はよぉ~! イヒヒヒヒ……!」


 どこか悲しそうな空気感で何かを話そうとしたマックスの言葉を遮り、貼り付かせたような笑みを浮かべる。笑顔の裏側に込めた言葉に恐怖を感じたのか、誤魔化すように笑った盟友は、素直に忠告を聞き入れた。


 覚束おぼつかない足取りで店の奥へと歩いて行くマックスの後ろ姿を見送ると、自然と、昔と同じく様変わりしない店内が映った。


 等間隔で置かれたバカラやルーレット用のカジノテーブル、そして、むせ返るようなアルコールと葉巻の匂い。新顔は増えたものの、昔馴染みの顔触れが揃っている店内は、やはりあの頃のまま時が止まっているように見えた。


 『変わらずにいる』——いや、『変わろうとしない』ということ。


 その事実が、どこか皮肉的に見えてハンスは自虐的に微笑んだ。


 「……おい、ハンス。誰か来たぞ」


 ——と、そんな時である。


 懐古の念に浸っていたハンスの耳朶を、緊張感に満ちた仲間の声が震わせた。


 「……あぁ、分かってる。追手だと分かるまでは動くな。俺が銃を出すまではお前たちも銃を出すな。一人だが油断するなよ?」

 「……分かった」


 扉の向こう側から店内に足を踏み入れたのは、見知らぬ顔の大柄な男である。


 オースト系民族特有の黒髪という見た目に加え、サスペンダー付きのズボンに白シャツというシンプルな出で立ち。袖を捲り上げ露わになった腕には、ルーン文字で書かれたタトゥーが刻まれている。


 歳はこの店の顔触れと同じくらいだろうか——、その貧相な服装から、あまり恵まれた社会階級でない事が伺える。どこか自分達に近い空気を感じるが、彼の纏う異質な空気感がハンスに違和感を覚えさせた。


 大柄な男は、一七〇㎝程の革製のケースを肩から掛けており、その中身への想像が、余計にハンスの疑念を増幅させる。


 「よォ? いい店だな、ここ。いい酒もあるみたいだ……隣、いいかい?」


 ハンスの警戒を気にした様子もなく、男はまるで親しい友人にでも接するかのように気安く話し掛けて来た。予想に反した行動だったものの、ポーカーフェイスを気取りながらグラスを呷る。


 無遠慮に隣に座って来た男を見て、不愉快と言わんばかりに眉根を寄せたハンスは、視線鋭く睨みつけた。


 「この客ぶれを見て分からないのか? オースト人。今日は俺たちの貸し切りだ。悪いが退出を願えるか?」

 「まァまァ、そう固い事言うなよ? オレァ、バーテンダーをやってるんだ。店で出す良い酒が無いかと都市中をプラプラしててな……そんなに酒があるなら、一杯くらいはいいだろ?」

 「……バーテンダー? にしてはガタイがいいな……軍や警察にでもいそうな出来た身体だ」

 「ハっハっハっ! おいおい褒めてくれるのは嬉しいが、生憎とオレは見た通りの人間だぜ? こんな草臥れた奴が、警察や軍みてェな上級な仕事に就ける訳がねェだろ? アレは地主や元貴族様、あとはそうだなァ……どこぞのブルジョワ共のガキみてェな、まともな教育を受けた人間がなる仕事だよ」

 「……じゃあ、その荷物は何だ? 何が入っている?」

 「気にしないでくれ。大した物は入ってないさ?」

 「……」

 「まだ何かあるかい?」

 「……。……まぁいい。酒の一杯くらいなら付き合ってやろう」


 座れ、と。

 カウンター席に向き直ったハンスの言葉に従い、男は不敵に笑った。


 「——ありがとよ、ダンナ? アンタ、聞いてたより物分かりがいいな」

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