第5話‐依頼と現実③・後編

※奴の踏む地面まで憎いの英訳は、『To hate the ground he treads on』です。意味合い的には『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』です。

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 写真に写っていたのは、野暮ったい服装に身を包んだ男だった。


 仄暗い眼光を携えた彼は、貧民階級の人間である事に間違いは無いだろう。どことなく、昨日キングス・ワポル機械博物館を襲撃したラダイト運動の支持者達に近い空気感を感じるのは、彼が彼らと同じ・・・・・・・タイプの人間・・・・・・だからである・・・・・・


 「男の名前はハンス・シュミット。二十五年くらい前から産業の機械化に反対する労働運動を行っていた『シャーウッドの会』の主導者さね。ハンスが主導するこの団体は、幾つかあるラダイト運動に関わる労働運動団体の中では穏健派で通ってたんだけどねぇ……数年前から、いわゆる過激派・・・に移行した」

 「……おいおい。まさか、機械ブっ壊す為だけに聖骸なんてモンを取引したとか言わねェよな……? このアホは……?」

 「……そのまさか・・・・・、だよ」

 「かァァァ~~……ッ! 世も末だなァ、オイ!? 都市ごと機械全部を爆破でもすンのか……? その『シャーウッドの会』とかいうエセ革命家共は……?」

 「……さぁね、アタシらの方が聞きたいくらいさ」


 アスマは頭を抱えて天井を見上げた。その大げさな旧友のリアクションに、ついエマが共感してしまったのは、内心で今回の事件を『アホくさい』と思っている部分があるからなのだろう。


 奴の踏む地面まで憎い、とはよく言ったものである。


 ——本来、機械に仕事を奪われることを恐れた手工業者により、労働環境や雇用や待遇の改善を訴える事を目的として行われたラダイト運動は、いつの間にか機械を廃絶する事そのものが目的となってしまった。


 ラダイト運動の正当な流れを汲んだストライキは、近年でも活発に行われ、新たな工場法の成立に奉仕しているが、本来の目的を失い機械への私怨をぶつける為だけに行われる近年のラダイト運動は、本末転倒と言わざるを得ないだろう。


 日夜、大義なき正義を掲げる彼らの復讐に付き合わされている警察の身としては、『目を覚ませ!』と言いたくなるこの頃なのである。


 「一週間くらい前かねぇ……バーリー兄弟とシャーウッドの会の取引現場を押さえたんだけど、逮捕できたのは現場にいた末端だけだったんだよ。肝心のバーリー兄弟とハンスには逃げられた上、聖骸の行方も分からない。都市中に光らせた捜査の目にも、全く引っかかる様子が無いくらいさ……」


 頭の中の暗い思考を振り払い、エマは話を続けた。


 「取引自体は防いだンだろ? まだバーリー兄弟が持ってンじゃねェのか?」

 「いや——聖骸は一般のルートじゃまず出回らない。相当な黒いルートから来た物なのは間違いないさね。国家そのものが保管するような貴重な代物を、簡単に諦めるとは到底思えないよ」

 「つまり……今こうしてオレらが駄弁だべってる間にも、エセ革命家共は取引の機会を伺ってる——てェことか?」


 コクリ、と。グラスに口をつけながらエマは頷いた。


 「……捜査は続けてるんだけどねぇ、ハンス達とバーリー兄弟の影の一つも見つけられやしない……。今日、アンタの所に来たのも、実は何か情報を持ってないかを期待してる部分もあるんだよ。ほら? 冒険者なら、情報屋みたいな事もやってるだろう?」

 「あァ、そうだな。実際、ハンス達のアジトの場所くらいなら知ってるしな」

 「……はぁ~、だろうねぇ。やっぱ知らな——うぇ!? 知ってるのかい!?」


 何でもない事のように語られた衝撃の事実に、エマは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。鳩が豆鉄砲を食ったような表情で問い掛けると、アスマはニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべていた。


 明らかに何かを企んでいるような旧友の邪悪な笑みに、口元をへの字に曲げる。


 「あァ、ハンス達のアジトだろ? 知り合いの料理番が副業で情報屋やっててよォ、良く酒の席で聞かされンだよ。警察が知らねェ情報も結構持ってると思うぜ?」

 「アンタ、今まで分かってて話に乗っかってたね……? いったいどれだけロクでもない事を企んでるんだい……?」

 「オイオイ、警部殿ォ~? 随分な言い様じゃねェかよォ~?」

 「……」


 額から冷や汗を流しながら押し黙ると、アスマは先ほど懐にしまった小切手をテーブルの前に出し、カツカツ、と。


 指で卓上を叩き小気味いい音を鳴らすと、こう言い放った。


 「——警部殿。ウチのギルドが持ってる情報が欲しいなら、もう25,000タラーくらい足りねェ気がするンだけどよォ~? 前金の額、間違えてたりしねェかァ~?」


 あぁ、なるほど、そういう事か——と。目の前の守銭奴が何を言わんとしているを察し舌打ちを一つ。ギリリと、強く歯を食い縛った。


 『粗野で粗暴、暴力的で雑多的、金にがめつく仕事に誇りを持たない野蛮人。身分も格式もわきまえず、分別を持たずに無秩序を蔓延させる無頼者』——とは冒険者を表す有名な文言だが、正しくその通りである。


 やはり、冒険者に依頼したのは間違いだったかもしれない——。


 「……ンで、どうするよ警部殿? まァ、民間の騎士・・・・・である警察様の事だ……まさか、たった25,000タラー惜しさに、目の前にある民衆の安らかな日々への近道を、わざわざ叩き壊すような真似はしねェよな?」

 「こんのぉ……!? 何て奴だいっ、アンタって奴は……!」

 「嫌なら別にいいンだぜ? そン時は警察への情報提供は無し。ついでに今回の依頼が無かった事になるだけだ」

 「ぐぬぬぬぬ……!」

 「わりィな、エマ? 金はふンだくれる時にふンだくるのが、今の冒険者の・・・・・・鉄則だ・・・


 ギリリと更に強く歯を食い縛り、拳を握り締める。このムカつく面をぶん殴りたいという衝動を抑え、エマは自分の預金残高を思い出しながら思案する。


 ——今回、冒険者に依頼を出そうと上の方に進言したのはエマである。


 詭弁と邪論をもって、何とかケチな上の連中の懐から金を引き摺り下ろして来たが——おそらくは、これ以上の資金は期待できないだろう。もし、これ以上の報酬金を出すのなら、言い出しっぺのエマが出すのが自然な流れである。


 数秒の葛藤の末、大きく溜息を吐く。「……あぁ、もうっ、分かったよ!」と、髪をガシガシと掻きながら、エマは万年筆で小切手の額を書き直した。


 『50,000タラー』、と。


 「アタシの預金をくれてやるさね! 持っていきな、この守銭奴!」

 「OKっ、交渉成立だ! しばらくは極貧生活だろうが、頑張れよ警部殿?」


 「余計なお世話だよ!」と、書き直した小切手をテーブルに叩きつける。


 エマの憤慨をケラケラと笑って揶揄うアスマを一睨みし、ぴょいっ、と椅子を飛び降りた。「話はこれで終わりさね!」と、扉へ向かって足を進めようとする。


 「あ、オイっ、エマ? 情報はいいのかよ?」

 「……毎日毎日仕事仕事で、ロクに食事も取れてないんだよ。腹が減って仕方がない。ちょっと隣で食べて来る。話はその後でいいさね」

 「ハハっ、大変だなァ警察も? 飯抜きで働き通しかよ。税金分以上に働いてんじゃねェの?」

 「……全く、嫌味ったらしい奴だねぇ! これだから冒険者って奴らは好きになれないんだよ!」

 「元・冒険者のオマエがそれを言うのかよ? 古い鏡に向かって唾吐いてねェかァ~? それ」

 「現役はアンタだけさね。文句があるなら、アンタも手に職つけな? ——そうしたら少しは、アスカも喜ぶんじゃないのかい?」

 「……ゥぐ……うるせェな。余計な世話だっつの……」

 「そうかい? 何やかんや言いながら、アスカは喜ぶと思うけどねぇ? ……口には出さないだろうけど」


 ニヤリ、と。仕返しとばかりに嫌味な笑みを浮かべる。


 半分ヒモのような分際のくせに、変なところでプライドの高いこの男の事だ。そういった弄りには弱い。


 エマの思惑通り、痛いところを突かれたアスマは少し顔を強張らせ、先程までの人を食ったような態度を崩す。


 「ったく……腹減ってンだろ? 人のプライベートに茶々入れてねェで、とっとと飯食って来い! ほらっ、しっし!」


 煩わしそうに手の平を振ったアスマは、新しいグラスに酒を注ぎ一飲みに呷った。


 「……」

 「……? な、何だよ……?」


 ふと、変わりなく健勝そうな旧友の顔を見て、フッ、と。


 遠い過去を思い出し嬉しくなったエマは、少しだけ口角を上げた。


 ——変わらないものがある。それも案外、悪くないものだ、と。


 「いや、大したことじゃないさね。ただ——アンタは変わる・・・・・・・んじゃないよ・・・・・・、アスマ? アンタを逮捕するのは骨が折れる程度じゃ済まなそうだからねぇ?」

 「……、……ハっ、そういう事かよ……」


 エマが何を言わんとしているのかを察したのか、アスマは力強く胸を叩いた。


 「安心しろよ? オレは変わらねェ……最後まで冒険者で在り続けるさ」


 こんなご時世である。冒険者家業が上手く行かず、犯罪に手を染めた知り合いの冒険者を逮捕した事も一度や二度ではない。勿論、目の前の旧友がそうなる可能性だって少なからずあるのである。


 だが、今のアスマ・クノフロークという男からは、仄暗い空気感の一つも、殺意に満ちた眼光も、義憤に裏打ちされた社会への恨み辛みも、何一つ感じられない。


 「そうかい。ならいいさね」


 安心したエマは、ただ二言だけ言い残すと、止めていた足を扉の向こうへと動かし始めた。そして——ギギィ~、と。


 金具の建付けが悪くなっているのだろう。少し不愉快な音をたてて開いた扉の音。


 【GLORIOUS MEMORY】の店内に満ちる喧騒へと呑まれて行ったそれを追うように、エマはホール内へと足を踏み入れる——。

 

 「一番テーブルに『ペールエール』九本っ、ペアリングで『フィッシュ&チップス』九皿っ、付け合わせは『タルタルソース』二つと『モルトビネガー』七つッ! キキお願い! ルースは『ラガービール』六本っ、あと『ミートパイ』四つと『エッグオルダント』二つ! 十二番テーブルでぇぇぇぇっ!!」

 「あーっ、もうっ! まだ昼よ!? 何で酒ばっか飲んでんのよ、あのお客様共はぁぁぁっ!? 肝臓逝くわよ!?」

 「キキさぁ~ん! 愚痴ってないで早く運んで運んでぇ! 間に合わなくなるっスぅっ! あとコレ四番テーブルでぇぇ……っ!!」

 「分かってるわよぉ!!」

 「ア˝ズガざぁぁぁぁ~~~~ん!!」

 「ごめ~んっ、ちょっと待ってぇぇぇぇぇぇ~~……!!」

 「……」


 思わずエマの口から出た台詞は「……酷いねこりゃ」だった。


 どうやら接客業務というのは、思っている以上に過酷な仕事のようである。ルースとキキには少しだけ悪い事をしたかもしれない。


 ホール内に広がっていたのは、給仕服に身を包んだアスカ、キキ、ルース、猫毛種キャットピープルの少女、その他の店員たちが、死にそうな表情で労働に従事する姿であった。


 「こりゃ今日は無理そうだねぇ、アタシの依頼は……」


 そんな彼らを見て苦笑を一つ。


 警察以上の重労働などそうそう無いと思っていたエマだが、どうやらそんな事はないらしい。彼女が思う以上に、この世には星の数ほどの重労働がある。。


 一つの真理に辿り着いたエマは、慌ただしく店内を駆け回る給仕達にぶつからないように、席の一つに着き、フィッシュ&チップスを一つ注文するのであった。

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