第2話‐依頼と現実②・前編
鉄骨を骨組みに、外観をレンガで造られたネオ・ゴシック様式の建築群が建ち並ぶロマンに満ちた街並みの中を、一台の蒸気バスが進んでいる。
シュー、シュー、ポー、と。運転手が汽笛を鳴らすと、精霊資源特有の青みがかった蒸気が空へと昇って行った。
その音に驚いたのか、
青い蒸気の空へと飛び立った斑鳩達が見下ろす眼下の先では、今日も今日とて、
——商人と労働者の別天地『リベルタス』。
大国セントへリック
複雑な歴史的背景を持つ事から、宗教や周辺諸国からの圧力を限りなく抑え込んでおり、政府と主権を共有しながらも、自立した行政権を持っているこの都市を、その華々しさを賞賛して『世界都市』と呼ぶ者も多い。
世界でもあまり類を見ない政治形態を執っている事から、近代国家のパイオニアともされ、現在ではその栄華に僅かばかりの陰りが見え始めて来たものの……この資本主義社会への影響力は未だ凄まじいものである。
「今日から入った新人の子、どう?」
「……オーナー。ヤバそうですよ、あの子。かなりテンパってます」
「あー、やっぱりかぁー……」
そんなリベルタスを構成する十一の地区の内の一つには、飲食店や雑貨屋などが多く建ち並ぶアポン=エイヴォン第二商業区と呼ばれる区画がある。
場所はその一角に建つ大衆食堂。古めかしい景観が妙に味のある事と、異国の料理を多く提供している事から人気のある【GLORIOUS MEMORY】の店内である。
紺色の給仕服に身を包み、濡れ羽色の長髪を一本に束ねた女性——この店のオーナー兼ウェイターであるアスカ・フィーレンスは、予想通りの部下の言葉に苦笑いをした。
新しく雇った新人給仕の
ホールに目を向けると、サイズの合わない丸眼鏡をかけた亜麻色のショートボブの少女が一人。ペタリと猫耳を横に倒し、尻尾をダラリと垂らしながら不安を露わにしている。
「新人! これ三番テーブルにお願い!」
「ベティちゃ~ん! 次これ七番テーブル!」
「おいっ、遅いぞ新人! もっと急げぇ! フィッシュ&チップスが冷めちまうぞぉ!」
「はいぃぃぃぃ……!!?」
あばあばあばばばば~、と。勤続五時間にも満たない短時間にも関わらず、ベティと呼ばれた少女の目は語っていた。
——もうこの店辞めたい! 今すぐに!
今にも業務を放り出しそうな勢いの暗い表情で仕事に励むベティの表情を見て、アスカは頭を抱えた。「……ちょっとフォローして来る」と部下に言い残し、少女の元へと小走りで駆けて行く。
「……ぇと、えと……っ、これが四番テーブルっ、こっちが七番テーブル……これが冷えたフィッシュ&チップス……っ! ヨシっ!」
いや、ヨシっじゃない! 冷えてちゃ駄目でしょ! と、口を突いて出てきそうになった言葉を喉奥でグッと堪え、まるで臆病な小動物にでも近付くように優しく話し掛ける。
「えぇーと……ベティちゃ~ん?」
「はっ、はひぃっ!?」
しかし、それが返って逆効果になってしまったらしい。
テーブルの上に料理が乗ったトレーを置き、指さし呼称で注文確認を行っていたベティは、気配もなく突然呼び止められた事に驚き、再びあばあばと慌てふためき始めてしまった。
しかも、自分を呼び止めた人物が店の最高権力者であった事が追い打ちしたらしく、アスカの顔を見るや否や、顔を青くし目をグルグルと回し始めてしまう。
「あ、ああああああアスカさん!? ご、ごめんなさいごめんさないサボってないです注文確認してただけなんですホントにサボってないですごめんなさいぃぃ……!?」
「あ~……別に怒ってないから大丈夫だよ~。ちょっと落ち着こうね~? はい、深呼吸して~?」
「……は、はひ……っ」
そう言って、二、三度の深呼吸を繰り返したベティは、顔は青いままだったものの、少しばかりの落ち着きを取り戻したようだった。
「……ご、ごめんさなさい、アスカさん……ミスしてばっかりで……」
「いいの、いいの! せっかく入った子に辞められるとこっちが困っちゃうから。こっちこそ、ごめんなさいね~? 今、かなり忙しい時期だから……どうしても忙しくなっちゃうのよ~!」
「だから……ね?」と、念押しするようにアスカは言った。
「……覚えるのは、本当にゆっくりでいいから——辞めないでね……?」
「……」
「……ベティちゃ~ん……?」
「ハ、ハハハハ……ダイジョブデス、ダイジョブデス……オシゴトハジメテイチニチデヤメルワケナイジャナイデスカー……ハハハハハ……」
「ほ、本当に大丈夫……? そうは見えないんだけど……」
「ハイ、ダイジョブデス……オシゴトモドルマス……」
「そう……。が、頑張ってねぇ~……?」
虚ろな目で踵を返し、フラフラとした足取りで料理を運んで行くベティの背中へ、アスカは小さく手を振った。
「大丈夫かなぁ~……?」
腕を組み忙しないリズムで左目下の泣き黒子を撫でる。
不安な時に出るこの癖が最近になって増えてきているのは、きっとアスカの気のせいではないのだろう。
産業革命が起きてからというもの、雇用主が賃金を貰って生計を立てる
その影響のおかげか、飲食店業界の景気も他業種と同様にすこぶる好調と方々から話を聞く——が、しかし。何事にも限度というものはあるものだ。
平均十三時間の重労働に、数人の従業員で店を回すてんてこ舞いの日々。
正しく猫の手も借りたい状況という事で、知り合いの伝手を辿り
仕事を教えるという仕事が増え、さらに仕事が忙しくなってしまっているのだから、経営というのは難しいものだ。
せめて、あと数人ばかり人が増えれば何とかなるのだが——。
「うわ……人がゴミゴミしてる……」
「安息日が近い影響じゃないですか? この時期は大体こうっスよ」
「当日はもっとヤバそうね……。手伝えとか言われるんじゃない?」
「……うへぇ~。不吉なこと言わないで下さいよ~……」
カランコロン、と。
暗い感情が堂々巡りしていたアスカの意識を引き戻したのは、客の来店を告げるベルの音である。入り口扉の方を見ると、そこには良く見知った顔の少年と少女が苦虫を噛み潰したような表情で立っていた。
キョロキョロと辺りを見回した彼ら——キキとルースは、アスカの姿を見つけるや否や、母親を見つけた子犬のように小走りで駆け寄って来る。
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