抱き返した背中は、広くて温かかった。衣服越しにこの人の身体に触れるのは、随分久しぶりなのではないかと思った。

 温かい。そう思うのと同時に、怖くなった。

 本気で、この人を離せなくなるのではないかと。

 俺は多分、普通の人よりも誰かの体温に触れる経験が少ない。

 両親には愛されなかったし、恋愛もほとんどしなかった。だから、与えられるこの体温を手放せなくなるのではないかと。

 怖い。そう思うと、もうだめだった。緑雨の背中から手が離れなくなった。

 「今日はこのまま寝たい。」

 俺から緑雨になにか頼むのは、これは記憶している限りははじめてだった。

 「いいよ。」

 緑雨は俺の肩をきつく抱いたまま、低く呟くように言った。

 俺と緑雨は、抱き合ったまま転がるようにベッドにもつれ込んだ。

 このベッドで、セックスしないで緑雨と眠るのは、間違いなくはじめてだった。

 これがしたかったのだと思った。

 本当はセックスがしたいのではなく、こうやって誰かと眠りたかった。それは、緑雨と。

 気を抜いてはいけないと思った。

 この男は、いつ煙のごとく消え去ってもおかしくない男だ。気を抜いて、寄りかかって、抱きしめてはいけない。失ったときに立ち直れなくなる。

 それでも俺の両腕は緑雨の背中に回ったままで、彼の体温を手放そうとはしない。

 「今夜だけは、」

 口をついて勝手に出た言葉だった。

 今夜だけは。その先に続けたい台詞は自覚していた。今夜だけは、どこにもいかないで。

 それでも唇が迷い、言葉を紡げなくなる。

 どんな言葉でも、緑雨を縛り付けられないことは分かっていたし、縛られた緑雨はもう緑雨ではないと、そのことだって分かっていた。

 それなのに緑雨は俺の肩を抱いたまま、もう片方の手を伸ばすと、これ以上はないというくらい慎重な動作で、俺の指に自分のそれを絡めた。

 今晩はこの指を離さない。

 そんなことを言われたわけではない。

 緑雨が俺の指に自分の指を絡めた、ただそれだけ。

 それだけなのに、俺は安堵したのだ。確かに。約束の一つもないのに。

 そのまま俺は、緑雨と指を絡めたまま、眠りに落ちた。

 だめだと、心のなかではずっと念じていた。

 それでも、せめて今夜だけは、と縋るように思う自分に勝てなかったのだ。


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