「なんで?」

 そう問いかけるには、かなりの勇気がいった。だって、俺にとってケイスケはどうでもいい存在だからだよ、だなんて、知っていたって言われたくはない。

 自分が傷つくのは分かってる。なんで傷つくのかだって本当は分かっていて、ただ、分からないふりをしているだけだ。なんで分からないふりをしているのかだって、本当は分かっている。

 「なんで?」

 俺の言葉を鸚鵡返しにして、緑雨は唇の端だけを軽く吊り上げた。

「なんでって、そんなの分かったら俺も苦労しない。ケイスケはなにも特別じゃないのに、なんで俺がこんなふうにならなきゃいけないのかが分からない。」

 こんなふうってなに。問い返したかったけれど、できなかった。緑雨の視線が痛くて。

 「……緑雨?」

 沈黙に耐えきれずに名を呼ぶと、緑雨は軽く首を傾げるようにして、俺の口元に顔を寄せた。

 「痛そうな顔、しないで。」

 出てきた台詞は、それで精一杯だった。

 緑雨はいつだって俺に優しかった。打算が裏にある優しさだとしても、確かに優しかったのだ。

 その緑雨が、どこかが痛むような顔をしているから、その言葉はほとんど無意識に唇から出ていた。

 「痛そうな顔?」

 緑雨はそう言って笑った。それは俺がこれまで見たことがない、ひどく露悪的な表情だった。

 「俺に痛そうな顔なんかさせられると思ってるの? ケイスケが?」

 「思ってないよ。全然、思ってない。」

 俺は何度も左右に首を振った。けれど緑雨は俺を許してはくれず、せせら笑った。

 「そうでしょ? ケイスケなんか、全然特別じゃない。痛い顔なんか、するわけない。」

 「うん。」

 頷くしかなかった。深く頷いて、傷ついてなんかない印に、笑ってみせるしかなかった。

 全然特別じゃない俺なんかが、緑雨に痛みを与えられるはずがない。 

 それなのに、緑雨はなぜだか俺を抱きしめた。雨にしっとりと濡れてしまった俺の身体を、きつく。

 「……緑雨?」

 狭い靴脱で、きつく絡み合った2つの身体。

 背中を抱き返すのが怖かった。振り払われ、今度こそ再起不能になる台詞を吐かれるのではないかと思うと。

 けれど緑雨はなにも言わなかった。ただ、じっと俺のことを抱いていた。

 俺が彼の背中をなんとか抱き返せたのは、随分時間がたってだった。


 

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