セックスしようって、言ってるんだよ。

 俺の目から静かに手を離し、沈んだ声のまま、葛西さんが言った。

 俺は驚いてしまってなにも言えず、動けず、ただ葛西さんをじっと見つめていた。それは多分、端から見たら怯えの表情だったと思う。

 「俺とセックスしよう。寂しいなら、緑雨じゃなくて俺で埋めてほしい。」

  淡々と、あまり感情のこもっていない声だった。だから俺は、葛西さんが本気なのかどうか分からなくて、どうしていいのかも分からなくて、その場に張り付けにでもされたみたいに息を潜めていた。

 「いや?」

 葛西さんが、ふと身をかがめて俺の目を覗き込んできた。そしてそのとき俺は、葛西さんが本気なのだと理解した。だって、彼は本気の目をしていた。ひりひりするくらい本気の、強い眼差し。

 俺はこれまで誰にもそんな目を向けられたことがなかったから、思わず怯んでしまった。そうすると葛西さんは、長いまばたきひとつでその色をどこかにやってしまった。残るのは、きちんと抑制された、切れ長い目の静かな眼差し。

 俺はその目を見ると安心して、なにもかも葛西さんに任せていればそれでいのだという気になって、嫌じゃないです、と答えていた。

 「本当に?」

 「本当です。」

 「後で後悔しない?」

 「しません。」

 「俺と寝るなら、緑雨とは別れて。」

 「え?」

 「緑雨と、別れて。」

 上手く反応ができなかった。俺と緑雨の間に、別れるとか別れないとか、そんな関係性があるかどうかすら分からなくて。

 「……別れるもなにも、俺とあの人とは、付き合ってるわけじゃない。」

 辛うじて口にした曖昧な台詞。

 けれど葛西さんは、それを許してはくれなかった。

 「じゃあもっと単純に、緑雨とはもう会わないで。」

 はい、と、そう言えばいいのだろうか。分からないまま俺は黙りこくる。

 もう、一人は嫌だった。緑雨が毎日家にいて、行ってらっしゃいとお帰りなさいを言ってくれる。それに慣れてしまえば、失うことが怖くてたまらなくなる。

 「……寂しいのは、嫌なんです。」

 恐る恐る唇から出してみた、女々しい台詞。

 すると葛西さんは、磨いていたグラスをバーカウンターに置き、右手を俺の頬に伸ばした。

 冷たい指先。

 「俺が小川さんを寂しくさせると思う?」

 俺は急いで首を左右に振った。思わない。葛西さんはそんな人じゃない。

 すると葛西さんはカウンターから出てきて、俺の手を引いた。

 「ここの二階が俺の家。……上がってくれる?」


 



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