「珍しいね。」

 葛西さんが俺の前に、薄くて甘いお酒をおいてくれながら言う。

 「2日連続なんてはじめてじゃない。……緑雨に、なにかされた?」

 なにかされた?

俺は戸惑って口をつぐみ、葛西さんを見上げた。

 なにかというか、セックスはした。ただ、それは『された』わけではない。『した』のだ。確かに。

 だから俺は首を横に振り、ピンク色のお酒を一口飲んだ。

 葛西さんのすっきりと切れ長の目が、じっと俺を見た。

 頭の中を何もかも読み取られそうな気がして、俺は頭を空っぽにしようとする。

 けれどその努力をすればするほど、俺の頭の中は昨晩の性交の記憶でいっぱいになった。  

 緑雨の息遣いや、体重、体温、汗の匂い。快楽の記憶。それらはあまりに生々しくて、俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。

 「顔が赤いね。」

 ぽん、と投げ出すように、葛西さんが呟いた。

 俺は思わず両手で頬を抑えた。

 それを見た葛西さんが、低く笑う。

 「したんだね、緑雨と。」

 なにを、とは葛西さんは言わなかった。言わなくたって、あの男とすることなんか一つしかないからだろう。

 そういう男と寝た。その自覚はあった。

 「やめとけって、言ったと思うけど。」

 「……すみません。」

 「謝ることじゃないよ。俺はただのバーテンだし、君はお客様だ。俺の言うことを聞く義理なんてない。」

 葛西さんの言葉は、俺を悲しくした。俺には友達も恋人もいないから、葛西さんにそうやって突き放されると、本当に孤独になってしまう。

 「……そんなこと、言わないでください。」

 声が勝手に震えた。

 葛西さんが驚いたように俺を見た。

 無言の間の後、葛西さんは俺に伸ばそうとした右手を、思い直したように引っ込めた。

 「小川さんのことは、放っておけないな。」

 独り言みたいな葛西さんの言葉。

 俺は、縋るように彼を見ていた。

 葛西さんの両目が、ふわりと笑う。

 「家に帰ったら、緑雨が待ってると思うよ。いつものあいつの手だ。……追い返せって言いたいところだけど、小川さんにそれはできないでしょ。」

 頷くことも、首を横に振ることもできず、俺は黙り込んだ。

 いつもの手。

 分かっている。緑雨にとって俺なんか全然特別な存在じゃないって。 

 分かっていても、俺は目の前の酒を飲み干し、荷物をまとめた。

 葛西さんは静かに目を伏せ、囁くように言った。

 「帰るなって言っても、帰るよね。」

 葛西さんの言葉の真意が読めず、俺は首を傾げた。

 「え?」

 なんでもないよ、と、葛西さんが肩をすくめる。

 俺は急いで勘定を済ませ、急ぎ足でバーを出た。


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