2.悪役令嬢はシェフを褒める

やり取りの後、ナイフが手に入らなくて死ぬことがままらなかった衝撃にアナスタシアは茫然と座っていた。

ナイフですら簡単に手に入れられない自分の無力さに打ちひしがれていたとも言える。

侍女一人、ろくに従わせられないなんてと、アナスタシアは悲壮な表情を浮かべてソファーに座っていた。


「お嬢様、入りますよ」

放心状態のアナスタシアの部屋に声をかけたメアリーは空返事に首をかしげつつも朝食が乗った皿と、紅茶が入った茶器を手押し台に載せてアナスタシアの部屋へと入った。


部屋の中央にある丸テーブルの上にテーブルクロスを引いてからお抱えのシェフ自慢の朝食を一枚一枚、アナスタシアの目の前に広げていく。

冷めないようにとポットカバーをかけていた紅茶をアナスタシアが気に入っているカップに注ぐ。

そこまでしてメアリーは未だにソファーに座ったままのアナスタシアを丸テーブルの椅子へと移動させようと、アナスタシアの傍に近寄った。


「メアリーこれは食べられないわ」

手を引かれるようにしてメアリーに丸テーブルの前まで誘導されたアナスタシアはそう言って椅子に腰かけた。

丸テーブルの上の朝食をみて文句を言っている割には覇気のないアナスタシアの様子にメアリーは今日は何が気に障ったのかとテーブルを眺めた。


アナスタシアの朝食にと用意されたのは、たっぷりのクロテッドクリームが添えられた焼きたての腹割れスコーン、海老とオレンジのサラダ、チーズと生ハムのピンチョス、オニオンスープ。


それらは綺麗に計算された配置に置かれて出来立ての湯気まで立てている。

アナスタシアはメアリーが入れた紅茶を優雅に飲んでから、溜息を吐いた。

その憂いに溢れた表情にメアリーは理由もなく胸が締め付けられる気持ちになってアナスタシアの心を晴らそうとした。


「何がお気に召さないのですか?」


メアリーが最後のデザートをテーブルに出した時にはとても喜んでいたはずだ。

可愛らしいりんごが添えられているのに、アナスタシアはそれはそれは目をキラキラとさせて、呆けていたはずの顔を赤くしていたように思う。

では、そのあとの紅茶が問題なのか?と考えたが、アナスタシアはすでに紅茶に口をつけているし、香りがいいと褒めていた気がする。

メアリーは困惑した表情で、テーブルの上をみつめるアナスタシアを見つめた。


アナスタシアの視線の先には

とても可愛らしいりんごが鎮座している。


皮は艶々と赤く実は瑞々しいりんごが、赤い目の可愛らしいうさぎさんに切られていた。

いや、彫られていた。


「もしかして…りんごはお気召さなかったのでしょうか?」

メアリーは無難に問いかけた。

リンゴが食べたいとさっきまで言っていたのに、食べたくなくなったとしたら。

それで、気が変わったアナスタシアに気がつかないメアリーとシェフに対して幻滅していたとしたら。

メアリーはアナスタシアのこれまでの動向からそう推測した。


まさかあの、わがままで自分本位で手に負えないお嬢様が可愛いだけでうさぎを口に出来ないと言うなどとは到底思えなかった。

手間をかけても口に入れたら同じじゃない。

そう言って頭からもしゃもしゃ、とハリネズミの形をした揚げパンを容赦なく食べていた人が、ある日突然とはいえ乙女のような思考を持つ人に変わるなんて非現実的な事など、考えもしなかった。


「そんなの決まってるわ!」


…ダァン!

と、机を叩いてアナスタシアは立ち上がった。

それでこそお嬢様です。

メアリーは脳内で手を叩いた。

後は食器を投げつければいつも通りのお嬢様になるだろう。

さぁ、こい。今こいとメアリーは拳を握って固唾を見守ってアナスタシアの癇癪に答えようと足を踏ん張った。


「りんごが……うさぎさんの形に切られていて…っこんな!こんな可愛らし物をつくれるうちの料理長は天才だわ!」


「は?」

文字通りメアリーは口をはの字にあけた。

相手が誰でも笑みを崩さぬよう1級の教育を受けてきたメアリーが初めて見せた素の表情だった。

固まったまま微動だにしないメアリーに痺れを切らしたアナスタシアの声に力がこもって、もう一度メアリーは名前を呼ばれた。


「メアリー!今すぐ料理長の元に案内して!」


「それで、私が呼ばれたので?」

料理長はコック帽を手持ち無沙汰に触りながら困惑した声をこぼした。

ちらっと料理長は、メアリーに助けを求める視線を向ける。


私も同じ気持ちです。

メアリーは料理長に強く頷き同意した。


起きてからというものこのお嬢様はなんだか様子がおかしい。

貴族令嬢がキッチンに入るなど聞いた事がない事を自然と口にし、その要望を止めたメアリーの話を大人しく聞いた。

今までの我儘で気儘な方が一言でメアリーの言葉にうなずくとは。

そわそわと落ち着かないそぶりを見せるアナスタシアをメアリーは不審に思いながらも扱いに困っていた。


「いつもありがとう料理長。私は本当に幸せってものだわ」

「もったいないお言葉です」


アナスタシアの言葉に料理長は頭を下げた。


「頭を上げて、料理長。この子が可愛らしいすぎて食べられない私を許してね」


冷める前に食べてほしいという料理長の願いに答えてアナスタシアはデザート皿に乗ったうさぎの形のりんご以外を食べてそう言った。

唇をぬぐうナプキンを雑に畳んで食事が終わった事を知らせるアナスタシアの目の前からメアリーが空の皿を片付ける。


「はぁ」

「お礼を言いたかっただけなの、下がっていいわ」

そういわれても、つぶらな瞳のうさぎは食べてほしいと訴えているように思えて料理長はため息のような返事を返したものの、すぐには下がれなかった。


「食べて頂く為にお出ししたものです、目をつむって食べて頂くことは出来ませんか?」


レモン水につけたお陰か、色も変わらずつやつやのりんごの皿を見ながら問う料理長にアナスタシアは息を飲んだ。


…そうよね、料理長は食べてもらうためにお料理をしているんだもの。いくら可愛いとはいえうさぎさんを残すのは忍びないわよね


形を変える前は全体が赤くおいしそうな色だったことが伺える赤い目と目を合わせてアナスタシアはお皿の上から、うさぎの形をしたりんごを素手で掴んだ。


「貴方の命を糧に精一杯生きるわねうさぎさん!」


自分のだす料理に毒でも混ざっていたのだろうかと、料理長は思った。

お嬢様がとうとう一線を越えたおバカになってしまったと、メアリーは思った。


そんな二人の気持ちもしらず、アナスタシアはうさぎリンゴを頭から口に入れた。

シャリっとした歯ざわりと噛むごとに溢れる果汁はあっという間にアナスタシアの胃へと消えた。


「うさぎさん…」

「明日も用意します、お嬢様」


食べたらなくなった。とでも言いたそうな目で皿を見つめるアナスタシアに料理長は慰めるように言葉をかけた。

化粧を変えたせいなのか、普段よりも儚げなアナスタシアに毎回違う趣向を凝らした果物を出そうと料理長はひとり心を燃やす。


それは料理を提供する者としてのプライドをかけた戦いだった。

例え我儘で無理難題を押し付けられていたとしても、料理長にとってアナスタシアは大切な料理を提供される側だった。

今までそれをわかってはいても、副料理長達にアナスタシアの食事を用意させていたシェフにとって妥協は一流シェフとして許されないことだとシェフは今一度自分の考えが間違っていたことに気が付いた。


「メアリー」

「はいなんでしょう」

「私は間違っていた、今後は私が全身全霊でお嬢様の為にお料理をおつくりする事にする」


料理長は退席をする間際にメアリーに囁いた。

これからアナスタシアが口にするものは全て料理長自ら手によりをかけた物を提供しなければと料理長は一流シェフとして評価してくれたアナスタシアに答えようと高い帽子に誓った。


こうしてアナスタシアは気が付かぬうちに迫り来る毒殺の危険を回避してしまった。


・・・おかしいわ。

最近食事中に身体が痺れる事がない。

これはなにか別の策略かしら?

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