1.悪役令嬢は果物ナイフを望む
「死にたい」
何度もループし続けた今日をもって、アナスタシアの心はぽきりと折れてしまった。
ずっと生き残ろうと足掻き続けたアナスタシアは、今日戻った事を皮切りに、生き残る事を諦めた。
数えるのも嫌になるほど繰り返した誕生日を祝われるための準備を侍女の手によって着飾られながら、鏡の中にいる幼い自分の運命を憂いた。
気が強く見られがちな目尻にアイラインをひかれそうになって、アナスタシアはその化粧をやめるように侍女に告げた。
気の強い女を演じるのもつかれたアナスタシアは、侍女に頼んで殆ど化粧を施さないことにした。
アイシャドウも落とさせて、目尻に薄いピンクをぽんぽんと、指先でのせるだけの簡単なアイメイクを施し、骨格を強調させるシャドウもやめて影を薄く作るだけにとどめた。
唇には赤い色のリップはやめさせて、代わりに淡い色のリップで桜色の自分の唇の色を強調させた。
顔の清楚な雰囲気には合わない派手な巻き髪もやめさせることにした。
ずっと気に入っていたクルクルとまかれた髪型から、緩いウェーブの髪を編み込み、リボンで結んでもらった。
それだけでアナスタシアは随分と印象の違う令嬢へと変化した。
憂いのある表情を浮かべれば、儚い印象を受けるアナスタシアの変化に侍女のメアリーは両手を握りしめてアナスタシアの美しさを崇めてほめちぎった。
ドレスも派手な色ではなく、地味で以前なら受け入れなかった浅黄色を選んだ。
腕を通してみると瞳の色がより強調されて、髪の色に良くなじむドレスはアナスタシアのもつ魅力を最大限発揮していた。
…すこし変えただけでこんなに印象が変わるものなのね。
以前までと全く違うアナスタシアの雰囲気にメアリーは生き生きとした表情で髪にパールをあしらったり、デコルテに輝きを増す粉をふったりと忙しそうにしている。
以前の髪型や化粧はあまり好みではなかったのだろうと取れるメアリーの態度にアナスタシアは驚きつつもされるがままになっていた。
…姿を変えたからといって何かが変わるとは思えないけれど。
それでも新たな目標に燃えるアナスタシアにとって、別の自分に変わる事は自ら死を選ぶことを決めたアナスタシアには大きな意味のあることだった。
何度転生してもアナスタシアは避けきれない死亡フラグに殺されてきた。
ついさっきの死因なんて、王子に婚約破棄されたあと、馬車が捕まらず徒歩で屋敷に帰る為に移動しているアナスタシアに突然飛んできた矢で胸をひとつきされて死んだのだ。
理不尽すぎてもはや怒る気にもならない。
何が悪いのか、そもそもどうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか、最早考えることもめんどくさくなってアナスタシアは避けきれない運命を迎え撃つ事にした。
世界が私を殺そうとするならそれより先に死んでやる。
理不尽極まりない転生生活にアナスタシアはつかれていた。
正常な人間ならどの道死んでるんじゃないと言われるかもしれないが、どうせ死ぬのだ。
死に際くらい自分で決めたくなった。
「本日はいかがなさいますか?お嬢様」
準備を終えて一息つくアナスタシアにメアリーはにっこりと微笑んだ。
何度見ても可愛らしい笑顔にアナスタシアは自然とつられて笑みを作ってメアリーに問いかけた。
「そうね、さっそくだけど、果物ナイフはあるかしら?」
「果物ナイフ?…ですか?」
アナスタシアは死ぬと決めてから、まずは1番簡単そうな手段を取る事にした。
メアリーが窓を開けてくれたならそこから飛び降りてもよかったが、ここは2階。
飛び降りた所で、わんちゃんは生き残る可能性がある高さがある窓から身を投げる事は一旦やめることにした。
中途半端に命が助かり、後遺症が残って自ら死ぬことすらままならないなんて事になれば目も当てられない。
そこでアナスタシアは安直ではあるがメアリーに用意させたナイフで自らの胸を突くか首を切る事を思い立った。
転生を繰り返す中でナイフの扱いはある程度出来るようになったアナスタシアならメアリーの目を盗んで、止められる前に事を成すことが出来ると踏んでのことだった。
「えぇ、そうよ。」
アナスタシアはどうでもいい事のように告げてメアリーに警戒されないように気を付けた。
とはいえ普段からメアリーはアナスタシアの言うがままに従う侍女なので心配する必要はないかとアナスタシアが思った矢先の事だった。
「何に使われるのか伺ってもよろしいでしょうか?」
あら?とアナスタシアは首を傾げた。
今までもメアリーに頼み事をした事はあるが、理由を聞かれたのは初めてだった。
それどころかなぜか疑うようにアナスタシアを見る目が不自然に細められていて、予想もしていなかったメアリーの様子にアナスタシアはたじろいだ。
「りんごを食べたくなったのよ」
なんと苦しい言い訳だとアナスタシアは自分でも思った。
突然メアリーもぽかんと、口を開けている。
公爵令嬢が果物を要求する事はあっても、自分でくだものの皮を剥くなど天地がひっくり返ってもありえない。
扇以上に重いものなど、持たなくていいと教育されているのは平民ですら知っている常識。
それを我儘で気ままで癇癪持ちの令嬢らしい令嬢が突然りんごを持ってくるように言うのではなく、ナイフを用意するように告げた事でメアリーはすっかり普段の落ち着き払った自分を見失っていた。
「お嬢様様は刃物を扱えるのですか?」
聞きたかったことはそんなことではなかった筈だと思ったのは論点とはずいぶん外れた質問をアナスタシアにしてしまった後の事だった。
「そうね、すこし」
言葉を選んでいたアナスタシアがなんとも曖昧な表現でメアリーの問いに肯定をしたが、メアリーはそれを信じようとはしなかった。
「嘘ですね、私はお嬢様にお仕えして短いですが、そんな話聞いた事もございません」
なぜか自信満々に言い切るメアリーに圧倒されつつ、アナスタシアは心の中でメアリーに話しかけていた。
嘘ではないのよメアリー。
私は5回目にループした時に、料理をしようとして実家のシェフにナイフで果物や野菜の皮を剥く方法を教わったの。
握力がない私が何度もりんごを落として手を切りそうになった様子をシェフは恐ろしい物を見るように見つめていたし、二度と包丁で皮をむかない事を約束させられたわ。
あれから反省して、私は皮を剝く練習を密かにして手を切った時のシェフの怒鳴り声は忘れられないのよ。
「包丁は貴方の遊び道具ではありません!」そう言われて逆切れした私はシェフの弟子に逆恨みされて胸を一突きされて殺されたのよ。
何処でシェフの弟子が話を聞いていたのかとか、何が起きたのかとかたくさん考える間に、アナスタシアは出血多量で5回目の人生を終えた。
過去を思い出して感情的になったせいか、喉まで言い募る声がでそうになったが、アナスタシアは我慢した。
そんな事をアナスタシアが言ってしまえば根掘り葉掘り聞かれて沢山の医者に囲まれて、頭の検査が始まる予感しかしなかった。
そうなったら大変に面倒くさい事はわかりきっていた。
アナスタシアはさっさと自らの選んだタイミングで死にたいのだ。
誰かに監視されるなんて真っ平ごめんだった。
「…りんごは剥いてお待ちしますね」
何も言わないアナスタシアにメアリーは触らぬ神に祟りなしと、返事も待たずにメアリーはそう言って部屋を出て行った。
もしかして…失敗した?
ナイフが手に入らないという事よね。
だめよ、これでは死ねないわ。
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