5.日直当番

目覚ましも鳴らない早朝に、珠里は目を覚ました。

いつもより睡眠時間はたりないのになぜか身体が軽い。


珠里は軽く伸びをしてからスマホの側に置いていた母の写真に挨拶をした。物心ついてから欠かす事のない母との古い約束だった。

『挨拶は大好きって伝える事が出来るのよ』

そう言って珠里の母は柔らかなおはようと、抱擁を珠里に与えた。

写真の中の母はもちろん返事はしてくれない。

それでも元気をもらえた気がして、彼女は鼻歌混じりに朝の支度を始めた。


「おはよう」

「おはようございます!」

ボロアパートを出て直ぐに両手にゴミ袋をもったおばちゃんの声に元気よく返事を返す。

 両親のいない珠里へよくお裾分けをしてくれたり気にかけてくれる優しい藤田はこのアパートの大家でもあった。


「昨日は帰りが遅かったみたいだけど何かあったの?」

「昨日はバイトが長くなっちゃって!心配ありがとうございます」

高いところで括ったポニーテールが珠里の動きに合わせて揺れる。

黒髪が艶々と朝日を受けて輪を作った。――ふと、珠里は自分が言った言葉に違和感を感じた。


(昨日っていつ帰ってきたんだっけ…?)

 確か昨日は弁当屋のバイトを終わらせて、余り物と名ばかりのお弁当を食べさせてもらった。

店長には、珠里と同じ年頃の娘が居るらしく訳ありの珠里を何かと気にかけてくれていた。入学式前後は何かとお金が入用で、「昨日のおかずはなんだった」と聞かれて、「塩」だとうっかり漏らした日から、店長の食育はじまった。

「揚げすぎた」だの「焼き過ぎた」などど言ってお皿いっぱいのおかずとご飯をバイト終わりに食べさせてくれる。


 その日もお腹いっぱい食べて珠里は20時にはバイト先を出た。

それから朝起きるまでの記憶が朧げで、珠里は首を傾げた。


「珠里ちゃん、時間は大丈夫?」

「…あっ!!私今日日直!」

「あら大変、いってらっしゃい」

「うん、ありがとう!行ってきます」

藤田の声に反射的に返事を帰して、珠里は学校へかけていく。

一瞬沈みかけた思考は今日の日直当番へと向かってしまう。

(最近疲れが溜まってたのかなぁ?)

起きるまでの記憶がない事をそう結論づけて、珠里は傷だらけのローファーで地面を蹴る。

朝の違和感も一歩踏み出すごとに疑問すら忘れてしまった。


「気をつけなよ、蜘蛛に吠えられないように」

「はーい!」

規定より少し短く折られたスカートが大きく揺れる。

伸びる脚は傷ひとつなく、細いながら筋肉が浮かぶ。

スクールバックを揺らして高校へ向かう珠里はあっという間に都会の海へ紛れ込んで人に紛れた。



_______


「杉浦、遅くなってごめん!」

「おはよ、私もいま来たばっかやわ」

教室の扉を開くと、既に板消しを手に動く愛美をみつけて、珠里は自席に鞄を置いた。


黒髪を肩口ですっぱり切り揃え、右側だけ編み込みをした一房をピンで止めている。

杉浦愛美-珠里の同級生で仲良しの友人でもある。彼女は両親の転勤で高校からこっちに来たらしく、関西訛りが可愛い。

本人は気にしているようだが、聞き馴染みのない言葉とゆっくりとした話し方は小動物を思わせる可愛らしい顔立ちの愛美にピッタリで、怒らせない限りはとても優しい。


怒らせない限りは。



「日誌書くのと板消しどっちがいい?」

「うーん、板消し!」

少し迷ってから珠里答えた。

深い意味などない。ただちょっと板消しを動かしている愛美のちらりと覗くおみ足が大層けしからん箇所まで見えて教室の安穏を守ろうとしたなんて絶対言えない。


…ドスを入れられる。多分、…絶対。


「なら任せるわ、お手洗いとか行くんやったら言ってな。二人で回せばいいんやし」

「……っ好きっ!」

平均サイズの愛美に拳ひとつ小さい珠里は感極まったように抱きついた。

想定していたのか、対してよろめきもせずに愛美は細い体を抱きとめてしまう。

もしも愛美が男ならさっきの気遣いの塊でしかない紳士な物言いといいあっという間に惚れてしまう自信がある。

(……ぁぁ、好き!)

細い腕がするりと、珠里の背中に回る。


「こんな可愛いこと絶対男にしたらあかんで?」

耳元で囁かれて珠里は腰から砕け散った。


……イケボォオオオ!

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