第2話
「あーあ、やっちゃったわねえ、茉莉。二重の意味で」
ランチタイム。
私は勤め先の異世界貨幣交換所からほど近いカフェで、フレイア先輩に事の次第を説明し、助言を請うた。
フレイア先輩は、元イギリス人で、異世界転移という面では私の四年半先輩だ。ただし魔法が使えるとか、そういうわけではない。普通の人間である。
そしてそれは私も同じで、魔法、異能力、チートとかなんだとか、そういうものはまったく持っていない。
そこそこのゲーマーだった私は、こんなレベルに能力無しじゃあ、この先どうやって異世界で生き抜いていけるのかしら、と最初は恐れおののいたものだが、しかし捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったものだ。
チートが『いかさま』を意味することから容易に推測できるように、私が勤める異世界の貨幣交換所のような場所では、下手に能力を持った人間は嫌われる。
逆に、私やフレイア先輩のように、村人Aがお似合いの、なんの力も持っていない人間は、貨幣交換所にとっては好都合だ。
なぜなら、何の能力もないから、魔法やチートによる不正に眼を光らせるコストが、安く上がるからだ。
私たちのような、何も持たない人間でも、コツコツ毎日、いろんな世界からやってくる転移者たちのお金を、この異世界の通貨に替えたり、また、この異世界内の諸国の通貨を、レートに従って交換したりする仕事に就けば、とりあえず食い扶持には苦労しない。
真面目な者が、真面目であるだけで報われる。
これはこの異世界の、私が元いた人間世界にはない美点なのである。
だから、私は忘れていたのだ。
私やフレイア先輩のような人間以外の者は、何かしら不思議な能力を持っているのが、この異世界では当たり前なのだと。
「やっぱり、私があんまりにも羽毛布団を気に入って、愛情を注ぎ過ぎたのが、この結果を招いたんでしょうか?」
「間違いないでしょ。人間が愛情を注いだモノが、やがて魂を持つにいたる。イギリスでも日本でも、人間世界でさえ良くある話よ」
イギリスでは日本文化史を研究していたフレイア先輩は、さらにこう付け加えた。
「そして、ここは魔法が当たり前にある異世界。普通なら何十年、時に何百年もかかって魂を得るところを、ほんの三カ月で得たとしても、何も不思議じゃないわ」
「ちなみに、フレイア先輩にはこういう現象、今までありました?」
「ある、というか現在進行形であるわよ。ティーセットでしょ、サイドボード、あと柱時計もだわ。彼女たちに私は、一人暮らしのための、しゃべり相手になってもらっているの」
私はフレイア先輩にそのことを聞いていれば良かった、と後悔したがもう遅い。
しかし、そう言った私に向かって、フレイア先輩は不思議そうな顔をしてこう言った。
「後悔? どうして? その布団男と茉莉が暮らして、何の不都合があるの?」
「え? でも人間じゃないし……」
「バカねー。人間なんて、この異世界じゃ希少種じゃないの。ドラゴンの方が、数で言えば多いんじゃない?」
ああ、そうか。
布団の精と私が付き合っても、ぜんぜん問題ないのか。
だってここは異世界なんだし。
気を取り直した私は、フレイア先輩の助言に感謝して、それでは早速、愛しの羽毛布団と同棲生活に入ることを宣言した。
こう見えて、決断力はある方なのだ。
私は、フレイア先輩に将来の夢を語った。
もちろん、羽毛布団の精との結婚を視野に入れた、だ。
子供はやっぱり、枕がいいかしら? でも沢山出来ると困るわね、などと浮かれる私の話しを、フレイア先輩は笑顔で聞いていてくれたが、しかし一言、真面目な顔で釘を刺しに来た。
「でも、結婚まで考えているんだったら、忠告しておいてあげる。中途半端な気持ちじゃ、その恋、本当に意味では成就しないわよ?」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ。茉莉には、耐える心が必要になるわ」
フレイア先輩が何を指摘してくれたのかは、私にもすぐにわかった。
この世界は、日本のように四季があるわけではなく、六つの季節に分かれているが、それでも地球と同じで、一年は暑い季節と寒い季節に、大まかに分かれている。
そう。もう言葉にする必要はないだろう。
私と羽毛布団の愛には、必ず別れの試練が、幾度もやってくるのだ。
とうとうその日がやってきた。
ここまでなんとか我慢してきたが、もう限界だ。
暑い。
暑いんだもの。
さすがにもう、羽毛布団、キツイっす。
それでも、羽毛布団は抵抗した。
「でも、仕舞わなくったっていいじゃないか! 夜には、タオルケットに僕の居場所を奪われたっていい。我慢するよ。だから寝室の隅にでも置いておいておくれよ!」
私はしかし、心を鬼にして、羽毛布団に言った。
「だめよ、そんなこと。私だって、あなたと一年中、ずっと一緒に居たい。
でも、部屋の隅に置いておくだけなんてダメ。
あなたは、羽毛布団なのよ?
湿気は大敵なの!
そして何より、私は布団であるあなたを愛しているのよ!
部屋の隅に置かれているだけなんて、そんなの
羽毛布団はその、私好みの顔をうつむかせ、うなだれた。
「キミはやっぱり、僕を暗い押入れに、閉じ込めるつもりなのかい……?
そして、僕に君の姿を見せないつもりなんだね……」
「ちがうわ! 出来るだけたくさん、押入れを開けて、あなたの姿と、ふんわりした感触を楽しむわ!
だって、いくら暑くたって、あなたを忘れられるわけないじゃない!」
「ふんっ! そんなこと言って、どうせ『あーもう、しょうのう臭くって嫌だわ』なんて、毎度思うんだろ?」
「そんなことないっ!」
「いいや、そうに決まってるね!」
頑固にそう言いはる羽毛布団に、私はとうとう覚悟を決めた。
あのことを告白するのだ。
それはとても勇気がいることだったけれども、私はついに言ってしまった。
「私……実は、しょうのうのツン、とした臭い、大好きなのっ!」
「茉莉……」
私は、親にも隠していた秘密を羽毛布団に明かしてしまって、その場にぺたんと座り込んだ。
「私……とんだ変態よね……。みんなが臭い臭いって言う、しょうのうの臭いフェチだなんて……」
私は、きっと羽毛布団は、呆れかえって人間の姿でいることをやめるだろう。
そう思った。
しかし、羽毛布団は、私が暑がらないよう、そっと肩だけを抱いてこう言った。
「わかったよ。だったら僕、しょうのう臭くなる。押入れに入って、茉莉が満足するくらい、立派にしょうのう臭い羽毛布団になってみせるよ……」
羽毛布団はそう言ってから、にっこりと笑みを見せてこう続けてくれた。
「愛してるよ、茉莉」
「う、羽毛布団っ! 私も愛してるっ!」
私は、力いっぱい羽毛布団を抱きしめた。
正直言ってすっごくあつかったが、だからどうだというのだ。
明日は晴れだ。
私は羽毛布団を、これでもか! というくらいお日様に当ててあげて、そして虫がつかないよう、沢山しょうのうを布団袋の中に入れて、そこへ羽毛布団を大切にしまい込むのだ。
羽毛布団の入った布団袋をしまう場所は、もう決めてある。
暑い時期でもいつでも挨拶が出来るよう、押入れの、一番出しやすい場所にだ。
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